「月刊Comic リュウ 2009年11月号(Vol.37)」徳間書店

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 安永航一郎から「3号雑誌」などと揶揄されながら,とうとう3周年を迎えたComicリュウ。安永先生の連載「青空にとおく酒浸り」もいい加減,単行本化してくれないんですかね? まさか3年も続くなんて思ってなかったとか? いや,まったくあの行き当たりばったりとしか思えない,女の裸を描くのが目的としか思えないストーリー展開はワシ,大好きなんで,是非まとめて欲しいんですが・・・。しかし安永先生,原稿料だけでメシ食っていけるとも思えないんだけど,どうやって生活しているのか知らん?
 それはともかく,2周年記念に続いて,3周年もこうして無事迎えられて嬉しい。まぁ,購買層が「SF」という言葉に反応する三十路後半から四十代まで,主としてオタク崩れのオッサン連中に限られているらしいっていう,将来性に関する暗雲は垂れ込めてますが,ね。とりあえずは潰れずに続いていることを喜んでおきたいのである。でないと4年目は・・・いや,イヤな連想はよそう。確かに,Comicリュウ独自ドメインのサイト(comicryu.com)が消滅して徳間書店サイトに移行しちゃったことは経費節減の一環とも取れるし,雑誌本体の価格が580円→780円→630円と高止まりしていることに,愛読者としては一抹の不安を覚えるのだが,龍神賞からは有望な新人も育っているし,単行本もボチボチ書店の書棚に少しだが定位置を確保したようだし,も少し長い目で見ていけばそのうち大ヒットも・・・あると期待したいのである。
 とりあえず,目先の楽しみは,あさりよしとお「アステロイド・マイナーズ」が単行本にまとまること。「宇宙」と言えども貧富や能力による「格差」がある身も蓋もない現実味のありすぎる世界を描いているのだが,さりとてSF魂というか純粋な情熱が失われたわけではない,どころか,そんな世界だからこそわき上がってくる「生きる力」ってものを真っ正面から取り上げている力作である。出版の暁には是非ここでも取り上げたいものである。
 だからさ,大野編集長,いろいろうるさいことを言われているんでしょうけど,これがまとまるまで,くたばらないで下さいよ! ・・・と,何だか甚だ意気の上がらないエールではあるけど,ここ静岡の片隅から遅らせて頂く次第であります。
[ 2009-10-20 追記 ] 10/26(月) 「アステロイド・マイナーズ」1巻発売だそうで・・・いや,まだくたばってもらっては困りますぜ。

10/15(木) 掛川・?

 木曜日なのに月曜日講義日。ハッピーマンデーだかなんだか知らないが,おかげで月曜日が潰れてしまって,カレンダー通りだと14回(来年度から15回)の講義がこなせないってんで,やたらに振り替講義日を作らざるを得ないのである。調子が狂うよなぁ,まったく。つーことで今日の講義がヘロヘロだったのはそのせいである(いつものことだが)。
 3年生のゼミで,VMwareの仮想マシン上でWebプログラミングの環境を作って勉強してもらっているのだが,リモート接続ができないマシンがあって焦る。調べてみたら,ポート番号が,通常は902なのが904になっていた。インストール時にどういう訳かずれてしまっていたようだ。/etc/xinetd.d/vmware-authdの設定を直してchkconfig xinetdして事なきを得る。
 実験室では未だにVMware ServerのVer.1系統を使っている。どうもVer.2はWeb接続だの何だのとゴテゴテ付いてきて好きになれない。つーか,環境を作るのがやたらにめんどくさい。インストールしてもうまく動かなかったりして,めんどくさいことこの上ない。来年の2月,卒研終了後にCentOSのアップデートをしなければならんのだが,安全策をとって,暫く古いVer.1系統のものを使うようにしなきゃいかんかなぁ。あーもー,OpenMPIだのApacheだのPHPだのMySQLだのPerlだのVMwareだのと,年を追うごとにセッティングがめんどくさくなって叶わん。昔よりOSのセットアップやアプリケーションの環境構築が複雑になっているから,Windowsならいざ知らず,そうそう若いモンにやってくれとお願いするわけにもいかんよなぁ。
 さて,仕事をボチボチやってぷちめれ書いて風呂入って寝ます。

