ハイソンヤギ「真田と浜子」1巻,徳間書店

[ Amazon ] ISBN 978-4-19-950319-1, \619
mr_sanada_and_miss_hamako.jpg
 本作が初めて「コミックリュウ」2012年8月号に掲載された時,編集部は気が狂ったのかと思ったものである。編集部も編集部なら描く方も描く方だ。二人揃って何を考えているのか,と思いつつ,妙な魅力に導かれて一気に読んでしまったのだから不思議という他ない。そうかこういう視点もあったのか,と感心したのもつかの間,いつやら読み切り連載が始まって2012年のどん詰まりに単行本として全国の書店に配本されてしまったのである。徳間書店の愚挙なのか英断なのかはまだ分からないが,少なくともワシは日本初(?)となる「倦怠期の恋愛漫画」の登場を寿ぎたく,本年の最後に取り上げる作品として本書を選んだのである。・・・バカはワシか。
 ハイソンヤギ(どういう由来のネーミングなんだか)が描く本作の魅力のポイントは二つある。
 まず画風。デッサン狂いなんてもんじゃないレベルのきついデフォルメの効いた絵は,妙にシャープで,ドライブ感に溢れている。黒咲練導は歪んだ画風で退廃的なエロスを醸し出しているが,ハイソンヤギにも一種のエロスが感じられる。が,それ以上にシャープさが際立っていて読みやすい。こういう画風は狙って構築できるものなんだろうか? ちと不思議である。
 もう一つが,「倦怠期の恋愛」というテーマだ。基本的にはデブのサラリーマン・真田(男)と,非正規雇用で食い繋ぐガリの浜子との関西漫才のような,ボヤキとドツキの混じった会話を楽しむ作品なのだが,この二人がSEXをやり尽して退屈している倦怠期のカップル,というところがミソなのである。退屈しつつも何とか真田に構ってほしい浜子が,時々いじらしく描かれており,そこが本作をして「恋愛漫画」たらしめている。「恋愛の倦怠期」というよりも「倦怠期の恋愛」と呼ぶべき作品になっているのはそのためである。意図的かどうかは知らねど,ハイソンヤギの独自の視点がここにあるのだ。
 どの読み切りも同じテイストで貫かれているので,どれでもいいのだが,とりあえず「独自の視点」が分かりやすい例として第5話「ゾクッと盗撮」を取り上げよう。
 出だしはSEX終了直後の二人の会話から。真田が「早い」という話から食い物の話題になり,腹減ったから「メシ食おう」となって食事となる。この間の,慣れ親しみすぎて色気ゼロな会話がベッドの上でなされるのだが,その取りとめのなさ加減がヒドい。しかし面白い。この辺りが意図せぬ名人芸的関西漫才に似ている所以なのであろう。結局最後は両者の盗撮写真を巡ってのグダグダ会話となる。・・・どうやったらこういうコンテが切れるのか,編集者と著者が相談しながら決めているとすれば二人揃ってバカなんじゃないかとしか言いようがない。それでいて読者を引き込むドライブ感,繰り返しになるが,いや全く不思議な作風である。
 幸い(なのか?),本作はまだまだコミックリュウで続くようだ。書き慣れていくにつれて,浜子が可愛くなっていくのがちと気がかりだが,恋する浜子を魅力的にしたいと思うのは止むを得ない。しかし,ごく当たり前のエロス的描写に堕することなく,倦怠期恋愛漫才漫画を今後も綴ってほしいものである。

Benchmarking on AMD FX-8350(2)

 つーことで,前回に引き続き,FX-8350のベンチマークである。今回は倍精度浮動小数点演算の行列積計算でGflops値を計測。詳細はIntelの解説でも読んでくれたまえ。環境は前回同様,Intel Core i7-3930マシンとFX-8350マシンを用いる。環境は

  • Scientific Linux 6.3 x86_64 (Kernel 2.6.32-279)
  • Intel icc 13.0.1
  • Intel Math Kernel 11.0.1

