11/17(日) 駿府・晴

 (色々)^nあった物事が一応一段落したので久々に日記を書こうと今や骨董品と成り果てたIntel Macbookを開いたらアップデートがてんこ盛り。更に神さんご実家からデカい桐箪笥を運ぶというミッションが加わり,掛川から持ってきた自家用車を戻すついでに松乃木飯店で担々麺を食うイベントも加わり,なおかつユニクロで冬の防寒着を購入するという企みも成功するに至っては,この日記を書くのも18時過ぎになってしまったという仕儀である。

例年より一月遅れの初冠雪を迎えた富士山

 富士山の初冠雪が例年の一ヶ月遅れという,異様な太平洋暖気の居座りが続いた10月だが,11月に入っても暑い日が続いている。さすがに北海道・東北あたりまではオホーツク寒気が降りてきているが,関東以南には及んでいなかった。それも明日の月曜日で終わりのようで,明日明後日はガクッと気温が下がるらしい。今日は夏日に1℃だけ及ばない暑い日であるが,今度こそ汗ばむ日中からは解放されるかしらん。

 いやそれにしても夏休み・9月となかなかやる気が出ず,チマチマと疎行列・ベクトル乗算のルーチンを弄っていたのが,10月に入ってようやっとスムーズにことが進むようになり,なんとか某国際研究集会とか,某国内研究発表会の締め切りに間に合った次第。これでワシのBNCmatmulもひと段落で,あとは大して速くならなかったAVX-512対応とか,MPI対応をやりつつ,多倍長精度数値計算のアルゴリズム改良とか高速化に邁進する方向になる。今年度含めてあと10年,できる限りは頑張りましょうぞ。

 日記更新をしなかった間,9月は札幌に帰省して京大で応用数理学会年会・OS参加,10月は本職場で最後となる大学祭とホームカミングデー参加。

最後の大学祭の様子
最後のホームカミングデー

 東大の研究紹介講演会にも参加したりして,

都内一等地にある贅沢な情報基盤センター

研究はどん詰まりつつもあれこれ「最後」と銘打つ行事に参加してた。ということで,これも「最後の」地域創成フォーラム参加。新卒採用に熱心な企業の方々とこれも「最後の」名刺交換を行う。おかげで一件面接まで未内定学生をつなげることができたので良しとする。

保温機能を失ったThermos(左)と新品象印

最後と言えば,今の職場恒例の忘年会のビンゴ大会で当たったThermosの魔法瓶,とうとう保温機能が失われてしまい,ティーバッグで作っていたお茶がぬるくなってしまう不具合発生。ということで新しく購入した象印が新規参入,Thermoshは引退となった。長らくご苦労様でした。タダで引き当てたものにしては長持ちしたので感謝感謝である。この塗装のハゲ具合でどれだけ酷使してきたが分かろうというものである。

 そうそう,「最後の」M20ビル大学見学会参加というのもあったな。

最後のM20ビル大学見学会

 さて,11月下旬は名古屋大学へのポスターセッション参加,12月は沖縄→山口→大阪という強行軍がある。自分で申し込んだモンだから仕方ないとはいえ,やりすぎである。五十路後半なんだからもうちっと腰落ち着けていればいいんだが,ちょっと隙があるとあっちこっち行きたくなるタチなのでこうなるのである。ま,体力と話題がある限りは頑張りませう。

 年末までにはチマチマ更新したいなーと思いつつできた試しがないから,ま,気が向けば書くということで一つよろしく。

螢雪時代特別編集「大学の真の実力情報公開BOOK 2025年度用」旺文社

[ Amazon ] ISBN 978-4-01-051037-7, \3000 + TAX

 大学を含む学校法人,各種学校の情報公開が久しいが,いちいちWebページを渉猟してデータをチェックするのは煩わしいし,複数校のデータを比較検討したい時なぞはExcelに数値を貼り付けてはクリックし貼り付けてはクリックし・・・ウガーとNote PCをひっくり返したくなる。まぁ今ならChatGPTに聞けばある程度は自動化してくれるが,ドンピシャリの整理整頓まではやってくれない。プロンプトでいちいち修正させるよりは手でやった方が早い・・・と言うのは非人間的なスパルタデータ整理術を肉体に叩き込まれた昭和世代の悪い癖なのだろうが,やっぱり一覧をざっと眺めたいというニーズは高いと見えて,毎年旺文社は律儀に本書を毎年9月下旬に発行してくれるのである。とゆーことで,ワシも本書を入手してつらつら眺めてはーだのほーだの言いながら下衆の勘ぐりを満足させつつ楽しんでいるのである。・・・いやつい最近まで知らんかったんだが,どうやら受験・大学・塾関係者には知られたムック本であったらしい。大学関係者たるワシもようやく一般常識レベルに達したということなのである。