栗原俊雄「シベリア抑留 未完の悲劇」岩波新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-00-431207-9, \700
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事実関係を調べるにはまずググってみる,というのが今のワシのデフォルト動作である。つまり,「検索バカ」になっちゃっているわけだが,少し有名なものであれば,たいがいWikipediaの記事がトップに引っかかってくる。で,じっくり読んだりちらりと一瞥を食らわせたりするのだが,最近はほとんど必要なところだけピックアップしておしまいになる。ことに長めの記事は全文読んでいると頭がくらくらしてくる。ワシの貧弱な日本語解読能力が更に破壊されそうになるのである。
これは,普段からまともな日本語を読み書きしていない学生の長文を読むよりたちが悪い。何故なら,学生の文章はダメなりにダメさが一貫しているのに対し,Wikipediaの文章は様々な人間が手を入れたせいだろう,文章の流れが一貫していないことが多いのだ。エディタが介在しているから,文の一つ一つはそこそこマトモなのだが,文同士の繋がりが微妙に噛み合っていないことが多く,じっくり読んでいると船酔いになったような気持ち悪さに見舞われてしまうのである。
この「気持ち悪さ」は,ワシが本を読んで知識を得て育ってきたという経験から来るものなんだろう。最初から断片的な知識をつまみ食いするように育ってきたのであれば,Wikipediaのぶっち切れ文体はかえって吸収が早いのかもしれない。その意味ではワシは完全にオールドスタイルの人間なのだ。ま,四十路ですからもう若くないですけどねぇ~だ。
そんなロートルであるから,今でもやっぱりまとまった知識を得たいときには,新書だの文庫だの単行本だのといった,旧態依然とした「本」に頼ってしまう。もちろん,対談本のようなものは別として,読みやすさでは単著がベストである。文章の「流れ具合」は一貫していることが望ましいからである。
つーことで,おざわゆきのシベリア抑留マンガの感想を書いてから,そもそも何故そんなことが起こったのか,という疑問に答えてくれる本を探していた時に見つけたのが本書である。もちろん,過去には様々な本が出版されていて,おざわの同人誌にも参考文献リストが載っているぐらいだから,そんなかからピックアップしてよさげなものを読めばいいのだが,何せほら,根がズボラだから,なるべく薄くてコンパクトで読みやすいものがいいな~,できれば抑留体験者の書いたものより,第三者の視点からまとめたものがいいな~・・・なとどわがままぶっこいていたところに本書がグッドタイミングで出版されたのである。本文が211ページしかなく,新聞記者の著者が書いたものだから,大変読みやすい。ワシとほぼ同年配の著者であるから,怨念でドロドロになった記述は皆無で,抑留の発端から,抑留体験と引き上げ後の悲劇,そして現在まだ日本国相手の裁判が続行中であることまで,時系列的に事実が淡々と述べられている。「岩波ぃ~? ど~せ左翼的偏向しているんでしょ?」という人にもお勧めできる中立的な内容である。
ワシが知りたかったのは,シベリア抑留の「そもそも論」である。ことにソビエト連邦側の言い分が知りたかったのだ。
まず,日本との中立条約を破って対戦末期に満州に攻め込んできたことは,まぁ日本側としては卑怯千万と批判することは当然だが,ナチスドイツ・ファシストイタリアと三国同盟を組んでいて,ドイツが降伏しても中立を守ってくれるなどと期待すること自体が間違いであろう。それ以前に,ソビエト革命の際には日本によるシベリア出兵があったことをソ連は忘れていなかった,どころか,「ソ連にとってもっとも苦しい時期に干渉戦争をいどんだ日本への恨みは,深く残っていた」(P.28)と栗原は指摘している。
更に,第2次大戦において最も死者数が多かったのがソ連であったことが,シベリア抑留の直接的な原因となったことも述べられている。失った3千万人もの労働力を補う目的で,日本人64万人も含めて24カ国,417万人もの戦争捕虜を「活用」したのである。これはポツダム会談でチャーチルに対し,スターリンが捕虜を活用して生産を上げればいいと言い放った(P.35)ことで裏付けられている。まぁ独裁者なら考えそうなことだ。しかしドイツ人は238万人も捕虜になってたんだなぁ・・・そう考えると,日本で声高に被害を述べ立てるだけでなく,ドイツも含めた被害国との連携も必要なんじゃないかと思えてならない。
本書では,国際法も持ち出して堂々としていたドイツ人捕虜に比べて日本人捕虜は従順だったということも,使い勝手のいい労働力としてこき使われた原因ではないかと指摘している。全く,東条英機の「戦場訓」なんぞ,負けてしまえば何の役にも立たないばかりか,害悪にしかなっていないことがよく分ろうというものである。東海村の臨界事故でもそうだけど,末端の兵隊だから知識が不要ってことはなく,むしろ自分の身を守るための手段として,今自分がどういう立場にいて何をさせられているのかを正確に認識し,無体なことは異議申し立てをしたり反抗したりするための知識は絶対に必要なんだよなぁ。
・・・とまぁ,コンパクトな新書であるが,読むとワシの知らない「事実」がいっぱい出てきて,目から鱗が落ちること落ちること。あ~,やっぱりこういうものはWikipediaには分量からして全部の掲載は無理だし,何より流れるように腑に落ちる文章は「みんなのWikipedia」には所詮無理だよなぁ・・・ということを再確認させられる。ロートル親父なワシではあるが,まだ当分は,「ちゃんと勉強したいなら本を読め!」と主張していかねばならんのだなぁ・・・と再確認させられた次第である。

10/14(水) 掛川・?