である。比較検討のため,Intel Math KernelのDGEMMルーチンを用いた場合と,単純な三重ループを用いた場合のGflops値を載せる。
matrix_multiplication.png
 DGEMMの場合,i7-3930が25.5Gflops,FX-3850が21.3Gflopsと大体2割引きぐらい。三重ループの場合は変動が激しいので一概には言えないが,次元数が大きくなると5割引きぐらいで落ち着く。もちろん,1 threadでの計算なので,並列化するとまた違ってくるのだろうが,整数演算同様,価格の割にはがんばってるなぁというのが正直な感想である。
 最近は大規模な線型計算をGPGPUするのが普通になりつつあるので,GTXあたりを乗っけてCPUはフォロー計算程度にする,ということなら高いIntel CPUを使わずにAMDで頑張る,というのもコストダウンのためにはいいことかも。
 さて,並列計算させたらどうなるのか? というあたりはまた年明けに~。

西UKO「Collectors(コレクターズ) 1」白泉社,大沢あまね「彼女×彼女(カノカノ)」新書館

「Collectors 1」[ Amazon ] ISBN 978-4-592-71047-9, \838
「彼女×彼女」[ Amazon ] ISBN 978-4-403-67133-3, \950
collectors_1.jpg she_and_she.jpg
 百合というジャンルは正直よく分かっていない。いや,今やBLと称するやおい漫画(死語か?)も把握し切れていないので,つまりは同性愛ファンタジー分野全般が分かっていない。
 従って,印象論でしかないのだが,BL分野は竹宮惠子が切り開いてから既に40年近い年月を経て様式化が進んでしまい,差別化のために敢えてエロ漫画化することで顧客を引き付けようというのが最近のトレンドなのかなぁ,という気がしている。性描写にうるさい向きがBLっぽいイラストに反応して図書館での閲覧に抗議が寄せられたりするのも無理もないと思う昨今なのである。
 反面,いくつか読んだ百合漫画はそこまでエロくない。つーか,全然エロさのかけらもなく,単なる女の友情漫画なのでは?,と思ってしまう作品が多かった。ま,ワシの好みで選んだものがたまたまそーだっただけで,もっと過激なエロ化が百合でも進んでたりするのかもしれないが,ワシの印象としてはそうなのである。
 にしても,BLに引きずられる形ではあるが,一ジャンルとして商業的にも定着してきた分,この先どういう方向に向かうのか,ちと楽しみである。飯の食えるジャンルは新人作家の苗床として機能するので,この分野からも,BL同様よしながふみのような才能が育ってくることを期待できるのだから。
 とはいえ,ちと首をかしげる作品が多かったのは事実。面白いものが出ないなー,と思っていたら,今年になってようやくお勧めできる作家が現れた。それが,西UKOと大沢あまねである。
 まずは西UKO「Collectors」から。白泉社のムック「楽園」第一号から連載が続いている四コマ形式の短い漫画をまとめたものである。主人公は本を買いまくる大学院生・仁藤忍と,着道楽の関埼貴子のカップル。繊細かつ優美な絵柄で,結構リアリティのある忍の研究生活と,貴子のおシャレっぷりが軽やかなギャグを交えて描かれている。本書では世話焼きの忍の友人,大江(結婚後は志賀)直巳が紡いだ二人の馴れ初めエピソードも収録されており,重層的なキャラクターの描写が心地よい。ちなみに西UKOは人物作画担当で,絵コンテは北条KOZが担当しているとのこと。インテリっぽい上質な作風は,百合漫画というジャンルとは無縁の読者も掴むこと間違いない。短い作品なので,単行本に纏まるには相当の時間が必要であるが,2巻が出る3年後(?)を楽しみに待ちたい。
 次は大沢あまね「彼女×彼女(カノカノ)」。これもまた四コマ漫画である。主として新書館の媒体に掲載された作品を纏めたもので,シチュエーションは様々。共通しているのは百合漫画,ということだけである。
 しかし,大沢の画風は艶めかしい肉感的なもので,「裸でベタベタ」なところが多い。それでいて上品さを保っているところが素晴らしい。言い方は悪いが,女の子は大概「大根足,鳩胸」の,いわゆる「ぼんきゅっぼん」である(昭和テイストな言い方)。失恋あり,成就した恋ありで,ストーリー漫画を四コマで区切ってあるだけの,いわゆる「いしいひさいち形式」。西の作品といい,この大沢の作品といい,この形式は今の「面白い」百合漫画には多いんだろうか? この辺り,識者(いるのか?)の意見を伺いたいものである。
 どちらも百合かどうかということは抜きにして,魅力的な絵と面白いギャグ,そしてしんみりした恋愛感情の描写に優れた良作である。百合漫画ジャンルはこういう才能育成の土壌として,しっかり機能して貰いたいものである。

