10/20(火) 掛川・曇

 さぶ~。扇風機を片付けて羽毛布団を出した直後に,朝の冷え込みが厳しくなった。うーむ,正解正解。つーても,10月も下旬に突入したので当然なのだが。昨年はエアコンだけで冬を乗り切ったが,足下が寒くなるのが難点。こたつを購入するという手もあるが,そこから出なくなっちゃうのが難点。灯油を導入するというのも手だが,何のためのオール電化生活なのかという疑問が沸いちゃうのが難点。こうなると,オイルヒーター導入という手しかないのだが,はてさて,どのぐらいの暖房効率があるのか不明なのが難点。・・・難点だらけで迷っている間に冬が終わってしまうような気がしてきた。
 それにしてもFirefoxの重たいこと。家では未だにAthlon 64 X2 3800+というロートルCPUを使っているのだが,曲りなりにもDual-coreだし64bit環境だしGraphicsボードも取っ替えたのに何なんだこの重さは。職場ではCore2Quad 6600マシンで使っているが,32bit環境でもこっちの方が快適。重たいときにはGoogle Chromeに切り替えて凌いでいるが,めんどくさくてかなわない。Windows 7には年末当たりで本格的に切り替えようかと思っているが,さーて,快適になるのかどうか・・・とはいえ,マシンを取っ替えるほど不自由は感じてないしなぁ。どーせ金もないし,暫く悩むことにしようっと。
 やぁっと少し鬱が晴れてきた。次年度はゆるゆると過ごさせてもらう予定。今後は趣味の活動(つーても結局仕事になるんだけどさ)で遊ぼうっと。計算計算。
 鬱と言えば,加藤和彦の自殺の引き金になったらしいが,ちゃんと(?)離婚後も女性と同居していたんだな(日刊スポーツ)。自分を大切に思ってくれる女性が近くにいても,鬱はそう簡単に治らないということなのか。自己評価の高い人は衰えてきた自分を許せないということなのか。うーむ,ワシみたいな凡人には理解できない心境なんだろうな,きっと。
 さて,本日も教材作りに頑張ります。

