4/10(木) 北摂・曇

 日中の寒暖差はまだ激しいが,朝晩ともコートはさすがに不要になってきた。桜の盛りも過ぎてあとは大阪万博を待つばかりである。まぁ悪評判はあるが,それなりに盛り上がるんじゃないのかしらね。

眺めの良い研究室からの風景。結構田舎。

 とゆーことで,一人北摂にて業務開始である。本を捨てまくったせいで,6棚ある本棚が結構スカスカ。もうちっとモノを運んでくりゃ良かったかな。

 次週から本格的に業務が始まるので,7月まではいろいろありそーではあるが,ま,せいぜい頑張りませう。転職日記はまたおいおい(とかゆーうちに数か月過ぎそう)。これはテスト書き込みです。

 ボチボチスクールバスの時間なのでこの辺で。

3/13(木) 茨木・晴

 これ書く直前にMySQL(MariaDB)が死んでたらしい。apt upgradeで治ったけど,何だったんだろうな。Ubuntuを24LTSにしたことが影響したかしらん? しばらく様子見だな。

昨日は朝から静岡→茨木に移動。下宿先に泊まり込んで生活できる体制を開始すべく,

  • 冷蔵庫・洗濯機をAmazonで発注し据え付けまで依頼
  • ソフトバンクには光ファイバ回線の工事を依頼(工事はNTT西の方が実施)
  • レンジラックもAmazonで発注して自力組み立て
  • ヨドバシ梅田で発注してあったウオッシュレット到着,自力施工
  • バスチェア・洗面器・3日分の自炊材料の買い出し

を実行し,風呂に入って一晩過ごしてこれを書いている。移動中に書いていた紀要原稿下書きは半分終了,本日午後から全部書く予定。そーじゃないと,3月末締め切りの投稿論文執筆時間&計算時間が無くなるのである。

 ここに至るまで,紆余曲折あって,生活の場については何とか最低限のものが揃ったが,問題は職場の方。なんせギリギリまで計算機だけはぶん回さないといかんので,札幌出張中には投稿論文用のベンチマークと原稿下書き執筆→英訳校閲依頼をせんとならん。終わるのか俺,ホントーに終わるのか俺? つーか,こんな引っ越しでドタバタの時に例年通りの投稿ができると考えるほうがおかしい。おかしいが,これは面白いと思ったネタがあったらどんなに忙しくても引き受けるんだよという手塚治虫イズムが発動した結果なので,やるしかないのである。まぁ活動期間はせいぜい還暦までのあと4年ぐらいだろうしなという達観と悪あがきがないまぜの精神状況がなせる業なのであろう。

 つーことで,本日は午前中,関西赴任のご褒美を満喫し,午後は紀要論文上げて投稿論文に取り掛かりたいものである(願望)。

 以下,たぶんお別れとなる代物を3つばかりご紹介。

その一)新幹線定期

 在来線分は交通費で出してくれるんだけど,新幹線分は出してくれなかったなぁ。まぁ微妙は距離であるから,在来線でも通えるんだけど,時間がかかる以上に,ちょっとした雨と風とかその他トラブルが多くて,イザというときには在来線も使える新幹線で,自腹切って通うことにしていたのである。それも今月5日でお終いである。便利に使わせていただきました。こだまがイカに空いているか,のぞみ・ひかりがめちゃくちゃ混んでてトイレの空きを探して1号車から7号車までさ迷う羽目になってようやく理解できました。とはいえJR東海はもうちょっと静岡県民に配慮した言動を行って頂きたいものである。

その二)M20ビルのサテライト研究室

 本年度4月から使用可能になった静岡駅前M20ビル11階の本学サテライト研究室に毎週押しかけて若手の先生方やゼミ生に忌み嫌われながら自腹Note PC担いで研究活動に邁進したところ。きれいだし眺めが良かったし,何より通勤が楽だったので重宝させて頂きました。今後の発展を祈念しております。スタバも出来たしねぇ。

その三)法多山交差点の河津桜

 ここでも何度か報告していた,法多山交差点脇にある,河津桜。ここにトッパン・フォームズの工場ができる前,つまり,遠州灘の防潮堤の土台になるべくざっくりと削られたこんもりとした丘(正確には県道でぱっくり割かれた山の片側)があった時からここに咲いていたもの。丘があるときには日当たりがイマイチだったが,それでも健気に咲いていた。しっかり日照が確保できるようになったのはサッカーワールドカップ日韓戦(の会場としてエコパが賢哲されるついでに作られた道路が山を割った)と3.11東日本大震災(に匹敵する南海トラフ大地震に備えて作られた防潮堤)のおかげであるが,その前からしっかり根付いていたのが功を奏したわけで,環境が悪いことを理由に何にもやらないバカ年寄は是非ともこの河津桜を見習って頂きたい。毎年2月下旬~3月上旬に咲くのだが,次年度は非常勤講師として前後期通うものの,開花の時期は講義がなく,コロナ前には毎年やっていた非常勤講師懇談会もメール報告だけになったので,通りがかりに花を愛でることもないだろう。前述2つは正直どーでもいいが,この桜だけは心残りである。

