11/12(月) 掛川・?

 昨日夜から久々に偏頭痛に襲われる。小学校低学年のガキでもこんなに早く床にはつくまい,という時間に寝たが,丑三つ時に目が覚めた時にもズキズキが取れておらず,バファリンを飲んで再度寝ても全く収まらない。結局,ゼミの間中,不機嫌な顔をしながら過ごし(頭痛でなくても不機嫌だが),うーうーうなりながら遅れに遅れていた論文査読レポートを書き上げてupしたあたりで少しマシになってきた。で,因縁のあるもう一つの論文を印刷して一通り読み,「あ,これは条件付き採録に格下げだな」という瑕疵を見つけたところで頭痛がようやく治まったのであった。風邪かインフルエンザか? まあ土日もアクセク働いたことによるストレスが原因なんだろうけどね。
 しかし,中々一発でacceptって訳にはいきませんな>論文 別段,共著者の一人(not first author)に10MB以上になりそな文句があるせいではないと・・・思う。しかし勉強する必要の多い論文であるから,本格的な査読作業は文献が入手出来てからになるな。つーことで,査読レポートは12月締め切り後になると思います。ごめん>first author様
 あ,Penrynが公開された。4 CPUで最大16PEの並列実行が可能なんだな。これからはますます混合プログラミングが主流になるんだろうが,めんどくささ倍増であるな。専任の並列プログラマを雇わないといかん時代になりつつあるんだなぁ。
 う〜,来週末まで気合いを入れて講演準備をせねばならん。頭痛も治まったようだし,明日から頑張って仕事します。・・・と言いながら,明後日から京都だったりする。間に合うのか?
 あ,予定より早くトップページが40000突破。キリ番はやってません。すいません。そんな金も暇もありませんです。ええ。
 とりあえず今日はもう寝ます。

11/10(土) 大阪->掛川・晴後雨

 研究発表の日。大阪は今日も良い天気である。
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 発表は午後からなので,午前中は講演を聴きつつWireless LANを使い倒す。しかしここでもSSHは使えず。ワシが設定してあるSSH鯖は残らずJPドメインかどうかをチェックするようにしているのだが,ここは杜撰にもFQDNを振っていないのである。IP reachableなホストには残らず名前ぐらい振りましょーよー>阪大サイバーメディアセンターの方々
 午後の講演は早口で内容を詰め込んだため,何とか10分に収まる。質問なんかねーだろーと高をくくっていたら,みゃー先生から的確なご指摘を頂く。どうもありがとうございます。
 3月に学会デビューを果たそうというT君の参考になるような講演にならなかったのが心残り。じゃあ時間があれば完璧な講演ができるんかいというイチャモンに答える義務はないのである。
 みゃー先生のご講演を聴いた後,ダッシュでバスに乗り・・・損ねて17:10発のJR茨木駅行きのに乗る。こりゃー,予約してあった18時京都発のひかりには間に合わねーなと思いつつも,停留所から駅のホームへダッシュすると,17:28発京都行きの普通電車に間に合ったのである。で,息を切らしながらケータイを弄くってみると,これが何と17:55に京都駅に到着する最速の電車であることが判明,またぞろ京都駅でダッシュするハメになるも,きちんと13号車9番E席に腰を落ち着けることが出来たのであった。・・・うう,足が痛い,腰がミシミシ言っている・・・年である。運動不足である。
 20:04に掛川に帰着。着いたら雨。氷雨ではないが,二日留守にしていた部屋は薄ら寒くなっていた。やっぱり灯油,買っておかなきゃダメね。
 へー,筒井御大がライトノベル誌に連載をするとな。「わしはこれからお助け老人になる」(だったかな?)と宣言していたが,さては「ライトノベル誌も伸び悩んでいるんですぅ,助けて下さい」と編集者から泣き付かれたか? まあ御大が書くものは面白いに決まっているけどね。楽しみである。
 ふーん,Intelのデスクトップ向けCPUは来年中に95%がDual-core/Quad-coreになるんだ。Celeronも半分がDual-coreになるんだな。ふつーMulti-core時代がもう到来か。早いなぁ。
 これから風呂に浸かって,ぷちめれを一本上げたら(と思ったけど無理)寝ます。明日も仕事だガンバロウっと。

11/9(金) 掛川->大阪・晴

 ピーカン晴れのいい天気。査読報告を早く遅れという催促が来ているが,すっかり忘れて来てしまったので,作業は日曜日に持ち越し。すいません>担当editor様
 で,大阪である。講演会場の3階にWireless LANが入っていたので使わせて頂く。フンフン,IPアドレスはやっぱり阪大なのね。
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 情報教育研究集会に参加して3年目になるが,一日目から参加したのは今回初めてである。午前中は著作権に関するチュートリアルを受講。分かりやすい内容で,さすが講演になれている人は違うなと感心する。
 来年は九工大が会場になるとのこと。福岡だっけか? 出張旅費をちゃんと確保しておかなくちゃな。
 午後は基調講演だけ聴いたら退散する予定。ん〜,講演準備が済んでしまうときが楽である。
 ホテルでは更新出来ない可能性が高いので,今日はこの辺で。
 と思ったら,LANのある部屋に泊まれた。しかし,Proxy経由での接続のみ。SSHが使えないのは痛いぞ。
 ・・・しかし,出張しているときに限って,返事が必要なメールが次々に届くな。呪われているのか・・・いや,単にワシが外に出まくっているってだけか。
 因縁のある査読依頼が来る。グズグズと色よくない返事をしたら,問答無用で査読者にさせられてしまった。しかしこの論文・・・言いたいことが1MBはあるのだが,まあそれは査読報告書にねっちり書くとして,

> 学位取得に関連があるので、なるべく急いで欲しいとの
> 著者側からの要望が出ている

という点については,「ほほぉう〜(以下128KB削除)」ぐらいのことを言う権利はあるよね? ね?
 つーことで本日はもう風呂入って寝ます。

11/6(火) 掛川・?