小谷野敦「禁煙ファシズムと断固戦う!」ベスト新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-584-12249-5, \686
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 作家(という肩書きでイイかな?)・小谷野敦の激烈な「禁煙ファシズム闘争」は,氏のblogを愛読している人間にはよく知られていることだろう。本書は日本パイプクラブ連盟などの媒体や自身のblogに綴ってきたその主張をまとめた約200ページの新書である。大変読みやすく,一日も掛からずにあっさり読み通せたから,現在では少数派になりつつある喫煙者の主張を保存しておくにはもってこいだろう。ま,「最後の喫煙者」の主張,とまでは今の時点では至ってないけど,小谷野が言うところの「禁煙ファシズム」が行き着くところまで行けば,こうしてその主張が出版されることもなくなるかもしれない。ことにこういう激烈な反撃文はますます出版されづらくなるかもしれないのだ。
 本書にも小谷野の「文章作法」の激烈さを非難するAmazonレビューが引用されていたりする。ま,それは確かにそうかもしれない。しかし,ここは一つ冷静になって小谷野の主張するところだけを整理してみようではないか。
 ・駅のフォームや道路・公園など,外気に対して完全に開放されている公共の場所での完全禁煙は行き過ぎ。喫煙所を設けろ。
 ・健康増進法は「分煙」を勧めているのであって,「完全禁煙」推進のための法律ではない。
 ・マナーを守らない喫煙車の行いには怒りを覚える。車からの吸い殻のポイ捨てなど言語道断である。
 ・タバコが健康に悪影響を与えないなどとは言っていない。肺がんとの因果関係は完全に証明されたわけではないが,肺気腫や喉頭癌などタバコが原因の呼吸器系の病気は確かにある。
・・・とまぁ,「言い方」を変えると,至極穏当な中庸的な意見を述べているに過ぎないことがわかる。そう,反論が口汚くなったりすることはあるが,言っていることは「タバコの煙は直ちに健康を悪化させるような毒物ではないのだから,喫煙の場所を適当な所に設けてくれ」と言っているだけなのである。それをかさに掛かったように喫煙者を追いかけ回してとがめたり罰金を取ろうなんてことは止めて欲しい,ということに過ぎないのだ。
 ただ,難しいなぁ・・・と思うのは,この問題,かなり根が深く,歴史も長いということがあって,解決できるとすれば,ただ一つの方法しかない。つまり,この「禁煙ファシズム」という「空気」を,「禁煙ファシズムなんてかっこわるいぜ」という空気に変えていくほかなく,それも小谷野のような突撃兵を先頭に,ある程度の数の賛同者と共に「分煙」の主張を声高に行い続けるより方法がないのである。
 その結果どうなるか? 適度なところで落ち着けばいいのだが,またぞろ我が物顔のマナーの悪い喫煙者が問題を起こして嫌煙者の悪感情を引き起こして更に強硬な「完全禁煙ファシズム」を引き起こし・・・という,いつ果てるともしれない「空気の波」として引きずることになる可能性が高いとワシは想像しているのである。実際,小谷野も本書で指摘しているように,かつては,ことに昭和50年代ぐらいまでは列車も会社も学校の職員室も煙でモウモウとしていたと記憶している。その頃でも嫌煙権を主張する頑固な少数派はいたのだが,「へっ,小うるさいこといいやがる」と,多数を占める喫煙派からは侮蔑されていた。
 それが今では立場が完全に逆転しており,喫煙派に相当不利な「空気」が作られてしまっている。それを称して「禁煙ファシズム」というのは正しいのだが,かつては「喫煙ファシズム」がはびこっていたことを考えると,結局,適度な「分煙」を境として喫煙派と禁煙派が綱引きを続けていく以外の解決策はなく,揺れ戻しは常に引き起こされるだろうという,甚だ疲れる結論しか出ないのである。
 疲れるけど,しかし,人間社会のダイナミズムは大なり小なりこの手の「ファシズム」的な「空気」によって生まれているのだから,ある程度の揺れ動きは仕方ないと諦めるしかない。今,ちまたではタバコ以上にもっと依存性の高い薬物が蔓延りつつあるという状況だから,ひょっとすると,麻薬に嵌るよりタバコでも吸ってれば?という風潮にならないとも限らない。ワシ自身は喫煙者ではなく,小谷野同様,潔癖すぎる空気は望ましくないと思っているので,適度な分煙には賛成である。けれど,そーゆー禁煙と喫煙(分煙)の間にいるワシのような付和雷同的な輩が,現在の禁煙ファシズムを形成し,ひょっとすると次にまた来るかもしれない喫煙ファシズムを作り上げるかもしれないのだ。そんくらいの「自覚」をワシみたいな禁煙ファシストどもも持つべきで,それを認識する為にも本書は有益な書であると,ワシは確信しているのである。

「月刊Comic リュウ 2009年11月号(Vol.37)」徳間書店

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 安永航一郎から「3号雑誌」などと揶揄されながら,とうとう3周年を迎えたComicリュウ。安永先生の連載「青空にとおく酒浸り」もいい加減,単行本化してくれないんですかね? まさか3年も続くなんて思ってなかったとか? いや,まったくあの行き当たりばったりとしか思えない,女の裸を描くのが目的としか思えないストーリー展開はワシ,大好きなんで,是非まとめて欲しいんですが・・・。しかし安永先生,原稿料だけでメシ食っていけるとも思えないんだけど,どうやって生活しているのか知らん?
 それはともかく,2周年記念に続いて,3周年もこうして無事迎えられて嬉しい。まぁ,購買層が「SF」という言葉に反応する三十路後半から四十代まで,主としてオタク崩れのオッサン連中に限られているらしいっていう,将来性に関する暗雲は垂れ込めてますが,ね。とりあえずは潰れずに続いていることを喜んでおきたいのである。でないと4年目は・・・いや,イヤな連想はよそう。確かに,Comicリュウ独自ドメインのサイト(comicryu.com)が消滅して徳間書店サイトに移行しちゃったことは経費節減の一環とも取れるし,雑誌本体の価格が580円→780円→630円と高止まりしていることに,愛読者としては一抹の不安を覚えるのだが,龍神賞からは有望な新人も育っているし,単行本もボチボチ書店の書棚に少しだが定位置を確保したようだし,も少し長い目で見ていけばそのうち大ヒットも・・・あると期待したいのである。
 とりあえず,目先の楽しみは,あさりよしとお「アステロイド・マイナーズ」が単行本にまとまること。「宇宙」と言えども貧富や能力による「格差」がある身も蓋もない現実味のありすぎる世界を描いているのだが,さりとてSF魂というか純粋な情熱が失われたわけではない,どころか,そんな世界だからこそわき上がってくる「生きる力」ってものを真っ正面から取り上げている力作である。出版の暁には是非ここでも取り上げたいものである。
 だからさ,大野編集長,いろいろうるさいことを言われているんでしょうけど,これがまとまるまで,くたばらないで下さいよ! ・・・と,何だか甚だ意気の上がらないエールではあるけど,ここ静岡の片隅から遅らせて頂く次第であります。
[ 2009-10-20 追記 ] 10/26(月) 「アステロイド・マイナーズ」1巻発売だそうで・・・いや,まだくたばってもらっては困りますぜ。

