毎週土曜日は掃除洗濯買い物デイ。ここでやっておかないと,次週の生活が立ちゆかないので真剣に行う・・・が,曇ってきたな。久々に洗濯物を外干ししたのに,これじゃ間違いなくGパンが乾かないぞ。うーん,困った。やっぱり馬鹿でかくても日当たりの良い部屋にしておくべきだったか・・・後悔先に立たずの典型ですな。
買い物を土曜日にまとめるのは,ポイント3倍(5倍の時もあり)デイだから。おかげでこんなに溜まりましたよあなた↓。
今月は大変家計が苦しい月なので(給料日まで2万円で過ごせるか?),大変助かります。これでコメぐらいは何とか賄えそう・・・学生時代より生活悪化してないか?>ワシ
気になるニュースを幾つか列挙してみよう。まずは「ガ島流ネット社会学」の記事から。・・・読んだ? では続けます。
口コミマーケティング,ねぇ。そーいや,書評で著名なαbloggerさんとこには,いっぱい献本が来るそーで。ワシなんかは人がいいので,献本して頂いたものに対して悪口を言いづらいと感じてしまうのだが,その辺とこどーなんでしょうね? 基本的に,売れているモノに対する世間の意見ってのは,最初肯定,次第にジェラ心の発露とか,長く付き合って初めて判明する欠点とかが目立ってくるのが普通。情報操作のない忌憚のない意見ってのはどうやったら見分けられるんだろう?
ふーん,「ゴミ発電施設「失敗」」(朝日新聞),か。大学発ベンチャーの不祥事っぽい事件みたいだけど,どーなんだろーなー? まあ一般論は前に書いた通りで,これについては研究者個人が責任を取れば済む話のようなので,裁判の結果で判断すればいいよね。
朝日新聞の記事。全国がんセンターの5年生存率だそうで。
これ,5年生存率って奴をどう解釈するかによって,見方が真っ二つに分かれるよね。ワシががんになったら,逆に生存率の低い病院をまず真っ先にチェックするんじゃないかな。だって,余命いくばくもない人が集まってくる病院ってのは,終末期医療もきちんとやってくれそうじゃない?
「博士が100にんいるむら」をググると2番目にあったblog記事。いいこと書いてありますね。そこからリンクのあった記事も含めて,異論全くなし。「自分の学歴が低くて・・・」とグチグチ悩んでいる奴に,このプリントアウトを渡して,「気合い入れて生きて行かんかい!」と言ってやりたくなりますねぇ。
まだワシが甘ちゃんのバブル大学生だった頃,生協にいた叔父にアルバイトの口を求めたら,当然の如く断られたわけだが,その際,店舗で求められる人材はこうして見分けていると教えてくれた。「子持ちの未亡人,これは絶対に働く! 間違いなし!」と,おじは断言していたのであったが,この時ワシは,そうか,学歴を全く参照しない評価システムもあるんだ,と知らされたのであった。世の中,色々な価値観があるのよ。ホント。
ボチボチ過ごします。
カラスヤサトシ「おのぼり物語」竹書房
[ Amazon ] ISBN 978-4-8124-6873-9, \562
上京,という言葉を聞くと,条件反射的に胸の奥がちくりと痛む。
関東一円を「東京」と呼び慣わしてしまう程度に日本の首都から離れた地域に住む青二才が,「東京」に単身乗り込む理由は,就職だったり進学だったり,単なる親や故郷からの遁走だったりするが,さて,それから十数年経った後,「上京」という言葉に彼ら彼女らは一体何を感じるのだろうか?
