コロナウイルス罹患覚書

 ワクチン接種4回,鉄壁かと思っていたが,抗体量は半年ぐらいでリセットされちゃうらしく,9月に始まる5回目の接種前にとうとうコロナウイルスに感染してしまった。詳細を書くといろいろ差しさわりがありそうなので,一部情報をぼかしたうえで備忘録代わりに書き付けておく。

感染初日: 午前中異状なく,定例の家事(掃除機掛け,スーパーへの買い出し)をこなし,午後は昼食ついでに周囲のデパートだのショッピングセンターだのを覗いて帰宅。さて夜はゆっくり花火でも見物するか・・・と夜食つまみながら日が暮れるのを待っていたところ,急激に体温上昇,悪寒襲来。ああこれはもうアレだワシはもうダメだとそのまま汗だくになりながらベッドに倒れこんでそのまま就寝・・・できるはずもなく,うーうー唸りながら長い夜を過ごす羽目になる。

感染二日目: 起き上がる気力なく,38度まで上昇した体温と悪寒からくる滂沱の汗と格闘しながらベッドで日がな一日寝込む。食欲ゼロにつき,スポドリのみ補給。

感染三日目: 昨日よりはマシになったとはいえ,それでも37度~38度の体温。一応,購入してあった抗原検査キット使ったらくっきりした二本線が出現,陽性確定。発熱外来のあるかかりつけ医に連絡し,指定時間に隔離部屋に案内され,囚人の面談よろしくアクリル板越しの診察。カロナールと咳止めは薬局の人が持ってきてくれた。コロナウイルス病原体は近寄って欲しくないということか(無理もない)。医者からは感染の次の日からカウントして5日は家から出るなという指示ありも,そうもいっていられない事情もあり,どうすっかなぁ。

感染四日目: 熱下がり,頭痛も軽くなった・・・途端に猛烈に腹が減り,神さん作り置きのおかずから食いかけの巻きずしから片っ端に食いまくる。あれだ,カリ城脱出後のルパンの寝起き状態,「血が足りね~ジャンジャンもってこい」状態。ここにきてようやく仕事やらなんやらのスケジュールのことが気になり始める。

感染五日目: 色々あって色々済ませたのちに完全休養を取る。頭に靄がかかった感は消えず(ブレインフォグとかいう奴かな),あとは平常。賞味3日の有症状で,コロナワクチン副反応よりずっときっつい。それでもまぁ喉の痛みは殆どなく,喘息持ちとしてはかなりワクチンの効用はあったのではないかと思いたい。

 以上,折角の経験なので,西浦先生のメタコビに情報提供してワシのコロナウイルス感染症日記を閉じることにする。そーいやここ数年,風邪ひいたこともなかったから,体が準備できなかったのだなぁ。これからは年一ぐらいで発熱ぐらいはしておいた方がいいかしらね。

7/15(土) 駿府・曇時々晴

 今週中には、少なくとも東海地方は梅雨明けではないかという予想もあったが、日本列島を横断する長い梅雨前線が消え去るに至らず、夏の太平洋高気圧が北陸・東北地方まで押し上げるだけで終わってしまった。今日は秋田で大雨というニュースが流れている。流石に来週には梅雨が明けるのではという予報が出ているが、なんせ自然現象だからなぁ、当たれば良いがさてどうなりますやら。

 

 昨年度から、コロナ感染に鈍感な立ち向かうHPC研究会は対面研究集会を開催したが、どういうわけかJSIAMは慎重な方々が多いようで、昨年度末からようやく対面集会を開始したらしい。ということで、伸び伸びになっていた第49回数値解析シンポジウムが3年ぶり(?)に開催され、当方、13日の1コマ授業、2コマ実験、1コマ卒研終了後に終電間近のトーホグ新幹線に乗って盛岡に22時30分過ぎに到着した。

 なかなか綺麗なホールで、全席に電源が備えられており、Eduroamも使えて快適。ワシの公演は亡くなられたS田先生のお名前から始まる漫談で、まぁ何とかなったと思うことにする。終了後に参加者全員で記念写真撮ったので、そのうちJSIAMのサイトに記事が出る事でしょう。次年度どうなるかは未知数だが、お世話役の苦労が大変で引き受け手がないらしいが無理もない。次年度と言えば、本学・静岡駅前の御幸町キャンパスができているはずだが、駅から地下で直結の場所でできたらいいなと思うがいつになるやら。

 帰りはA大の先生方と盛岡冷麺。確かにゴムみたいな硬さだが食い応えはある。主催者の方からの情報では「辛味(キムチ)」は別に注文しておき、好みに応じて加えていくのがお勧めだそうで、確かにそうしたら適度な味に調整できて大変よろしかった。先立はあらまほしき事也。

 帰りの新幹線、三連休前の金曜日の午後ということで、東京までの指定席が全然空いておらず、みどりの窓口の長い列に並んで窓口の係の人にねじ込んで何とか確保できた。

 東京駅から乗り継いだひかりも指定席満席。自由席は阿鼻叫喚・・・かどうかは知らんが、立ち客が出たらしい。今日からap bank 2023がつま恋で始まることもあって、静岡・掛川・浜松あたりで宿泊する人も多かろう。三連休とはいえ、7/17は本学フツーに講義があるんだけど、朝イチで出発、終演後に帰宅せんとえらいことになるなこりゃ。

 ということで今日はまったり過ごしまする。次の論文締め切り2週間後、そのあとは25年間の業績調書かんといかんしぃ、書類ばっかり書かされる五十路半ばの身の上なり。

BNCmatmul Version 0.21 released!

