[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-480-08952-7, \1000
数学に関する専門書を書評するのは緊張する。一応,数学科というところに席を置いたことのある者としては,ビンと背筋を立て,少ない脳細胞をフル回転させて論理を追わねば何も得られない,しかし真摯に立ち向かえば相応の成果をもたらしてくれる「数学」という,得体の知れない相手と立ち向かえば緊張するに決まっている。その昔,ゼミでしごかれた経験から来るパブロフの犬的条件反射が,まだ脊髄に刻み込まれているのである。
本書はサブタイトルにもある通り,理工系の素養のある人間ならば誰しも慣れ親しんだ微分積分学成立の歴史をまとめたものである。元は市民講座で講義した内容であるから,きっと分かりやすく噛み砕いた内容なんだろうな・・・と思ったアンタは甘い。ワシは本書を一応「読んだ」が,プロパーの数学屋の言葉では「眺めた」というべき程度であって,とても内容をきちんと咀嚼し,理解したというレベルではない。それは一言で言うなら,ワシがバカだ,というだけのことであるが,もう少し詳細に言うと,ワシがすらすら理解できる思考方法で,ニュートン以前の学者達が考えていなかった,ということなのである。ワシだけではない,果たしてこれを,特に現在の微分積分を習得した人間がすらすら理解できるのかなぁ,と,負け惜しみを込めつつ,考え込んでしまったのである。
簡単に言うと,古代ギリシア人からアルキメデスを経てニュートンに至るまでの思考は,ユークリッド幾何の言葉で語られているのである。これは,初等幾何が苦手なワシにとっては辛い。きちんと自分で図形を書き,じっくり証明の一行一行を確認しながら理解していかないと,「分かった」気がしない。アルキメデスの求積法の証明の緻密さと独創性(現代から見れば,だが)は驚嘆すべきものだが,逆に言えば,このレベルの思考ができなければ正確な面積・体積計算が出来なかった,ということであるから,全く,今も昔も天才にはかなわねぇなぁ,と呆れるばかりである。つまり一般人には到底ものに出来るレベルのものではなかったのだ。そんな高度な幾何学的論証に,今で言うところの記号処理(一般に「計算」と言われているもの)を持ち込んだデカルトという存在がなければ,ライプニッツの積分記号も登場せず,今のように機械的な処理を覚える微分積分にはならなかったのである。
このような歴史的流れは大体知っていはいたものの,個々の偉人の業績をきちんと数学的にごまかしなく記述してくれているのが本書の,専門書として優れている所である。ほんとに佐々木先生はこのレベルの講義を市民講座でやったのかなぁ,とワシがちょっとやっかみ半分に疑いたくなるのも無理はないのである。そして,昔の条件反射で,この文章を打ちながらもちょっと上半身が硬直しているのも,この「数学」的な記述が昔の記憶を呼び起こすからなのである。
今は微分積分を教える機会のないワシであるが,その時が来たら,本書をもう一度,ねじり鉢巻して読み込み,是非ともリベラルアーツの香りを漂わせるための素材として利用させて頂きたいと思っている。
Posted by tkouya at April 7, 2006 10:22 PM