サイバラの「上京ものがたり」,そしてカラスヤサトシの「おのぼり物語」は,多分,ちくりと痛むタイプの人間にしか描けないマンガだ。そして,整った絵を指向するマンガ家には描けない,自分の絵の下手さ加減を熟知し,結果として「やるせなさ」を抱えてしまっているマンガ家にしか描けないマンガなのだ。
カラスサトシを知ったのは月刊アフタヌーンの余白四コママンガである。そしてカラスヤがブレーク(という程ではないか?)するきっかけとなったのも,この余白マンガの持つ面白さであった。そこには「ダメダメな自分を笑って下さい」という,日本のエッセイマンガのステレオタイプを土台としつつも,自分独自の視点で些細なおかしみを提示するという,大受けはしないが時々気になるものが育っていったのである。その証拠に,カラスヤ以外にも多くの新人マンガ家が余白を埋めていたにも関わらず,次第にカラスヤの四コマが増殖していき,とうとう本誌本文の数ページを占拠するまでに成長(増長?),ついには単行本が出るに至ったのだ(2008年10月現在3巻も!)。それでいて絵の方は全然上達せず,カラスヤ独特の,へろへろな線で描かれた、愛想がこわばったような笑顔は本書においても変わっていない。しかしそれ故に,カラスヤのマンガからは遠藤淑子にも通じる叙情が醸し出されるようになっているのだ。
29歳,殆どフリーター状態のカラスヤが単身,大阪から東京へ乗り込んだのは,マンガ家になるためだった。その目的は,「カラスヤさんはこの先どんどん忙しくなりますよ」(P.132)という編集者の言葉で一応達成されたことが本書で示されている。それから殆ど間をおかず,生乾きのみっともなさを本人に執筆させ,一冊の単行本にまとめた竹書房の桐さんの慧眼はさすがである。恐らく,ワシのように「上京」→「チクリ」と来るタイプのオジサン・オバサン達に,本書は大いなる共感を持って迎えられるであろう。
サイバラの「上京ものがたり」は芸術的なまでに切なさを伴った一級品である。本書はもっとマイルドな二級品の切なさが詰まっているが故に,サイバラのものよりずっと広範囲に受け入れられる可能性を持っている・・・とワシは睨んでいるのだが,果たして竹書房は小学館以上の営業シフトを組んでいるのだろうか? 売れ行きが悪かったら,それはカラスヤのせいではない。あくまで営業努力の足りなさが原因と,ワシは断言しちゃうのである。
10/2(木) 掛川・?
おお,もう10月になってしもた。総選挙は来月・・・と思いきや,先延ばしという観測も出ている。年の瀬が近づく前に片付いて欲しいモノ。そしてサッサと消費税率を,何パーセントでもいいから引き上げて欲しい。道路とダムへの公共投資はもう一部の土建業者以外,誰も望んでないし,年金と介護と医療と子育て支援には金が必要なんだから,累進税率を元に戻して金持ちから直接税をガバとぶんどれないなら,もう広く薄く取るしかない。さっさと決着を付けて欲しいものである。マスコミとか一部の野党が騒ぐ? そりゃそーだけど,まあ数年の辛抱だぁね。
ん~,ODBC bridgeの件,結局,不安定な接続を騙し騙しして1.5時間もかけてチビチビとデータを落とすことが出来るようになったそうな。根性の賜としか言いようがないが,それにしても・・・メインのデータベースのサポート先がいい加減すぎだぜ。全く。これで年間何万払っているんだか。ま,一応決着が付いて一段落。さーて今度はワシの方のMySQLアプリ開発・・・夏休み以降,全く止まってますがな。うーん,どーしよー(って早くやれよ)。
ふーん,Car Watchなんてのが出来てたんだ。紙媒体の雑誌がダメになっているって状況から,既存の車雑誌のおこぼれ(読者と広告)を拾おうというセコイ魂胆のようにも見える。塚本さんが元気だった頃のインプレスは未来を切り開いていく総合ITメディア企業というイメージがあったのだが,どーも,塚本さんが身を引いてからのインプレスは新鮮さに欠けるなぁ。この先どーしたいんだというビジョンも見えてこないし・・・来年暇があれば株主総会で質問してみよーかしらん?
11月の京都行き,うっかりしていてホテルの予約を忘れていた。慌てて本日捜してみたらどこもいっぱいで,かろうじて五条のビジネスホテルが取れた。もー,紅葉の時期の京都なんて,寺社仏閣じゃなくて人間を見に行くようなモンであって,出かける時期ではないのだ。まー,毎年の恒例行事だからしゃーないっちゃしゃーないのだが。
ついでにイケルかどうかは不明なれど,MySQLのカンファレンスに申し込んでしまう。勉強のためだが,会場が東京駅直結ってのがいいね。
「司法試験合格年3000人の政府計画、法相「目標達成難しい」」(日経新聞) まー,法科大学院が出来る前から,ホントに受講生と教育の質が確保できるかどうか危ぶまれていたからなぁ。それが現実になっただけ。しかし,ホントのところ,法科大学院在学生のうち,何割ぐらいが,法曹家になれるだけの知的レベルを持っているのか?
