蛭児神建(元)「出家日記」角川書店

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-04-883932-2,\1500

出家日記
出家日記

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蛭児神 建(元)著
角川書店 (2005.11)
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 世代的にはドンピシャリだったにもかかわらず,いわゆる「ロリコンブーム」という奴とは無縁の人生を送ってきた。まだ「マカロニほうれん荘」の余韻の残る少年チャンピオンで内山亜紀がデビューした時も,「何これ?」と思っただけで完全スルー。別段ワシが倫理的であるとゆーわけではなく,単に「つるぺた」には全然リビドーを感じない性癖であったからに他ならない。おかげで,たまーに報道される未成年買春事件を見ても,世間には物好きがいるなぁ,と思うぐらいで全く同情できないのである。何が楽しくって「じょりじょり感ゼロ」の子供相手にSEXせにゃいかんのだよ。ふんとに。
 だもんで,本書の著者が「ロリコンブームにおけるカリスマ」だと言われても,あそー,ふーん,ってなもんで,全然存じ上げなかったのも無理はない。もし著者が吾妻ひでおに手紙を送らなければ,そしてその手紙は誰に見せても良いと断りがなければ,そしてそして「Comic 新現実」で吾妻ひでお特集がなければ蛭児神の自伝連載が始まることもなく,本書が刊行されることもなかった訳である。ま,それも著者と吾妻ひでおとは浅からぬ因縁があったからこそ,なのであるが,それは本書を読んで納得して頂きたい。
 それよか,ロリコン市場(とゆーものがあったらしい)を退いてからの著者の生き様の方がずっと読んでて興味深かった。本書のタイトルである「出家」生活はここから始まっているのだが,まぁなんとゆーか,宗教界というものは大変なところであるなぁ,と嘆息することしきりである。それに輪をかけて奥様との日常生活がまた凄まじい。著者はワシより10歳ほど上であるし坊さんであるが,それ故に一種の悟りの境地に達しているのだろうなぁ,そうでなきゃこういう人生はそうそう送れるもんじゃない,と考え込んでしまったのである。
 業田良家が「自虐の詩」で示した「幸も不幸もなく,ただ人生がそこにある」という達観の実例を見る思いがする本書は,ロリだのショタだのという単語とは無縁の人でも引き込んでしまう普遍性を帯びている。その割には配本数が少ないのか,先日東京の書店をうろついた際にはついぞ本書が平積みになっているのを見かけなかった。わずかに数冊,背表紙をこちらに向けていたのを3件目の大書店で発見し,いそいそと購入してきたぐらいである。折角の人生読本なのだから,もう少し人目につくように売っていただけませんかねぇ>角川書店。

11/5(土) 掛川・晴

 うう,暑い暑い。気温じゃなくて職場の室温が,である。もー,Dual coreったら暑いッたら暑い。CPUは熱いし部屋の気温は暑い。あーもー暑いったら暑い。
 小田嶋隆さんのblogにJASRACへの批判が掲載されていた。うーむ,海外で公開されている歌詞を自分で翻訳してサイトに掲載してはいけない,とな。この辺の契約はどういう具合になっているのやら,部外者にはさっぱり分からない。
 サイトを巡回していたら見つけた,文字通りの「虫食い」サイト。筒井康隆のご尊父もゲテモノ食いと称して松食い虫を食べたりしていたそうだが,それの衣鉢を継ぐサイトである。見ているとうまそうに見えてくるのだから,食い物に対する認識ってのはいいかげんなもんだなぁ。さすがに火を通した料理しかないようだが,アニサキス入り生魚よか安全なんだろうな。
 うげ,水っ洟が止まらない。寒気がするぅ~。この秋初めての風邪か?
 用心のため,もう寝ます。

11/4(金) 掛川->浜松->掛川・?

 ただいま。やっぱり温泉はいい。特に,丸善や八重洲ブックセンターや紀伊国屋書店やジュンク堂や鈴本演芸場やヨドバシカメラに電車一本でアクセスできる温泉はベストだ。なのにどーしてわざわざ人気がなくビルもなく木や山や海しかない上に宿泊料金の高い温泉宿ばかりに人は行きたがるのだろう。そういう人はきっと6年も能登半島のど真ん中に閉じ込められた経験がないに違いない。毎日山手線や小田急線のラッシュにまみれて都会を満喫しているのであろう。この贅沢ものめらが。
 メガネ,レンズはそのままにフレームのみ交換。今時ガラスレンズを嵌める奴は少ないらしく,フレーム調整が面倒そうで,「あんましこーゆーふーに手をかけたくないんですけどねぇ」などと言われる。ワシが眼鏡屋に行くたびに店員から不満をぶつけられるのであるが,何故だ? まー,今のところ老眼に移行する予定もないので,レンズは使いまわしたいのである。今度こそは表面コーティングしたプラスチックレンズとやらに変えてみよう。
 非常勤の日。毎週出かけて2コマぶっ続けの講義というのはなかなかシンドイけど健康には良いようで,後期は体調もよろしい。今日は調子に乗りすぎて時間大幅超過。すまん>S岡大の諸君 だって初等関数の計算は面白いんだもーん。お詫びに中間レポートを出しておいたので,それで勘弁して頂きたい。なんて親切な教師なんだろう,ワシ。再来週のアンケートが楽しみだわい(嗚呼自虐的)。
 明日は出勤日。英気を養うために風呂入って寝ます。