 書類書き,一段落。毎年のことながら,スティック糊が劇減りするのは何とかならんか。いや,これこそが文房具屋と結託した文科省の陰謀なのかも知れん。むぅ,やはり官僚政治は打破すべきである。
 Fedora 8がいつの間にやらリリース間近になっていた。インストールに苦労させられた(苦労したのはT君だが)CentOSよりはマシかなと,FC7でも落とそうかと思ってサイトを訪れたら既にFC8がRC3になっていたことに気がついたのである。せっかくだが,もうちっと待ってから落とすことにしようっと。とりあえず,メインマシンとなりつつあるMacBookにBitTorrentだけは入れておくことにする。
 今週末の発表用PPTの下書きを済ます。さてこれからデータ取りでもしますか(今頃かよ)。
 あ,2週間後の発表プログラムが公開されていた。うーむ,30分も喋ることがあるのか?・・・って申し込んでから悩むなよ>ワシ
 つーことで今日はもう寝ます。次の更新は・・・大阪かな。

小谷野敦「リチャード三世は悪人か」NTT出版

[ Amazon ] ISBN 978-4-4167-4, ¥1600
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 日記にも書いたが,「日本の有名一族」「日本売春史」「リチャード三世は悪人か」と,今年の秋は小谷野敦出版ラッシュである。まあ本人は「内田樹ジュ程ではない」と言うかもしれない。しかし,内田先生の方は対談本・エッセイ・講義録が殆どであるから,呼吸するようにblogを書き続け,講義をこなし,気の合う相手と喋っていれば,優秀な編集者の助力の元,次々と本が出るのも不思議ではない。それに対して小谷野先生の本は,資料を自力で集めて読み込んで分析してまとめる,というものであるから,手数が掛かっているという点では内田先生の比ではないだろう。ワシは両先生の書いたもののファンであるが,内田先生はタレント性で売っているのに対し,小谷野先生は,学術論文を執筆するという古典的な意味での学者としての態度を捨てていない,という違いがあり,その両方に魅了を感じているのだが,ワシも一応学者の端くれのつもりでいるので,その職業意識としては,この出版ラッシュの勝負,小谷野敦に軍配を上げたいのである。
 で早速この3冊のぷちめれを,と思ったのだが,正直言って「有名一族」の方はWebにも類似のものがあり,感心しなかったのでパス,「売春史」は年末のエロ特集に取っておく必要があるので先送り。従って,今回は残った一冊,「リチャード三世は悪人か」を取り上げることにする。
 ワシがシェークスピアの戯曲「リチャード三世」を初めて見たのは,仲代達矢率いる「無名塾」の公演である。確か,仲代の妻・隆巴(宮崎恭子)が逝去する前の・・・とパンフレットを確認したら違った。追悼公演でした↓。
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 この公演の演出をしている途中で宮崎は亡くなったらしい。しかし作品の方は,悪逆非道なリチャード三世に臆病さと悲哀を盛り込んだ仲代の演技力と,宮崎の分かりやすい演出によって,演劇素人のワシでも楽しく観劇できるものであった。
 で,このパンフレットには,小谷野も参照している森護「英国王室史話」からの文章が掲載されている。それによると,リチャード三世は取り立てて容貌が悪かった訳でもなく,悪逆という評判は,プランタジネット王朝最後の王を打ち倒してテューダー王朝を創始したヘンリー七世の意向によって定着した,と述べている。まあ,ドラマはドラマ,事実はそんなモンだろうとワシは納得していた。
 しかし,リチャード三世についての論争はイギリスにおいて延々と続き,20世紀に入ってからはミステリーの題材として取り上げられる程だったという。この議論の概略を小谷野は様々な参考文献を渉猟し,引用しながら本書において解説している。ワシはここんとこを読みながら,「邪馬台国論争みたいだな」と思ったものだ。
 さて「リチャード三世は悪人だったのか?」という疑問に対する結論は,本書を読んで確認して頂くのが一番だが,「中庸」を重んじる小谷野の導いたそれは,至極穏当なものである。大体,大虐殺とか大圧政を行った場合を除いて,権力者というものは大概似たり寄ったりの悪辣さを持っているものだろう。そもそもその程度の普通の権力者の「善悪」を議論すること自体,無意味なことなのではないかとワシなんかは思う。政治を司る人間に対する評価は,その後の歴史の中で,善悪とは別の結果論としてしか意味を持たないのではないか。
 本書ではリチャード三世以外のシェークスピア劇「マクベス」「リア王」「オセロウ」についての論考も納められており,これらは全て「元ネタ」があることを,これもまた文献からの引用を交えて述べられている。まあ学問的には常識に属することなのかもしれないが,文学に暗いワシには感心するところが多かった。
 帯にも取り上げられている「シェークスピアさん,盗作です!」という文句は,これらの元ネタの存在を明らかにしている部分のものだが,だからといって,シェークスピアのドラマ作家としての力量が疑われる,ということにはならないだろう。今だって,テレビや映画・演劇には「原作」があるのが普通だし,シェークスピアの時代はそれをクレジットしないのが普通だったというだけのことだ。原作に比して面白くない作品はゴマンと存在する訳だから,今でも盛んに上演されているシェークスピア作品は総じて優れている,ということは疑いないことなのである。そして,優れているからこそ,「リチャード三世」は論争の的となり得たのである,と小谷野は書いている。
 そういう意味では,本書の一番の目的は,シェークスピアの偉大さを改めて喧伝するというものだったのかなぁ,と思えてならないのである。