4/17(日) 駿府・雨後雲

SurfacePro 4を入手したので,ペン入力を使いながらこの日記を書いている。正直、キーボード入力の方が速いのだが、物珍しさが優って、イラつきながらタッチパネルに文字を書いているのである。

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大体、年と共に漢字を忘れるからICTに頼っているというのに、齢40を越えてまた書き文字入力に戻れというのも御無体な話ではないか。両手を使ってのタッチタイピングに慣れるまでどんだけ苦労したと思っているんだこのM$野郎!しかもこの書き文字入力、割と滑らかに文字を認識していくのである。やっぱ、少し無理してCore i5にしたのが良ったのかなぁ。Atom だともう少しモタついていたかも。

 ここまで書くのに30分,やっぱキーボードは使いやすい。ただ,文字認識の精度が思いの外良いのは感心した。そのうちWordとかExcelとかで直接画面やセルに手書き文字入力できるようになるんだろうな。その頃にはすっかりロートルになったワシが一人寂しくでかいdisplayに向かって時代遅れのキーボードをカチカチ打っているのであろう。

 仕事はとりあえずノルマを果たす程度には行ってはいる。それ以外の部分が完全に停滞中。ま,ボチボチやろう。

 そろそろ神さんが戻ってくるので今週はここまで。今週中にはカバーキーボードも届くかしらん? 別便で送ってもらったんで遅れているようである。

Scilab Tips: デフォルトの分割ウィンドウ画面への戻し方

 講義の中で誤ってScilabの初期分割画面(コンソール,変数,ヒストリウィンドウ)を消してしまい,コンソールだけになってしまったというケースがあったので戻し方をここに書きつけておく。一行で書くと下記のようになる。

Scilab 5.2.2の場合:「編集」→「設定」→「一般」→「デスクトップレイアウト」→「レイアウトをリセット」→Scilab再起動

 GUI画面で示すと,最初は下記のような分割画面になる。

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 それぞれの分割ウィンドウ上の「×」印をクリックすると消えてしまう。コンソール以外を全部消すと下記のようになる。

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 これを戻すには,メニューバーから「編集」→「設定」→「一般」→「デスクトップレイアウト」と移行して下記のようにする。

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 さすれば,Scilab再起動後は下記のように元通りの初期分割ウィンドウ状態に戻る。

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4/10(日) 駿府・曇

 4月中旬にさしかかり,ようやく気温は例年並みかそれ以上に上がってきた。朝早い出勤時には薄手のコートがあった方がいいかなぁとは思うが,帰宅時にはもはやコートなしでも十分暖かく,速足で歩くと上着ありではちょっと汗ばむぐらいになる。今ちょうど満開の桜が葉桜になる頃にはもうすっかり春,衣替えの季節になるだろう。

 ということで新年度開始,仕事のは順調に遅れつつあり,まずは目前の査読〆切までにやらないといかんがちょっと遅れるかも(Editorさんごめんなさい)。
 「多倍長数値計算入門(仮)」,下書きをボチボチ貯めつつある。多倍長整数の話を書くついでにプログラミングもある程度はしておく必要があるので,そっちにかまえて本論が一向に進まない恐れあり。つーことでこの辺の話はRSA暗号の説明ができたところで切り上げてさっさと浮動小数点数の話に進まねばならぬ。頑張ろう。
 数値解析シンポジウム,本年度はポスターセッションがなく,その代わりにPC使って説明するセッションを設けるとのこと。一般公演にするかPCセッションにするかは後で決めるとして,とりあえずStrassen使って高速化したGEMMライブラリの話でもまとめておくとするか。

 ちくま学芸文庫の新刊,吉田耕作「私の微分積分法」,パラパラ読んでいたら何となく数値解析っぽいにおいがプンプン。関数電卓叩きながら収束性の良しあしを確認しつつ執筆してたらしい。宇野利雄より7歳年下だけど,志向に似たところもあったのかしらん。

 ちょっと気になっていたBash on Ubuntu on Windows,実験室のWindows10マシン,10台あるうち1台だけInsider Previewに参加させていたので,そこでインストールして使ってみた。

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 gcc, g++, gforgranはapt-get installで普通にamd64バイナリを入れることができる。GMP 6.1.0, MPFR 3.1.4をソースからコンパイルしようとするとmake, m4, autotoolsがないと怒られるが,これもapt-get installで入る。bashから/を除くと通常のUbuntu環境同様に/etc, /usr, /var, /proc, /home等のディレクトリがあることが確認できるのだが,実態がどこにあるのかは皆目不明。Windowsのファイルは/mnt/c経由でCドライブにアクセスできる。コンパイルはrootユーザで行い,C:\users\ユーザ名\documents以下に置くようにしたのだが,scpコマンドで./の指定が効かず往生した。それ以外にもsshでの接続にやたらに時間がかかったり,動きにおかしなところがいくつかあったが,上のmpfr-benchの結果を見ると,CPUのパフォーマンスに関しては遜色ない様子。とりあえず普通のUbuntuのCUIの感覚で使用できることは確認できた。
 とはいえ,bash上でコンパイルして作ったバイナリはWindowsでは動かないようだし,Cygwinやmingwより有意性があるといえるかどうかは今のところ微妙。少なくともVMwareやVirtual PCよりもパフォーマンスの点では良さげではあるが,不具合がある上にdaemonがどうなっているかも分からず(topコマンドは動作しなかったし)完全にUbuntuと同一環境とは言いかねる。どういう用途に使うのかといわれるとちと困る感じ。面白かったけど,まずは夏に出る正式版まで様子を見ることにしよう。

