2/13(火) 掛川・?

 お,終わった~。先ほど,論文の修正稿を投函したところである。掛川郵便局のゆうゆう窓口に19時過ぎに駆け込んだら,書留速達の配送は明日になります,とのこと。まあ締め切り日(2/15)には届くということだし,書留の証明書もあるから万が一の事故があっても何とかなるであろうけれど・・・腑に落ちないなぁ~。ま,終わったからいいか。 これでダメでも万策を尽くした,ということで一件落着。
 一難去ってまた一難,まだ今月中に完成せねばらならない仕事が残っているのである。こんなに用事を詰め込んだのは誰だ>ワシだ。今月末までに報告書を書かなきゃいけない論文査読を引き受けたのは誰だ>ワシです。・・・自業自得だから誰を責めるわけにもいかないのである。嗚呼。
 忙中閑ありって事で,今日はムリヤリ閑を作って休みます。ではお休みなさい。

武田徹「NHK問題」ちくま新書

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-480-06336-6, \740

NHK問題
NHK問題

posted with 簡単リンクくん at 2007. 2.10
武田 徹著
筑摩書房 (2006.12)
通常24時間以内に発送します。

 本書に関してはぷちめれを書くのを当分控えていようと思っていたのだが,著者本人が自身の掲示板で愚痴っていたので,ちょろっとだけ「途中経過」としての感想を述べさせていただく。
 武田が
 「猫の額のような自分の庭の広さに合わせてしか考えを遊ばすことが出来ないせいで、書かれているものとは違うものを読んでしまっているとしたら書き手としてはやはり残念だ。自分の尺に合わせて物事を理解してしまう悲しさはぼくも常に打ちのめされていることではあるけど」
と,blog等でなされている本書の批判に対して述べているけど,ワシも含めたそいつらは基本的には

バカ

なんであって,もう少し説明すると
頭が悪い

つまり
理解力が武田徹に全く追いついていない

だけなんだと思う。実際,ワシが本書に付いてきちんとした意見を開陳できるに至るには,少なくともあと2回ほど,メモを取りつつ通読しないと無理だと感じている。従って,武田はネットなんぞをググるのはやめ,ワシらのようなバカのたわごとに付き合うことなく次回作の準備に勤しむべきである。そしてワシも含めたバカどもは,もう少し勉強してから本書に対して意見を申し述べるべきである。・・・と言いながら書いちゃうんだけど,それは本書に対する意見ではなくて,自分がどのぐらいバカであるか,頭が悪いか,理解力が足りていないか,という自己反省だと思って欲しい。
 本書を読んでいて一貫して気持ち悪さを感じたのは,「公共性」に関する定義が,ワシも含めたバカども分かる形で示されなかったことである。それも第6章「「非国民」のための公共放送」を読んで少しは解消されたものの,比較対象となっているBBCの運営方法等についての予備知識がさっぱりなかったため,武田が理想とする「公共性」の定義を,その具体例や反例も含めて自分なりに整理して把握することができなかったのである。もちろん,参考文献に挙げられている蓑葉信弘の本でも読めば何とかなるんだろうが,イージーに薄い新書でも読んで楽をしようと考えているワシも含めたバカどもにはちと荷が重い。たぶん流動性も込めて,理想とする「公共性」を追い求めるベクトルの方向にそれが見えてくる,という”GNU is Not Unix”みたいな定義なんだろうが,それもかなり怪しい理解の仕方であろう。だから,「武田の言う理想的な「公共性」って何なんだ?」という問題意識を持って,何度か本書にチャレンジしてみる必要があると感じているのである。
 ただ,「NHK問題」というものがかなり根の深い,この「公共性」というものに根ざしたものであり,それ故に議論が錯綜してなんだか訳の分からない方向に流れがちである,というものであることは何となく分かった・・・ような気がする。その問題意識を持たせてくれただけでも,まあ740円の価値はあったかな,と勝手に結論を出しちゃってるんですけど,基本的にバカなんで,このぐらいしか分からなかった,と言うだけのことなんである。営業妨害になりそうな中途半端なものを流しちゃってすいません,武田さん。

2/10(土) 掛川・晴

 うう,論文修正作業進まず,余計なことばっかりやっている。今日こそ何とかしないとまずい・・・のだが気が進まず。逃避行動を取ってしまう(つまりここの更新)。
 昨日は非常勤講義の定期試験。96人受験して,及第点に達しなかったのが5人。合格率が95%で,及第者の多くに100点続出というのは試験問題としてはいかがなものか,と思うが,真面目に講義を受講して課題をこなした人が報われる成績をつける,という目的にはかなっているようだから,まあよしとするか。クソうるせぇイヤミな教員にキチンとついてきた方は無事合格,まずはおめでとうございます。
 ところで今回から新たに設けられた秀(S)って奴の基準はどう設定したらいいものやら。説明文書ぐらい入れておいても罰はあたらんと思う。んっとに学生さんはまともだが,事務システムに関してはとことんいい加減なんだから困ったものだ>S岡大学。こういうノホホンさがワシらみたいな哀れな民間人のジェラ心に火をつけ,公務員(じゃないけど似たようなモンだ)バッシングが更に広がっていくのである。
 なんだとぉ~。てめぇの「やっちまったよ一戸建て!!」を読んで,自宅購入(マンションだけど)に踏み切ろうとしている独身中年男のウブな決心を裏切って,賃貸に引越だとぉう! ふざけるなぁ。・・・ま,伊藤理佐らしくていいけどさ,当分は「やっちまったよ!一戸建て Part 2」が出そうもないのが残念である。その代わり,はやく「いろいろあって」の部分をたっぷり作品で語って頂きたいものである。
 今住んでいるアパートの水洗トイレに水漏れが発生し,現在,不動産屋を通じて水道屋を待っているところである。どーせ8月には出ちまうところだから,少々の不具合は放置プレイしたいところだが,水道料金に跳ね返ってくるとなっては捨てておけぬ。・・・しかし来ねぇな。あ,呼び鈴が。はーい,いま行きまーす。
 結局,止水栓(?)の部品交換が必要になるので,一週間後の土曜日に改めて修理に来るそうである。あー面倒臭ぇ。また来週も自宅待機かよ。
 では論文に戻ります(希望的観測)。

