山本さほ「岡崎に捧ぐ①」「同②」小学館

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① [ Amazon ] ISBN 978-4-09-179207-5, \787 + TAX
② [ Amazon ] ISBN 978-4-09-179209-9, \787 + TAX

 帯の煽り文句に「WEBサイト[Note]で短期10,000,000 viewを記録した話題作」とあったので,てっきりまた一迅社やメディアワークスあたりがトチ狂ってWeb漫画をまとめたのかなと思ったのだが,出版したのは天下の小学館,今はビッグコミックスペリオール誌で連載中というのだから,Web漫画の成り上がりぶりには慣れているワシとても素直にすげぇえなぁと感嘆したのである。
 で,買って読んでみたら確かに面白い。基本的には作者・山本の小学校~中学校時代の思い出話を描いているのだが,リアリティに溢れすぎていて現実のアンチクライマックスぶりに左頬の筋肉が引き攣る程だ。しかもこれ,10年ぶりに描いた漫画だというのだからビックリだ。一応美大を目指していたぐらいだから,絵心はあったろうが,面白い漫画を描く才能はそれとは別のものなのだから,漫画の執筆を勧めた同級生の杉ちゃんや岡崎さんは偉大だなぁ,持つべきものは友達だ,としみじみ感じ入るのである。
 糸井重里のマンガ読み能力は年季が入っているだけあってさすがと唸らされることが多い。本年も山本さほにとよ田みのる,simico,小山健の3人を加えて催された「私(し)まんが座談会」を催しており,よく読んでいるなぁと感心させられた。そこで糸井は次のようにこの4人が描いている「私まんが」を次のように定義している。

私小説(ししょうせつ)という言葉がありますよね?
「わたくし」の身辺や考えを
書いていくのが私小説だとすると、まんがにも
そういうものがあるんじゃないでしょうか。

 私小説と言えば,猫猫先生こと小谷野敦が盛んに門人を集めては執筆を勧めている文芸作品である。文学に造詣が全く深くないワシとても,「へぇ~この人がねぇという下種の勘繰りを満たしつつ,ひょっとして自分もこういうことをやらかしそうだという共感神経を逆なでする,事実に基づくエッセイやマンガが大好きなのだが,それ以上に浅はかな作り物を超えた不条理的ストーリー展開に魅せられるのだ。本作を含む「私まんが」が糸井重里翁のトレンディアンテナに引っかかったのも,過剰なフィクションに食傷したワシら日本のマンガ読みの秘せられた欲求を満たす一筋の光をそこに見たからではないか。ワシはそう確信しているのである。

 本作,「岡崎に捧ぐ」は「ちびまる子ちゃん」のようにマンネリ化したホームドラマでは決してない。そこに描かれるのは赤裸々な凡人たる主人公=作者・山本の平凡ぶりであり,それを際立だせる親友・岡崎さんの存在なのである。家庭環境が荒れている岡崎さんは,それに対抗するように屹立した個人として成長していく。対して山本は平和な家庭環境で平々凡々と日常を過ごし,平均値を脱しないまま2巻の最後で岡崎さんと同じ高校受験して失敗する。描かれているのは,当時の中三の山本のお気楽な態度なのだが,それを描いている作者・山本はその後の人生の波乱を経験しているだけに作中の山本に突っ込みを入れまくるのだ。気楽な思いでエッセイマンガの体裁をとっているのだが,ワシも含む大多数の煩悩を断ち切れない凡人の大人は,自身の若い頃をのぬるま湯っぷりを思い出してしまい,ある意味,読んでいて辛くなる作品でもあるのだ。

 中核となる山本と岡崎さんを取り巻く人間模様もまことにアンチクライマックスで,劇的感からほど遠い。教師に暴力をふるった不良学生は感動的な許しを請うも「お前らまたやるだろ」の一言で警察に通報され,更生の機会を逃すことになるし,所有しているプレステ目当てで家まで上がり込んだ同級生に対しては,ゲームをクリアした後の付き合いをあっさり絶ってしまうし,まことに「あったあった!」というエピソードに満ちている。人格円満でないワシら凡人にとってはちと切ない,思い出したくもない記憶を掘り出してしまう効果が高い漫画なのである。

 新年を迎えるにあたり,それにふさわしいファンタジー漫画を毎年大みそかに紹介している訳だが,本書は心をシバキ倒した擦過熱で熱くなる作品であるから,まぁ一種のブラックユーモア的ファンタジーと言えないことはない。今後の山本と岡崎の関係が大いに心配になるが,それは2016年に刊行される第3巻以降で次第に明らかになるであろう。つまり,来年が待ち遠しくて仕方なくなるシャブのような効果のある作品でもある。まことに新年を迎えるにふさわしい強烈な「ファンタジー」ではないか。ヘタウマ的センスあふれる山本さほの今後の活躍に期待しつつ,2015年を〆ることにする。

