9/21(日) 掛川・?

 暑いのか寒いのか,微妙な一日。先頃の13号に続いて,もう台風14号が発生したようだが,日本には来ないらしい・・・ま,現時点では。この先,職場の主要な広報活動はないので,台風が来ようが来まいがどーでもいいっちゃいいのだが,せめて米の収穫が終わってからにして欲しいな。タダでさえ物価高&不況なんだからさ。
 今回のBSマンガ夜話の第3回目,「よつばと!」のゲストが一人だけだったので,あれ?と思っていたのだが,そーゆー事情があったのか。ふーん・・・部外者なので,コメントは差し控えるけど,制作者側が,岡田さん,伊藤さんの関係について疎すぎたのが一番の原因か。難しいモンだな。
 町山智浩さんのblog,相変わらず敵を沢山作りそうなキツイ言い回しだが,論旨はよく分かる。ただ日本の映画評論家が発掘作業を「しない」というのは,「できない」と言うべきなんじゃないか。ネイティブ英語を字幕なしで理解するだけの語学力がないと,日本配給前の映画を理解するのは,そりゃ無理だわな。理解するだけの語学力を付けるのをサボっているということを含めて不勉強というのなら,確かにその通りではあると思うけどね。
 週一のお楽しみ,Video Newsの最新番組はPandemic特集。専門家からきちんとした論説を引き出すには,これだけの時間をかけないと難しいのかなぁと思い知らされる。
 金森の著作とか,武田徹の仕事を読んでも分かるけど,今回これを見て改めて,公衆衛生ってのは永遠に,医学的・科学的効用と人間社会的損失との「最適化」をはかるしかない難しい学問なのだなぁ,と再確認させられました。うん。
 明日から講義開始。月曜日は一日中拘束されるのであった。それに備えて今日は早めに寝ます。

9/20(土) 掛川・晴時々曇

 台風一過の晴天,とはならず,厚い雲が所々に残るわ,むわっとした湿度の高い空気は残るはで,広報活動日和とは言いかねる天候である。まあそれでもそれなりの人数の来訪者があって良かった。ま,ワシは特に何の仕事をしたわけでもありませんけどね。こんなんだったら年会を早退してくるほどのことはなかったなぁ。何はともあれ,ワシの尽力なしでも無事広報活動を終了できたのはいいことである。ご協力頂いた方々に感謝。
 9月に入って,郵便ポストに新聞の営業活動とおぼしきものが放り込まれること度々。
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 ハッキリ言って迷惑なことこの上なし。とは言え,新聞業界の末端にいる方々にとっては,購読部数で収入が決まるわけで,向こうも必死なのだとは思う。
 新聞業界は「インテリが作って(以下略)が売る」と言われるけど,紙媒体の新聞の部数が減っても,ある程度はWebの広告料で本体の収入は賄えるわけだが,販売店には何の実入りもないのが現状だろう。となれば,多少強引でも営業に精出す傾向は増し,ワシは購読してもいない(しかも,ワシがめくってもいない)新聞をゴミに出す労力を払わねばならない。資源の無駄も無駄である。ワシも販売店の方々も,どちらにとっても良いことは何一つないのだ。
 まあ,ワシは特段実入りに影響があるわけじゃないので,ゴミ出しの手間ぐらいは大目に見よう。問題は販売店の今後である。紙媒体が減っても,ある程度の補填がなされる仕組みや副業を用意してやるぐらいのことは,新聞社本体にいらっしゃるインテリの方々が考えてあげても良いのではないか。インテリジェンスはそーゆー方向にこそ発揮して欲しいものである。結果としてワシのゴミ出しの手間も省け・・・ないかなぁ。
 役に立たなかったとはいえ,多少の肉体労働はしたので汗はいっぱいかいたのであった。風呂入ったらちみっと勉強して寝ます。

9/19(金) 東京->掛川・台風13号接近中

 つーか,もう通り過ぎた模様(21:00)。雨のピークは終わったようだ。やれやれ,これで明日の説明会は無事開催できそうである。いーよなー,広報活動の期待がされてない人は応用数理学会年会フル参加できてねぇ。こちとら,東京始発のこだまでとんぼ返りして,学生指導をした後,説明会の準備をしなきゃならない身の上なのである。
 で,今朝の朝飯はこれでした↓
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 お,第2巻のWebが今頃出来たようだ・・・著者紹介とか目次はPDFのままかい。第1巻のものと比べると手抜きだなぁという印象が拭えない。まあともかく,ページが出来たのはめでたい。
 さて・・・何を書くべきだったのか,忘却の彼方である。まあ思い出したらつらつら書くことにしよう。
 校長先生の集会で,「水からの伝言」の著者が講演会を開いたとのこと。情報はapjさんのとこか,kikuchi先生のところに集約されつつある。困ったモンである・・・が,告発する側のblogでも
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なんて広告が出たりするのはいかがなものか。本人が意図的に選択しているわけではないが,「水からの伝言」を批判している記事の下に,インチキ水商売の片棒を担ぐ広告が出てしまうというのが何とも皮肉。やっぱり広告つきの無料blogサイトは危険であるな。やるなら身銭切って,広告は拒否できる所を確保しましょう。
 明日もはよから出勤なので,サッサと寝ます。