法務省に本年度の司法試験結果が掲示されている。法科大学院毎の集計表はこれ。へー,合格者ゼロってところもあるんだ。ムリヤリ増やして「博士が100にんいるむら」ならぬ「法曹家が100にんいるむら」みたいなことにならなきゃいいが。
真面目な話,博士でも法曹家でも,数値目標を掲げるのはもうやめた方がいい。博士なら修士レベルで査読論文があるとか,法曹家なら少なくとも基本知識と論文執筆能力があるとか,最低限の水準を,入学時点で求めるべきだ。そもそも博士も弁護士も数いりゃ済むってタチのモンじゃないでしょう?
「素質があれば誰にでも門戸を開くべき」というのは正論だが,未成年ならともかく,成人以上の人間なら,今までの人生の蓄積をもって評価されてしかるべきである。自分で考え,論理的なプレゼンテーションを行うという訓練を20年以上もまともにやってこなかった(できなかった)人を「素質がある」というのは強弁が過ぎる。そのような人には,少なくともアカデミックな仕事は諦めてもらうというのが本当の正論というべきものである。今の日本社会においてはそれ以外に,金銭的にも社会的にもステータスの高い仕事は一杯あるのだからね。
ボチボチやって寝ます。
9/29(月) 掛川・雨
ううっ,一気に冷え込んだ~。この秋初めて車の暖房使っちまったぜ。明日からは上着必須だなぁ。今週末には扇風機も片づけてしまおうっと。
げげっ,また台風15号が台湾付近で進路を東に変えて,日本の太平洋沿岸沿いを進むらしい。この時期ってこんなに迷走しまくってたかなぁ。多分一気に太平洋高気圧が縮んだんだろうなぁ。この冷え込みもそれで説明が付くよね。
「つくばの風力発電機、早大に2億円賠償命令…東京地裁」(読売新聞)
早稲田は控訴するようなので,最終決着はまだ先だろうが,どーも判決を読む限りはかなり早稲田に不利なようだ。ワシは風力発電については全くの素人なので,技術面でのコメントは差し控えたい。以下,一般論のみ述べてみる。
学者の評価項目として,「外部資金獲得」とか「社会貢献」なんてものが重要視されるようになって久しいけど,これは当然,昔々の「象牙の塔に籠もる大学教員」への反動で,今の世の中では一定の合理性がある評価項目である。インテリは世間に役立ってナンボ,というのは,安くない税金がつぎ込まれている以上,当たり前の意見なのである。しかし反面,有能な人ほど,外部資金申請書&報告書を書く仕事に忙殺されてしまうという問題点もあるが,研究資金取得→研究進展→研究発表&マスコミへのアピール→研究への評価アップ→新たな研究資金取得→・・・という一連のサイクルを途切れることなく回すことが,銭金の必要な研究には必須なのである。こーゆー風潮を批判する向きも多いけど,大概は嫉妬だとか自分の無能を棚に上げての言い訳が殆どなので,まああまり真面目に捕らえる必要はない。
その風潮がこのような「事件」を発生させているのだという,ありきたりの批判は,まあ当たっているっちゃ当たっているけど,「自動車の大量生産と普及が地球温暖化の原因なのだ」と言いながら買い物には自家用車を使うオヤジの戯言みたいなモンで,説得力に欠ける。功罪はあれ,科学技術の進展をドライブしたのは,研究資金をもたらす評価システムなのだから,これを全否定するのは筋が違う。せいぜい,「功を焦る気持ちは分かるけど,無茶するのは感心しないな」とやんわり肩を叩くぐらいが現実的な解なのだ。
しかし,国が煽った結果とは言え,より高い社会貢献として「ビジネス」を目指す教員がこれだけ増えてくると,そーゆー輩にはもっと沢山の「肩叩き」が必要なのかな,と思えて仕方ない。大体,「研究」と「ビジネス」ってのは相反するところが多すぎるのだ。ワシの感覚だと,ビジネスで成功できそうな人はあまり研究者には向いていないよーな気がするし,逆もまた真なりで,そうそう研究者がビジネスで成功するとも思えないんだけどな。研究者の評価項目として,社会貢献の一環としてビジネス的成功って奴を重要視するのは理解するけど,向いていない人間が無理して乗り出すシロモノではないよーな気がする。もしやるんなら,「ビジネス」ってのは,失敗が付き物の「研究」とは別物で,失敗して世間に迷惑をかけるよーなことをしでかしたら,大学にいられなくなるぐらいの責任を取る覚悟をした上でやって欲しいモンである。
