急に寒くなる。もう灯油は要らないな,と備蓄ゼロになってからこの有様。今燃やしているストーブに入っているタンクの分がなくなったら,凍え死ぬしかない(大げさ)。
今日はS銀行K支店で久々に怒鳴り声を上げてしまった。先ほど,その騒動が収まったところである。冷静になった頭で,なんでそんなことになったかをまとめてみよう。
事の起こりは2月にさかのぼる。住宅ローンを借りる事前相談をした際に,借りるための条件を二つが提示されたのである。
(1) S銀クレジットカード(兼キャッシュカード)に入会すること
(2) 給与振替口座をS銀行にすること(当時はSR銀行だった)
で,(2)の条件はクリアしたので,(1)の条件を満たすべく,窓口で申し込んだら,「ステートメント型口座にしませんか?」というお誘いがあったのだ。めんどくせぇ,これ以上書類を書かせるなよ,と断ったら(実際,そーゆーヤクザまがいの言葉遣いであった。ワシは利害関係のない相手には大変居丈高な態度を平気で取る野郎なのである),「クレジットカードの利用代金支払い口座をステートメント型口座に設定してもらえれば,2年目以降もクレジットカードの年会費がタダになります」というではないか。更に「ステートメント型口座は毎月210円の口座管理手数料が必要ですが,あと15万円口座に入れてくれれば,それもタダになる」というのである。ほほう,それなら渡りに船,早速それも申しませて頂きましょう,とその翌日に,現普通口座をステートメント型に切り替え,定期預金も15万円分作ったのである。これが2月の話。
ところで「ステートメント型口座」とは何かというと,通帳が不要になるタイプのもので,取引の一覧表が毎月一回郵送されてくるのみで,口座残額のチェックや振り込みはATMや電話,Web経由で行うことになるシステムである。と,ここがくせ者で,通帳がないから,銀行のATMでは出来ないことがあるのだ。それが定期預金の作成なのである。・・・と,ここまで予備知識を確認してもらった上で,今日の話題に入る。
さて,今週になって,S銀行の必要でないクレジットカードが送られてきた。それに同封されていたパンフレットを見て仰天したのである。なんと,ステートメント型口座は口座管理手数料なるものが必要で,毎月210円取られるというのである。・・・いやいや待て待て,これは15万円の定期預金でチャラになる筈なんだよな・・・とドキドキする(ワシは毎月数百円の手数料程度で動揺する小心者なのである)心を抑えて更に説明文を読み進めた。そこには小さい注意書きで「ステートメント型口座の預金残額が30万円以上ある場合」はタダになる,と書いてある。何だとこのガキャ,15万円でいいっつったのはありゃウソかい騙されたぁ,と怒る頭で届いたばかりの2月分の明細を見たら,あの時点では普通口座に15万円入っていて,これに定期の15万を加えると確かに30万円以上になるから,あの窓口の若いあんちゃんの説明はウソではなかったことになる。・・・うーむ仕方がない,これはちゃんと確認しなかったワシも悪い。
しかし,普通口座の残額は既に数万円になっている。この口座のお金は生活用資金であるから,毎月確実に15万円残しておくことは,ワシの生活態度からいって不可能である。ここはメンドクサイが,更に15万5千円を定期預金にして,毎月確実に合計30万5千円の残高になるようにしておこうと,本日,S銀行K支店に出向いた訳なのである。・・・あー長かった。ここから本題である。こころして聞かれよ。
さて,ATMで定期預金口座を作って・・・としたはいいが,「通帳を入れろ」という要求がある。あそっか,ステートメント型にしたんだから,ATMでは定期は作れないのだな,と気がつき,窓口で定期預金を作ってくれるように用紙を書いて渡したところ,
ここでは出来ないと言うではないか。
「だってここはS銀行K支店でしょ? ワシの口座はS銀行K支店にあるんだが」
