ふー,書類書きに研究がサンドイッチされてきた一週間がやっと終わった。本日ようやく学内研究費の報告書を上げて,某国際研究会に投稿するabstractの下書きを書き上げたのである。菱沼さん(@動物のお医者さん)のように「えいご~,やだ~」とかいいながら,助動詞と副詞と仮定法を使いこなせない中学生並の英文をA4用紙1ページ分も書いたのである。3時間ぐらいだったけどな。後は校閲が帰ってくるのを待つばかり,と。月曜日に届いたら即座に投稿である。ところで”screen”ってどのぐらいのレベルの査読なんだろ? ちらっと見るだけ?
そーいや,SIAM reviewに面白い記事があった。日本語だと「ドミノ倒しの波」って感じかな? エネルギー保存則と数列,微積分だけで数学モデルを作ってあるから,エリート高校の理数系生徒なら理解できるんじゃないかしらん。
日本の応用数理も,エライ方々の思い出話とか自分の研究の自慢話ばっかりじゃなくって,こういう記事をどしどし載せればいいのにな。折角,岩波から発行して貰っているってのに,仲間内の同人誌みたいな記事ばっかりではなぁ。情報処理を見習って,リニューアルしないのかしらん? 数理科学と数学セミナーよりコンピュータ&工学寄りの記事を増やせば,それなりに会員以外の読者も付くと思うんだが。数学文化だってもう7号も続いているんだからね。
風呂沸いたら,入ってから寝ます。
3/14(水) 掛川・?
桜開花予想は間違いでした,という記事。気象庁の発表によれば
「さくらの開花予想の計算に用いるプログラムに一部不具合があったため、7日に発表した第1回さくらの開花予想を下記のとおり訂正します。
これらの4地点では、用いた気温データに一部誤りがあり、予想日が正しく計算できませんでした。」
ということだが,気温データの不具合が原因なのか,プログラムの不具合が原因なのか,前者の不具合を後者の不具合と言い換えているのか,訳がワカラン。「初期誤差が間違っていると,以降の計算結果も狂ってくる」という実例として教材に使おうかと思っていたのだが,うーん,この発表文だけではそーゆーミスなのかどうか判断しかねる。よってpending。気象庁に電話で聞けばいいんだろうが,そこまでする必要もないし,そんな下らない桜桃・・・じゃない応答で貴重な頭脳資源を無駄にさせてもいかんしな。
・・・と続報。NHKニュースによれば,
「気象庁によりますと、システムに気温のデータを自動で取り込む際、トラブルが起きて誤ったデータが書き込まれたということですが、エラーの表示が出る仕組みはありませんでした。」
ということで,入力データを読み取るプログラムが何らかの理由で誤作動し,一部の地域における昨年12月下旬の気温が正確なものではなくなってしまったことによるものらしい。だから,
・入力データを読み取れなかったも関わらずエラーを出さない
・読み取れなかったデータを自動的にいい加減なものに差し替えてしまう
という「プログラムの不具合」によって,データが狂ってしまった,ということなんだな。納得。
そんな予想より,この寒さ,いつまで続くんじゃい。春の直前で,冬将軍が残業をしているという感じ。マッタ・カムイがルプシゥル・カムイ(詳細はこれを読みたまい)をさぞやこき使っているのであろう。早く仕事を終わらせて欲しいモンである。
「過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会」が設置されたとのこと。さて,冷静な議論がここでもちゃんとなされるかどうか,チェックすべきだな。委員のメンツを見ても,三田以外の立場がよーわからん。議事録が出ればおおよそ分かるんだろうが。
延長への立場 | 氏名(役職) |
---|---|
? | 上野達弘(立教大学・助教授) |
? | 大渕哲也(東京大学・教授) |
賛成? | 久保田裕(コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)・専務理事) |
賛成? | 里中満智子(漫画家) |
? | 津田大介(IT・音楽ジャーナリスト) |
? | 佐々木隆一(ネットワーク音楽著作権連絡協議会・代表世話人) |
? | 都倉俊一(作曲家) |
賛成 | 三田誠広(作家) |
この表は次第が明らかになった時にupdateしたい。
書類書きに戻ります。
3/13(火) 掛川・?
