11/5(水) 掛川->浜松->掛川・?

 晴れてたよーな,曇っていたよーな。ちょっと気温は下がり気味。講義中も汗はかかなくなってきたな。
 Flash PlayerをAdobeからの指示に従ってupdateかけたらJR東海のWebでこんな表示が出るようになってしまった。
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 最新版にしたからこうなったんだがな。まあ見られなくても支障はないけどね。
救いようがない知財本部の報告書に怒りを(日経新聞)
 おー,頭に血が上ってますなぁ。まあ「ネット側に肩入れ」しているワシとしては評価すべき内容ってこってすな。

 へっ,コンテンツホルダーとそいつらに集るアリどもが,
 ざまぁwwww!!!!!

と叫びたい気分でありますよ。
 しかしここまで怒るんなら,コンテンツホルダー側が,角川書店やJASRACがニコ動やYouTubeと正式契約したり,手塚プロがネット上でコンテンツ公開したりする動きを封殺できなかった無力さに思い至るべきだよなぁ。収入欲しさに「著作権無法地帯」として成長してきたサービスを自ら認めちゃった上に,「既存の流通経路は確保しておきたいからネットに対する法律の縛りをきつくしろ」って主張をするのはあまりにも都合良すぎ。小室事件で著作権商売の印象が悪化している現状では,世間の支持は得られそうもない主張だよなぁ。それでも世評に逆らって怒りをぶちまけているのは,皮肉を抜きにしても尊敬に値する。が,受け入れるなよ>知財戦略本部
 してみれば,YouTube→ニコ動が開いちまったパンドラの箱から飛び出たモノの影響って相当なモンだったってことだよなぁ。原爆が開発されて核の時代がやってきたように,著作権って奴もthe Internetに解き放たれて,「使ってもらってナンボ」の時代がやってきたってことか。
 久世番子さんの全プレ特典が届いた。
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 裏表紙には
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なんて表示も。新書館刊行の同人誌だな。うーむ,オマケにしては書き下ろしが多くてナイスです(古)。
 さて査読レポートだが・・・うーむ,微妙な内容だなぁ。参考文献を引っ張ってきて勉強しながら読んでいるのだが,新規性については?だけど,役には立つかなぁ,大体まだこの内容だと研究途中結果報告って感じなんだが。元のアルゴリズムの精神を生かしてないし・・・うーん・・・明日一日読み込んで結論を出すことにしよう。
 しかし人の論文を読んでケチ付けるってのは「人のふり見て我がふり直す」ことが多くて面白い。そっかー,こーゆー形式で書くとマズイよなぁ,とか,あ,これは使えそうとか,考えるところ多し。
 小室哲哉のTMネットワーク時代に思いを馳せつつ(好きだったんだよー),小浜大統領の手腕に期待しつつ,つらつらやって寝ることにします。来週後半は京都で内職の日々を過ごす予定。

