6/20(日) 掛川・?

 昨日買ってきたLet’s Note R3の設定をしてWindows Updateをかけながらこれを書いていたら,もう日が変わってしまった。うーむ,毎度のことながら,面倒なことだわい。自宅のBB routerがしょぼくって,内部のマシンはMTUを1500 – αにしておかないとまともにuploadができないので,買ってきて早速Registoryを弄らなくてはいけない。
 購入は予定通りヨドバシ新宿西口駅の前~♪。もらったばかりのポイントを最大限活用してOffice 2003 Proも買ってしまう。ワシの用途だとOffice 97で十分なのだが,まあこの機会に最新のものを揃えておくことにしたのである。
 しかし,高々40平米のアパートの一室なのに,無線LAN(IEEE802.10g)の接続がちょくちょく切れてしまうのはいかがなものか。もっと安定しないもんなのかなあ。
 あ,Windows Updateが終わったらしいのでRebootを要求している。ということで今日はこの辺で。

6/15(火) 掛川・晴

 梅雨は中休み状態。気持ちのいい気温と天気が続く。
 先週,昨年に続いて二度目となる,双方向でない遠隔講義を行った。前回は11名の受講者がいたが,今回は6名のみ。内容も,昨年度のものを使い回しつつ,ぐっと易しくし,適宜チャットを使いながら実習の進行状況を確認した。
 本日受講生のアンケートが届き,まあまあ好評だったことが判明。ほっと胸をなで下ろす。
 ボチボチSWoPP2004の原稿の第一締め切り。佳境につき,この辺で。

6/11(金) 掛川・?

 台風が近づいているらしい。そのせいか,ちょっと気温が高め。・・・などと書いていたら,日が変わってしまった。
 情報処理学会の数値解析研究会がHPC研究会に衣替えしてからもう何年になるんだっけか? 応用分野の方々のツールとしての諸々の数値計算を統合的に扱うガクモンとしての「数値解析」は,元々,下請的な色彩の強いものだったが,HPCに衣替えしてからはますますその色合いが強まった感がある。「下請」という言葉に敏感な方は怒り心頭かもしれない。しかし,冷静に考えてみれば,画期的なアルゴリズムがあって生まれた応用分野ってのあったっけか? 他の分野の要請があって,抽象化した問題設定を行い,それについてのアルゴリズムや数理的側面からの考察をする,とあくまで受動的なガクモン,それが数値解析の本流という気がしてならない。下請という言葉が嫌なら,「基盤的」と言い換えても大意は変わらない。抽象度の上がった問題の解決を求める向きには,最後のよりどころでもある。
 線型計算やそれを土台とした非線型計算も,主要な部分は固まってきて数理的な工夫の余地が無くなりつつあり,その先は,アルゴリズムを実行する計算機システムを改良・改善することでより生産性を高める方が得策であるという判断の元に,「数値解析」研究会は「HPC」研究会へと移行した。結果,数値計算を伴う「計算科学」という広めのコアの元に,コンピュータ屋さんが多数参加する今の状況を生むに至った。今では遺伝子・流体・重力多体・・・とより大規模な計算を対象としたプロジェクト研究が盛んになっている。そしてまた,そこで利用されるソフトウェアも整備されつつあり,磨き上げられて改良の余地が無くなり,今度は情報工学的な工夫の余地が無くなって,応用分野側での問題設定をあれこれ弄くることになるのだろうな。歴史は繰り返す。
 数学も情報も,そういう意味では下請的な性格のガクモンで,どちらも理論がコアになっており,他分野から問題が持ち込まれて初めて体系が生き生きとし出すという点もよく似ている。ワシは理論にじっくり取り組む根気も能力もなく,さして広くも深くもない知識を組み合わせて日々暮らしているダメ学者であるので,理論に深く通じた偉い学者先生をいつも羨望の目で見つめている。多分,中途半端にHPCだけに通じているワシみたいなのは,そのうち淘汰されてしまって,後に残るのは優れた理論屋さんと,応用の方々なんだろうな。もっとも定年までは淘汰されては困るので,今はせっせとさして多くもない知識の深化を計りつつ,応用指向のことに手を出そうとしているのだけれど。
 してみれば,例えば数学系の学科がリストラされたり,情報系の専門学科・学部が衣替えしつつあるのも,まあ時代の要請という意味ではやむを得ないことなのだろう。・・・と簡単に諦められては困る,もっと運動を,という向きもいなければ困るので,それはそれで頑張って頂きたいとは思うが。
 そーゆー,数理系に不利な時代状況があるよなぁ・・・と感じていたところで,例の「学力低下論争」が持ち上がったのである。最初に火を付けたのは,数学者だった・・・という辺りも,そーゆー風潮に対する異議申し立ての気分がなかった,とは思われないのだ。ゲスの勘ぐりであってほしいが,どーも,その辺に政治的意図があるように思われて,その論争が生臭く感じられてしまったのである。ワシが「学力低下現象」を疑ってしまう理由の一つがここにあるのだ。

