高橋しん「あの商店街の、本屋の、小さな奥さんのお話。」白泉社

[ Amazon ] ISBN 978-4-592-21714-5, \638

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 本年最後の一冊はどれにしようかなぁと候補作を並べた結果,この年末に出たばかりの本書を取り上げることにした。高橋しんといえば大御所であるので,今更ワシがあれこれ言って新たな知見を付け加える必要のない作家ではあるが,年末を飾るふさわしい「優良ファンタジー作品」であることは間違いない。ちゃんと高橋しんの単行本を読むのが初めてという初心者である故の蛇足ということでお許し頂きたい。

 高橋しんと言えば「キラキラ」「テカテカ」眩しい画面構成とベタベタの感情表現が際立っていて,ワシはイマイチ触手が動かなかった。長編を全部追っかけるほど根気がないということもあって,短編シリーズを一冊にまとめた本書が出てようやくきちんと読んでみようかと思ったのである。もちろん,主人公がド田舎から出てきた(売り飛ばされたようであるが)ちんまい書店主ということも読書意欲を掻き立てた一因である。やっぱり読書が癖になっている人間としては,本がテーマとなればそれだけでも気になるもんだよなぁ。

 で本作だが,戦後まもなく,まだ日本が貧しい時代に田舎から都会に追い出されるように嫁に出された田舎の田吾作娘が主人公だ。文字がようやく読めるだけの教養しかなかった彼女が嫁いだ途端に夫の書店主が死去して書店を引き継ぎ,書店主の友人であった隣の八百屋の次男坊の助力を得つつ,残された蔵書を読み漁ってどんどん知識を身につけ,商店街に顧客を増やしていくというストーリーだ。

 それだけであればありきたりの物語と大差ないが,高橋とアシスタント群(最後に多数のスタッフリストが掲載されている)は,光線と陰影で読者を飽きさせない絵を構成しており,それが登場人物たちの感情をブローアップさせているのである。この優れた画面構成力がなければ,かなり気の抜けた物語に堕してしまうだろう。

 もう一つ,本作の重要な要素は,この田吾作娘の書店主が顧客個人単位の嗜好に基づいた棚を作っていくというものである。まるでAmazonのおすすめリストのようなパーソナルな棚作りによって売り上げを伸ばしていくというのは現代でこそ当たり前のものだが,この時代設定の中でそれを実行してしまうことである種の齟齬を顕在化させてしまう。そこがストーリーの核心になっているという仕掛けがワシには面白く感じられたのである。

 悪人が出てこない本作はまさしくファンタジーの王道であるが,華麗な画面構成と,練られたストーリー展開があってこそ,凡百のファンタジー作品とは一線を画した作品になっている。漫画表現の王道をバカ正直に歩んでいる本作を作り上げた高橋しんを表現するには,やはり「大御所」というのが正しいとワシは勝手に思っているのである。

 とゆーことで,この記事をもって,年末ギリギリに書き散らしたぷちめれ祭りを終えることにする。来年はもう少し定期的にぷちめれを書いていきたいな~と思うのだが,定番の作家やライターのものばかり読むようになっていて,改めて記事として取り上げる本が少なくなってしまっていてよろしくないのである。ラ異変はもう少し活力のあるぷちめれを展開したく,知的活動(という程のものか?)展開したいものである。

 本年もありがとうございました。
 来年もよろしくお願い致します。

犬上すくね「アパルトめいと 1巻」白泉社

[ Amazon ] ISBN 978-4-592-71059-2, \648

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 幸せなエロを描かせたら田中ユタカか犬上すくねの右に出る者はそうそうおるまい,とワシは断言しちゃうのである。で,年末から松の内ぐらいは愛情に満ち溢れた健全なるエロスに浸りたい,という方々に本書を推薦しておく次第である。著者の言葉を借りれば「こいつらセックスしかしていねぇ!」(おまけチラシより)カップルだけを描いたラブエロ漫画作品集なのである。ワシとしては少女漫画に慣れ親しんだ人なら犬上すくね,ちょろっと劇画テイストが入った方がいいなら田中ワタルをお勧めする。