10/15(木) 掛川・?

 木曜日なのに月曜日講義日。ハッピーマンデーだかなんだか知らないが,おかげで月曜日が潰れてしまって,カレンダー通りだと14回(来年度から15回)の講義がこなせないってんで,やたらに振り替講義日を作らざるを得ないのである。調子が狂うよなぁ,まったく。つーことで今日の講義がヘロヘロだったのはそのせいである(いつものことだが)。
 3年生のゼミで,VMwareの仮想マシン上でWebプログラミングの環境を作って勉強してもらっているのだが,リモート接続ができないマシンがあって焦る。調べてみたら,ポート番号が,通常は902なのが904になっていた。インストール時にどういう訳かずれてしまっていたようだ。/etc/xinetd.d/vmware-authdの設定を直してchkconfig xinetdして事なきを得る。
 実験室では未だにVMware ServerのVer.1系統を使っている。どうもVer.2はWeb接続だの何だのとゴテゴテ付いてきて好きになれない。つーか,環境を作るのがやたらにめんどくさい。インストールしてもうまく動かなかったりして,めんどくさいことこの上ない。来年の2月,卒研終了後にCentOSのアップデートをしなければならんのだが,安全策をとって,暫く古いVer.1系統のものを使うようにしなきゃいかんかなぁ。あーもー,OpenMPIだのApacheだのPHPだのMySQLだのPerlだのVMwareだのと,年を追うごとにセッティングがめんどくさくなって叶わん。昔よりOSのセットアップやアプリケーションの環境構築が複雑になっているから,Windowsならいざ知らず,そうそう若いモンにやってくれとお願いするわけにもいかんよなぁ。
 さて,仕事をボチボチやってぷちめれ書いて風呂入って寝ます。