We have released BNCmatmul Ver.0.21. That dose not provide comfortable compilation but faster DD, TD, QD and MPFR prec. real BLAS functions.

遅くなりましたが,とりあえずBNCmatmul Version 0.21リリースしました。コンパイルには苦労すると思いますが,動けばそこそこ早い多倍長精度BLAS(現状は実数のみ)にはなっているかと思います。

5/7(日) 駿府・雨

 昨日後半から広がってきた雨雲が今日一日土砂降りを敢行し、GW最終日は誠に人通りの少ない落ち着いたものとなった。まぁどのみち明日からは日常に戻って暗鬱な梅雨の時期を乗り越えてお盆を迎えるまで働きバチになる訳で、本日ぐらいはゆったり過ごせという神の思し召しか仏の御心なのだと納得しておこう。

焼け落ちて再建された藪蕎麦初訪問

 5/5は夫婦共々、藪蕎麦を堪能してから東京を散策した後に鈴本へ。流石に連休中とあってあらかじめ前売りを買っておいたのだが、完売状態。まぁ権太楼師匠がトリで、桃花、小ゑん、喬太郎、一之輔というラインナップだから無理もない。格段のコロナ対策もなく300近い座席が満席で、演者の気合いがとんでもなかった。笑いすぎて腹が痛い。結構若い中年層も来ていて、当面落語協会は安泰かしらねぇ。

 ということで、昨日と本日は普通の週末として定例家事をこなし、のんびり過ごす。こちらのblogも、iPhone撮影のHEICファイルをダイレクトにアップロードできるようにImageMagicプラグインを突っ込んでスッキリした。これで頻繁にここの更新ができればいいんだけどねぇ。

 投稿論文の査読結果諸々、今後は待ち状態が続く。最後は6月下旬に結果が分かるので、まぁあと二ヶ月、じっくり待ちつつ次の査読論文のためのプログラミング・データ取り・予稿準備に勤しむことにするかな。

細野不二彦「1978年のまんが虫」小学館

1978年のまんが虫

[ Amazon ] ISBN 978-4-09-861558-2, ¥1480

 ベテラン漫画家による自伝漫画が続々と出版される昨今である。こちとら「ドラえもん」6巻を親に買って貰って以来の筋金入りの漫画読みであるから、慣れ親しんだ漫画家先生の自伝となれば即買いである。手元には既に矢口高雄、ちばてつや、車田正美、藤子不二雄A、小林まこと・・・と、既に鬼籍に入った方からまだまだ現役の方まで入手済みである。
 とはいえ、全部が全部傑作かというとそうでもなかったりする。なるほど、作者の主観についてはしっかり描かれてはいるものの、自分を客観視できる突き放した視点が欠けていると、今一つ面白みを感じないのがワシなので、その当時の社会・経済・漫画界の状況の説明は、自伝漫画にどうしても欲しいものなのである。
 ということで、細野不二彦によるこの「デビュー直前・漫画家細野の青春とその決別の時期」を描いた本作は、1978年当時の熱いSF業界や、ジャンプからサンデーへのラブコメ路線が花開く時期の漫画業界のことがしっかり解説されており、ワシみたいな当時を知っている五十路以上の人間には懐かしく、もっと若い読者には新鮮な驚きを持って伝わりやすい傑作自伝になっていると断言できるのである。

 細野不二彦にはデビュー作が2作ある。一つは「スタジオぬえ」社長・高千穂遙原作の「クラッシャー・ジョウ」の漫画化作品、もう一つはその後、本作の最後の最後に登場する少年サンデー掲載作「恋のプリズナー」である。本書によれば,前者,つまり一作目の出来に今一つ細野自身が納得できず、世評もパッとしなかったので、社長命令で第一作のコレを持って出版社への持ち込みを強要され、最終的には小学館に拾ってもらって書き上げたのが後者、つまりに二番目の実質的なデビュー作となったものであるらしい。本作ではその辺りの事情が、丘の上大学(慶應義塾大学)の学生として、先輩や同輩の才能と日常の充実っぷりに当てられながらも漫画家としての技量を高めていく様が、本作・主人公の汗に象徴される焦燥感と共に描かれている。
 そう、細野不二彦と言えば、荒っぽいが生々しい描線と共に、ムンムンと熱を発する汗と涙に代表される体液が特徴的な漫画家なのである。ワシが面白さを認識したのはアニメ化された「さすがの猿飛」で、石ノ森章太郎チックな描線の荒さが気になりつつも、ムッチリした主人公と、エロかわいいヒロインに魅せられながら単行本を楽しんでいた記憶がある。既にその頃には独特の画風を確立しており、本作で高千穂社長から「永井豪の真似」と散々な言われようだったタッチからは完全に脱皮していたのだ。

 安定したライフワークとなった「ギャラリーフェイク」をはじめとする多数の作品を紡いできたベテラン漫画家をして、デビュー直前の悪戦苦闘ぶりは、ぬくぬくとした自己充足的モラトリアムから脱するためには、近しい肉親や友人の死という生のリアル感と、キャリアを積んだ先輩社会人からの客観的視点からの批評が不可欠であることを改めて認識されられる。何者でもない時代のヒリヒリ感は、五十路のワシでも忘れられない苦い記憶と共に今も自分の中にある。年寄りはそのような「青春の思い出」として、現在進行形でもがいている若者には一つの処方箋として「試行錯誤の先に道が見えてくる」という、当事者にとっては「適当なことを抜かすな!」と言いたくなる、しかしジタバタした足掻が一番重要であることを突きつけてくれる、傑作自伝であること間違いないのである。