 とゆーことで本書に提示されている,日本の780大学の入学者データ(選抜方式別)や学生への教育フォロー体制,入学金・授業料を眺めるに,いやまぁワシが教員キャリアを始めた時とはえらい様変わりしたモンだと感慨に浸っちゃうのである。地方には公立大学が増え,小規模私立大学は青息吐息,地域一番店と呼ばれる規模(定員5000人以上)でない限り,定員割れが当たり前で,就学支援制度を受けられる7割以上の充足率であればマシ,という状態。酷いのが,コレだけ情報公開が義務付けられているにも関わらず,全データ非公開という私立大学があるのだ。静岡県内にも一つある。まぁ状態が酷すぎて公開したくない,という事情に加えて,非公開の罰則なんぞもう気にしていられないという,つまりは現状の大学の存続は考えていないということなのだろうと推測する。少子化に加えて,情報公開の義務付けが加わり,SNS等での評判が定着しての結果であるから,残酷ではあるけど,資本主義をベースとする社会を是とする限りは自然淘汰はやむを得ない。
 大学に限らず,どんな組織でも,長く生き延びるためには一定レベル以上の投資を継続せねばならず,投資のための原資を日々の糧から得る必要がある。企業であれば自社のビジネスの売り上げからコストを差し引いた経常利益から,私立大学であれば学生が支払う学費から教育・研究経費をさっ引いた経常収支差額から,次の展開を見据えた投資を行うことが欠かせない。特に昨今の少子化の状況では,投資は新たな学部・学科・教育・研究設備へ行い,学生の集まらない学部・学科は削って集まるように組織改変をしていく必要がある。そのベースとなる活動は教職員の日々の教育研究活動であり,特に教員の研究成果とその外部公表,そして外部研究費の獲得へ繋げて,所属組織の名声を高めていく。その結果はすべからく,本書で一番ページを割いている学生定員充足率に繋がっていくのである。

 本書には財務情報は掲載されていないが,大学四季報的なものと組み合わせると,かなり立体的に各大学の「現状」が見えてくる。とかく,職員より転職が難しい教員からの嘆きの声が多い昨今であるが,18歳人口に頼るだけの現状では構造不況業種なのだから,世間からの同情は得られない。嫌なら辞めれば良いだけのことだし,今の所属組織が不満なら,バリバリ仕事して外部に評価される蓄積を作って転職すれば良いだけだ。とかく教員サイドから経営サイドへの批判が多いのは,基本口先野郎であるインテリゲンチャ故に仕方ないとしても,過分に自己弁護であることを認識しておくべきであろう。日本のアカデミックな国際的地位が下がる? 確かにさまざまな指標でそれは明らかであるけれど,現状,個々人の素晴らしい研究者は称賛されるが,「学術研究業界の一員」と一括りにされてしまえば,我々はもっと大変なんだフザケルナと罵倒されてしまうのが「民意」という奴である。繰り返しになるが,「バリバリ仕事して外部に評価される業績を作」り,一個人としての尊敬を得る以外の方策はないのである。国力としてのアカデミックな国際的地位向上が重要と思われるには,多分,学術研究の闊達さが経済的な底力の源泉であることを「民意」が認識するしかないんじゃないのかな。それはきっと日本国民が「底つき」の認識に達しない限りは無理なのではないかと,ワシは理解している。

 2025年度に向けて各大学がどのような現状にあり,どのように変わっていくか,あるいは変わらずにいられるか,旺文社が本書にまとめた数値データの比較検討を行うことで,その一端が見えてくるのである。

 

