1/9(日) 駿府・晴

 新年、明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願い致します。

2022年新年9日目の富士山

 本年最初の記事はぷちめれとしてアップしてしまったが、挨拶としてはまだなので遅ればせながら富士山の勇姿と共にご挨拶申し上げる次第である。
 昨年はコロナ禍突入2年目ということもあり、感染症とのお付き合いには慣れてきたところはあるものの、出張業務の制約は相変わらずで、今年こそは平常化の方向に突き進んでもらいたいものである。のっけからオミクロン株が猛威を振るいつつあるが、重症化率が低いことが分かってきたので、インフルエンザ化を期待したい。
 もう一つ、昨年後半は9月から12月まで、英語にどっぷり浸かる生活を送ったことが感慨深い。とは言っても2018年から続けているレアジョブをお高めの奴に切り替えたというだけのことなのだが、A2からB1あたりで止まっていた英語力がB2あたりまで到達できたことは感慨深い。

一応、勉強した証拠を提示

 とはいえ、油断すると過去形現在形がごっちゃになり、かなりなブロークン文法無視のアホ英語に陥る癖は相変わらずで、復帰したばかりのレアジョブのテストではA2ということに愛なった。リスニング力が年のせいか中々改善できないので、つらつらシャドーイングなどを頑張りたい。

 体調面では2020年11月下旬から購入して始めた「リングフィットアドベンチャー」、丸一年以上続けて3回クリア・69ステージを完了し、2022年1月現在、別名義で1回クリアしたところ。1日の終わりに50kcal以上のエクササイズを終えて風呂に入るのが習慣となって以来、ちと関節が痛むものの、腹周りがスッキリしてベルトを短くちょん切る必要に迫られたほどの効用があった。ボチボチ新作を期待したいが、現状でも売れているゲームの続編が出るとは考えづらいという意見があり、最もだと思った次第。ま「リングフィットアドベンチャー2」が出るまではこれに飽きるまでエクササイズを続けるつもり。スポーツクラブに通うよりよっぽど安上がりだし面倒がなくて良い。

 今年、というより、今後の長いスパンの目標としてはChebfunのテクニックを勉強しつつ、数値関数解析をPython他のプログラミングで語り込むというメモをたくさん増やしていきたいと考えている。多項式ベースの方法は結構見かけるけど、Chebyshev多項式関数近似ベースのものはこの日の本ではあまりなさそうだし、そもそもNumPyやSciPyがこれだけ多数の機能を有している現在、MATLABなくてもPythonベースでChebfunでやっていることは実現できるわけで、実際、AAA法はPythonモジュールが存在していたりする。関数解析の理論の本は抽象的なところは理解が難しいので、プログラム化すると具体的な効用、特にLAPACK/BLASベースの線形計算を活用することで線型空間理論との関係性が明瞭になる、という期待がある。ま、ワシ自身がそういうプログラミングしながらの理解をしてきたからなんだけど。これはかなりな大目標なので、定年まで、また、定年以降もボケ防止も兼ねて取り組んでいきたいテーマである。行きつ戻りつ、寄り道はたくさんしそうではあるけど、新年にあたり、言語化しておくことにする。あ、勿論、多倍長計算の活用を視野に入れての話になる。

 当然のことながら、TensorFlowを軸に、深層学習の実践と、Webプログラミングとの融合は進めていきたい。ただし、完全に後追い的なものになるので、あくまで教育用という位置付けではあるけれど、割と面白いものであるということは昨年後半に取り組んで理解できた。少なくとも可能な範囲で定年までGoogleについていきたいとは考えている・・・だけで終わったりして。

 あとは、ここの更新も可能な範囲で続けつつ、さっさとOSとPHPのバージョンアップも進めたい。ま、夏休みかな〜・・・ってこれ去年も言っていたような。

 ま、今年も一つよろしくお付き合い下さい。

呉座勇一「頼朝と義時」講談社現代新書

呉座勇一「頼朝と義時」講談社現代新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-06-526105-7, ¥1000+TAX

 昨年(2021年)はTwitterでお騒がせの著者であるが、歴史学の王道を踏み外さず、陰謀論を毛ほども寄せ付けない堅実な書きっぷりは前作と変わらず清々しい一冊である。本年(2022年)のNHK大河ドラマが始まる前に予習しておこうと購入したのだが、大筋は「吾妻鏡」に添いながらも、北条執権寄りな記述が多いことに留意し,批判を忘れない姿勢には凛としたものを感じた。ワシは竹宮惠子の漫画で大体この時代の流れは掴んでいたつもりだが、より深い政治的洞察を盛り込んだ本書の記述はそれを補って余りある。

 平清盛が確立した平氏政権から、源頼朝と北条一族らが打ち立てた鎌倉幕府が成立し、承久の乱を経て朝廷をコントロールできるようになるまでの歴史の流れは、中学校の歴史を学んだ日本人ならば大体頭に入っているはずである。とは言え、通り一遍の年表的な知識以上の人間臭い要素は、平家物語ほか、歴史を土台とした漫画、アニメ、ドラマ、映画、そして本書のようなコンパクトな新書から得るのが普通だろう。ワシの場合、前述した竹宮惠子作品に加えて、「平清盛」のような大河ドラマから共感できるリアルな臭いを吸収し、頭の中の歴史年表に人間的要素を肉付けして現在に至っている。そのせいで、ワシの理解にはリアルな政治的骨格に欠けるところがあり、その点は呉座勇一に随分助けられた。

 例えば、木曾義仲が一時台頭して京都を頼朝より早くに抑えたことについては、元々、以仁王の令旨に呼応した日本各地の武士団、特に源氏系統のグループが個々に活動を始めていて、頼朝はその一派に過ぎず、各グループ間の争いの中で起きたものだというという解説には感心させられた。そういう重要な補助線を随所で引いてくれることで、ワシみたいな政治にウブなオヤジの脳みそにも染み入る記述が可能になったのだろう。

 頼朝から頼家・実朝までの3代で源氏将軍が絶えたことも、北条時政・義時・政子の陰謀とは考え難く、偶然の賜物に過ぎず、むしろ偶然のイベントに対して政治的に無理のない解決策を模索してきた結果であるとのこと。勿論、頼朝亡き後の「鎌倉殿の13人」の中では、未亡人である尼将軍・政子の後ろ盾があった北条一族が有利であったことは間違いないが、源氏将軍を意図的に滅ぼすメリットはない、という解説には唸らされた。実朝暗殺時に、本来であれば側についてた筈の義時がその直前に退いて源仲章に交代したことも偶然で、陰謀の証と考える必要はないと断じている。へぇ〜である。

 本書ではかように陰謀論を徹底して退け、複数の資料や研究者の論考を比較検討しながら、最も学問的に妥当な結論を導き出すという姿勢が貫かれている。勿論、血沸き肉踊る歴史活劇を目指した書物の存在は重要ではあるが、嘘が蔓延するようでは困る。呉座のように、アカデミックな正しさを第一としながらも、歴史が持つ生の面白さを活写できる書き手は貴重であり、今後もSNSなんぞは適当にあしらいながら、長く活躍してもらいたいものである。