6/7(月) 雨後曇

 近畿・東海・関東甲信越地方にも梅雨入り宣言が出された。今朝はそれに相応しい土砂降りで目が覚めた。昼過ぎにはドンヨリムシムシしつつも,雨粒が降ることは無くなった。威勢の悪い梅雨である。
 6月から7月までの資金繰りをあれこれシミュレートしてみる。カツカツだが,何とかSWoPP2004+帰省の費用は捻出できそうである。そんなに豪勢に貯金している訳でもないのに,なんか生活がつましいなぁとは思うが,ぱーっと派手に使っちゃう程欲望がある訳でもないので,それ程不満がある訳ではない。むしろ,外食が減って自炊が増えた分,あれこれと総菜を作ったりみそ汁の具のローテーションを考えたりする楽しみが出てきた。ちょっと胃腸の調子が悪いせいで,あまり量を必要としなくなったのも幸いしている。これで運動不足が解消できれば言うことなしなのだが・・・やっぱり今年の年末に,スポーツクラブに復帰しようかなぁ。金払って運動するのもアホらしいが,そうでもなければ動かないのだから,全く意志が弱いというか,だらしないというか。
 FIT2004は結局申し込みしなかった。ここんとこ体力が切れたのか,ネタまで切れてしまったためである。ということで,今年はWorkshop3回の他は4回講演となる予定。それでも昨年までのペースから考えれば驚異的な回数なのだ。
 SWoPP2004の暫定プログラムが届く(というかWebにupされた)。HPC研究会分は昨年度に引き続いて講演数が多く,幹事の根回しが効きやすい講演者には10分時間を短縮願って何とか期間内に全講演を押し込んだ,という感じのプログラム構成である。ワシは無論,そーゆーツテはないので,予定通り30分講演。何故か二日目の朝一(またかよ)なので,一日目はゆっくり出来そうである。むーん,ちゃんと30分の中身にしなければいかんのぅ。原稿は今月末まで。今週中に暫定版を上げてしまおう。
 JSIAM2004の講演申し込みをしようとするも,もう少し内容を詰めてからと思いとどまる。SWoPPの方が一息ついたらちゃんと考えませう。
 北陸・東北地方も梅雨入りとのこと。これで蝦夷地を除く日本全国が梅雨になった。今年は雨が多くなりそうとのこと。マメにシャワーを浴びるようにしよう。