立川談志・吉川潮(聞き手)「人生、成り行き -談志一代記-」新潮社

[ Amazon ] ISBN 978-4-10-306941-6, \1400
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 ワシは談志にとってはいい客であった試しがない。ライブで本人の落語を聞く機会があったのは2回,一度目は「五人回し」,二度目は独演会にてジョーク集と「らくだ」・・・だったのだが,どちらも最後は本人による自作解説みたいなものがオマケについていて,容易に幕が下りなかった。噺が終わっても今の自分の落語についてあれこれと「批評」するのである。
 正直言って興ざめした。噺自体は,さすが長年名人と言われてきただけあって面白いと思ったし,客席も湧いていたのだが,ワシにしてみれば「てめぇの落語を聞きに来たのであって,評論家の講釈を聞きに来たんじゃない!」という気分もあるのだ。もちろん,この「批評」も含めて談志の全てを愛して止まない熱烈なファンが多いことは承知している。しているが,まあワシみたいな普通の話芸を楽しみたい「二流の客」にとっては,芸術を目指そうというなら金取るな,黙って普通に楽しませろ,という気分にもなろうというものである。以来,ワシは談志の落語を聞きたいと思ったことはないし,多分,この先も自分から積極的に聞きに行くことはないだろう。高いチケットの割には外れが多い,と言われるのも頷ける。
 しかし純粋に批評を批評として取り出してみれば,結構真っ当なことを言っているのだ。「落語は人間の業の肯定である」から「落語はイリュージョンである」,その他もろもろの社会時評,人物批評・・・ふん,なるほど,と思わせる箴言が七割ぐらいは入っているのだ。してみれば,落語より対談鼎談のたぐいの方が,今の談志の強みが生かせるのだろう。MXテレビで今年(二〇〇八年)の八月まで放映していた野末陳平との番組が中断しているのが惜しまれる。ま,ノドの調子が相当悪化していたのでやむを得まい。十分治療してから出直して欲しいものである。声があれだけしゃがれていると相当聞きづらい上に痛々しくて気の毒になってくる。「悪童」として名を馳せてきた談志にとって,人様の同情を買うってのは不名誉なことこの上ないだろうしなぁ。
 そんな悪童・談志の人生が本人の語りによってコンパクトにまとめられたのが本書である。立川流顧問作家・吉川潮が語りをリードしているせいもあってか,人生の履歴が時系列に沿って並べられており,至極読みやすい。談志自身の文章だと,昔はともかく近年のモノは特に毀誉褒貶が激しくて落語同様,普通の平易な文章を好むワシみたいな「二流の読者」にとっては至極付き合いづらいものとなる。晦渋なところが全くない本書は,談志自身による「あとがき」を除いて,至極常識的な文章で綴られているのである。
 しかし語られている人生そのものは波瀾万丈,とゆーか,本人自身が平穏無事でない道を突き進みたがるせいもあって,五代目・柳家小さんに入門してからの歩みは相当乱暴である。本業の落語のみならず,キャバレーの余興で天下を取り,勃興しはじめたテレビに進出し,余勢を駆って衆議院議員選挙に出て落選,次に出た参議委員選挙では何とか全国区で最下位当選を果たすも,沖縄開発庁政務次官を辞任するハメとなって国会議員は一期で廃業,落語に専念するかと思いきや,六代目・三遊亭圓生にくっついて落語協会を飛び出しすぐに出戻り。その後,真打昇進試験でのゴタゴタが起こると再び飛び出して立川流を創設,志の輔,志らく,談春を初めとする優秀な後継者を育て上げるに至るのだ。まあ乱暴という他ない人生である。
 一貫していたのは,本職を噺家と規定し,国会議員の在任中も寄席に出続けていたことだ。普通なら廃業するか,徐々に落語界からフェードアウトしていくか,タレントに転業したりするのだろうが,小さん譲りの古典落語を語る仕事は絶対に手放さなかったのだ。しれみれば,かような波瀾万丈な歩みの全ては落語のための人生修行ということだったのか,と思えてくる。
 そんなに落語を極めたいなら,余計な批評なぞ交えずにフツーに名人路線を目指せばいいのに・・・というのは,多分,立川談志の芸術指向を理解できない一般人の戯言に過ぎないのだ。記者会見を乗り切るためにアルコールに頼って政務次官をしくじるぐらい,実は胆力というか度胸のない臆病者の癖に(威勢はいいけど腕ずくの喧嘩も出来ないらしい),自分の野心に忠実に行動し,近視眼的にはバカみたいな失敗を繰り返すけど,大観すれば落語界のみならず日本の文化全体にかなりの良い影響を残してきたのだ。もし行動を起こしていなければ,今以上に鬱屈を抱えていた可能性も高い。やりたいようにやってきて,自分が育ててきた芸人としてのDNAも弟子に継承されているのだから,まあそんなに悪い人生ではなかったと言えるんじゃなかろうか。
 落語はともかく,もう少しの間,この談志という人物の吐く言葉を聞いていたいような気分にさせてくれるのが本書なのである。まだ「談志が死んだ」となるまで時間はあるようだから,それまでに目を通しておいて損はない。落語は・・・ま,聞く人間を選ぶので,あまりお勧めはしないでおく。