 ということで,趣味にいそしんでから仕事に邁進しますです。また落ち着いてから「転職日記」を連載更新したいな~。

1/5(日) 駿府・晴

2025年1月の富士山
2025年1月の富士山

明けましておめでとうございます。
本年も昨年同様,御贔屓の程,よろしくお願い致します。

 とゆーことで,年末は紅白を見ながらどこで流行っていたのかさっぱり分からない曲から懐かしさを通り過ぎて骨董品のような曲まで堪能しつつ,除夜の鐘もそこそこに寝床に入って一晩明けたらお正月といういつもながらの自堕落な年越しと相成った。

 年明け初日は義実家に年初の挨拶の後,紺屋町の小梳(おぐし)神社を初参拝,二日目は久能山東照宮に初詣,三日目は浅間神社に初詣,計3回の初参拝と初詣を執り行った。おみくじは東照宮も浅間神社も共に中吉。ほどほどの幸運を願いつつ,昨年作っておいたうま煮を貪り食って本日5日目の怠惰な正月を終えることにする。

 あれこれ〆切やら引っ越しやらアパート探しやらでバタつく1月2月3月となるが,適度に息抜きをしつつ,まずは初年度前期の13回講義を乗り切りたいものである。

 あ,キースへリング展見たんだった。短い生涯を駆け抜けつつ男性器も女性器も描きまくったバブル日本で真似されまくったポップカルチャーの巨匠を堪能できたのは僥倖であった。

 田沼時代の大河ドラマの初回を楽しみにしつつ,明日からのスケジュールに思いをはせる正月休みの終わり,しみじみするなぁ。

 ではまた。

12/31(火) 駿府・曇後晴

 毎年恒例の旨煮を作って一息ついているところである。

毎年年末恒例の旨煮2024
毎年年末恒例の旨煮2024

 (自業自得ではあるが)慌ただしかった12月のまとめは前のポストで書いたし,収めのぷちめれも書いたしで,残るは年末恒例のあいさつのみ。とゆーことで。

 本年はひとかたならぬご厚意に恵まれて一年過ごすことができました。
 来年もよろしくお願い致します。

 一つよろしくです。

12/29(日) 駿府・晴

 沸騰している地球とはいえ,ここに本には冬はきっちりやってくるわけで,現在西高東低冬型の気圧配置真っ最中。日本海側でしっかり湿気をブロックして雪をざんざか引き受けて頂いているおかげで太平洋側のお気楽な駿府住民としては空っ風ながら晴天を満喫できている。ありがたいと同時に,ちったぁ除雪費ぐらいは太平洋ベルト地帯(死語?)の金持ち住民は負担すべきだと思ったりする年末五十路親父のぶつくさからこの記事の執筆を始める次第なのである。

 いやー・・・(ここのタメ30秒)・・・この年で,一人でプログラミングして,一人でデータ整理して,一人で出かけて行って口頭発表を2件立て続けにしまくって最後は英語の発表で締めくくるという12月のありようは異常である。神さんからもあきれ果てるというはあきらめの口調で自業自得と一言で断罪される始末。ま,その通りではある。とゆーことで,この12月にやった(やらかした)出来事を綴っていくことにする。

 まず12月最初の週末は,毎年恒例,大師匠へのご挨拶。ご存命の頃は直接ご自宅に夫婦ともども押しかけてくっちゃべって晩飯をおごってもらって帰ってくるという,額縁ょ~経験者とはあり得ない厚顔さを発揮できていたのだが,97歳(数え年だと98かな?)で大往生されて以来は,お墓にご報告がてら伺って,鈴本で落語を堪能してから自腹で(当たり前だ)晩飯食って帰ってくるというルートに変更と相成った。

大師匠の頭上の木
大師匠の頭上の木

 来年は大阪から駆け付けて直帰するのか,年末の慌ただしい中をかいくぐって静岡往復で来られるのか,はてさて神の味噌汁。

 続いて,年末最後の英語講演の準備として,12分のMP4ビデオ撮り。そのまま12月半ばの沖縄研究集会の準備に入り,富士山静岡空港から那覇に前日乗り込み。

とゆーことで三日間の滞在中の昼食や全て沖縄そばと相成った。若い時はラーメンに比べてあっさりしすぎて物足りないなーと感じたモンだったが,この年になるとぴったり。ヘルシーでいうことなしである。来年は来れるかしらね?

 沖縄から戻って研究室の蔵書整理。私物のあれやこれやを一括処分。大分すっきりしてきた。

 本棚をすっきりさせたところで,山陽小野田市立山口東京理科大学(長ぇよ)に出張,口頭発表を行う。昼と朝は小野田駅のうどん。駅前が閑散としている割に,駅うどんがあるところが良い。でも今時バリアフリーでない駅というのもどうなのかしら。

 次年度は大阪でやって欲しいという要請があったが,はてさてどうなるやら。日曜日に総持寺キャンパス使えればいいんだけど。

 昨日は午後14時からオンラインにて英語講演。あらかじめ作って送ってあったMP4を聞きつつQ&Aに備えて講演者は待機しておかねばならぬ。無事終了。

 時間は前後するが,毎年恒例,年末仕事納め帰りは自家用車の洗車を完了する。

今は販売していない,古き良き日産時代の遺物

 これ使っての大阪往復2回ぐらいは実行する必要があるやなしや。こうご期待(誰が?)。

 にしても,やってみると何とかなるもんで,五十路半ばのグループなし研究者としてはこの辺りが限界かしらん。次年はもう少し余裕をもって過ごしたいがさてどーなるやら。

 さて,あとは年内にぷちめれ書いて本年を締めることにしよう。ではまた。