遠藤淑子「空のむこう」白泉社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-592-13298-X, \571
 最近,注目している書評コラムがある。Asahi.comで毎週金曜日に更新されるコラム,「松尾慈子の漫画偏愛主義」だ。性別は異なるが,世代が近いせいか,取り上げる作品がみょーにワシの好みと一致する。文章もテンパっていて面白いし,何より余計な知識や引用なしの潔い「私はこれが好きなのよ」パワーが全開しているところが良い。あんまし反響がなさそうなのが気の毒なのだが,もっと話題になって良いコラムだろう。がんばれ負け犬(ォイ)。
 そこでちょろっと名前が登場する漫画家,遠藤淑子の作品を取り上げることにする。出版されたのが今年の初頭だから,まだ店頭では入手可能である。しかし,松尾さんがおっしゃっているように,単行本が出たのが数年ぶりという寡作ぶりで,本書も1997年から2001年までの作品群をまとめたものである。うーん,何があったのだろう・・・。ま,ともかく本は出たので,あまり詮索しないことにする。
 遠藤はデビューからこの方ずーっとコメディを書き続けてきた作家である。今でも基本的にその路線は変わっていないのだが,次第に「ヒューマン」という形容詞が冠せられる作品が多くなっていった。個人的にはちょっとありきたりすぎるかな・・・と思うことが多く,取り立てて好きな作家ではなかったのである。大体,ヒューマニズムでまとめられる作品の多くは,大衆から嫌われることを恐れて逃げているように感じられるのだ。普段,あれこれと世間の制約から枠をハメられて思うように動けないもどかしさを感じている一般人の一人としては,せめてエンターテインメントぐらいは,少なくとも表面的には制約から逃れてスカーっとさせてくれるものを楽しみたいのである。これで少しは絵柄が派手であればまた別の楽しみ方が出来るのであるが,遠藤の絵は,申し訳ないがデビュー以来,殆ど変化がない(ように見える),地味なもので,ストーリーまで手堅くまとめられてしまっては・・・うーん・・・なのである。
 しかし,人にはどうしても動かせないもの,変えられないものがあって,他人からどうこう言われても,どうしようもない性質というものがある。無理に変えようとすれば,体や精神に変調を来して寝込んでしまうことだってある。遠藤の軌跡を振り返ってみると,ちょっとゆるめのコメディ路線,しかも最後はヒューマン風味,という作風は,どうにも変えようのない代物だったのであろう。そのままずーっと描き続け,近年はボチボチやってます・・・という状況になったのもむべなるかな,という気がする。
 それ故に,段々とヒューマン路線が深化していった面がある。本書の表題作である「空のむこう」と「スノウ」は,最初雑誌で読んだ時にはそれ程でもなかったのに,今このトシになって読み返すと,随分と「泣ける」話になっていることに改めて気が付かされた。何故か?
 この2話は,西洋風ファンタジーと時代劇という異なる背景の作品であるが,主人公の境遇がよく似ているのである。「空のむこう」では原因・治療法とも不明の病が間欠的に流行する国の若い王,「スノウ」では二つの強国に挟まれた弱小国の若い領主である。前者は古い慣習に従って幼なじみの恋人を「生ける人柱」にしてしまい,後者では,好きになった雪女(?)と駆け落ちすることもできず,時の勢いを得た一方の強国から滅ぼされてしまう。・・・と,ストーリーを書いてしまうと何らカタルシスの得られない,淡々としたマンガのように感じられるだろうが,そのような状況に至る理由をきちんと面白く語ってくれているのである。詳細は本書を読んで確認してもらうとして,最終的に納得したのは,この二話の主人公の,状況に対して全く何の解決策も持てない無力さ,なのである。これが世間に対して無知な頃には分からなかったんだよなあ。今なら,「あーもー全くうざってぇ」とは内心思いながらも,限られた資源と状況を考えて,出来ること出来ないことを冷静に判断できる。そーゆーお年頃になって,初めて感動できるタイプの作品なのである。それが,最後に遠藤お得意のヒューマンでまとめられてしまっては,もう,こりゃオジサンもオバサンも涙腺がつい緩んでしまうのは仕方のないことでしょう。あーあ。
 ということで,人生そろそろアキラメ感が漂う今日この頃の方には,ちょっと身につまされて,最後にほろっと来る作品もよいではないかな,と思う,オジサンお勧めのマンガなのであります。松尾オバサンともども推薦しておきませう。