伊藤智義「スーパーコンピュータを20万円で創る」集英社新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-08-720395-0, \680
 伊藤智義・作,森田信吾・画「栄光なき天才たち」は,大学学部時代に愛読させて貰った漫画である。ワシが現在も持っている単行本は7巻までだが,第1巻の刊行が1987年11月25日付,第7巻は1989年11月25日付なので,ちょうど学部1年生から3年生になるまでこの漫画とつき合っていたということになる。漫画家・森田のデビュー作はこの第7巻に納められているコメディタッチのSF短編だが,このいかにもマンガ的なノリの軽さに,少し劇画調のリアルさを加えた森田の演出力が「栄光なき天才たち」を優れたエンターテインメントにさせたことは疑いない。この7巻のうち伊藤のクレジットが入っていない第5巻と第7巻も,主人公こそ学者や技術者ではなく,映画人(グリフィスとマリリン・モンロー)とアスリート(円谷幸吉とアベベ)だが,他の巻と遜色がない出来であり,面白く読んだ記憶がある。なので,失礼ながら伊藤の名前はあまり良く覚えていなかった。今回,本書の著者名に引っかかりを覚えググってからようやく「ああ,あの『栄光なき・・・』の?」と合点がいった訳である。実際,本書によれば,この作品以外で原作者としての活動は止めてしまったとのことなので,漫画界からは忘れられてしまったのも当然である。
 その伊藤が東大でGRAPEの立ち上げ時にハードウェアの開発を担っていた,ということを本書で初めて知らされて,いやぁ,何というか,世間は狭いというか,才能ある人は何でも出来ちゃうんだなぁと,改めて感心させられたのである。こういうと「努力の人」伊藤にはイヤミに聞こえるかもしれないが(その意味もあるが),少しずつでも自らを磨きながら努力を積み重ねるということは,それなりに「才能」を要するものなのであり,残念ながら誰にでも出来ることではないのだ。
 GRAPEのPCボード版は,実はワシの研究室にも一台転がしてあるのだが,正直,非才なワシには使いこなせないなぁ,とサジを投げてしまっており,殆ど活用していない。それだけ扱いづらい特殊用途のハードウェアなのだが,その特性を生かすアプリケーションがあれば,GPUベースの並列演算アクセラレータやPhysxのような物理演算ボード以上の働きをさせることができる・・・らしい。ワシはとうにアカデミックな流行を追うのを止めてしまっているので,その意味でもあまり魅力を感じないのだが,ハイパフォーマンスを求めてやまない熱心な計算機屋さん達にとっては格好の研究活用対象であるようで,本書には書いていないが,次期スパコン計画にも組み込みが検討されているようである。
 本書において伊藤はそのGRAPEの生い立ちを,プロジェクトリーダ・杉本の学問的出自まで遡り,小説仕立にして語っている。さすがジャンプ編集部のお眼鏡にかなうだけのことはあって,その筆力は読者を引き込む力を持っており,ワシが3時間ほどで本書を一気読みしたぐらいだ。その分,学問的資料としての価値は若干薄いと言わざるを得ない。どうしてもプロジェクト内部に身を置いた人物・伊藤の主観に負う記述が多くなってしまうため,客観的資料はそれほど豊富ではないのだ。計算機に縁のない読者には,何故専用ハードウェアがソフトウェアに比べて高速なのか,本書を読んでもさっぱり分からないだろう。
 しかし,だからこそ逆に,学問の先端を行くプロジェクトに身を置いたメンバーでしか知り得ない「体感」と「汗の湿り気」を存分に味あわせてくれるのだ。作者ご本人は現在千葉大の教授に就任されているので,今の時点ではとても「栄光なき」天才とは言えないが,海のものとも山のものともしれない時期の専用計算機開発時においては,伊藤が描いた過去の研究者・技術者達の焦燥と情熱が入り交じった感情を,伊藤自身も存分に味わったに違いない。

「伊藤(著者)は,漫画原作者としての評価と実収入に一旦終止符を打って,GRAPE開発に取り組んでいた。そこには,一般の学生にはない,強い自覚と自負があった。」(p.132)

 この「強い自覚と自負」の形成には,おそらく,「栄光なき天才たち」への偽りのない共感が寄与しているのだろう。
 GRAPE自体を知るには,本書の参考文献に挙げられているものを読むのがベストだろうが,研究活動の「実感」を知るには格好の一冊である。