10/31(金) 東京->掛川・曇

 定宿でない菊川のホテルで起床。設備は多少ボロっちぃが,ベッドは大きいし,菊川駅からは近いし(徒歩1分),まあワシには十分かな。今回は直前に予約を取ったので定宿は全部蹴られてここになったという次第。一応東京の定宿に加えておくか。
 昨日からMySQLカンファレンスに来ている。
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 全く有休だってのにこんなのに自腹切って(参加費はタダだが)新幹線乗って来るワシってホント偉いわ。
 場所が東京駅日本橋口直結のビル。ワシみたいに新幹線ユーザには大変使いやすい場所。
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 会場は大盛況で,ワシが参加したセミナーは全部満席であった。
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 ソフトウェア関係のカンファレンスって,特にOpen Source系だとワシみたいにGパンのニーちゃん(ワシは既にニーちゃんではないが)ばっかという印象があったが,この会場ではかなり少数派。ほとんどがダークスーツをビシッと着こなした若い勤勉(そう)なサラリーマンだった。むー,SUNが買収したってこともあるんだろうけど,RDBMSの用途ってのがかなりふつーのビジネスの現場で浸透してるってことなんだろうな。
 色々勉強になったが,個人的に面白かったのはAmebloさんCocolog(@nifty)さんのMigrationのお話。どちらも別のRDBMS(OracleとかPostgreSQLとか)からMySQLへのコンバートをした時の苦労話とか技術的な詳細のお話しで,非常に為になった。まー,MovabletypeがVersion 4になってからRDBMS必須となった理由も分かるよな。こうして全てのデジタルデータはRDBMS(MySQLも含めた)へ吸い込まれていくのだなぁ。
 ついでに休み時間を利用して神保町をぶらついて森毅の旧本を入手。詳細は後ほど。あ,パチモン買うの忘れた。
 他にもいろいろ新刊本を入手したので,それについても追々ご紹介していきます。今年の年末は赤軍派特集になったりして。
 富士山はまだ冠雪しておりませんでした。
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 冬はまだ遠い・・・かな?
 明日も速いのでもう風呂に入ったら早々に寝ます。

10/29(水) 掛川->浜松->掛川・?

 朝晩の冷え込みは更にきつくなってきたが,日中の暖かさは変わらず。明日から東京行きなのだが,さて,薄手のセーターでも持っていくべきか。
 なんか某フライデイチャイナタウンオバサンの言動がエライことになっている(日刊スポーツ)ようだが,やっぱり更年期障害なんじゃないのかなぁ。内部事情を知っているらしい唐沢さんの日記によると,いろいろ引き金になる出来事はあったようだが・・・。ワシみたいにちやほやされたことのない人間には理解不能な心情も湧いているんでしょうな。まー,海老名家の息子二人も大衆人気はあれど,肝心の落語でも人物としてもまだまだ頼りないからなぁ。小朝師匠の大人物ぶりが際立つのみである。ま,他の噺家のマクラのネタにはもってこいだが。
 ねちっこい自意識マンガ家・福満しげゆきの「僕の小規模な生活2」が出たので購入。しかし・・・
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 1巻に比べてやたらに薄い,薄いぞ。さては福満,モーニング編集部にも青林工藝舎同様ねちっこく「単行本出して下さいよ。2巻目を出すなら今ですよ。そのうち僕の小規模なブームはあっという間に去ってしまいますよ。出して下さいよ」とでも要求したのであろうか。まあこの顛末を読みたければ3巻目を待つか,モーニング誌上での連載再開を待つしかしないな。
 しかしこれって「ほのぼのエッセイマンガ」だったのか・・・ワシにとっては胃痛を催しそうな程ストレスフルな心理マンガなのだが。
 風呂入ったので寝ますよ。明日も早いので無理しないのですよ。