 何か,暑いんだか寒いんだか微妙な気温。日中は25度を超えてたんじゃないのかな? 秋使用の服装だと汗ばむ感じ。
 尻切れトンボ論文の件,制限ページ数を超過していたため,編集委員側で超過ページ分を削除したとのこと。うは~,残酷ぅ~・・・つーより,これって査読する方にしてみても時間の無駄以外の何者でもない。肝心の部分がバッサリ削除されているんだから,それしか読めないワシにしてみりゃ「未完成稿」として処理するほかなく,reject以外の選択はあり得ない。だったらそんなもん,査読する以前に編集委員から不受理を著者に言い渡せばいいこと。もしくは著者に「削除するが良いのだな?」と確認すべき。どっちにしても査読してくれと要求する方がどうかしている。・・・という編集委員会への意見を散々書きまくって査読報告完了。最短記録ですな。しかし,こんな原稿寄越すようなら,査読者のなり手がいなくなるんじゃないのか? まぁ,偉いさんじゃないからどーでもいいけどさ~。ま,ともかくこの件はこれにて落着。
 へ~,教員免許更新講習廃止の代わりに,免許取得には修士修了が必須になるのか(読売新聞)。教職単位がどういう構成になるのかは今後の議論に委ねるんだろうけど,専門教育+α程度で院生が教職免許を取れるようになるなら,免許保持者の専門性が上がるんで歓迎なんだけど,教職専門科目が増えるだけなら,教職課程維持のために大学教員の増員が必要になるわけで,私学から反発を食らいそうだな。落としどころがどの辺に落ち着くのかが見物である。
 それよか,現在免許更新講座のために総動員させられている教育関係の方々が気の毒。今夏議論が始まっちゃうと,真面目に受講しようなんて人がどれだけいるんだか。いや,そもそも受講者がどんだけ集まるんだか・・・ああ,悲劇である。
 M$謹製のウィルス対策ソフト「Microsoft Security Essentials」が出たので,ワシの周囲のWindowsマシンにドカドカインストールしまくっている。
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 Windowsライセンス保持者ならタダでインストールできるし,長く使えそうだし,なにより動作が軽快なのがいいな。つーことで,Avastとかウィルスバスターとかがドンドンアンインストールされる羽目に。まぁしょうがないよね。更新作業もめんどくさいし,何より有料ではワシみたいな貧乏人にはお話にならんからね。
 さて,Webプログラミング教材を作って風呂入って寝ます。

