March 16, 2010

[日記] 3/16(火) 掛川->岐阜->掛川・?

 天気がよかったような気がするが,波瀾万丈なお話を伺った衝撃で忘れてしまった。雨は降ってなかったが,風がやたらに強い日。

 午前中に自宅の2年目修繕をちょこっとやってもらって岐阜に向けて出発。途中,銀行に寄ってMSDN AAの継続申込金を支払う。ダウンロードだけなら3.7万円だって。安くなったなぁ。毎年研究費が底をついてピーピー言っている身としてはありがたい。近頃ではWindowsのライセンスより,学生さん用にVisioを使うことが多いけど。あれって重宝するのよねぇ~・・・って,ろくすっぽ使い方をマスターしないうちに卒業しちゃうんだけどさ。ちぇっ。

 ほぼ2時間,マガリ太郎を駆って東名→名神→東海北陸と乗り継いで岐阜聖徳学園大学に到着。講演を伺う。

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"A little bit difficult"っつーてたけど,ワシにとってはToo difficult to understand the whole talk about Block Lanczos Approachesでございましたわよ。線型計算も理論的(つーか,A先生に言わせるとそれがGlobal standardだそうだが)なアプローチを重視するようになっちゃったのね。勉強するのは大変そうである。がんばれ未来の若人たち! 四千円分は出世払いにしておこう!

 ところで,H先生から「穴水→金沢」の距離が100kmだと申し上げたら,「そんなにないだろう,往復100kmだろう」とご叱責を受けたので,ここで証拠と共に反論申し上げたい。
 かように,能登有料道路だけで約84kmあり,そこからさらに金沢市中心部に向かうと100kmとなるのです。そうでなければ,小松空港があるのに能登空港ができたりしませんです。能登半島は長大なのです。歌にもあります。「の~と~は,ながい~な,おおきい~な~,過~疎~が進ん~で~,鉄路も消えた~」

 反論申し上げたので寝ます。明日は3章完成,5章以降も何とか手がけたいぞ~。

March 15, 2010

[日記] 3/15(月) 掛川・晴後雨

 風がぬるくなってきて,本格的な春の到来を感じさせる日。朝方はいい天気だな~と浮かれていたら,帰る頃には土砂降りの雨。もうセーター類はしまっても良さそうだ。

 東京都の方では青少年健全育成条例改正の件で大騒ぎのようだ。基本的にはわいせつ図画の規制をするだけで健全な青少年が育成できるなんてファンタジーもいいところだとは思うが,さりとて未成年にどんなものを読ませてもオッケー・・・と思う向きは少数派であることも認識すべきだろう。つまり中々反対しづらい,特に議員が反対論をぶとうとするなら,よくある教条的左翼言説でない筋道でないとまずかろう。
 規制がかかるとすると,物理的なゾーニングで何とか対応できる書店よりも,未成年の判別がやりづらいネットの方が影響がでかそう。M$はじめ有力ICT企業がこぞって反対に回ったのはそのせいだろう。漫画家だけならいまいち影響が薄そうだが,こういう有力企業を敵に回したとなると,自民党側からも「今回は見合わせよう」という空気が出てくるかも。さてどうなりますやら。反対派の言動にも常々問題があるとワシは思っているから,反対票を投じるのも躊躇する。ま,都民でもないから模様眺めするしかないんだが。

 今,「デイ・キャッチ!ランキング」を聞いていたら,町田徹さんが「折衷案」を提唱していた。ま,ワシもほぼ同意見。今回の件,勝とうが負けようが自主ルールの制定にぼちぼち動いた方がよくはないか? 権利の主張をするだけで,自助努力が足りないと見られたら,もっと大きな揺り戻しがくるかもよ?