この風力発電計画を推進したのは早稲田の某研究室らしいが,さて,どの程度の成功の確信があったのか? 何にしろ,損害賠償が科せられるようになったとしたら,早稲田がそれを出すのは筋が違う。研究室の責任者が身銭を切って支払うべきモノである。大学教員には研究の自由があるけど,自由ってのは責任が伴うわけで,研究とは別の次元の「ビジネス」に乗り出して失敗した以上,大学が手をさしのべて救済する必要はなかろう。大学は研究と教育の場であることが本来で,それらは必然的に失敗の確率が高いものだから,その保証は当然しなければならない。が,本来業務ではない「ビジネス」の保証をする必要はないのだ。ビジネスを「評価」するのは,あくまでそれが成功したときに限る。失敗したら見限るだけ。身勝手だけど,そーゆーもんじゃありませんか,大学って所は。
ボチボチやって寝ます。
吾妻ひでお「うつうつひでお日記 その後」角川書店,DVD「らき☆すたOVA」角川書店
[ Amazon ] 「うつうつひでお日記 その後」ISBN 978-4-04-854246-3, \900
[ Amazon ] 「らき☆すたOVA」\5800
×月×日(△)
今年(2008年)に入って,少し鬱気味。最初はいつもの逃避行動かと思っていたのだが,本当にやる気が出ない。といって,危ない行動への衝動があるわけじゃなし,食欲が無いわけでもない(脂っこい物を食べなくなったぐらい)ので,「今年は鬱の年」と割り切って過ごすことにする。そーいや,吾妻ひでおも,アル中から立ち直ったと思ったら鬱になっちゃったんだよなぁ(「うつうつひでお日記」参照)。まあ,それまでの仕事量・稼ぎはダントツに先方が優れているので,比較しちゃ失礼な話ではある。
吾妻さん公式Webページの日記連載,毎月欠かさず読んでいるが,特に励まされるわけでもなし,といって絶望の淵に立たされることもなく,「ただ生きている」という日常が淡々とつづられている。鬱には励まし厳禁,とよく言われるが,具体的にどういう接し方をしたらいいのかは難題だった。そーか,こーゆー読み物を与えるのも手かな,と思った。少なくともワシにとっては薬とはいかないまでも,癒しにはなっている・・・かな?
□月○日(◎)
「らき☆すた」のOVAが9月に出るらしい。公式ホームページに告知が出ていた。かろうじて放送されていたラジオ番組も打ち切られたし,さすがに人気は落ちているだろうが,まだ元気な若者どもの固定客はある程度の量,存在していると見越しての発売か。興味が湧いたので,Amazonの予約ボタンをぽちっとなする。萌えアニメを買うのは,セラムン以来だなぁ~・・・って何年前だよ。
そーいや,「うつうつひでお日記」は,Comic新現実終了後,一時的にコンプティークに掲載されたことがあり,読者サービスも兼ねてか,コンプティーク連載陣の模写のカットが乗っていたりする。当然,らき☆すた原作者・美水かがみさんの模写もあって,茫洋としたみなみちゃんを選択していた。吾妻さんらしいな,と思った。
△月×日(□)
げげ,吾妻ひでおが倒れたか(P.40)。夜中にトイレに入ったら一瞬気絶して倒れたということらしい。幸い精密検査でも問題はなかったようだが,その後,吾妻ひでお死亡説が流れた(P.100)のも,これに尾ひれが付いて拡大されちゃったのかも。よくあるっちゃよくあることだが,「Comic リュウ」で毎回審査員しているんだし,ホントに死んだら大々的に告知されそうなもんである。
吾妻さんは元気です。ちょっとお痩せになったようだけど。
◇月●日(▽)
らき☆すた本編をYouTubeとニコニコ動画にてタダで見てしまった贖罪も兼ねて,角川グループホールディングス(GHD)の株を購入。買った後でアメリカの金融市場がおかしくなり,以来毎日,胃が痛い生活を送るハメになる。せめて配当と株主優待に期待して,自分を慰めるしかない。鬱なのに更に自分を追い込んで(しかも経済的に)どーするよ。
▲月◇日(×)
2社目の株主になる・・・バカだ,俺。ついでに言っておくと,今年中にもう2社の株主になる予定。バカの4乗ですね。いや,サイバラ先生のFX取引ほどではないけどさ。
Amazonから,クレジット情報が無効になっていると通知届く。放置しておくと発売日にらき☆すたOVAが届かなくなってしまう。大変だ!