「ステートメント型口座の場合は,テレフォンバンキングでのみ定期口座が作れる仕組みになっておりまして・・・」
さらに追い打ちをかけるように,こんなことを言うのである。
「ステートメント型口座の残高は10万円で結構です」
「何だと,クレジットカードに同封されていたパンフレットには30万円って書いてあるぜ?」
「いやそれは変更になったのです」
冗談じゃない,じゃあ何のためにワシは今日ここに来たんだ? と思いながらも,いい機会だから定期預金口座は作っておくかと思い直し,それをお願いしたのである。で,この辺から怒りが湧いてきているので,冷静な思考ができなくなりつつあった。
「でさ,テレフォンバンキング? どうやってやるの? そんな説明受けてないよ」
「ダイレクトバンキング用のこういうカードが届いているはずですが・・・」
「んなもん知らん。クレジットカードならこうして届いているけど」
「既にお送りしたとなっておりますが・・・」
「知らんもんは知らん。どうすりゃいいわけ? 定期は作れないの?」
「では現金で頂ければお作りできますので・・・」
だったら最初からそうしろよ! とぶりぶり怒りながらATMで15万5千円おろして差し出すと,窓口の女性はこうのたまうのである。
「ダイレクトバンキングカードの再送付の手続きを致しますので,これを記入して頂きます。そのためにはテレフォンバンキング用のパスワードを教えて頂きませんと・・・」
ここでとうとう我慢していた怒りが爆発したのである。
「だからぁ,届いていないものをどうやって書けというわけ? あ? めんどくせぇ,こんなめんどくせぇ思いをするためにステートメント型口座にしたんじゃねぇぞ! 解約だ,解約してくれ! 解約用紙を出せ! 解約だ! 解約! 解約させろ!」
・・・いやー,銀行中の視線の痛かったこと。ただ,こういう経験は初めてではないので(酷い奴だ),視線にたじろいで怒りを収めると自分が惨めになるだけであるから,カッカしながら解約用紙をむしり取って銀行を出たのであった。
さて,帰宅してから冷静になってみると,ワシは昨年からインターネットバンキングはやっていたのである。もしはあのときの封筒に?・・・と引き出しを捜したら出てきましたよ。ダイレクトバンキングのカードが。ああ,あのオバサンが送ったと言っていたのは,一年前に契約していたこのカードのことだったのか,とやっと合点がいったのである。
で,無駄に死蔵してあった定期預金を解約すべく,初テレフォンバンキングサービスを使ってオペレータの方と直接話すことが出来たのである。そこで上記のいきさつを話し,もつれにもつれた糸をほぐすべく,最初の疑問への解答を迫った。
「まずですな,頂いたパンフレットには残高が30万円以上あれば口座管理手数料が不要となっていますが,これは10万円になったのですか?」
「そうです,2月末に変更になりました」
「それはどこで周知されているのですか? このパンフレットは今週届いたものですが,30万円のままになっています」
聞くと全く周知されていないと言う。今確認したら,Webページの方は10万円になっていた。つまりワシは変更直前に変更前の説明を受け,変更直後に変更前の説明のままになっているパンフレットを読んでいた,ということになるわけだ。しっかり周知してくれよとぶりぶり文句をたれて,最初のハテナは解消した。
次の疑問を解消すべく,更にオペレータの方を問いつめる。
「ダイレクトバンキングのカードとは,これに繋ぐために使ったこのカードのことですよね?」
「そうです」
「ステートメント型口座切り替え時に,「改めて」ダイレクトバンキングのカードが届くというわけではないのですね?」
「そうです」