 業績の長期零落傾向から脱却できないラジオが,とうとうネットとの連携へ本格的に踏み出した。本日サイマル放送開始・・・だが,関東と関西地域のみという,ナンのためのネット放送なのか,意味が分からん。まぁ放送免許との絡みでどうのこうの,著作権団体との交渉が面倒だのナンだのって事情があるんだろうから,地域限定はまぁ最初の内は仕方ないか。
 当然,静岡県西部地区で聞けるはずはないのだが,そこはIPアドレスやFQDNだけで地域制限なんぞ完璧になるはずもない。つーことで,E-Mobile経由で「キラキラ」を聞いてみた。

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 ん~,快適~。音楽がばっちり入っていて,Podcastでは「しーん」となっちゃう番組もちゃんと賑やかに聞こえる。モバイル系でも聞けるところと聞けないところがあるみたいだが,聞ける内は遊んでみようっと。

 さて,風呂入って寝ます。明日は岐阜で講演会聴講。理解できない可能性大(w

[ぷちめれ] 内田樹・釈徹宗「現代霊性論」講談社

[ Amazon ] ISBN 978-4-06-215954-8, \1500

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 いや~,面白かった。ほぼ一気読み。といっても本文A5版300ページの厚さの単行本,内容も濃いので東京往復の新幹線では読み切れず,ベッドの中でも読み続けてようやく終わった。数々の思想書をblog更新と共にコンスタントに生み続ける内田樹と,「不干斎ハビアン」で仏教・キリスト教に関する深い知識に基づいて個としての宗教人=野人を評価した釈徹宗,この二人の掛け合い漫才による現代人の霊的考察講義録,もう話があっちこっちに飛んでいくのでこんなblogの記事で全部の内容に触れることなぞできやしない。せいぜい全体的な印象をざっと述べて,面白かったところ,印象深かった部分だけ抜粋してご紹介するぐらいしかできない。本書は講談社の単行本で現在(2010年3月14日)Amazonで119位という売り上げ順位であるからして,遠からず文庫化されるに違いないから,それを待って買おうという人向けの部分的な予習としてお役に立てれば幸いである。

 2005年の後期に神戸女学院大学・大学院で行われた,内田・釈による掛け合い講義「現代霊性論」が元になってできたのが本書である。高々14回の講義でこんな密度の高い話をしたんだから,まぁお二人とも元気ねぇとつくづく感心する。講義内容の主導権を握るのは内田で,時には釈から「さっぱりわからないですね(笑)」(P.164)と言われてしまうようなメタ的言説をまき散らしながら聴衆を引きずり回す。そのような駄法螺とも思えるウチダの問答に対し,一つ一つ丁寧に,古今東西の宗教に知悉した釈が解説を加え,ともすれば虚空に飛んで発散しそうな会話をがっちりと現在の「霊性(spirituality)」につなぎ止めてくれるのだ。一読した印象では,著者並びとは逆に,釈による現代人の宗教論,という感じがする。

 衣食足りて礼節を知る・・・はずだったのが,どうも「衣食が足りた」現代はこの「礼節」の部分が実はよく分からなくなっているのではないか・・・という認識はグローバルに共有されている。本書は,「霊性」がとうとうWHOでも人間の健康の定義には欠かせないものではないか?,と議論になった,という釈の話から始まる(P.14~P.17)。もちろん本書はオカルト現象そのものを扱うのではなく,そのようなものを感じる人間の精神のあり方を論じるものである。死者を奉ったり,世の不条理に悩む現代人が求めたりする宗教的な儀礼・宗旨といったものを含む「霊性」というものを多面的に,そして理知的に語ってくれているのだ。
 例えば,江原啓之・細木数子といった,ちょっとうさんくさい目で見られている民間霊能者についても,もてはやす人々が少なからず存在することに対して,「いつの時代においても教団宗教とともに,常に機能してきたと僕は思います。この(注:民間霊能者の)系譜をまったく排除して宗教を語るわけにはいきません」(P.73)と釈は断言する。教団宗教が苦手とする,目の前にいる相手を精神的に救う,という役割を民間霊能者が担ってきたというのである。精神科医であるなだいなだも,宗教家でしか救うことのできない領域があることを指摘していたが,精神医学が発達した現代においてもなお,江原や細木のような存在が必要であることを,自身が浄土真宗という教団宗教の僧である釈はあっさりと認めているのだ。そーいえば,鏡リュウジも「占星術」を科学的でないと認めながら「役割」があるのだと説いてなかったっけ? たぶんそれは,この民間霊能者としての機能だったのだなぁ。

 本書全体を通じて,ウチダも釈も,「霊性」の重要性を説きながら,そこにまつわる危うさもきちんと指摘している。カルト教団の害に悩む人には,カルトが生じる原因をうまく言い当てている本書は,一つの指針を与えてくれるだろう。