ふー,本日は会議day。まーもっとも学科会議だけだから,役職者の方々に比べると楽ですけどね。後10年は下っ端のままでいたいな。
げ,今年のSWoPPは旭川か。なつかしーな,中学2年から高校2年まで居たところだから,えーと,20年ぶりぐらいになるのか。何とか行きたいものだが,暇があるのかなぁ。
小生御大から,GLADE 2008なるConference兼Workshopへのリンクを依頼される。来年のものだし,これからは一年に一回ぐらいは海外に行きたいからとIndication of Interest(興味はあるよん,という表明ぐらいの意味かな)したら,ご丁寧な返事が来て,早速リストに追加される。うーむ,ワシ程度の中学生並みの英語力の奴がのこのこ出かけていいものかどうか。でもAucklandはいいところだったから,もう一度行きたいな~,とは思う。さーて,どーしよーかな。今やってる仕事が一段落して,まともなネタになりそうなら真剣に考えようっと。って,その前にSciCADE07のネタをちゃんと作らなきゃぁ。
さて,そろそろ次年度の予算の使い道を考える時期である。もうPCは売るほどあるので,古いマシンのreplace以外はソフトウェアの購入に充てたい。VistaはMSDNがあるのでもう十分,となると,まずはOffice 2007か。あの奇天烈なメニューに早く慣れないとな。他には,ポスターセッションに出る機会が増えてきたので,Adobe Creative Suiteか。これ買っときゃ,大概の用事は足りるよな。問題はIllustratorやらPhotoshopやらを使いこなせるかどうかだが・・・勉強しなきゃ。
数少ないreplace用マシン候補として,以前はQuad-coreマシンを希望していたのだが,今の時点ではまだCPUが高いので,しばらく待つ必要がありそう。後藤さんの記事によれば,Core 2 Quadは今の半分ぐらいの値段まで落ちる可能性が高いようだし。
年度初め最初に買わなきゃならんのは,仕事用のメインマシンだが,これはCore 2 Duoで我慢しよう(贅沢になったワシ)。小さい筐体がいいので,以前GF800にしようと言っていたが,SO-DIMMは1GBのものしかないみたいで,動画編集もVMwareもバリバリこなしたいワシにとっては物足りない。32bit OSとはいえ2GBは欲しいので,LS800あたりに落ち着くか。・・・って,これ夢にまで見た(大げさ)IntelのGbE chip搭載じゃん! 2台揃えてCore 2 Duo Clusterを(これ以上買ってどないすんじゃ)。
夢見るために寝ます。
3/9(金) 掛川・晴
昨日・本日とも企業セミナーが職場で開催され,80社以上の人事担当者の方々をお迎えすると同時に,企業の方が鎮座するテーブルへと奥ゆかしい3年生を引っ張り込んだりしていた。うーしんど。しかし,すっかり企業慣れしたOBとも挨拶を交わしていると,何だか嬉しくなってくるものであるな。・・・と同時に,老けたな(ワシが)とも感じるのだが。
昨日は銀行のことだけ書いて終わってしまったが,その前に警察へ1時間の講習を受けに行ったのであった。竹刀を構えた体育会系デカが仁王立ちして「前科者のテメェら,これからみっちり制裁を食らわせてやるから覚悟しやがれ」と脅かされるのかと思っていたら,初老の背広紳士がゆっくりした口調で「ゴールド免許一歩手前の皆様方におかれましては,是非とも安全運転をお願いします」という非常にご丁寧な挨拶をされ拍子抜けする。武田広さんのナレーター付ビデオを30分ほど見せられた後,背広紳士が慣れた口調でここ数年間に行われた道路交通法改正のポイントを20分ほど解説してくれた。話術が結構うまくて感心する。聴衆はワシも含めて20人ほどだったが,皆真面目に聞いていたようである。
終了後はブルーになってしまった免許を貰って,例の銀行へ出かけたわけである(以下,昨日のblog記事に続く)。
疲れたので寝ます。
本秀康「アーノルド」河出文庫
[ BK1 | Amazon ] ISBN 978-4-309-40834-7, \560
