台風が近づいているらしい。そのせいか,ちょっと気温が高め。・・・などと書いていたら,日が変わってしまった。
情報処理学会の数値解析研究会がHPC研究会に衣替えしてからもう何年になるんだっけか? 応用分野の方々のツールとしての諸々の数値計算を統合的に扱うガクモンとしての「数値解析」は,元々,下請的な色彩の強いものだったが,HPCに衣替えしてからはますますその色合いが強まった感がある。「下請」という言葉に敏感な方は怒り心頭かもしれない。しかし,冷静に考えてみれば,画期的なアルゴリズムがあって生まれた応用分野ってのあったっけか? 他の分野の要請があって,抽象化した問題設定を行い,それについてのアルゴリズムや数理的側面からの考察をする,とあくまで受動的なガクモン,それが数値解析の本流という気がしてならない。下請という言葉が嫌なら,「基盤的」と言い換えても大意は変わらない。抽象度の上がった問題の解決を求める向きには,最後のよりどころでもある。
線型計算やそれを土台とした非線型計算も,主要な部分は固まってきて数理的な工夫の余地が無くなりつつあり,その先は,アルゴリズムを実行する計算機システムを改良・改善することでより生産性を高める方が得策であるという判断の元に,「数値解析」研究会は「HPC」研究会へと移行した。結果,数値計算を伴う「計算科学」という広めのコアの元に,コンピュータ屋さんが多数参加する今の状況を生むに至った。今では遺伝子・流体・重力多体・・・とより大規模な計算を対象としたプロジェクト研究が盛んになっている。そしてまた,そこで利用されるソフトウェアも整備されつつあり,磨き上げられて改良の余地が無くなり,今度は情報工学的な工夫の余地が無くなって,応用分野側での問題設定をあれこれ弄くることになるのだろうな。歴史は繰り返す。
数学も情報も,そういう意味では下請的な性格のガクモンで,どちらも理論がコアになっており,他分野から問題が持ち込まれて初めて体系が生き生きとし出すという点もよく似ている。ワシは理論にじっくり取り組む根気も能力もなく,さして広くも深くもない知識を組み合わせて日々暮らしているダメ学者であるので,理論に深く通じた偉い学者先生をいつも羨望の目で見つめている。多分,中途半端にHPCだけに通じているワシみたいなのは,そのうち淘汰されてしまって,後に残るのは優れた理論屋さんと,応用の方々なんだろうな。もっとも定年までは淘汰されては困るので,今はせっせとさして多くもない知識の深化を計りつつ,応用指向のことに手を出そうとしているのだけれど。
してみれば,例えば数学系の学科がリストラされたり,情報系の専門学科・学部が衣替えしつつあるのも,まあ時代の要請という意味ではやむを得ないことなのだろう。・・・と簡単に諦められては困る,もっと運動を,という向きもいなければ困るので,それはそれで頑張って頂きたいとは思うが。
そーゆー,数理系に不利な時代状況があるよなぁ・・・と感じていたところで,例の「学力低下論争」が持ち上がったのである。最初に火を付けたのは,数学者だった・・・という辺りも,そーゆー風潮に対する異議申し立ての気分がなかった,とは思われないのだ。ゲスの勘ぐりであってほしいが,どーも,その辺に政治的意図があるように思われて,その論争が生臭く感じられてしまったのである。ワシが「学力低下現象」を疑ってしまう理由の一つがここにあるのだ。