 「「ポスト新宗教」は自分の体験を重視する傾向が強いです。オウム真理教もそうでしたが,神秘体験を大変なことのようにやたら言うんですけど,これにパッチワーク教義が合わさると,危険は倍増する。たとえば禅や瞑想(メディテーション)を実践すると,幻視や幻聴,まばゆい光を見る,何かの掲示を得るなど,神秘体験的な現象が起こります(注:「坊主DAYS」でも「魔境」として紹介されている)。でも,それは生理現象として必ず起こるものやから,そこに本質はないから気にせず捨てていけ,それに足をすくわれちゃいけないと,ちゃんと教えます。きちっとリミッターが利くようになってるんです。」(P.109~110)

 なるほど,伝統は伊達ではないのだなぁ・・・と,普段,実家が檀家となっているお東さん系のお寺に支払うお布施の金額に疑問を抱いているワシも,ちょっとは浄土真宗を見直した・・・かな?

 「なぜ人間は宗教的なるものを求めるのか」という根源的な公案に対して,自分なりの回答を得るため導入として本書を読む,という使い方ができる良書,一読しておいて損することはない。ウチダ本に飽きてしまった方にも,ウチダ本のようなふりをした釈メインの本書なら,万全の自信を持ってお勧めできるのである。

March 14, 2010

[About Blog] サイトリニューアル予告

 といってもまだ未確定要素が大きいのだが,このblogも含めて,"http://na-inet.jp/"以下の内容を全部Movable Type 5 を使ってコントロールし,デザインを簡素化,全面的に更新をRSS経由でお届けできるような仕掛けを入れたいと考えている。本来は,このWebサイトを抱えるサーバをCentOS4からCentOS5に入れ替えと同時に行いたいと考えていたのだが,作業がめんどくさくなる割にメリットがねーなと躊躇しているので,とりあえずWebの方を優先して行おうと決断した次第である。

 何でそんなことをするのか? まず,静的HTMLをしこしこ手直しするのに飽きた,ってことが挙げられる。手打ちHTMLを維持するのも面倒だし,CSSに至っては自分のデザイン能力の無さにあきれているので,人様のものを使っちまおうと思ったのである。ただしディレクトリ構成は維持し,ページ構成もなるべく現行のままで行きたい・・・けど,どこまでできるかなぁ?
 もう一つ,大きい理由は,6月に公開講座の講演を予定していること。ここでWeb 20年の歴史を語るというエラそーなことを担当するので,そのためにワシのページを実験台にして「現代のWebサイトはこんなもんですよー」とサンプル提示したいのである。YouTubeからGoogle Adsenseのお誘いを受けたついでにGoogle Adを貼り付けるためのアカウント申請をしてしまったので,ベタベタあっちこっちという程でなくても広告を貼り付けてみようと思った,ということもある。そーゆー用途にはMT5の広告入りテンプレートを作っておくと便利ですからね。そうそう儲かるというものではないし,せいぜい月々数百円程度ってところだろうから,本格的に銭儲けしようという向きには手間の割に効率が悪すぎるが,一応,Webデザイン特別プログラムを担当している以上,そーゆーめんどくさいサイトを維持するってぇのは自分のスキル維持のためにも必要と考えたのである。お客さんに嫌がられない程度に広告を挿入するセンスってのも大事だしね。

 つーことで,4月~5月にかけてボツボツ作業ができればと考えているが,サボっている仕事が多すぎてこっちに労力を振り向けられるかは分からない。でもまぁ,できなきゃできないで,「昔はワシもこんなことを考えていたんだぜ」程度の話題のネタにはなるから,こうして書き付けておく次第である。

March 9, 2010

[日記] 3/9(火) 東京->つくば->柏->掛川・雨後雪

 ひょえ~,疲れた~。おまけに午後からは雪もちらついてきて,どうなることかと思った~。まぁでも,新幹線は数分遅れただけで無事掛川までたどり着いたから,よしとしよう。

 つーことで本日の日程を書いておくと,まずホテルから東大本郷キャンパスに直行して,ワシの(じゃなくてT君の,だが)研究発表をこなす。

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 無視されるかと思ったが,ちゃんと質疑応答があってよかったっす。ま,このテーマの講演もこれで最後だろう。あとはまとめの文書を書かねばならぬ・・・いつになるやら。