栗原俊雄「シベリア抑留 未完の悲劇」岩波新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-00-431207-9, \700
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事実関係を調べるにはまずググってみる,というのが今のワシのデフォルト動作である。つまり,「検索バカ」になっちゃっているわけだが,少し有名なものであれば,たいがいWikipediaの記事がトップに引っかかってくる。で,じっくり読んだりちらりと一瞥を食らわせたりするのだが,最近はほとんど必要なところだけピックアップしておしまいになる。ことに長めの記事は全文読んでいると頭がくらくらしてくる。ワシの貧弱な日本語解読能力が更に破壊されそうになるのである。
これは,普段からまともな日本語を読み書きしていない学生の長文を読むよりたちが悪い。何故なら,学生の文章はダメなりにダメさが一貫しているのに対し,Wikipediaの文章は様々な人間が手を入れたせいだろう,文章の流れが一貫していないことが多いのだ。エディタが介在しているから,文の一つ一つはそこそこマトモなのだが,文同士の繋がりが微妙に噛み合っていないことが多く,じっくり読んでいると船酔いになったような気持ち悪さに見舞われてしまうのである。
この「気持ち悪さ」は,ワシが本を読んで知識を得て育ってきたという経験から来るものなんだろう。最初から断片的な知識をつまみ食いするように育ってきたのであれば,Wikipediaのぶっち切れ文体はかえって吸収が早いのかもしれない。その意味ではワシは完全にオールドスタイルの人間なのだ。ま,四十路ですからもう若くないですけどねぇ~だ。
そんなロートルであるから,今でもやっぱりまとまった知識を得たいときには,新書だの文庫だの単行本だのといった,旧態依然とした「本」に頼ってしまう。もちろん,対談本のようなものは別として,読みやすさでは単著がベストである。文章の「流れ具合」は一貫していることが望ましいからである。
つーことで,おざわゆきのシベリア抑留マンガの感想を書いてから,そもそも何故そんなことが起こったのか,という疑問に答えてくれる本を探していた時に見つけたのが本書である。もちろん,過去には様々な本が出版されていて,おざわの同人誌にも参考文献リストが載っているぐらいだから,そんなかからピックアップしてよさげなものを読めばいいのだが,何せほら,根がズボラだから,なるべく薄くてコンパクトで読みやすいものがいいな~,できれば抑留体験者の書いたものより,第三者の視点からまとめたものがいいな~・・・なとどわがままぶっこいていたところに本書がグッドタイミングで出版されたのである。本文が211ページしかなく,新聞記者の著者が書いたものだから,大変読みやすい。ワシとほぼ同年配の著者であるから,怨念でドロドロになった記述は皆無で,抑留の発端から,抑留体験と引き上げ後の悲劇,そして現在まだ日本国相手の裁判が続行中であることまで,時系列的に事実が淡々と述べられている。「岩波ぃ~? ど~せ左翼的偏向しているんでしょ?」という人にもお勧めできる中立的な内容である。
ワシが知りたかったのは,シベリア抑留の「そもそも論」である。ことにソビエト連邦側の言い分が知りたかったのだ。
まず,日本との中立条約を破って対戦末期に満州に攻め込んできたことは,まぁ日本側としては卑怯千万と批判することは当然だが,ナチスドイツ・ファシストイタリアと三国同盟を組んでいて,ドイツが降伏しても中立を守ってくれるなどと期待すること自体が間違いであろう。それ以前に,ソビエト革命の際には日本によるシベリア出兵があったことをソ連は忘れていなかった,どころか,「ソ連にとってもっとも苦しい時期に干渉戦争をいどんだ日本への恨みは,深く残っていた」(P.28)と栗原は指摘している。
更に,第2次大戦において最も死者数が多かったのがソ連であったことが,シベリア抑留の直接的な原因となったことも述べられている。失った3千万人もの労働力を補う目的で,日本人64万人も含めて24カ国,417万人もの戦争捕虜を「活用」したのである。これはポツダム会談でチャーチルに対し,スターリンが捕虜を活用して生産を上げればいいと言い放った(P.35)ことで裏付けられている。まぁ独裁者なら考えそうなことだ。しかしドイツ人は238万人も捕虜になってたんだなぁ・・・そう考えると,日本で声高に被害を述べ立てるだけでなく,ドイツも含めた被害国との連携も必要なんじゃないかと思えてならない。
本書では,国際法も持ち出して堂々としていたドイツ人捕虜に比べて日本人捕虜は従順だったということも,使い勝手のいい労働力としてこき使われた原因ではないかと指摘している。全く,東条英機の「戦場訓」なんぞ,負けてしまえば何の役にも立たないばかりか,害悪にしかなっていないことがよく分ろうというものである。東海村の臨界事故でもそうだけど,末端の兵隊だから知識が不要ってことはなく,むしろ自分の身を守るための手段として,今自分がどういう立場にいて何をさせられているのかを正確に認識し,無体なことは異議申し立てをしたり反抗したりするための知識は絶対に必要なんだよなぁ。
・・・とまぁ,コンパクトな新書であるが,読むとワシの知らない「事実」がいっぱい出てきて,目から鱗が落ちること落ちること。あ~,やっぱりこういうものはWikipediaには分量からして全部の掲載は無理だし,何より流れるように腑に落ちる文章は「みんなのWikipedia」には所詮無理だよなぁ・・・ということを再確認させられる。ロートル親父なワシではあるが,まだ当分は,「ちゃんと勉強したいなら本を読め!」と主張していかねばならんのだなぁ・・・と再確認させられた次第である。