つまり,切り替え前にダイレクトバンキング(テレフォンバンキング+インターネットバンキング)サービスの契約をしていた場合は,それが継続して使える,というだけの話だった訳だ。ワシは完全に誤解をしていて,「ステートメントに切り替えたのにそんなカードは来てないぞ」と喚いたことになる。ワシが冷静であれば「既にあるこのダイレクトバンキングカードのことか?」と確認できたであろうし,窓口のオバサンも「昨年届いているはずです」と「昨年」を強調してくれれば,ワシも気がついたであろう。どうも不幸なすれ違い(とワシは思いこみたいのである)らしい。そーゆーことなら,既存のダイレクトバンキングの契約はステートメントに切り替えても有効です,とか,ステートメント切り替え時に,定期預金はテレフォンバンキングのみで作成・解約するようになります,と説明するとかして欲しいと念押しして,全ての疑問は解消,定期預金も解約され,ワシの怒りも消えたのである。
とゆー訳で,本日はS銀行のK支店の窓口のオバサンと,テレフォンバンキングのオペレータの方のお二人に怒鳴り,疑問をねちっこく問いつめた一日であった。あー疲れた・・・が,ワシの悩みはこれで消えたので満足している。
満足したので寝ます。
岸本佐知子「ねにもつタイプ」筑摩書房
[ BK1 | Amazon ] ISBN 978-4-480-81484-5, \1500
今日はCD-Rを243枚焼いた。
自慢するわけではないが,私の勤務するこの職場で,CD-Rを焼ける光学ドライブを持ったPCを12台所持している研究室はウチだけのはずだ(違ったらごめんなさい)。もちろん,これらのPCはCD-Rを焼くために揃えたものではない。全ては研究のため,高性能計算という崇高な仕事を遂行するための機械である。高性能なPCが必要であったために,光学ドライブまで「たまたま」高性能になってしまっただけのことである。
その貴重なPCを,CD-Rの大量焼きのために利用しようと言うのだから,当然,彼らの怒りといったら尋常ではない。
「なんてことを」
「計算なら2スレッドまでバリバリに2.8GHzの性能を出せるのに」
「そんな円盤にレーザーを照射するために俺たちはここにいるんじゃない」
「PC権侵害だ」
「無体な」
「DVD-Rならまだしも」
彼らの叫びは当然ではあるが,当方にも都合というものがある。ここは電源管理者の特権を振りかざして押さえつけねばならない。
「うるさい,Intelが失敗作と烙印を押したCPUを載っけているくせに,人間並みに喚くんじゃない。ぐずぐず言うと,電源ケーブル引っこ抜くぞ」
540MBのISOイメージをGbE経由で奴らのローカルハードディスクに転送し,CD-R焼き作業を開始する。それでも彼らは黙っていない。
「熱い熱い熱い」
「たかだか7千円のドライブのために身を粉にして働かされるなんて」
「せっかくのデュアルコアCPUなのに,それが全く生かせない仕事をさせるとは」
「ドライブが逝かれたら交換してくれるんだろうな」
「PC権侵害PC権侵害」
「エロDVDならまだしも」
6台のPCをほぼ切れ目なく使いこなして3時間後,ようやく243枚のCD-R焼き作業は完了した。うち1枚はエラーが出て読み取りできない失敗作となった。まあ0.4%程度のエラー率は仕方がない。彼らのせめてもの反逆心なのだろうし。
「よくやったな,おまえたち」
お褒めの言葉にも反応しない,6台のPCが静かに電源ファンの回転音のみを響かせて,鎮座している。
・・・というのが,所謂「妄想系」と呼ばれるエッセイらしい。三浦しおんのそれは絶対BL由来のものだろうが,端正な(見たことないけど)知性の持ち主の翻訳家・岸本佐知子の「妄想癖」はどこから来たものなのだろうか? トイレットペーパーに何かトラウマでもあるのだろうか? そもそも「べぼや橋」とはどこにあるのか?
読めば読むほど疑問が渦巻く謎なエッセイである。第一弾も面白かったが,「ちくま」連載のこれも負けず劣らず素敵である。
ところで,現在も連載中の本エッセイのタイトルは「ネにもつタイプ」である。「ネ」から「ね」への変更に,どのような意味があるのだろうか? ・・・と,疑問は尽きない。
3/5(月) 掛川・曇後雨
改装なら自分ちでやれぇい!