 つーことでボツボツ仕事してますという言い訳でした。明日からまた頑張ります。

キュン妻「日刊ヤンデレ夫婦漫画」メディアファクトリー

[ Amazon ] ISBN 978-4-04-068157-3, \600

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 ちょろっと面白そうな「熱愛夫婦エッセイマンガ」なんだろうなと思って読んだら何とこれ,「因果は巡って丸く収まりました」的急展開が挟まっていたのでワシはびっくらこいたのである。

 最近は紙媒体の雑誌が全然ダメなので,もっぱらWeb上で連載を持たせて単行本にするケースが増えている。ただ,ネット上だと今度はその「雑誌」という範囲で読むことは少なくなり,お気に入りの特定作品のみ読む,というスタイルになってしまう。この辺が,読んでいる時には「冊子」という単位でページを繰ることしかできない紙媒体とは異なるWeb媒体独特の難しさである。その分,ストレージと帯域が許す限り大量に掲載はできるわけだから,ちょろっと良い新人がいればすぐさまスカウトして連載を持たせることはできる。ただそれだとツマラン連載も増えるわけで,ますます「たくさん作品はあるけどどれがいいのかわかりづらい」媒体に成り下がっていき,「とりあえずエロなら読んでくれるかな」的作品が増えていくわけである。
 その分,個人単位で好き勝手できるblogだのpixivだので独力でのし上がって単行本掲載まで辿り着くケースが増えている。ここで紹介した「旦那が何を言っているかわからない件」はその最高峰で,今や作者は何本の連載を抱えているのかわからないほどの人気っぷりである。

 本書もその一つであるらしく,作者・キュン妻は夫ともどもtwitterアカウントを持ち,自身のWebサイトだけでなく,pixiv,アメブロ,ニコニコ静画で本書に収められているエッセイマンガを連載している。その人気っぷりに目をつけたメディアファクトリーが作品をまとめて単行本を出版するに至ったようだ。そういうケースは最近目立って増えてきたし,目利き編集者がワザワザ赤字になる危険を冒してまで単行本を作ろうと考えるからには凡百のエッセイマンガにはない「特徴」がきちんと備わっているものが多い。ということで,大量のWeb媒体掲載作品を渉猟するよりはリアル書店の新刊平置台をチェックしている方がハズレが少ない,という事情は現在も変わらないのである。

 前置きが長くなったが,ワシが本書を手に取ったのは「幸せな夫婦のエッセイマンガ」という理由以上のものはない。なんせ表紙は文字ばっかりだし,作者は完全匿名。pixivで人気があっても相性合うかな?,と半信半疑ではあったものの,「実録熱愛夫婦モノ」で世の草食系男女を啓蒙する活動に日々勤しむ既婚者のワシとしてはネタの一つになるかなぐらいの感覚で買ってみたのである。そしたらそんなものを大幅に上回る「感動」を覚えたのであるから,これは紹介せねばとMacBook Airを開いたという次第なのである。ちなみにワシは本書を読む前は作者のtwitterもpixivも全く知らなかったし,本稿を書くにあたっても全くそれらを見ていない。以下で述べるのはあくまでこの単行本だけ読んだだけの一読者の感想に過ぎないことをお断りしておく。

 本書はゆるふわキュン妻とがんじがらめに妻を縛り付けたい夫との熱愛ぶりを描いた緩い4コマから始まる。といっても肉体的精神的DVではない。DVとは受けた本人が苦痛に覚える場合にのみ適用される用語であり,キュン妻は夫の締め付け的愛情に呼応して愛を育んでいるのだから何の問題もないのである。以前,大手小町で夫による外出禁止令を疎ましく思う妻からの相談があり,それに対する女性からの回答の一つに「妻が愛している限りなんの問題もない」というものがあってびっくらこいたことがあった。まぁ夫婦や愛というものはいろんな形があるので第三者の感想とは全く別物なんだなぁとワシは認識を新たにし,本書で描かれるサドマゾベストカップルは実在するのであろうなと首肯するしかない。

 しかし本書はそれだけにとどまらない「因果」を描いている。キュン妻のマゾ的愛情受け入れの態度は過去の家庭環境を起因とするものであり,それ故にサド的夫の愛情表現が,夫婦生活を営み,2子を育むために必須のものであった,という衝撃の展開が明かされるのである。ふえ~・・・まさに急転直下,放置すると因果は巡り,巡る因果を断ち切るには「愛」しかないのだなと,ワシはこの下手糞ながら可愛げのある漫画表現に納得させられたのである。まさに「愛は地球を救う」んだよなぁ。

 本書の帯には「読めば読むほどやみつきになる,究極の夫婦生活をおとどけします」とあるが,これは宣伝文句としては申し分ない,まことにワシにとっては「究極の夫婦生活」しか持ちえない「愛の効用」を知らしめる教材になったのである。Web時代ならではの大競争時代からこそ浮上してきた傑作,そして草食系男女の背中を蹴り上げて「オラ結婚しろ!」と本書を投げつけてどやし付けるにふさわしい作品なのだ。傷をつけるのが対人関係ならそれを癒すのも対人関係なしではあり得ない,アドラー心理学的真理に基づく本書は,まさに時代にふさわしい傑作エッセイマンガと言えるのである。