佐野眞一「完本 カリスマ 中内㓛とダイエーの「戦後」」上巻・下巻・ちくま文庫

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上巻 [ Amazon ] ISBN 978-4-480-42630-7, \1000
下巻 [ Amazon ] ISBN 978-4-480-42631-4, \1000
 分厚い2冊の文庫本によって,ワシの貴重な三日間の連休は完全に潰れてしまった。
 やたらに重複の多いしつこい記述,空想が飛びすぎる部分など,平易かつ簡潔な文体が好みのワシとしてはかなり気になる箇所の多いノンフィクションなのであるが,やっぱりこの著者による「読ませる文体」と,「中内㓛(いさお)」という栄光と挫折を併せ持つカリスマ経営者の魅力に引っ張られて一気に読んでしまったのである。おかげで家事がおろそかになってしまったが,掃除洗濯をほったらかしても読むべき価値があることは間違いないのである。
 1969年生まれのワシにとっては1980年代の「ダイエー」という店は取り立てて特徴のあるショッピングセンターではなかった。こぎれいだし,品揃えはそこそこだし,近場にあれば立ち寄るぐらいはする,という程度の存在であった。本書の上巻で述べられている破竹の勢いで,松下電器や花王という大メーカーと喧嘩しながら,当時日本一の売上高だった三越を抜くまでに成長した栄光なぞ知るはずもなく,「垢抜けない小売店」という程度の印象しかない。しかも,その後のダイエーは転落の一途を辿り,2004年10月13日,産業再生機構による支援を仰ぐに至る訳だが,その過程では「サンデープロジェクト」に再建を託された経営陣が登場して田原総一朗をはじめとする出演者から励まされたりしていたのを見物させられ,特段愛着もない小売店の行く末にさして興味もないワシは心底うんざりしていたのである。
 「一体全体何が問題なんだ? あの中内って言うだみ声の親父のワンマン拡大路線が原因だってんなら,親父ごと葬っちゃえばいいじゃねーか」というのが,ダイエー再建問題についてのワシの感想であった。だもんで,当時のダイエー社長が報道陣にもみくちゃにされながら経済産業省で産業再生機構入りを表明しているニュース映像を見ても,「やっと決着したか,やれやれ」と思っただけなのである。
 実際,本書で語られているダイエー末期の状態は相当ひどかったようだ。粉飾とまではいかないが,グループ企業内で株のやりとりを頻繁に行うことで目くらましをして何とかしのいでいたものの,ちゃんと計量してみれば,ピーク時には2兆6千億円もの借金を抱えていたという。破綻した夕張市の借金が約600億円であることを考えると,途方もない金額である。1980年代半ばから改革の努力を行っていたとはいえ,そんな借金を抱えつつ,産業再生機構入りするまで十数年間もよく持ったモンである。
 これだけの借金を抱えたのはひとえにダイエー創業者・中内㓛の「ワンマン体制」そして「拡大路線」が原因である。
 ワンマン体制は徹底している。自分の後継者にと息子や女婿を取締役に配置し,周囲を全てイエスマンで固め,自分のプライベートカンパニーを次々に作っては潰したり合併したりしてダイエーの株式持ち分をしっかり保持する。80年代にV時回復を果たしたスカウト社長は放り出すようにして遠ざけ,次に連れてきた社長にはインサイダー疑惑をおっかぶせて放逐する。結局,再生機構入りするまで,CEOは辞任しても「ファウンダー(創業者)」という地位を維持してにらみをきかし続けるのである。うっとうしいことこの上ない。確か,「サンデープロジェクト」でも,中内の影響力が残ったままで再建は可能なのか?という質問が出ていたが,その疑問を裏付けるうように,最後は国家が中内を追放し,彼の私有財産を根こそぎ取り上げる形で再建を目指すことになってしまったのである。
 拡大路線については,ワシら中年以上の世代にはかなり明瞭な記憶が残っているはずだ。リクルート,ヤオハンジャパン(の静岡地区の店舗)を買収し,とうとう南海電鉄からプロ野球球団まで引き受け,ホテルやドーム球場までセットにして福岡ダイエーホークスを設立する。たしか先頃引退した「あぶさん」にも,ホークスのジャンパーを着込んだ中内が登場していたと記憶するが,本書によれば,実際,あのようなジャンパーを好奇心からか喜んで着ていたらしい。
 ってなわけで,ワンマン創業社長の転落の表層的な原因は火を見るより明らかである。しかし,この転落の根本には,そもそも破竹の勢いでダイエーを日本一の小売店にした原動力も絡んでいる。良くも悪くも,ワンマン体質を生んだ人間不信と,拡大路線を突っ走る情熱を中内に受け付けたのは,第2次世界大戦中,中内がフィリピンで体験した飢餓線上での敗走にあるという。食料が尽き,死んだ兵隊から靴を奪っては履き替え,自分の靴を食って飢えを凌いだというほどの凄惨なものだったらしい。そのせいで中内は総入れ歯になってしまうのだが,そんなことはたいしたことではない。問題は,仲間に殺されて「食われる」危険を感じながらの敗走を経験したことにより,極度の人間不信と,生き残ったことで戦死した仲間に対する抜きがたい罪悪感を抱えてしまったことにある。復員した中内は,級友の記憶に残らないほどおとなしかった戦前とは打って変わって,エネルギッシュに戦後のヤミ市をかけずり回って商いに励むようになったものの,ダイエーが大きくなるにつれて兄弟間の確執が増し,ついには自分を支えてくれた弟も放逐,前述したように,自分の失敗をフォローしてくれるようになった近習も,三越・岡田社長のように寝首をかかれるかと恐れてドンドン外部に出してしまうようになる。信頼できるのは自分の子供だけ。それも,ビジネスにかまけてろくにかまってやれなかったという負い目から思いっきり甘やかしてしまい,ハイパーマートのような大失敗を引き起こしてしまうのである。
 そんな中内だが,著者の佐野眞一は,取材するうちにその光と影を抱えた巨大な人物の魅力,いや,魔力に惹かれたかのように,中内周辺の取材を綿密に重ねていく。決して紋切り型の断罪はしない,中内の成功も失敗も丸ごと納得できる論証を突き詰めてやろう,そんな意気込みが感じられる本作は,佐野が生きてきた「戦後」を噛みしめ,理解するためのライフワークの一環として編まれたものなのである。