 犬上の名前を初めて知ったのはコミティアのカタログ,ティアズマガジンだったと思う。ほどなく商業誌デビューを果たし,長く連載を持っていたようだが,ワシはあまり感心がなかった。複数あった長期連載を終え,短めの作品をあちこちのマイナー誌に描くようになってワシの視界に入るようになり,白泉社のエロ恋愛女性漫画ムック「楽園」に本作が載るようになってようやくじっくりお付き合いできるようになったのである。他にもほのぼの四コマ雑誌に載った作品なども読んだが,イマイチ読み続けるには弱いなぁと感じた。それは単純にエロの有り無しという以上に,読者の感情を引っ張り込む力がエロ込みの恋愛表現より弱いからではないかと考えている。

 表題作は,ビンボーなライター男を性欲のはけ口として使い倒そうとしているキャリアウーマンが主人公である。とはいえそこは犬上すくね,エロには愛情が付きまとい,両者を分離する困難さが物語の中心テーマとなっている。その辺りが純然たる少女漫画の系譜を継いでいるなぁと感じさせるのである。

 表題作以外にも二つの短編シリーズが収められているが,テーマ的には表題作と同じである。短いだけによりこの著者の持ち味が明確になるなぁと幸せな性欲に満たされる年末なのでありました。

小山慶太「若き物理学徒たちのケンブリッジ」新潮文庫

[ Amazon ] ISBN 978-4-10-125381-7, \520

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 小山慶太に外れなし,とは思っていたが,本書は今まで読んできた著作の中で一番面白く読めた。それはニュージーランド移民の子孫,Rutherfordが率いたCavendish Laboratoryの黄金期を描いた作品というだけではなく,小山自身の若い日の留学時代を重ねているように感じられるからだ。何だか文章そのものがとても大切な宝物を慈しむように流れており,全く今年はいいものを読ませてもらったワイと,新潮新書を文庫化して低価格で出し直してくれた新潮社に感謝したいのである。

 イギリスという国は,国王を抱く貴族社会でありながら,産業革命以前から低い身分の成り上がり学者も能力に応じてうまく使ってきた伝統がある。もちろんインテリの多くは豊かな貴族階級が中心ではあるけれど,NewtonやFaradayといった自然科学の大立者はそのような土壌がなければ歴史に名を残す活躍はできなかったろう。Rutherfordも植民地出身ながらニュージーランド,カナダの大学を渡り歩いて本国イギリスのマンチェスター大学を経てケンブリッジに招かれるに至る訳だが,19世紀末から20世紀初頭ということを考えても,そのような土壌がなければCavendish Labの責任者に着くことはできなったであろう。その結果,弟子筋から大量のノーベル賞受賞者が輩出されるのだから,イギリスの国力最盛期の黄金期の一角を担っていただけのことはあるなぁとつくづく感心させられる。

 19世紀から20世紀前半までの物理学が煌めいていた時代,結果として原子力エネルギー時代を開くことになって科学の発展の陰影が濃くなる直前の「古き良き時代」を描いている,ということも本書が宝石のような著作になっている所以であろう。物理学の門外漢でも良き時代の良い雰囲気が感じられる本書は,科学史の入門書としてお勧めしたい。

松本あやか・エアーダイブ(編)「札幌乙女ごはん。」札幌商工会議所

[ 記事 ] ISBN 978-4-88193-019-9, \100

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 Amazonでは扱っていないようなので,とりあえず本書,というより本小冊子の紹介記事をリンクしておいた。一言で言うと,「札幌商工会議所推奨店」の宣伝漫画である・・・が,一つの失恋物語を通じてうまく五店舗を織り込んであって妙にギコチない漫画にはなっていないところに感心させられたのである。

 このたび京都精華大学の学長に就任する竹宮惠子は漫画を大学で教えるにあたり,どういう教材を使ってどのように学生の漫画力を高めていくか,ずいぶん悩み,奮闘したらしい。その漫画家育成教育の一環として,京都市内の商店・企業の宣伝漫画を描くというものがあって,ほほうPBL(Project Based Learning)だなぁと感心したことがあった。出来上がったものがどんなものかはよく知らないが,クライアントの言うことを聞きすぎてもストーリーがスムーズに進まないし,自己表現の極みを尽くしちゃうと二度とクライアントが依頼してこなくなる可能性がある。なかなか難しいテーマに挑戦させるんだなぁと思ったものである。

