12/23(日) 東京->掛川・雨後晴

 ふー疲れた〜。久々に都内をぐるぐる回ってしんどいのなんの。だもんで,本日の足跡だけを簡潔に記す。
1.朝8時過ぎに蒲田のホテル出発。東京駅にてコインロッカーを悠々確保,昨日の戦利品を格納して身軽になる。休日の東京駅地下のコインロッカーは,午前10時過ぎになると殆ど空きがない状態になるからね。
2.東京ミッドタウンをウロウロして,新国立美術館へ。公募展という奴の招待券を貰ったので行ってみた。黒川紀章の設計の建物だが趣味にあらず。公募展も素人の寄せ集めという感じで,まあ面白いものも散見されたが,隣でやっていた書道の公募展の方が楽しめた。しかし老後の趣味としてはこーゆーものに出展するというのも悪くない。一種の同人サークルみたいなもんか。これだけガラガラなら,コミケより体が楽である。
3.六本木から神保町へ移動。やっとこさっとこ「このマンガを読め!2008」と,書泉ブックマートにて遭遇出来た。その後,三省堂書店では平積みになっていたのを発見。神保町にしか配本しないつもりか吉田保・・・。三省堂では翻訳本が目立つところに縦置きされていて満足。もし目立たない扱いになっていたら「やさしい微分方程式」の上に載せてやろうかと思っていたが,テロを敢行せずに済んだのは幸いであった。
4.神保町から市ヶ谷へ移動。日本大学本部前を通過して私学会館にて情報科教育学会発足式に出るも,会場に冷房が入っていて寒かったのと,メンツが情報教育の常連さんばっかりだったのでさっさと出てきた。一応正会員の手続きは取ったので,今年度と次年度は会員でいるつもり。どーせもう一つの方は止める方向だしな。
5.市ヶ谷から秋葉原へ。夕飯をかっ込んで御徒町で下車,鈴本演芸場へ。本日の夜席は若手メインの興業で,喬太郎・歌武蔵・菊志ん・ロケット団・白酒を目当てにしていたのだが,この5人(組)にハズレなし。津軽三味線の太田家元九郎,アサダ二世も良かった。一番は喬太郎の「時そば」で,最初は本寸法でやるのかと思っていたら・・・という次第(何がだよ)。柳家一門のお家芸だけのことはあるね。
6.夜席が8時ではねたので,ダッシュで東京駅へ。午後8時23分名古屋行きこだまに間に合った。ふーしんど。
 疲れたので今日はもう寝ます。明日からエロ特集,かなりこじつけも混じりますけど,乞うご期待(しなくていいです)。

12/22(土) 掛川->東京・曇時々雨

 どよんとした空の下,東京へ向かう。出発時にグズグズしたせいで10時5分掛川発のこだまに乗ることになってしまった。グズグズの理由は,炊いてあった飯の始末。ちょうど買い置きの海苔を切らしており,海苔なし・梅干しembeddedな白い飯玉を作って昼飯用に持って行くことになった。その決断に手間取り(海苔なしの飯玉をおにぎりと称するのは日本人としていかがなものか,そもそも海苔なしで神聖な飯を握って良いものかどうか,等),予定より2時間遅れで出発したのであった。
 
 車中,伊丹映画の駄作について思いの丈を書いてみたら,随分長くなってしまった。これぐらいでいいか,と気がついたらもう東京駅である。人生は短い。
 まずは翻訳本の営業のため,某大・某教室へ向かう。以前の建物は内装工事のため,某(某ばっかりや)大手電機メーカの元本社ビルに移転していた。エレベーターが10機もあって壮観。移転前の建物はあれだけの学生が出入りしているにも関わらず,一機のエレベータでやりくりしていたことを思えば隔世の感がある。ま,いずれは元の一機ビルに戻ってしまうのだが。
 お留守だったので,翻訳盆の宣伝メモのみ残して去る。後でメールを頂き,すれ違いだったことが判明。2巻お揃いで常備しておくとよろしいですぜダンナ!(女性だけど),とお返事を宿で書く。ま,ワシがプッシュしなくても一揃いは買ってくれるとは思うが。
 営業の後,御茶ノ水及び東京丸の内の丸善で本を漁る。久々の大量買い。相変わらず,フリースタイルの「このマンガを読め!2008」と遭遇出来ずに泣く。