中島らも「定本 啓蒙かまぼこ新聞」新潮文庫

[ Amazon ] ISBN 978-4-10-1166442-1, \438
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 昔々,世間では泡(バブル)が大いに盛り上がっていた頃,首都圏の大学生どもは必ず小脇に「ぴあ」を抱えていたものである。その頃は「大学はレジャーランドである」という,日本の高度成長期に培われた良き常識が残っており,講義には出席していなくてもサークルの部室には必ず顔を出す,というのが普通の大学生のあり方であった。ワシもご多分に漏れずそのような大学生活を送っており,講義中こそ控えたものの,休み時間には必ず友人たちとカードゲームに勤しんでいたものである。教科書?予復習?なんだそれ?という感じであった。それが今ではグローバル化の大波に洗われて日本社会から余裕というものが失われ,「大学では勉強せよ」と世の親も教師も叫ぶようになってしまった。嘆かわしいことである。一体全体そーゆーことを言うお前らこそ,どんな大学生活を送っていたのかと小一時間問い詰めてやりたい。今の大学生諸君,反撃したいなら「バブルでGO!」は必見ですぜ。
 さて,教科書よりも大事な「ぴあ」は,レジャーランドに通う若い頃のワシらにとって必須の情報ツールであった。世間で何が流行っているのか,どんなイベントがどこで行われているのか,それはすべて「ぴあ」に掲載されていた。いや,「ぴあ」に載っていないものは世の中には存在しないも同然だった,と言うべきなのかもしれない。今ではすっかり東京ウォーカーに部数で抜かれ,Webからキーワード一発でググるだけで済むようになってしまっているが,泡絶好調の時代はあの及川正通の精密な著名人の似顔絵を冠した紙の束が指し示す情報が,ワシらの大学生活の全てだったのだ。
 そんな「ぴあ」だが,情報の狭間で密かに「サブカル」を育てていたのだ。「はみだしぴあ」という,記事ページの左右マージン部分に小さく縦長に印刷された小粋(死語)な文章。ワシはあれが大好きだった。そこでは常連も生まれ,号をまたいで密かなコミュニケーションも図られていたのだ。
 そしてもう一つ,時期は判然としないのだが,大変に気になる,絵の下手なマンガがいつの間にやら掲載されるようになっていた。題して「微笑家族」。表情の全く変わらない,顔のコピーを貼り付けた,作画に関しては手抜きとしか言いようのない白黒1ページの地味なマンガで,その下には申し訳のように「カネテツデリカフーズ」の宣伝ページであることが分かる文章(といっても宣伝臭は皆無であったが)が付記されていた。
 絵については褒めようのないマンガであったが,つい読まされてしまう不思議な磁力が働いていて,ワシはいつしか情報よりも「はみだしぴあ」とこのマンガを目当てにしてぴあを購入していたような気がする。例えて言うなら中崎タツヤやいましろたかしの描くダウナー系マンガの元祖のようなものであった。
 それが「中島らも」との最初の出会いだった。たぶん,同じように中島らもとこの時期に出会った人は多いと思う。その証拠に,この啓蒙かまぼこ新聞は程なくして中島らもの著作としてまとめられ,今またこうして新潮文庫から編み直されて21世紀もしぶとく残っているのだから。ワシは広告の歴史にはトンと疎いのだが,中島らもは「自己表現としての広告」を開拓した先駆者に数えていいのではないかな。
 その中島らもが52歳で,ほとんどアルコールに飲まれるようにしてこの世を去ったのはつい最近(2004年)のことだ。ニュースを聞いたワシは,驚くより「やっぱり」という感想を持った。それは周囲の人たちから断片的に伝わってくる情報や,らも自身が執筆したエッセイから知る普段の生活ぶりからして,遠からず破綻しそうな予感がしていたからである。ワシは中島らもの小説はほとんど読んでいないが,エッセイは「しりとりエッセイ」以来,特に1990年代に出版されたものはたいがい目を通している。そのエッセイの文体も,どんどん構成が「緩く」なっていき,晩年に近い時期のものは,正直言ってかなり密度が薄く感じられるようになっていた。これがアルコールの影響によるものか,意図的にやっていたものなのかは分からないが,少なくともワシが好きだった中島らもからはどんどん離れて行ってしまったのである。
 本書を読んで,マンガの持つおもしろさは,馬鹿でバブリーな大学生だったワシが感じたものと変わらないことが分かった。純粋にダウナー的センスだけで勝負していたことで,20年以上も前の作品なのに全く古びていないのだ。しかしそこに添付された文章は,構成がかっちり決まった密度の濃い初期の中島らものエッセイそのもので,ワシは面白さよりノスタルジーを感じてしまい,少しほろりとしてしまったのである。
 本書には,ワシの大好きだった中島らもが詰まっている。永久保存版として,大事にしていきたい。

9/17(水) 掛川->東京・曇

 早朝に目を覚まし,BSマンガ夜話の録画をチェックし,朝飯を食って始発の新幹線で東京へ。TX柏の葉キャンパス駅で下車して東大柏キャンパスにたどり着いたら9時少し過ぎ。案外早く到着できるものである。
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 一日お勉強をしてから,皆様と北千住で妻帯者の皆様方に囲まれて夜の会合(って怪しげなモンじゃないけど)。いやぁ,大人の話はいろいろ尽きないものである。夜9時過ぎにお開きとなり,両国の定宿に帰帆。
 げげっ,迷走していた台風13号,日本を縦断する進路を取ったらしい(気象庁の台風情報)。うーむ,今のところ19日朝にはまだ静岡近辺にはたどり着かないようだが,雨風の影響は確実に受けそうだなぁ。新幹線,ちゃんと動いてくれればいいが。
 さて,夏休みやり残しのぷちめれを仕上げたら寝ます。