 1セッション付きあって,TX経由で筑波大に移動。

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 おとなしく聞いていました・・・ホントだよ。2回質問しただけだし・・・。
 バチが当たったのか,ちょっと相談事も。うーむ・・・どうなりますやら。

 終了後,土浦までバスで出て,JR常磐線経由で柏へ移動し,久々にホワイト餃子を食う。

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 いやぁ,うまかったァ。たまぁ~に食いたくなるのよねぇ。通販で冷凍品を買って自分で焼けばいいのだが,この説明通りに出来る自信がない。油も大量に使うしねぇ。こうして人様に焼いてもらったものを食うことで満足しよう。東京にも幾つかあるようだから,探索しておこうっと。

 ところで東大に来る度に思うのだが,このゴミ箱,壮観である。

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 分別がやたら細かいんだが,部外者にはわかりづらい。もうちっと種類を減らせないのか?

 なんかTwibackrへの送信が失敗している・・・なんで?

 移動で疲れたのでもう寝ます。

March 8, 2010

[日記] 3/8(月) 掛川->東京・曇

 どんよりどよどな日。天気予報によると,明日は雨だが,関東地方も山沿いは雪になるようだ。いつものようにジャケット一枚ででかけようとしたが,これはいかんとコートを取りに戻って正解であった。

 出掛けに,せっかく掛川駅構内にできた在来線と新幹線ホームへの連絡通路を使ってみた。階段を取り付けるスペースが無く,上下エレベータを使わねばならないめんどくさい作り。木造駅舎なんぞぶち壊して構わんから,あの狭いホームも含めて全面改装してくれんか?・・・って奴は少数派なんだろうな。ちぇっ。

 そーいや,掛川にもとうとうこんなものが進出してくるのであった。

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 儲かるのかなぁ? まぁ,採算ラインはきちんと計算しているんだろうけど。

 さて,アキバをふらふらしてきたし,資料も一応はできたので内田本でも読みながら寝ます。ちなみに今回は完全自費の有給休暇消化の旅なのである・・・けど,明日発表なのねん。偉い>ワシ 単に研究費を使い果たしたってだけなんだが。

March 7, 2010

[ぷちめれ] 小谷野敦「文学研究という不幸」ベスト新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-584-12264-8, \752

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 だんだんこのblogのぷちめれ,マンガ,数学,コンピュータの本を除けば,内田樹と小谷野敦の著作で埋まりつつある。それも当然で,今の時代,あんまし自分に耳障りの良い言論ばっかり読んでいても,それが真実である気が全くしないのだ。TVを見なくなってしまったのも,時間が取れないこともあるが,一部の報道番組やドキュメンタリーを除けば,何だか庶民派を気取った「生ぬるい癒し」的コメントに満ちていて欺瞞的だと感じ始めたからでもある。国債発行残高は世界一,そのくせ少子高齢化の進展も世界一のスピードで進んでいて,社会システム,とりわけ税金の使い道については縮小均衡を目指さねば日本が持たないという状況なのだから,そうそう癒しばっかり求めていても問題の解決には繋がらないのは当然である。
 その点,ネットの動画コンテンツやニュースサイトの情報,個人blogやTwitterでは,玉石混交なれど,結構真実味のある耳の痛い意見がたくさんあって,こっちを見聞きしていた方がよっぽど面白いし刺激的だ。とりわけ愛読しているのが内田樹小谷野敦。ウチダの言論が自省的・メタ的な志向を持っているのに対し,コヤノのそれは実証主義的文学研究の延長線上でひたすら現実的・他罰的という,対照的な論者がこの二人なのである。一般にはコヤノの短兵急な批判文の方が耳に痛く感じられるし,それを武器に盛んにあっちこっちの論者に噛み付いては無視されまくっているようだが,人の悪さはウチダの方が数段上,ウチダ的構造主義に基づく怜悧な文は,時に罵倒よりもきっつい絶望に落とし込むこともある。商売のウマさではウチダはコヤノとは格が違うので,絶望の谷に突き落とすのではなく,谷底を見せつつ,向こう側の「希望」にうまくロープを渡してくれるから,読後感は爽やかである。しかし渡った後には「絶望の谷底」があることをワシらいたいけな読者に植えつけてしまうのである。ま,普通はこれを「達観」と呼んでいるようだけど,ね。