もっと増刷して平積みを目指さんかい,吉田保のバカぁ〜

 リベンジは明日,神保町にて果たすことにする。・・・高岡書店に置いてなかったら,下北沢まで殴り込んでやろうかしらん。
 とりあえず,本日購入分のご紹介をしておこう。
 ・福満しげゆき「僕の小規模な生活」1巻,講談社(青林工藝舎刊行のものの続き)
 ・大槻ケンジ×西炯子「女王様ナナカ」徳間書店
 ・木村紺「巨娘」1巻,講談社
 ・内田麻里香「恋する天才科学者」講談社(一部はほぼ日で読める)
 ・鹿島茂「神田村通信」清流出版
 ハズレなし,というラインナップ。講談社に思いっきり貢いでいるような気がするが,まあ刊行物の割合からいって仕方がないか。このうち鹿島茂を除けば全部エロ特集に組み込めそうな・・・こじつけだけど。つーことでぷちめれは後ほど。
 本漁りの後は大師匠の所へ。星新一とか夏目房之介とかを愛読している身としては,このあたりに近しいものを感じてしまう。
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 そーいや,この文字書いたのって・・・
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やっぱ,あのお方,だよね? ・・・ところでMSって,松尾スズキか?
 この通りの先に,星新一の自宅があったんだよなあ(今はない)。
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 翻訳本をお渡しした後は,例によって大師匠と世間話。ま,殆どはワシの愚痴なのだが。どうもお邪魔致しました。
 宿に帰って温泉に浸かって,人心地着いたのでこれを書いている。さて,これを書いたらもう寝ます。明日は東京駅コインロッカー争奪戦に参戦しなければならないのだから。