藤原カムイ×大塚英志「アンラッキーヤングメン1・2」角川書店

1巻 [ Amazon ] ISBN 978-4-04-853724-7, \1200
2巻 [ Amazon ] ISBN 978-4-04-853725-4, \1200


 明治の半ばから終わりにかけて,ため息と共に詩を詠んでいた,うだつの上がらぬ男がいた。生前は小説で身を立てることも夢想していたようだが叶わず,貧窮の果てに死んだ後,彼の詩は世の大多数の「うだつの上がらぬ」男たちに支持され,今も生き続けている。国語の授業では必ず彼の詩の一つや二つは取り上げられるようになって久しいが,女性の感覚では「ダメ男の自己憐憫なんかにつき合ってられっか」と一刀両断の元にうち捨てられるのが常のようで,ついぞ好意的な感想を聞いたことがない。
 彼の,ひたすら享楽的で,家族を慈しまない生活態度は,いつの時代も「健全」とは相反するものであることは確かだ。そして,彼の詩は,そのどうしようもない彼の生活態度と,社会的に認められないという嘆きを源として沸いてきたものである以上,「健全」でない部分を持つ世の男どもの琴線に触れないはずがないのである。
 石川啄木は,つい最近も離婚した(させられた?)嘆きを女々しく愚痴る現代短歌作家によって光が当てられたが,そんなことに関係なく,人間の虚栄心と自己愛と競争心が消滅しない限り,彼の詩は人々の口の端から漏れるつぶやきとして残っていくに違いないのである。
 母親に捨てられた若い男・Nがいて,ヒロシマで放射能を母親の胎内において受けた若い女・ヨーコがいて,人生の第一歩を踏み出せず躊躇しているTがいて,Nを思慕しながらも満たされないセーラー服の女・ヨーコがいて,革命を夢想しつつ権力に凭れるSがいて・・・まあつまり,背負ってきた人生は様々なれど,「青春のモラトリアム」がもたらす焦燥感にさいなまれている若い衆が昭和40年代に生きていれば,こういう嘆息調の啄木の詩がぴったりくるということなのだろう。大塚によれば,彼らの「内面」は啄木に託されたようなもんであるから,物語はどうしたって「やるせなさ」の固まりとならざるを得ない。誰一人として,筋書きがあらかじめ決まった映画のようには行動できず,短期的な目的を持った途端に結果に裏切られるのだ。
 啄木なのである。
 彼らは別段特別な存在ではなく,ごく普通の,どこにでも存在するアンラッキーな十把一絡げのサンプルに過ぎないのである。啄木は,そんなサンプル達のつぶやきを短く的確な詩に残してのたれ死んだ,これも明治のサンプルの一人だったのである。大塚英志は,そんなサンプル達を,この時代に発生した事件・事象をうまく絡めて物語を紡いだのである。
 藤原カムイはデビュー以来培ってきた表現力を,我々が持っている「青春のモラトリアム」という共同幻想の構築に注いだ。昭和40年代の人物や背景を,軽みを帯びた陰鬱さのスモッグの中に配置できたのは,大塚の原作と注文(ATGの映画のように,とか,永島慎二や宮谷一彦のように,等)に因るところが大きいのだろうが,画力がなければ間違いなく失敗していたに違いない。
 初期のSF短編とは別の,雰囲気を醸し出せる的確な表現力は,谷口ジローと双璧をなすところまで行き着いた。しかも,全編に渡って手を入れ直したというだけのことはあって,あまり画面にむらがなく,至極安定している。静謐な雰囲気を壊さない微妙なタッチを,700ページを超える長編で維持できた藤原の力量があってこそ,この作品は傑作たり得ているのだ。
 分厚さを感じさせない大作である。啄木を堪能しつつ,読むべし。