 本年は誠にありがとうございました。
 来年もよろしくお願いいたします。

戸川隼人「マトリクスの数値計算」オーム社

Matrix Computation

(絶版) [ Amazon ] ISBN 4-274-07008-5, \4301 + TAX

 Wikipedia風に本書の著者紹介をすると次のようになる。

戸川隼人(1936 – 2015) 1958年早稲田大学第一理工学部数学科卒,1971年まで科学技術庁航空宇宙技術研究所(現JAXA)研究員,1976年まで京都産業大学助教授→教授,2000年まで日本大学理工学部数学科教授,その後,尚美学園大学,サイバー大学で教鞭を取る。数値解析,数値計算,プログラミング, CG,情報処理全般の著作多数。

 理工系大学・専門学校でプログラミングを学んだ,現在40歳以上の元学生の諸氏は,C, Fortran, Visual Basic等のテキストの著者として認知しているのではないかと思われる。特にサイエンス社からは多数の書籍を出しており,関連会社の数理工学社のテキストや「数理科学」の表紙絵も描いていた。個人的には器用で世渡りのうまいタイプの秀才だったという認識を持っている。

 本書は著者自身による著作リストにも入っていないオーム社からのロングセラーで,ワシの手元にあるのは平成4年(1992年)の「第1版第17刷」である。現在は絶版品切れ状態だが,21世紀になってもひょっとしたら生き残っていた可能性もある。第1刷が刊行されたのが昭和46年(1971年)だから,かれこれ40年以上も継続して読まれ続けたということは,ことこの分野の書籍としては異例で,しかも第1版のまま改定もされずに生き残っていたのだから,記述そのものがそれほど古びなかった,ということである。内容は「マトリクス」(行列)ということから類推できる通り,連立一次方程式と行列の固有値問題がメインであるが,執筆当時は最先端の話題であった区間演算,キングサイズ(今でいう大規模問題)向けの計算法,疎行列の扱い・・・に加えて「高次代数方程式」(第4章),「常微分方程式の初期値問題」(第5章)まで扱っており,内外の文献を集めまくって精力的に執筆を行ったことが巻末の膨大な文献リストからも伺える。実際,現代でもこの分野の勉強の一環として本書に目を通す価値はあるだろう。但し,あくまで参考程度に留めるべきである。

 著者の履歴を眺めていて気が付くのだが,本書刊行時点ではまだ博士号を取得しておらず,母校・早大から博士論文「ロケットの運動の数値解析的研究」が認められたのが4年後の昭和50年(1975年)である。多分,本書の記述に使われた膨大な文献は,航空宇宙研在籍時からのものも含め,博士論文執筆のために存分に利用されたのだろうと推察できる。
 残念ながら,その後,本書は改版されることなく,当然その後の研究の進展も,Linpack, Eispack,そして統合されたLAPACK/BLASと派生ライブラリの高速性については全く触れられないままとなってしまった。書籍ではありがちのことではあるが,科学技術計算基盤が大型計算機からワークステーションやパソコンに移ってしまった1990年以降の技術動向を著者は全くフォローしていなかったようなのである。

 実はワシはちょうどその時期に博士号の取得のために永坂秀子先生の実質的な指導の下,著者に主査をお願いしていたのだが,研究そのものについての役立つアドバイスは皆無であり,博士号取得の要件となる査読論文はほぼ全部,ワシと永坂先生との共著として出版したものである。とはいえ,いざ博士号の審査となれば,著者の顔の広さを存分に発揮して頂き,副査として日大工学部に移っていた田中正次先生と,物理学科の川上一郎先生という大御所を付けて頂いたことは今でも感謝している。しかし,肝心の論文の中身についてのアドバイスは地に足のついたものではなく,正直イラつくことが多かった。当時は数値解析よりもCGやプログラミング言語の方に著者の関心が移っていたことも原因であろうが,やっぱり,数値線型代数に関する最新知識の習得は怠っていたのかなぁと思わざるを得ないのである。

 本書に関しては,今でも内容的に使えるところが結構ある反面,更に高度に発展した技法があり,それを取り込んだLAPACK/BLASが既に無料で入手できる状況にあることを鑑みると,歴史的価値以上のものを見出すことは難しいというのが今の偽らざるワシの感想である。理論的な記述,本書で言うとQR法の収束の解説などはさすがに心血を注いでいるだけあって分かりやすいが,同様のものは森正武「数値解析」(共立出版)にもあるので,本書が唯一無二の数値線型代数中心のアルゴリズム解説書であるという記述はそんなに多くはないのではないか。それよりは1970年代初頭の段階でのこの分野の動向,そしてその当時の著者の博覧強記ぶりを知るための歴史的資料として捉えるべきであろう。

 ワシが現在刊行を目論んでいる「LAPACK/BLAS入門」(仮)は,実は本書の記述に対する一種の「恩返し」の意味合いも込められている。まことに嫌味で反抗的だった院生として著者に対し「先生の書いた数値線型代数の技法は全てLAPACK/BLASにつぎ込まれて更に洗練されてますよ」と言いたくて書いているところもあるのだ。ちょうどその執筆に苦しんでいる時期に著者が亡くなっていたことをこの年の瀬に知ったこともあり,博士号取得に際して散々お世話になった「お礼」も兼ねてこの小文を書くことにしたのである。