 小谷野敦の言説は,「中庸,ときどきラディカル」という著作があるように,現実を見据えた中庸的なものがほとんどで,理想主義的なところには決して流れない。その分,客商売としては最低なところがあって,「もう少し愛想があっても良いじゃないの」と思わないではない。ファンタジックなメタ的思考は皆無で,「証拠はこれとこれとこれだ,なにか文句あるか」という言い回しが多い。本書でもこれでもかこれでもかというぐらい,文学研究者の実名とその有り様を挙げ,「だからぁ,実態はこんなもんなんだって」という愛想のない記述がひたすら続くのだ。これが有名な「小谷野節」なのである。
 しかし,ワシにはこの小谷野節が痛快なのだ。愛想のない文章は,裏を返せば,地に足の着いた懇切丁寧な記述とも言えるし,何より,メタ空間に逃げないところが潔い。例として,読む人が読んだら激怒しそうな記述(P.103~104)を挙げる。

 要するに,文学部は一流大学(注:旧帝大・早慶クラス)にだけあればいいのである。同じく(注:文学研究のための)大学院も一流大学だけにあればいい。もっとも,本当は,二流大学以下の大学に学んで医者になるだのというのは,人命にかかわるだけに問題なのだが,国民全体に行き渡るほどに優秀な頭脳が存在しないのだから,仕方がない。これは高校や中学校の教師もおなじで,もし一流大学卒の人たちだけが中学校や高校で教えていれば,生徒の学力ももっと向上するだろうが,それだけの量の頭脳が存在しないのだから仕方ない。理工学部とかの「実学」は,さほど頭が良くなくても,工程さえ分かればいいので,二流大学でも,まあ意味はある。

 普段から小谷野の文に接しているワシなぞは,いつもの論が出たなと思うだけなのだが,真面目な人であれば口角泡を飛ばして反論してきそうだ。しかし,三流大学出のワシとしては,教師生活16年の経験を踏まえると,この文章は統計的に見て概ね「正しい」と認めざるを得ないのである。怒る気には到底ならず,むしろ,口は悪いが世の真実を淡々と語ってくれているように感じるのだ。

 本書全体で,小谷野は,大学という場に雇用されながら文学研究を行う人間は少数でいいと主張し,過去から現在に到るまで,文学部における人事や論争のゴタゴタを述べ立てる。ワシの乏しい知見では,たとえ実学的な学部でもこの手の議論や出来事はついて回るし,むしろ「実学」と絡むだけにメンドクサイ出来事は文学部より多いんじゃないかという意見も出てきそうだ。
 その意味で,小谷野の個人的な恨みつらみがドライブして出来上がってきた本書は,何故か,「文学」を「工学」でも「理学」でも「農学」でも「医学」でも置き換えたところで,概ね成立してしまう不思議な汎用性を備えている。多分,これは小谷野の実証的な物言いが功を奏しているのだろう。学問の相違はあれ,大学なんてのは人間がゴチャゴチャとより集まって行われる営みの一つに過ぎないのだから,事例をかき集めてみれば共通部分が多いのは当然と言える。従って,本書は,どんな学問であっても「研究という不幸」はついて回るという,ごく当たり前の「中庸」的なことを主張しているに過ぎないのだ。

March 1, 2010

[ぷちめれ] なかせよしみ「10年目のマチコ」同人誌

[ Comic Zin ] 頒価 \609

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 Comicリュウに掲載された「うっちー3LDK」に興味を持ち,著者初商業単行本「でもくらちゃん」を読んで感想を書き,さて次の作品はいつ掲載されるのか・・・と思っていたら,どうも世の中そう順調にはいかないようで,待てど暮らせど「次」が載らない。
 ちょうどストレスが最高潮に溜まっていたこともあり,鬱憤晴らしにほぼ1年ぶりのコミティア参加を決め,この機会にご本人の同人誌を買いあさってこようと決意,目論見通りに「まるちぷるCAFE」の店頭に並んでいるものを片っ端から購入させていただいた。全部で3冊,「高速ぷるん1」(かわいい「原子炉」が登場。巻末の原子力考察まんがもマル),「なかせよしみのまんがのススメ」(なかせ版「まんが道」。ナルホド,そういう生き方もあるんだと感心),そしてこの「10年目のマチコ」である。どれも面白かったのだが,やっぱりこの「マチコ」が妙な具合にワシにはシンクロしてきたのである。