主婦感覚って奴は・・・

 2007年年末,チャンネル数減の圧力を逃れたNHKは,2年ぶりにBSマンガ夜話を復活させると共に,伊丹十三の映画特集を組んだ。既に民放・地上波では宮本信子主演の映画は大概放映されているのだが,腐っても国営放送,コマーシャルによる中断がないとあれば,録画用としては最適なのである。とゆーことで,我が家のDVD+HDD録画装置は2008年の正月を迎える時には「伊丹ボックス」と化す予定である。・・・その前にもうちっとHDDの空き容量を増やしておく必要があるのだが。
 ワシが見た伊丹映画を好きな順に並べると,次のようになる。
1.タンポポ
2.マルサの女2
3.マルサの女
4.お葬式
5.マルタイの女
6.大病人
未視聴なのは「静かな生活」「あげまん」「ミンボーの女」なのだが,今回の特集は「〜の女」シリーズに限られているので,ワシにとって初体験となるのは「ミンボー」だけである。
 あれ? もう一本足りないんじゃないの? とお思いの方は,結構な伊丹映画通の方に限られるのではないか。そう,ワシは確かに「スーパーの女」を映画館で公開早々に見ている。しかし・・・ハッキリ言って,この映画,伊丹十三にあるまじき「超駄作」であって,順位付けすれば7番目に位置するのは確かだが,ワシにとっては,ランク外,という扱いをすべきものなのである。
 この映画は,とある住宅地でスーパーを営む男(津川雅彦)と,その幼なじみのバツイチ女(宮本信子)が主人公で,この二人が,最近の食品偽装問題の主役になりそうな悪徳スーパー(伊東四朗が経営者役)に対抗すべく,「主婦感覚」と誠実さを売り物として対抗していく,という物語である。
 当時,まだ20代のワシが見ていて思ったのは,演出とストーリーがグズグズに生ぬるいということだった。「マルサの女」「同2」で期待していた緊迫感は皆無,「タンポポ」における大時代的なケレン味と文人趣味も抜けており,まるで炭酸と果汁を抜いた,甘味料だけの清涼飲料水を飲まされているような映画だった。ま,今見ればそこそこ楽しめるかも知れないが,少なくとも公開当時のワシの率直な感想は,そのようなものだったのである。そして特にワシをいらつかせたのは,宮本信子が連呼する「主婦感覚」という単語だったのだ。「そのナンとか感覚とやらは,「それだけ」のものなのか?」と。
 学校出てから15年(これは「マルサの女2」に出てきた歌の文句),そろそろメタボ体型を支えきれなくなった腰骨が悲鳴を上げるお年頃になったワシは,同じ年数をひとりものとして過ごしてきた。ズボラな男が大抵そうであるように,ワシも最初は外食とコンビニ弁当中心の生活を送ってきたのだが,カロリー量と味付けが気になるようになってからは,少なくとも朝食はかならず自炊したものを食するようになっている。
 そうすると自然,冷蔵庫にある食材を中心とした生活を送ることになり,毎週末には近所のスーパーで大量の食材確保を行う必要が出てくる。そうすると必然的にそこで購入するものの値段・新鮮さには敏感になってくる。ワシの近所には3つの民間資本のスーパー(もう一つ農協Coopがあるが,ワシは生協アレルギー持ちなのでパス)があるのだが,このうち地元資本のKスーパーは価格面で一番お得ではあるものの,生鮮食料品の質に難があり,残り二つの鉄道系資本のチェーン店は,価格面で少し高めだが質はよい,という特徴を持つ。こうした特徴付けが出来るようになったのはスーパー通いの結果,身についた感覚のおかげだが,これを単純に「主婦感覚」と言ってのけてしまうのは,何か違う,という気が,「スーパーの女」を見た当時のワシも,今のメタボ中年のワシも,している(た)のである。スーパー通いによって身についた感覚全体を「主婦感覚」と定義するとすれば,この主婦感覚,もっと複雑なものを内包しているものであり,正確に言うなら,ビンボーしみったれな人間が自然と身につけざるを得ない,傲慢さと諦めとバカさ加減をない交ぜにした知識体系というべきものなのである。
 食品偽装問題が騒がれるようになる前から,小売りスーパーで扱われている肉や魚,野菜類に関してはかなりの「偽装」が行われているという報道があった。ワシが知っているところでは,TBSの報道特集で扱われていた「タラバガニ」の問題がある。「タラバガニ」として売られているもののうち,かなりの割合で「アブラガニ」という別の種類のカニが混じっているようだ,という報道であった。他にも産地の偽りは肉にも魚にもあるという指摘がある。また,ワシの職場で遺伝子解析の専門家の方の話を聞くと,魚でも野菜でも,遺伝子レベルで解析すると本物ではないものが結構混じっているらしいのである。
 もちろん,偽装をしてはいけないことは当然であるけれど,翻って,じゃあ,毎日の食い物をスーパーで購入するほかないワシらビンボー人どもに,「本物」を見分ける五感が身についているかというと,それははなはだ心許ないのは確かだ。つーか,DNA解析しなけりゃ分からんような代物をどーやって見分けるのさ,とワシらとしては口をとがらせてぶー垂れるほかないではないか。内部告発やInternetの普及によって,不正に対しては昔より厳しい監視の目が及ぶようにはなっているのだろうし,トレーサビリティの重要性は今後も増すであろうが,しかしラベルの張り替えぐらいで利益を増やせるという誘惑に対して超然としていられる人間がそれほどいるのか? と考えると,この手の偽装を皆無にすることはできないだろうと思うのである。
 それに,仮に偽装が皆無になり,全ての食い物の値段がコストに応じたものになっていたとして,ワシらがそれに基づいて「高いブランド品」を買うようになるわけではないのだ。自らの懐具合と,ブランド品が持つ「魔術」を勘案して,高級品と低級品を買い分けるのが普通だ。衛生や健康に即時的な問題が生じるという事態でもない限り,財布の中身と精神的な満足度を秤にかけて日々必要な物を得る,というのが庶民であり,「こんな値段で本物のタラバが買えるわけないよなぁ,どーせアブラガニだろうけど,アブラだって結構うまいし,今日の所はこれにしておくか」というよーな諦観を伴った合理性に基づいて培われるのが「主婦感覚」というものの正体なのである。
 ワシが「スーパーの女」で連呼されていた「主婦感覚」は,それが内包する一部の正義感を強調するためだけに使用されており,それを聞いていたワシは「何か嘘くせー」とカチンときていたのであろう。映画を成立させるためにはそーゆー狭義性も「アリ」とは思うが,それを「アリ」と思わせるにはもう少し演出やシナリオ上の工夫が必要だったのだ。インテリだった伊丹にそれが理解出来ていなかったとはとうてい思えず,恐らくはマーケティング上の戦略として,甘ったるい娯楽映画は主婦向けには行けると考えての映画だったのだろう。
 しかしそれは「主婦感覚」を舐めていた,と言わざるを得ない。そこには「騙されていることを意識しつつもそれを楽しむ」という重要なファクターが抜けていたのだ。エンターテインメントと銘打っているのだから,むしろそちらを重視すべきであり,お気楽な専業主婦が「私向けの映画かな〜?」と見に行ったらトンでもなかった,というものを作るべきだったのである。そして,もしその専業主婦が本物の「主婦感覚」を身につけていたならば,絶対に「面白かったな〜」とウキウキして映画館を出,家でダンナに「こんな映画をみちゃったのよ〜」と報告したはずなのである。興行的には不人気だったというのもむべなるかな,なのである。
 主婦感覚を舐めてはいけない。伊丹十三の不幸は,このことを見誤ったあたりから始まったのではないか,と思えて仕方がないのである。