栗原裕一郎「<盗作>の文学史 -市場・メディア・著作権-」新曜社

[ Amazon ] ISBN 978-4-7885-1109-5, \3800
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 いや~,久々に頭を抱えながら読まされてしまった。唐沢俊一さんの「新・UFO入門」における「盗用」事件,それに端を発した告発ページやblogの主張は,表層的な点はともかく法律的にはどうなんだろうと疑問に感じて本書を読み始めたのだが・・・読めば読むほどこの<盗作>問題というのはややこしいものだということを痛感するハメになってしまった。本書は500ページ近い大著であるけれど,それはこの「ややこしさ」を資料引用を含めて丁寧に解説しようとすればイヤでもこの分厚さになってしまう,という事実を知らしめているのだ。法律問題には全くの門外漢であるワシが新たに知ったり感心した事柄は後述するとして,何がややこしくさせているかを最初に端的にまとめておくと,次のような事情によるようだ。
1.そもそも,文学(広く書き物も含まれるが)における「盗作問題」と呼ばれる事件は,全く整理されてこなかった。つまり本書以前に体系的な先行文献というものは皆無であり,栗原は資料を一から収集せねばならなかった。従って「この事件の発端はこの類型Aに分類されるのだな」という荒っぽい常識的な判断も不可能な状態であった。
2.「盗作問題」の多くは当事者同士の示談によって収拾されたり,論争に終始したりすることが多く,法廷で争われたケースは案外少ない。結果として法律論としての集積があまりなされず,法律家でも明快な判断が下しづらいようだ。
3.2のような事情も絡んでか,何が「盗作」なのか,どこからどこまでが著作権法で規定されている正当な「引用」なのか,盗用あるいは剽窃になってしまうのか,判断が極めて曖昧である。ほとんど引き写しの文章であるにも関わらず原著作者が何も言わなければ事件にならない,といったこともあるし,あるいは「そこまで文章を細分化して似ているだの何だの言ったらキリがないだろう」という度の過ぎた(と思われる)訴えもあり,これに感情論や出版社・放送局のビジネスの問題も絡んでくると,純粋に文芸的かつ法律的な「盗作問題」の定義は,第三者的に決められるモノではない,と思えてくる。
 本書で大きくページを割いて取り上げられている事件のうち,純粋な著作権上の,特に翻案権が侵されたかどうか,という点が争われたのは第六章・2「山口玲子「女優貞奴」とNHK大河ドラマ「春の波涛」」だが,これは担当した裁判官が「どう判断してよいかさっぱり分かりません」(P.358)とぶちまけるぐらい判断が難しいものだったようだ。最終的には最高裁までもつれ込む事件となるのだが,結局はNHK側の怜悧な弁護士の構造主義的法律解釈と小森陽一の論述によって,NHK側の全面勝訴となる。山口は自分の著作がそのままドラマ内で使われていると主張したが,その部分も「資料として活用されたに過ぎない」(P.370)と判断され,創作性は認められなかった訳だ。この場合,山口の著作が川上貞奴という実在の人物を追ったドキュメンタリーだったために,「事実」に創作性があるとは言えないという,ちょっと気の毒ではないかなぁという判決になってしまっている。
 純粋な文芸作品として執筆された作品中に,資料として用いた文献の文章と酷似した箇所がある,という「盗作事件」は本書でも多数示されているが,上記の事件のように,「事実」である場合は「盗作」と主張しても認められないケースが多いようである。
 ・・・となると,こりゃぁ,難しい話だなぁ,ということがご理解頂けると思う。パクリだ泥棒だと主張するのはたやすい。ことに盗んだ・盗まれた当事者でない第三者がヤイノヤイノ騒ぐのは簡単である。本書でも読者からのクレームによって発覚した事件が幾つか紹介されているから,著作権に関する意識は戦前よりも格段に高まっているのだろう。しかしながらそれが純粋に法律的に問題か?となると,個別の事例を詳細に調べていかないと何とも言えないのだ。しかもそれが実際の事件に関する文章だとすると,「引用文献の明示がないのは失礼だ」という文句のレベルで片づけられてしまう可能性が高いように思われる。創作態度が気に入らないとか安易だとかといった主張は感情論で終始してしまうのがオチだ。著作権違反だと言うのなら法廷闘争に持ち込んで恐ろしく手間のかかる手続きを経ないと決着が付かない上に,大した事件でなければ示談でオシマイなる可能性が高い。
 かくして<盗作>問題は,法律的な蓄積がナカナカ増えないまま,感情論とビジネスと世評のうねりの中でダイナミックに漂い続けるほかない丸太のようなモンなのである。普通に生活している分には,「あ,あの辺で丸太が流れているね」で終りだが,いざ自分が巻き込まれてしまうと振り回したつもりの丸太が一回転して自分の後頭部をかち割ってしまいかねないのだ。そう,NHKに喧嘩を売った山口が全面敗訴したように・・・。
 栗原はそんな危険な丸太をかき寄せて何とか一体の筏に仕上げることに成功した。が,思いのほか丸太の数は多かったようで,ふん縛って492ページにまとめるまで2年を要したという。無理もない。しかし労作にありがちの晦渋な文章は皆無で至極読みやすいし,当然のことながら「引用」の方法や「参考文献」の提示は著作権的に完璧である。「そっか,こういう風に書けば問題ないんだな」というお手本としてもお役に立つ一冊,法律家の書いた著作権本より,実際の事件がどのようなものでどういう経過を辿るのかを知るには現時点で最高の本であることは間違いない。誰だって著作権者になり,同時に著作権を踏み越えてしまいかねない時代なのであるからして,一度は目を通しておいて損はしないと断言しておく。