究極の孤独

 「若い人はシングルは男女問題だと思っているみたいだけど,それはちがう。シングルというのは老人問題なの。若いのがひとりなのは当たり前なんだから」(「歩くひとりもの」P.140より)。
 NHKスペシャルは,たまに興味のある内容の時は録画して見る。しかし,これはたまたま時間とザッピングのタイミングが合って見ることになった番組であった。
 「ひとり団地の一室で」(2005年9月24(土)放映)。これはまさしく老人問題としての,しかも男性のひとりものを扱った番組である。一言でいって,本番組に登場するひとり者は悲惨極まりない。体の調子が悪くて働けず,医者に行く金もない。病気になって働けなくなった途端に妻から離婚を言い渡され,ひとりで団地に越してきたが,部屋から一歩も出ず部屋は荒れ放題。挙句に孤独死。そういう状況を少しでも改善したいと奮闘する団地役員氏とそのお仲間達の活動を主軸に据えているが,ひとりものの悲惨さが際立って伝わるように編集された番組であった。そーゆー悲惨なひとりものばっかりなのか? と疑問に思わないではないが,「ひとりものの末路は孤独死」という事態が多いことは紛れもない事実であろう。この番組が放映されるかなり以前にも,東京都の警察の仕事の多くは老人の孤独死の後始末だ,という話を聞いたことがある。
 というわけで,酒井順子が言うように,負け犬は男女問わず「腐乱死体」になることは覚悟しなくてはなるまい。勿論,今はこうしてバシバシキーボードを叩けるのも元気で若いからであって,いざ腐乱死体にそう遠くない年齢になったときに平気でこの4文字熟語(じゃないか)を口に,あるいはキーボードに叩き込めるのか,と言われれば,かなり自信がない。今のところは,50を過ぎたところで,貯金に見合った額で入ることのできる有料老人ホーム探しに勤しむ予定であるが,そもそも現在のような日本経済の状態で,そんなところに入るだけの余裕があるのかどうか。それ以前に,街中を彷徨う,臭気プンプンのうらぶれたホームレスオヤジになってしまう可能性が高いのだから,屋根のある所で死ねるだけでもマシかもしれない,と本気で思う。
 かつて「老人Z」というアニメ映画があった。「原作・脚本・メカデザインが大友克洋、キャラクターデザインは江口寿史」(from Amazon)という,どうしてこの二人が関わって作品が完成に至ったのか,日本の7不思議に数えられているぐらいの珍しいアニメだが,さすがに面白い。脚本のくだらなさ(誉めてるのよ)とキャラクターの可愛さが共に際立っていて,まさしくワシ好みの作品であった。そーいや,これもNHK(BS2)で見たんだったな。ワシの一生はNHKと共に終わるよーな気がしてきたぞ。いやそれはともかく。
 この作品で大活躍するのは,暴走する介護マシンとそのモルモットにされた独居老人である。この老人は痴呆の症状も出始めた足腰の立たない要介護状態でありながら,妻とは死別して一人暮らしである。故に厚生省(現・厚労省)が開発されたばかりの介護マシンの実験台として目をつけるのだが,この老人の「かーちゃん(妻)」への想いがマシンの人工知能に伝わって,老人が理想化した妻の人格を宿してしまうことになる。
 あれ? これって,あの千葉の公営住宅に越してきたひとりものの男性と境遇が良く似ているな・・・と気が付いた。離婚と死別,理由は異なるが「かーちゃん」が今はいない,故に寂しい,という状況は同じではないか。
 アニメと一緒にするなよ,と怒られそうだが,「萌えるひとりもの」の妄想だと思って許して欲しい。ワシは老人Zを見ながら,主人公の老人を羨ましく思っていたのである。勿論,エンターテインメントとして切れの良い演出が施されていたせいもあろうが,「かーちゃん」とかぼそく言い続ける老人は,ワシみたいな純粋培養ひとりものよりも真っ当な男に思えて仕方がなかったのである。
 対して,映像は暗くてすさんでいたけれど,あの公営住宅に越してきたひとりものの老人らは,ひとりになった寂しさを嘆いていたが故に,真っ当な人生を歩み,真っ当な感情に苛まれている,これはとても良いことなのではないか。人間性とは,このような寂しさを知る老人らにこそ宿るのではないか。
 おなじ腐乱死体になるにしても,そこに至る過程において,純粋なひとりものに比べれば,老人Zも公営住宅の老人もずっとずっと真っ当であり,寂しさに泣くことによって魂も昇華できるのであろう。
 孤独の寂しさを忘れた人間は,自分以外の人間を求めることもしないから,この世に存在しなかったことなる。
 それこそ,究極の孤独って奴なんじゃないかしらん?

11/1(火) 掛川・晴

 今朝は今秋一番の冷え込みだそうである。我が家はといえば,灯油を買う買うと言っていながらまだ買っていないので寒い。まあ,出勤前の朝飯の時間だけ我慢すればいいのであるが。
 11月になり,とうとうワシはみかかから動的IPアドレスを貰い受けて接続するパンピーに成り下がった。といっても10月中旬からそーゆー体制になっているので,何が変わるわけではない。小泉内閣を見習ってコスト削減を図ってはみたものの,どの程度の効果が上がるやら。既にメガネ崩壊のため,相当のマイナス家計となっており,前途は多難である。
 内田先生による「下流社会」のReviewを読むと,毎日PCにへばりついて,仕事も趣味も済ませてしまう,自民党に投票するワシは下流人間であることがわかる。上流になりたくないわけではないが,今の生活にそれほど不満があるわけではないので,搾取されることに慣れてしまった「ブルジョア的プロレタリアート」の典型なのだろう。ま,下流人間は下流なりに楽しくやるまでさ。
 今日は一日事務仕事に励む。12月にはまたぞろイレギュラー(来年度からはレギュラー化しそうだ)なお仕事が舞い込んできて,組織内奉仕人間になりつつある。うーむいかん。今年度後半はpublishされるまとめ仕事に精を出そうっと。
 明日から行方知れずになる予定であるが,探さないよ―に。んでは。