昨日から雨がポツポツ降っていたが,今日の昼過ぎから生ぬるい南風と共に土砂降りとなる。我が家にあった2本のビニール傘は先日強風にあおられて裏返ってしまい,燃えないゴミと成り果てた。残るは穴のあいている粗末なビニール傘一本のみ。そろそろコンパクトな折りたたみ傘でも買っておかにゃいかんな。
おおっ,我が研究室presentsのYouTube動画(Quick Sort by Cards)が初Rating! しかし日本語字幕しかないのに,一体全体誰が見ているのやら。同時にupしたハノイの塔は全然ダメなのにな。不思議なこともあるもんである。そろそろネタ切れなので,何か見つけないとなー。
今日は朝一で警察へ行き,免許の書き換え申請をする。ゴールド免許だったのに,前科者には厳しくなったのか,今回はブルーの5年有効免許になる。交通安全協会という警察の利権団体の会費も含めて5000円ほど。待ち時間も30分ぐらいだったのですぐに終わる。視力が引っかからないかと冷や冷やしたが,裏技(視力検査の前にメガネを外して裸眼を鍛えておく)を活用して難なくクリアできたのは幸いであった。
一時間講習は8日のAM9時からだそうな。うーん,メンドクサ・・・等と思ってはいかんのであるな。いやしくも教育に携わる者として,「講習なんぞ何の役にも立たん」なぞと口が裂けても言うべきではない(思うだけ)。
CD-Rを大量に焼くため,Pentium D clusterをセットアップする。30枚近くも連続焼きしてドライブが持つのかどうか,甚だ不安だが,壊れたら学科経費で請求してやろう。つーか,この程度の馬力のマシンを揃えられない(以下検閲削除)。
ついでなので,LAMもセットアップしてみる。うーん,さすが腐ってもDual-core。18プロセスも何のその,平気でこなしてくれる。ただ,性能がイマイチのような・・・。明日,連続焼き作業が終わったら,ちょろっとベンチマークしてみるか。
次の論文に向けて一仕事してから寝ます。
瀬戸内寂聴「孤高の人」ちくま文庫
[ BK1 | Amazon ] ISBN 978-4-480-42310-8, \580
本書は,瀬戸内が私淑していたロシア文学者・湯浅芳子(1896~1990)に関する短いエッセイをまとめたものである。ワシは「ちくま」連載中からちょくちょく読んでいたが,このたび文庫化されたので早速買い求めて再読したという次第である。
湯浅という人は,まあインテリにはありがちではあるけど,レズビアンだったということを差し引いても,相当変わった人である。彼女の人生全体を貫いた姿勢こそ,確かに本書のタイトルになっている「孤高」という形容詞がぴったりであるが,その性格はかなり「狷介」,つまりキツイのである。ストレートに他人の論評をするところなぞは,まあ何と言うか,「図太い」瀬戸内のような人だからこそ耐えられたのであって,日和見的に生きている一般人にはとうてい付き合える相手ではない。
ただ,そういう人に限って,どういうわけか,そのようなキツイ自分を受け入れてくれる度量のある人間をかぎ分ける嗅覚が発達するらしく,湯浅は最晩年に至るまで,かいがいしく自分の面倒を見てくれる友人知人に事欠くことはなかったようだ。このあたりは,破滅型の人間にはない,本能を抑えきるインテリジェンスを感じさせる。周囲にとってははた迷惑ではあるが,一本筋の通った哲学を護持できたのはそれ故なのであろう。
文学史に疎いワシでも知っている作家らと親交のあった湯浅の人生と恋愛遍歴の一端を教えてくれる貴重な資料であると共に,「何故こんなメイワクな人がこの世に存在するのだろう?」という疑問を解消する一助になりそうなエッセイ集である。瀬戸内の法話が今も人気を博しているのも,湯浅のような人との交友の蓄積があるからなんだろうな,きっと。
3/4(日) 札幌->掛川・晴
2月28日に,予定通り,
消防士コスプレした小便小僧に見送られ,
羽田空港から
クラーク先生に挨拶しに行ったのであった。あ,そうそう,アロワナとも会ってきたよ(何しに行ったのやら)。
録画してあったサイエンスZERO(3/3放映分)を見る。前回の地球シミュレータの特集が2003年2月だったから,4年ぶりか。皆さん老けましたね~。貫禄がついたと言うべきかしらん?
寝ます。