12/21(金) 掛川・?

 例によって研究進まず。うだうだと時間を費やすのみ。
 年末と言えばコミケであるが,今年は出かける暇も金もないので見送り。どーせワシみたいな中年は三日目しか用事がないのだが,今年は大晦日だもんなぁ。さすがに掛川くんだりから遠路はるばる出かけて,2007年最後の日を人いきれの中で過ごしたくはないのである。米澤死すともコミケは死なず。ま,予定が合えば出かければいいさ,という気分。年である。
 とゆー訳で,会場でワシに似た人物を見かけても,それはワシではないので,訳の分からん噂を流さないように>学生諸君
 最近,SIAM Reviewが面白い。学生の頃は,研究テーマなんてどうやって見つけるんだろう?と思っていたが,なるほどねー,ワシみたいなズボラ人間でもこういう雑誌を眺めているとネタらしきものと遭遇出来るって訳だ。
 それに比べると,日本の学術雑誌(情報処理とか応用数理とか数学とか)はあまり役に立たない。これは日本語を操れる人口と英語を使用する人口を比較すれば当然のことで,執筆者の層の厚みが違うのであるから,仕方のないことである。
 つーことで,SIAM Reviewの書評にあった,敬愛する(面識はないけど)Shampine先生が褒めていた本をAmazonで注文。正月中にやろうとしている仕事に使えるかな,と。その他,2本程使えそうな記事あり。勉強勉強。
 明日から一泊で東京行き。寄席は混んでそうだから今回はパス。翻訳本の営業と,大師匠へのご挨拶と,学会の発足式の見学,ぐらいか。真面目な旅行だなぁ〜,私費だってのにさ。ブラック師匠の落語ぐらい聞いてくるかな。ちとタイトだが。
 車検,17.4万で何とか収まりそうだとのこと。タイヤだのウィンドウの開閉スイッチだのダクトだのと,さすが13年目ともなるとアチコチにガタがくる。しかし新車を買う金もなし,これで2年乗り切れるかと思えば必要経費として割り切るほかなし。
 日曜には終わるそうなのだが,夜七時までに取りに帰るのも面倒なので(代車なし,チャリを漕いで行かねばならない),火曜日の朝まで預かってもらうことにする。車なしの休日というのもいいものかな,と。
 これから散髪して,少し仕事してから寝ます。

