October 09, 2005

10/9(日) 掛川・?

 ここんとこ,真夜中に目が覚めて眠れなくなることが多い。太ってきたので,睡眠時無呼吸症候群とかいう奴じゃないかと思うのだが,原因は定かでない。まあ大概はその後,眠くなって2度寝することになるので,余り深刻な事態には至っていない。今もその合間に暇をもてあそんでいるところである。こういう時は,つい皮肉なことを考えてしまう。

 尼崎の列車事故からもう大分経つ。事故自体は悲惨なものだし,その原因の多くは運転士,及び運転士を過剰に追い込み,急カーブをほったらかして最新式の制動装置の設置を遅らせていたJR西日本の管理体制にある,ということも明らかになっている。事故の被害者及びその関係者の方々の味わった苦痛は,ワシみたいな第三者には計り知れないものがあるのだろう。それはそれとして,全国からJR西日本に浴びせられた罵声の酷さも凄いもので,NHKの受信料不払いを声高に正当化する意見に似たところがあり,ふーん・・・よくもまあ,世間には偽善者が多いもんだなぁ,とつくづく感心させられるのである。
 まあ,ワシも人のことは言えた義理ではなく,非のある立場の人たちに向けて,正義感という身があるんだかないんだかよくわからん感情を盾に,罵声を浴びせることはよくあるし,気持ちは分からんでもない。相手がこの資本主義社会の中で特権的な力を持つ大組織・大企業なので,余計に感情を逆撫でされるということもあろう。あちこちから非難の声が沸き起こってきて,それに迎合して我も我も・・・という気味もあろう。
 しかし,今回の悲惨な事故で唯一の救い(という言い方は適切でないかも)は,事故を引き起こした責任者が大企業であった,ということである。大企業であればこそ,損害賠償額も目いっぱい負担することができ,事故の起きたドル箱路線を一定期間ストップしてまで改良工事を施すことができたのである。民間人同士の交通事故なんて,事故責任者に負担能力がなくて治療費は被害者の自己負担,得られるのはよくても謝罪の言葉ぐらい,なんてことはざらであろう。金で解決できる問題ではない・・・というのはその通りであろうが,金も払ってもらえないような,どうしようもない事例ではないことは確かである。JR西日本を擁護する気はさらさらないが,さりとて当事者でもないワシは非難する気もなく,被害者とその関係者にできうる限りのフォローをしてほしいと願うばかりである。それよか,いつかJR西日本の立場になることもあるんだろうな・・・という不安の方がずっと大きい。こちとら聖人君子では全然ないので,被害者の家を一件一件,許してもらえるわけもないのに頭を下げつつ被害交渉する,なんてことになったら,ストレスですぐに倒れてしまうに違いない。それでいて,無責任な関係のない野次馬から「倒れて当然」なんて言われてしまうんだから,耐えられなくなって首をくくるか失踪してしまうかもしれない。
 大組織・大企業・大国家というものは,とかく権力を行使し,自己に都合の悪い事を隠蔽しようという傾向があるのは確かで,適度に批判にさらされてこそ節度を保つことができる体質を持っている。しかし,そういう大組織に対抗する批判者というものも,明確なものではなくても,ゆるい繋がりを持ったグループになりがちであり,一旦事が起これば賛同者が増え,一種の大組織となるのだ。故に,そこでも批判対象であった筈の大組織の体質を抱え込んでしまうのである。一部から弱者利権と揶揄されるようになった事柄は,どうもこのあたりが原因のように思えるのである。ここでも取り上げた野中広務の評伝を読んでいたら,肥大化しかけた弱者利権にブレーキをかける役割を担っていたことが出ていて,へーと感心した覚えがある。組織という奴は,保守だろうと革新だろうと大企業だろうと大労働組合だろうと似たような体質をかもし出すものなのである。
 今回の事故と,その後の経過を見ていてイヤだな,と感じたのは,JR西日本とそれを傘にかかって罵倒する事故とは無関係な批判者グループ,その両方なのである。ことに後者には「悪い奴らには何をしてもいい」的な無差別テロの臭いがして,ものすごく醜悪に感じられた。少なくともさ,被害者でも関係者でもないんだったら,批判は程々にして口を謹むべきではないんでしょうかねぇ,ぐらいの嫌味は言わせてもらいたい。

 ミシェルさん・・・は大物過ぎるか,コティさんだったら,どうするんだろうなぁ。たぶん,自分の親類縁者が巻き込まれていれば普通に悲しむだろうし,関係なければ無視するか,観察するだけだろう。
 たぶん,それでおしまい。
 そーゆーもんじゃないですかね。

Posted by tkouya at October 9, 2005 03:05 AM