ありま猛「あだち勉物語1巻~6巻(完結)」小学館

[ Amazon ] 1巻 ISBN978-4-09-850652-1, \1000+TAX
[ Amazon ] 6巻 ISBN 978-4-09-853516-3, \1364+TAX

 令和になって6年も過ぎ,昭和の豪快さがハラスメントやコンプライアンス違反として糾弾されるようになって久しい。当たり前のことではあるが,50過ぎの男どもが持つ美学としての気質は「昭和の遺物」として,懐かしく思われることはあれ,今やすっかり「不適切な事象」として若いZ世代からウザがられる代物に成り下がったのである。

 ということで,この「あたち勉」という,大漫画家・あだち充の不詳の兄として一部では著名な「昭和の屑」を懐かしくホノボノとした筆致で描いた作品が本作である。いや「屑」は言い過ぎかもしれないが,本人はそう呼ばれて草葉の陰で案外喜んでいるかもという気がする。なんせ本人,かなりの駄目さ加減を自覚しており,高邁な弟からは「漫画の才能は俺よりある」「けど根気が(ない)」と評されているそのままの漫画家崩れ,昭和の屑なのである。
 ただし,屑は屑なりの「かわいげ」があり,これが所謂「昭和の豪快さ」の持つ魔力でもある。酒でダメになる赤塚不二夫に現役ギリギリの最末期まで付き合いつつ,自身も56歳という若さでこの世を去る。どう見たって移り気な本能に従って不摂生な生活をしてきたことが原因であろうが,それは漫画家として大成できなかったことを恥じるが如く生き急ぎした結果のようにも思えるのだ。本書はそんな昭和の屑を主人公に,赤塚不二夫とあだち充,そして作者であるありま猛という,世代も個性も異なる3人の漫画家の人生を絡めた,昭和の黙示録のような漫画作品なのである。

 今やX(旧Twitter)には,現役バリバリのZ世代から疎まれつつ,時間だけは自由にできることをいいことに昭和の屑共が跋扈している。口だけは達者で一見切れ味は鋭いが根拠に乏しいコメントを,ちょっと目立つアカウントめがけて投げつけてはウザがられた挙句に訴訟沙汰になって賠償金支払いもバックレる馬鹿どもだらけだ。現実社会でも,いわゆる出世ロードから外れたクソ昭和親父がガキのように役に立たない教条を述べ立てては会議を混乱させようと無駄な労力をつぎ込んでいる。周囲は慣れたモンで,ああまたかと思うこともなく,けたたましいが意味のないクマゼミの鳴き声と同じ扱いで受け流すだけだ。現実はかくも昭和の屑に冷たい。
 この作品で描かれる「あだち勉」も,天才弟のネームバリューに依存しながら,かつての赤塚プロのアシスタント仲間が次々とプロデビューし,着々とキャリアを積み重ねていくのを横目に,仕事が減って酒に依存せざるを得なくなった赤塚不二夫と共に昼間から管をまく「昭和の屑仲間」として人生を謳歌していくのだ。・・・いや,そこには幾ばくかのちゃんと含羞があり,漫画家としては大成できなかった自分の失敗を自覚しているのだ。そこが一種の「かわいげ」になり,少々の迷惑も打ち消すことができ,多くの仲間との交流を司ることができたのである。この微妙なニュアンスを込めた人間力を描写するにあたり,ありま猛の直接の師匠である古谷三敏の,簡素な線で読者に想像力を掻き立てる抜群の構成力が生かされている。多分,天才弟では省略しすぎて説明が不足するだろうし,赤塚不二夫ではそもそもドラマが描けないだろう。ありま猛でしか,この「あだち勉」という「昭和の屑」を題材とした長編漫画をものにすることはできなかったのである。

 まぁ巻末の天才弟のコメントにもあるように,こんなホノボノとしたエピソードだけのきれいごとでは済まない諸々はあるのだろうが,それはそれ,これはこれ,なのである。我々は,あだち勉を囲む3人の漫画家も含めた「昭和時代の漫画」として本作を純粋に楽しめばいいのである。死人はこれ以上迷惑とかけることはもうないのだから。