2/5(月) 掛川->浜松->掛川・?

 非常勤講義。今週末に定期試験で一コマお付き合いしたら今年度はもう完全に終了する。次年度からは週一コマに圧縮されるので,二コマ連チャンという形態ではこれが本当に最後である。うーむ感慨深いな。
 それはともかく,次年度もお付き合いしそうな受講生もちらほら・・・そうならんよう,しっかり定期試験で点数取ってくれよな。
 S.J.Farlowの”Partial Differential Equations for Scientists and Engineers“をAmazonから取り寄せる。結構定評のある偏微分方程式のテキストであるらしい。へー,こりゃなかなかいいや,しかも安い($15.95)・・・と感心していたら,とっくに翻訳されていた。ワシの入手した奴は第2版に相当するようで,初版の訂正(きっとI先生がsuggestしたに違いない)と幾つかの節の追加がなされているようだ。
 しばらく翻訳作業という奴から離れていたので,ボチボチ次のネタを見つけようと本書を取り寄せたのだが,さすがに相手が悪すぎる。つーことでまた別のネタを探さなければと思っているのだが,何がいいかなぁ・・・。やっぱりMullerのあれかしらん?
 さて,明日からは本格的に論文の手直しじゃ。頑張ろうっと。今年は何本か投稿しようと思っているので,それの景気づけにはちょうど良い。新学期が始まるまでには幾つか手をつけて,夏休みまでにはもう一本ぐらい投稿まで漕ぎつけたいものである。何せ,8月~9月にかけては引越作業が待っているのだからな。
 寝ます。

2/3(土) 掛川・晴

 ここんとこ久しぶりに冬らしい気温が続いている。暖冬だったので,肌を刺す冷気という奴とは無縁だった皮膚が敏感に反応してくる。それでもまだ遠州名物空っ風は殆ど吹いていないので,平年よりは気温が高めであることは間違いない。このまま冬を体感せずに春を迎えそうな気がする今日この頃な訳です。
 昨日は静大非常勤。今年度はやたらにメンドクサイ課題を出しまくったせいもあってか,履修者大幅減となった。で,講義となると更に人が減る。前回の課題を提出したらそのままフケる奴が結構いるようである。・・・ま,ワシにも覚えはありますがね。
 そういう時には講義時間内に課題提出を義務化し,これをチェックすることで前回分も含めて出欠を2回分取ってしまうのである。つまり,前回分が提出されていても,今回分が提出されていなければ2回欠席ということになる訳である。
 ほほほ,ざまぁ見やがれと嘲笑しながら課題の採点をするときの醍醐味といったらない。ああ,教師になって良かったと思う今日この頃な訳です。
 そーか,今日は節分か。外地育ちのワシにとっては単にでかい声を張り上げながら虚空に豆をまいて自分で拾って食うだけの日なのだが,西日本では何でも長い太巻きを切らずにそのまま食うという,訳のワカラン儀式を執り行う日であるらしい。最近はコンビニでもこの太巻きを予約注文できるようになったらしく,ワシの行きつけの所でもこの広告をよく目にする。
 この儀式が存在する合理的理由が,ワシにはとんと理解できなかったのだが,先ほど判明したので,ここでそれをご紹介したい。
 これは,西日本における「姥捨て」の儀式だったのである。
 ここんとこ,正月になると老人が餅をのどに詰まらせて病院に担ぎ込まれるというニュースが必ず流れるが,「恵方巻き」を食って死んだという情報はさっぱり伝わってこない。これは不思議なことである。あの柔らかい餅を雑煮の汁と一緒にすすっていても事故が絶えないのに,あんなでかくて太いものを年寄りに食わせておいて,事故らない筈がないではないか。それとも,年寄りはあの儀式を免除されているとでも言うのか? そんなはずはないではないか。老人こそ,縁起を担ぎたいものなのである。やっていないはずがなく,それで事故報告が上がってこないというのは,これは「姥捨て」という儀式に他ならず,そのため,たとえその結果として不幸なことになったとしても,親類家族はそれを一切報告しないだけなのである。
 ああ,西日本恐るべし。・・・という下らないことでも考えていないとやっていられない,今日この頃な訳です。
 あー,こんなこと書いている暇はないのであった。今日もいそいそと出勤の準備をする今日この頃な訳です。