8/1(水) 旭川・曇時々晴

 朝晩はちょっと涼しい・・・じゃないな,寒いぐらい。今日は日中も曇っていて,それほど気温は上がらなかったようだ。うーむ,ラーメン日和。とゆーことで食ってきました,旭川ラーメン。
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 昨日は梅光軒,今日はよし乃でござんす。写真は後者の奴だが,もやし+タマネギ+挽肉炒めがてんこ盛りであるところは前者も共通である。久々に食ってみたが,やっぱりうまかった・・・が,完全にカロリーオーバー。掛川に戻ったら粗食しよーっと。
 本日はSWoPP。なんて気合いの入った看板なんだか。日本OY数理学会年会の奴より立派である。そーいや,参加者は両者に多様なモンだったな。資本力の違いか。
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 講演は・・・いやー久々にご質問があれこれあって嬉しいやら困るやら。しかし見知った人ばっかりだったモンなぁ。Halley法を使ってみたらとか,DE公式にも適用できたらとか,今後の課題が一杯出来て良かったっす。しかし勉強しなきゃ移管ことはいっぱいあるモンですなぁ。やでうでしや。ともかく,ワシの仕事はこれでオシマイ。
 ではIP Reachableな環境とはしばしお別れ。後は帰宅後に。つーてもOpen Campusやら高校訪問やらで,blog更新は微妙なところ。
 さて,こっちで読めた漫画のぷちめれをupしたらちょっと仕事して寝ます。

7/31(火) 旭川・晴

 旭川のホテルは有線LANだったので,非力なPCでも余裕でWebにアクセスできる。ちょっと高めのホテル(このあたりの相場より,の話)だが,ここにしておいて助かった。とゆーことで,8/2までは何とか通信できそう。不安だったので,移動日に携帯から文章を打ち込む練習をしていたのだが,使わずに済むかな? そのときに打った奴を貼り付けておこう。

 発表用資料を作ってしまったので、新幹線車中ですることがない。うっかりして、読み差しの本を持って来なかったので、ますますヒマを持て余す始末である。で、こんな時でもないとできないことをしようと、ブログの記事を携帯で書いている。まだブラインドタッチというところまで至っていないので、イライラしながらの文章書き状態だが、それでも頑張って書いていると、予測変換の候補リストが次第に賢くなってきていくのがわかって面白い。・・・ここまで打つのに約十五分。小田原から新横浜までかかっている。う~ん、近頃の若いもんのスピードに追い付くには、マダマダ精進が必要であるなぁ。

 少しはマシになったかしらん?
 ・・・で,旭川である。いやぁ,朝昼晩の寒暖の差が激しいのは相変わらずで,17℃から29℃まで一気に気温が上昇する。昼休み,ちょっと神楽岡公園→上川神社までうろついたら汗だくになってしまった。空気は乾燥しているから,黙っている分には快適なのだが。
 本日は行列・固有値計算研究会。
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 勉強になりました。
 勉強しすぎて疲れたので,早めに寝ます。

7/29(日) 掛川・晴時々曇

 お暑うございます。暑くなりそうだったので,朝一で参議院選挙に行く。個人的にはバランスを取る投票をしたつもりだが,さーて結果はどう出るやら。
 午前中に旭川の発表資料を作り,合計27枚。この期に及んでまだミスが見つかって大あわてするも,まあここまで来たら開き直っていくしかしゃーない。あれこれ弄り倒していたら,おや投票終了直前時間。何とか27枚のスライドを作って帰宅する。ボチボチ,この数学記号が一杯の資料を作るときにはPowerPointじゃなく,TeXで作るべきかなぁ。Prosperっていまいち好きになれなかったんだけど,乗り換えも真剣に考えなくちゃ。
 あらー,片山さん落選とのこと。自民党では一番大人の対応が出来る人だっただけに残念。年が年だけに,復活の目はなさそうだなぁ。
 今回は下馬評通り,与党ボロ負けのようである。かつては保守の牙城と言われた一人区はひどい状況だもんなぁ。もっとも,民主支持者の多くはやっぱり保守なわけで,政治風土が革新されたってこっちゃないよな。この前の郵政選挙で自民党ボロ勝ち,今回は民主党ボロ勝ち,こうして2大政党に票が行ったり来たりしている間に,その他の弱小政党はどんどんやせ細って消えていくのであるなぁ。共産党はまだ頑張るんだろうけど,社民党は解党かな。うーん,諸行無常。
 明日は試験の後,羽田へ移動し,札幌へ。明後日,旭川へ移動して固有値研究会聴講,次の日にワシの発表がある。今回は無線LANカードが不安定なボロマシンと行動を共にするので,移動中はメールもろくに読めない可能性が高い。すいませんが,連絡は金曜日夜以降にお願い致します。
 では行って参ります。