8/9(金) 徳島→駿府・晴

 昨日の宮崎県沖地震が南海トラフ系海域で起こったということで,東京から西日本は警戒一色で染められ,東海道新幹線は徐行運転だわ,スーパーの店頭からは水やパック入りコメが一隻に消え果るわで,てんやわんや。にもかかわらず,徳島市の阿波踊りや高知市のよさこい祭りは通常通り開催するとのことで,これが所謂「踊る阿呆にみる阿呆,同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」精神という奴かと感心する・・・のはいいとして,こちとら静岡まで戻らねばならず,予定を繰り上げて早めの高速バス(徳島→新神戸)と新幹線で帰宅することとなり,この日記は無事ひかりに乗り込んだところで書いているのである。久々だなこのシチュエーション。

 京都駅で臨み待ち合わせのため6分ほど停車するらしい。こだまほどではないとはいえ,JR東海新幹線ヒエラルキーを感じざるを得ない。

 夏休みに入ったところで研究室の片づけ第一弾を開始。まずは完全にオブジェと化している応用数理学会誌を捨てて,本棚の一部を開けることに成功。論文は完全電子化して久しいし,紙で見ることも殆どないので,興味のある論文(自分のものも含め)掲載分のみ残して全部廃棄。空いたところに,置いていく物品を詰め込むというスライドパズル作戦。

 26年目で溜まりに溜まった黄ばんだ紙類は地球の肥やしとなるべき運命にあるのである。

 さて徳島。SWoPP2024の会場として,あわぎんホールという,いかにも地方公共ダイン大河扱いに困ってネーミングライツごと売り飛ばしたと思しき昭和のかほり漂う建物。目が回ったレトロロボットのようなぐるぐる窓がキュートである。

 中から見てもグルグルはグルグルである。でかいサイズで見るとさらに目が回るのである。

 今回は冒頭に書いた通り,新神戸から高速バスで淡路島を縦断して徳島に来たので未確認なのだが,阿波踊り空港ではハワイのレイよろしく,踊り子さんが到着客を出迎えてくれるという妄想が発動して止まらない。なんでもネーミングを面白がればよいというものではないのである。

 とゆーことで,本日は無事公演を終えてさっさと帰宅しているという次第。徳島ラーメンも,阿波尾鶏づくしの焼き物に,〆の卵かけご飯もおいしゅうございました。

 さて夏休みの宿題が整ったところでもうひと頑張りするのである。次週な人間ドック。重篤な病気が見つからないことを祈るばかりである。

 ここまで書いたところで米原手前。乗り換えなしの静岡停車のひかりに乗れたので,あとはのんびり過ごします。

7/28(日) 駿府・酷暑

 梅雨明け前から35℃越えの日があったので,まぁ覚悟はしていたのだが,こう(毎日毎日)n続くと,平日10時~16時は屋外作業は,冷え冷え作業着でも着こまない限り不可能ではないかと通巻ぜざるを得ない。自宅でも,ガシガシエアコンで冷やして何とか30℃以下を維持できるかどうかというレベル。壁面は当然として,本格的に窓の断熱効果を高めないとこの先,自宅内に引きこもっての熱射病予防も難しくなるだろうな。

 という灼熱の中,我が家の朝顔は,お隣のゴーヤを押しのけて増殖中である。とうとう花まで咲かせた。この根性は見習いたい。

我が物顔の義実家出身の朝顔

 根性といえば,昨年に引き続き開催された阿部が川の花火。昨年よりドローンの数が増えたディズニーショウが見ものであった。

 2年連続,台風で中止になったり,コロナ禍で長いこと開催できなかったりと受難続きの花火大会だが,今年は24年問題と人手不足でシャトルバスの運転が全面的に中止となった。とはいえ,歩けない距離ではないし,その分,経路には出店がたくさん出たようで,痛しかゆしというところか。来年はどうなるかなぁ。そもそもワシが見れるかどうか。

 翌日はオープンキャンパス。今年はM20ビルに静岡駅前キャンパスが開設されたので,こちらの担当と相成った。いろいろと書きたいことはあるが,この顛末は来年以降にボチボチ開陳していこう。

 さて現実逃避しまくったこのひと月であったが,もう尻に火が付いたので,応用数理学会年会の予稿を明日までに仕上げて,次週に迫った徳島行きの準備もせねばならぬ。今度こそ頑張りませう。