先日,浜松で開催された立川流家元・立川談志の独演会に行ってきた。チケットは数ヶ月前に入手していたが,独演会当日まで,実は少し不安であった。
家元はまだ元気だとはいえ,御年70を越えている。家元の落語を最後に聞いたのは2002年3月だったが,その時は「五人回し」を一通りやった後で,自分の落語の講評を始めたのに面食らったものだ。最近の家元の落語は抽象絵画のようだ,というのは唐沢俊一の評だが,この独特のスタイルは確かに「芸術」の域に達していると言えると同時に,ワシのような素朴かつ保守的な,ふつうのスタイルの落語を聞きたい客にとっては難解な「抽象絵画」のようなものになっているとも言えるのである。
今回聞いた家元の落語は,更に抽象絵画に近づいていた・・・いや,もうこれは「抽象」そのものである。中入りを挟んで二席やったのだが,一席目は先頃引退を表明した圓楽の批評をした後で,世界のジョーク,それもかなりキツイのからハイブロウなものまでをマシンガンのように乱射する。二席目は少し短めの「らくだ」だったが,割とふつうに演じているな・・・と安心していたら,下げの後,また落語の批評が始まったのである。それはいいのだが,家元が尊敬する志ん生のイリュージョン的くすぐり,「へびが何でへびって言うかというと,なんてこたぁない,あれは昔,「へ」といったんですな。「へ」ですから,「びっ」ていう・・・だから「へび」」,で大爆笑を取ったかと思う間もなく,切々とした人情を語り出す。笑いの天井から悲しみの谷底へ突き落とされるような感覚に陥って戸惑い,自分の反応の鈍さをつくづく思い知らされた。「俺は年寄りの慰み者みたいな芸人とは違うからな」という言の通り,確かに「今」を感じさせるものになってはいるものの,家元が褒めちぎる弟子・志の輔のオーソドックスな感情表現とは正反対の難解さは,ワシにとってはちょっと縁遠いものかな・・・と,独演会開催前に抱いていた不安の一部が的中し,複雑な思いで独演会の会場を後にしたのであった。
何故長々と落語の話をしたのかというと,本職イラストレータ,たまーに漫画家の本秀康の傑作を集めたこの「アーノルド」を読了し,家元の落語を聞いた後と似た感想を持ってしまったからなのである。
本(もと)のマンガ,特に本書に収められた短編は,いずれも同じ特徴を持っている。
まず,作品の舞台やキャラクターは,乱暴に言うと「ガロ系」,これは杉浦茂のキッチュさと共通するものがある。脳が6個ある六頭博士や,金星人の金子君や伝吉,50人の息子がいる岡田幸介・・・等々。奇妙奇天烈な奴らばかりが登場する。
しかし,ストーリーで展開されるのは,とてもベタな感情表現だ。自分が作ったロボット・アーノルドに愛情を抱く六頭博士と,とてもいい奴なアーノルドとの心の交流の切なさ,岡田幸介が50人の息子を持つに至った経緯,山田ハカセの作ったロボット・R-1号がスクラップにされるまでの心の揺れ・・・,キッチュなキャラクターたちがいるために誤魔化されるが,一昔前のストーリーマンガには当たり前にあった「感動」がそこにあるのだ。
じゃあ,感動ものとして読むことが出来る作品なのかというとさにあらず。最後のどんでん返しは見事であり,シニカルでもある。杉浦茂をもっと緩くしたような可愛い素朴な絵柄であっても,大人の鑑賞に十分堪えうるものに仕上っているのだ。
しかし,やはりマンガに対しても保守的なワシは,笑うべきキッチュさと,感動すべき表現とが混在したこれらの作品に対して,どのような感情を抱くべきなのかがよく分からないのである。面白いのは確かだし,ストーリーや場面作りは今風だから,間違いなく「今」の作品なのである。なのであるが,もしかすると先を行きすぎているのかも知れないのだ。そう,この方向で進化していくと,家元落語に通じる「抽象」性が強まってしまうのである。今でもワシにはその香りが感じられるが,本書レベルであれば,まだ純粋に感動マンガとして,当方が幾分か努力すれば,楽しめるのである。
うーん,ワシも年だな,と思うと同時に,本のようなマンガが広まっていくことで,日本のマンガも変わっていくのだろうな,と少しセンチメンタルになってしまうのであった。