12/19(水) 掛川・晴

 寒い日が続く。我が家の灯油ストーブもフル回転。こいつは2月の引っ越し時に廃棄予定だが,ちょっともったいない。「お紺昇天」の主人公の気分を味わいつつ暮れていく2007年の年の瀬である。
 年の瀬と言うことで,決めなければならないことを片付けるためにこの会議あの会議と,様々な会議が目白押しらしい。役職者の方々は大変なようだが,下っ端,特にワシのように信用度の低い輩はそれほどではない。それでもまあこーゆー社会情勢なので,様々な変更だの模様替えだのに巻き込まれることも多い。本日もそんな提案をしてご意見を拝聴するという役回りになった。
 まあしかし,メンバーが固定されてきてボチボチ十年にもなろうかという昨今では,誰がどんなことを言うかは大体読めており,内心はともかく,表面的には決定的な対決にはならず,それでいて積極的なイケイケムードとは程遠い,どよ〜んとした雰囲気に包まれる会議になってしまうのである。一言で言えば「老けた」のである。どこが,という具体的なことは聞いてはいけないことになっている。
 CentOS 5.1 x86_64のMySQLはmy.cnfを変更するたびにcore dumpしまくって使い物にならなかったので,再度Fedora 8に入れ替える。すると全ての問題は解決され,T君作成の最新Robotは快調にマルチプロセス動作を始めたのであった。
 T君曰く,CentOS 5.1ではRobotで使っているPerlのzlibモジュールに不具合があってまともに動作しないようだとのこと。そのため,未解凍の圧縮ファイルの内容ががMySQLに放り込まれておかしくなるのではないか,ということだったが,それにしても,素のHTML如きも全部化けたまんまってのはおかしい。どーもCentOS 5.1は,x86_64に関しては信用ならない,という結論に達した。5.2とか6が出るまで使うのは控えようっと。
 ともかく,これでWebがらみの懸案事項は終了。正月明けまでワシは数値計算屋に戻ります。何とか今週中に論文本文の完成を目指さねば〜。土日は東京行きなので,それまでに日本語文ができあがれば,英語書きに専念出来るのだけれど。これが出来ないと,2月の秋田行きもパーになってしまう。申し込みはもうしてしまったので(さっき送った),前回のように直前にキャンセルという醜態を演じないようにしなければ。
 電話,メールで連絡あれこれ。土曜日は大師匠の所へ久々に顔出し。翻訳本と論文を届ける予定だが,どちらもまだ届いていなかったりする。うーむ,今日明日中に届かなければ,ワシの手持ちの翻訳本だけでもお持ちしなければなぁ。論文の方はとっくに印刷に掛かっているはずなのだが。年内ギリギリまでヤキモキさせられるとは予想外。仕事なぞするものではない。
 車検も1月中に通せばいいのだが,今月中に済ませることにした。年の瀬は代車が用意できないことが多いようなので,車が必要ない金曜日の夕方に出し,日曜日の夕方に引き取ることにした。ディーラーへはチャリンコで往復する予定。折りたたみ自転車を買っておいて良かった。しかし13年目の車検となれば,一体いくら取られるのやら。しかし,新車を買う金はないんだから,20万円台なら御の字としなければ。ああ請求書が怖い。
 さて,風呂入って寝ます。