 表紙を入れてちょうど30ページの短編なのだが,手塚治虫なら火の鳥マチコ編なんて長編に仕立て上げそうな,波乱万丈の物語になっている。ちょっとドジな女の子タイプのメイドロボ「マチコ」は量産直前に交通事故に遭って木っ端微塵,何の間違いか,10年後に廃棄物処理施設でスクラップになっているところで覚醒する・・・というストーリーである。短いお話だからこれ以上は同人誌で確認していただくとして,ワシの感性がシンクロしたのは,お約束的にドカドカ事故に巻き込まれて崩れていく様と,それでも健気に「修繕」しながら動力を維持しようという姿勢である。あんまし短絡的に人生論にしてしまうのはどうかと思うが,このマチコの,ユーモラスに描かれてはいるが健気な姿勢にワシは入れ込んでしまったのである。

 「10年目」というのはマチコが目覚めるまでの時間でもあるが,最初にこのキャラクターが考案されてから10年目,という意味もあるらしい。10年前に描かれた「恋するセルロイド」と,スニーカー誌に掲載されたショートショートマチコシリーズが巻末に納められているが,それらと比較してもやっぱりこの「10年目」の作品の完成度が上であることが分かる。10年かかって熟成した作品・・・う~ん,なんで単行本にするならこの手のSF短編シリーズをまとめなかったんだと,徳間書店・リュウ編集部を小一時間問い詰めたい気分である。

 紙媒体の商業雑誌が軒並み採算割れになる昨今,案外同人誌でコツコツ読者を増やしていく地道な活動をしていた方が,新しい展開が拓ける時代なのかなぁと思わんでもない。しかし,やっぱりワシとしては商業誌でもっと読みたいなぁと,思ってしまうのである。なかなか,徳間書店をはじめとする商業漫画雑誌では大量の読者をグイグイ引っ張ってくる漫画家でないと商売としては困るのかもしれないが,地道だが堅実に読者をつかむタイプのマンガを,それこそロングテールのラインナップの一つとして確保しておくことも必要ではないかと思うのである。

 「まんがのススメ」を読む限り,なかせよしみの挑戦はまだまだ続いていくようだ。今後,商業誌で,も少し長めの作品が継続的に読めるようになることを,読者の一人として祈念する次第である。

[日記] 3/1(月) 掛川・曇

 生ぬるい日が増えてきたな・・・と思っていたらもう3月。2月の日数が7の倍数なのでカレンダーに違いがなく,なんか変化ないな,と油断していたらもうあなた,2010年は1/6が過ぎてしまったのですよ。この調子ではあっという間にお正月となること必定なのである。いやそんなことより,ワシは今月下旬に帰省する前に,何とかデブの汚名を注がねばならないのだ。二重あごを消去せねばならないのだ。皮下脂肪の下に埋没した腹筋を発掘せねばならないのだ。なのになんでワシは毎週二日しかないトレーニングをサボってこんな駄文を書いているのだ。もうダメだ,ワシは脂肪とともに生きることを覚悟したのであった(続く)。

 NA Digestを見てたら,あの一癖ありそな(いやあるに決まっている)Trefethenのおっさんが,「ボランティアでぼくのテキストをチェックしてくれたまへ」という誠に虫のいいお願いを投稿していた。ざっと見てみたけど,確かに補間理論とその練習問題(結構センスいいんだこれが)がコンパクトに詰まっていて,うーん,性格はともかく,脱帽,である。どーせそのうちSIAMあたりから出版されるんだろうから,それを楽しみに待つことにしようっと。