 本作はプロとして活躍する著者が描いているだけあって,16頁の失恋グルメ漫画としては随分と出来が良い。キャラのハッキリした若い社会人の女性3人組が魅力的で,この調子で続編もシリーズ化してくれると面白いだろうなぁと期待してしまう。商業漫画としての及第点を目指すには基本となるキャラ設定とストーリー展開をキッチリ決めることが必要なんだなぁということを示した本冊子は漫画化教育の良いお手本となるであろう。

児美川孝一郎「キャリア教育のウソ」ちくまプリマー新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-480-68899-6, \819

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 社会人になる一歩手前の学生,高校生,専門学校生,大学生は誰しも一抹の不安を持つものだし,それは学校制度が整っていない時代にあっても若年者が社会制度に組み込まれる直前は「やってやるぞ!」という気負いと「大丈夫かな・・・?」という不安を同時に抱えていたに違いないのである。

 自分が大学を卒業する時,大学院を修了する時を振り返っても不安だらけであった。大学を優秀な成績で卒業したのならともかく,何とかギリギリ卒業に必要な単位を揃えた上に,大学院は格下の所を出たわけで,研究生活自体はやりたい放題やって充実はしていたものの,そこを通じて社会的に通用のするスキルを身に着け得たのかと言われると全く自信はない。今から思えば,若年者のスキルとは「未知のことを学習してスキルを習得する能力」なのであって,知識そのものではないのである。大体経験値ゼロの人間の身に着けたスキルなんてのはたかが知れていて,社会が期待するのはその後の「伸びしろ」なのである。日本社会が学歴より「学校歴」,つまり偏差値の高い学校を卒業した若者を重要視するのはそのためである。もちろん「学校歴が高いだけの役立たず」は存在するが,そういう人間の割合,即ち「不良率」は統計的に偏差値と高い相関関係を持つというのは厳然たる事実だろう。その意味ではワシも含めた若年者の不安というのは,迎える側の社会の諸先輩方が我々に対して持つ不安,即ち「自分らの仲間としてちゃんとやってくれるのか?」ということと同じなのである。

 不安なのはお互い様という中で,若年者の方が社会に踏み出すための足場を掴むための教育が「キャリア教育」と呼ばれるものである。著者はそれを専門としている研究者であると同時に,社会的な先輩として実際に若年者に相対する教育者でもある。本書はその両面の経験を踏まえて不安を抱える若者に,宣伝文句としての建前の背景にある「キャリア教育の限界」を優しい言葉で語りかけてくれる良書である。従ってタイトルは「キャリア教育(の背景にある世の常識を知らない若者にとっては)ウソ」ということになろう。つーか,キャリアに限らず「教育」というものが,それさえ受ければ素晴らしい人間になれると確実視できる代物ではないという常識を知らずにただ学んでいる若者にとっては,教育というものの「宣伝文句」そのものがウソ,ということになるのかもしれない。教育の一番の効果は「学ぶ姿勢」「学びを通じて会得する学習スキル」であって,知識そのものではない,ということはもう少し広く人口に膾炙していい事実であり,そうなれば「キャリア教育のウソ」なんてタイトルは不要だったろう。

 本書全体を通じて「いくらなんでもそのキャリア教育に対する宣伝文句は言い過ぎだろう」ということを中高生でも分かるように縷々説明しているが,ワシが一番胸に応えたのは,いわゆる「低レベル高校」におけるエピソードだ。詳細は書いていないので雰囲気しかわからないのだが,熱心な教員達が,純真な高校生をキャリア教育の煽り文句で煽った結果,自分のできることを超えた希望を持ったまま「夢追い人」としてフリーターになっていく卒業生が続出した,というものである。これはワシ自身にも覚えがあって,自分の能力に見合わない希望を持ったまま就職活動に突入し,次々にお祈りメールを貰って挫折する,というのは大学生でも高校生でも大差ないのである。結局,現在の日本の教育全体が個人の希望を煽るだけ煽り,憎まれ役となる適切な評価機関としての役割を果たしていないことが問題なのである。

 本書の存在意義を一言でまとめると,そのような歪を「キャリア教育」という断面から照射しているところにある。キャリア教育を担う一教員として,そして,かつては自身の希望と能力とのマッチングに悩んだ経験者として,ワシは当たり前のことを分かりやすい言葉で解説した本書を全ての若者とキャリア教育の実践者に読んで頂きたいと思っているのである。