引っ越した時のままにしていたのが原因だった。慌てて修正。あとは届くのを待つだけだ。
9月26日(金)
「らき☆すた OVA」届く。早速視聴。即感想。
1つ目・・・いつものらき☆すた。さすが原作者がシナリオを書いただけのことはある。
2つ目・・・オンラインゲーム用語,さっぱり理解できず。寄る年波を感じさせられる。
3つ目・・・みっくみっくにしてやんよ。かがみんに萌え~。
4つ目・・・ワシでも再放送しか見てないぞ,このアニメ。
5つ目・・・そうなんですか,そうなんです(年だから許されるよな,この程度は)
6つ目・・・いいのか角川,仮にも売れ筋の軍曹をこんな扱いして。視聴者としては面白いから許すけど,株主としては複雑だ。それにしても,みんな「ビューティフル・ドリーマー」好きだなぁ~。リアルタイムで映画館にて見た世代としては感慨に耽るのみ。
総論・・・次のOVAは・・・なさそな雰囲気。でもワシは出たら買います。あ,でも,株主優待でタダで貰えちゃったりして?
9月27日(土)
いきつけの本屋さんに「うつうつひでお日記 その後」が入ってますか~,と訊くべき所を「うつうつひでお日記DX」(文庫版)といいまつがってしまった。どっちにしろ,両方入荷してなかったからいいんだけどさ。
仕方がないので,ワシが唯一,掛川にてまともな大型書店と認定しているところへ4代目パルサーを駆って乗り付け,オレンジ色でない「うつうつひでお日記 その後」を入手できた。あ,やっぱWeb連載のまとめバージョンなのね。でもバックナンバーは消されちゃうし,資料としても貴重。書き足しもあるし。
改めてじっくり読んでみると,いしかわじゅん以上に辛辣な(=正直な)一言批評が多くて感心させられる。敵味方という区分を付けず,自分がどう思うかだけを綴るってのは,こーゆーことなんだな。故に,当たってると思うこと多し。
今の日本に漂う閉塞感が,吾妻ひでおの状態と重なることが多いってのは単なる偶然なんだろうか。もちろん,ワシの鬱状態は偶然以外の何者でもないのだけれど,この3者のシンクロ鬱状態,もうちっと面白がれないもんかなぁ。「楽しく過ごす鬱」・・・矛盾してますかね? 今の吾妻ひでおの状態はこれに近いモノが感じられるので,ワシも参考にして,日々鬱々と過ごすことにしようと思う。
9月28日(日)
らき☆すたOVAにくっついてきたBGM集(初回販売品限定)を聞きながら,さーて,いい年こいて萌えアニメを見ているというこっぱずかしい状況をどう誤魔化していこうかと思案。あっ,そうだ,萌えの元祖の日記とくっつけて書いちゃえばいいや,と閃く。まぜてしまえば分からない~・・・っと。で,吾妻ひでおを見習って,さらさらと架空日記も混ぜて書いてしまった。さーて,どんくらいフィクションが入っているのでしょうか? もう書いた人間も分からなくなっているのでありました。