 さて,プチメレ祭り第一弾漫画編(1冊ウチダ本が混じっちゃったけど)は本日更新分で終了。最後はどうしようかなと思ったが,折角コミティアに出撃したので同人誌をばご紹介して,中締めとさせて頂く。
 第二弾だが,献本していただいた数値計算のテキストと,よさげな数学の入門書が入手できたので,数学特集としゃれ込みたいが・・・タダでさえ狭い世間を更に狭くして窒息しかねないので,時期の方は4月にずれ込んじゃう・・・かな? ま,期待しないで待ってくれたまへ(誰が待つのか)。

 せめてスクワットだけやって風呂入って寝ます。

February 28, 2010

[ぷちめれ] あき「歌姫」ゼロコミックス

[ Amazon ] ISBN 978-4-86263-088-9, \629

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 最近,ワシが購入するマンガが,既知のベテラン漫画家の作品に偏っているということに気がついた。ま,四十路であるし,小学校でコロコロコミックスの「ドラえもん」の単行本を買ってもらって以来,マンガ読み歴30年以上になるロートルであるから,選球眼が厳しくなった・・・というと聞こえはいいが,自分の好みががっちり固まって冒険をしなくなっただけなのである。
 つーことで,一時はさんざん読みあさっていたBLや女性漫画(少女漫画って言い方は今でも有効なの?)の,特に新人さんについてはさっぱりわからないというのが正直なところである。最近購読するようになった新人さんだと,大塚英志が発掘してきた群青ぐらいか。これではイカンと,なるべく財布と時間に余裕のある時には書店のマンガ売り場でジャケ買いに精出すようにしているのである。
 大体,書店員としては,売りたいもの=売れそうなもの・売れているものをプッシュするのが人情である。だから,今どんなものが売れているのかは,平積みになっているものをじっくり眺めていけば自ずと分かるようになっている。本書もそんな一冊を,表紙の絵だけ見て谷島屋書店で購入したものであるが,地味ながら,2006年の初版以来,2009年11月まで8刷を重ねていることを購入後に知って,地道に細く長く支持されているのだなぁと思ったのである。最近は重版しても部数は数千単位だったりするのが普通だし,なにせ出版元は一度潰れたのを別資本に拾ってもらった弱小であるから,ポピュラリティがどれほどものかは怪しい。それでも,回転の早い昨今の出版状況を考えると,根強い読者に支えられた漫画家であることは間違いない事実なのだろう。

 つーことで,ざらっと読み始めたのである。・・・ふ~ん,これが単行本デビュー作なんだ,それにしても絵が達者だよなぁ,すげえなぁ・・・というのが第一印象である。一条ゆかりは「絵に照りがある」という言い方をしていたが,ウマい絵というのとは別の「イキの良さ」を示す意味で使っているようだ。この著者の絵にはわかりやすいぐらいの照りがあり,もうテッカテカのピチピチで,眺めているだけで気持ちがいい。
 で,肝心のストーリーだが・・・うん,タイトル作の「歌姫」第一話は・・・新人らしい,シチュエーションの書き込み不足が目立って,「?」と思ったが,更に読み進めて行くと・・・なるほど,書き込まなかった理由がだんだんと明かされていくという仕組みなのか,と読者が逐次納得していける構成になっている。キャラクターの描き方は真摯で真面目,破綻した人物はおらず,エロ度ゼロ。歌姫と王が分業している国家システムの作り込みは面白くて,絵柄を現代っぽくした紫堂恭子的ファンタジーだなぁというのがワシの感想であった。
 ちなみに,本書の最後に納められた短編「ダリカ」の方が,ワシは好みである。どうも編集者があんまし干渉しないせいなのか,やっぱり今一歩,説明不足な点が見受けられるが,「ダリカ」を「世話」する優等生ロイの関係には,ウルッとくるものがあった。力量のある漫画家の作品には,細かいツッコミはいくらでもできるものの,それ以上に迫り来る迫力とかストーリーテリングの凄みが感じられて黙るしかない,ということがある。この「あき」という若い漫画家はファンタジー世界のシステムづくりが巧みで,説明の仕方には改善すべき点があるとはいえ,魅力的な照りのある画力も手伝って,非常にパワーの感じられる優れた作品をモノにすることができる,ということは間違いないようだ。

 この先,継続してこのマンガの作品を追いかけていくかどうかは不明だが,新人漁りはやっぱり楽しいな,ということを再確認させてくれた本書には感謝したい。今後のご活躍をお祈り申し上げてキーボードを置くことにする。