12/29 (土) 駿府・曇

 昨日は夕方から土砂降り。忘年会帰りの神さんを迎えに車を清水まで出したが,往復の道がちょっと怖いぐらい見づらく,ちと怖かった。何分,能登半島と掛川の田舎道しか走っていなかったから,街灯だらけの都会の幹線道は,雨が降るとテカって車線が見えなくなる。早く慣れるべきなんだろうが,慣れるより先に事故って死ぬか,運転をあきらめることになりそうである。
 職場からロックアウトされているので,自宅からはSSHかTeamViewerでLinuxマシンに接続している。
 2012-12-29_100328.png
 便利ではあるが,セキュリティなんて技術的な観点からだけでは所掌できるもんじゃないなと,使っていて思う。Firewallも内部から手引きされては意味がない。結局,手続きは面倒くさくなり,人間不信の代償としてガチガチの契約を結ばせるしか方法がないのかしらねぇ。
 しかしMTの画像upload時の遅さは何とかならないのかな。データベースならまだやりようはあるけど,Perlがらみの原因だとすればPHPに乗り換えるぐらいしか手がない。さてどーすべーか。
 今日は神さん共々ダラダラしつつ洗濯掃除買い物をする予定。ではまた明日~。

早野透「田中角栄 戦後日本の悲しき自画像」中公新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-12-102186-1, \940
kakuei_tanaka_as_sad_portrait_of_postwar_japan.jpg
 2012年12月16日,第46回衆議院議員総選挙が行われ,与党・民主党は3年間に3人の首相が代わり,離党者がボロボロ出るという始末の上,マニフェストに謳った政策の多くを実行することができず,結果責任を取らされる形でボロ負け,解党的出直しができるかどうかという瀬戸際まで追い込まれた。
 一方,野党だった自民党は小選挙区でボロ勝ち。民主党離党者がバラバラと小党に分かれて票を分散させたため,漁夫の利が転がりこんだ格好である。その証拠に,比例区では前回とさほど自民党の得票数は変わっていない。大勝ちした格好の吉田茂以来の再チャレンジ総裁(すでに総理大臣だが)・安倍晋三も,幹事長・石破茂も慎重な物言いに終始した。来年には参議院議員選挙が控えており,それまでは選挙中派手にぶち上げていた諸政策をマイルドにして小出しにしていくのではないか,と言われている。
 しかし,これだけ経済も情報も全世界的に共有されるようになった昨今,少子高齢化にも拘わらず移民政策にも及び腰で働き手が減っていくこの日本で,政府と日銀が頑張って旗振ったところでどこまで通用するものなのか? 民主党政権も酷かったが,その前の自民党政権だって,小泉純一郎以後の首相はお世辞にもうまくやったとは言えない。そのことは前回の失敗をよく知っている安倍晋三自身が一番骨身に沁みて知っているはずだ。一個人としては,折角グローバル化したのだから,その流れをキャッチアップして自身の能力を磨きつつ,政府を当てにするのは最低限にした上で自力で何とかするほかないだろう。
 しかし,この揺れ動きの激しい政治状況,小選挙区制がもたらした効用(?)ではあるが,それを最初に言い出して実現させようとしたのは田中角栄だった,ということは意外と知られていないのではないか。そのことは,角栄びいきだった戸川猪佐武の「小説吉田学校」(ワシはさいとうたかをのマンガバージョンで読んだ口)にも,そして本書にも書いてある。なるほどなぁ,してみれば角栄子飼いの小沢一郎が小選挙区制導入に積極的だったのも頷ける。その効果のほどをよく知っている割には政党を作っては壊し作っては壊し続けてとうとう一けた台の政党を率いるまでに落ちぶれた政治感覚のなさはどういうことか?
 小沢一郎の「人徳のなさ」については定評があるが,それは親分・田中角栄の慕われっぷり,人たらしっぷりとの対比として語られることが多い。本書はそんなウェットな人情論に満ち溢れた,角栄番として「朝日新聞のハヤノにおやじの人となりを聞いてから来てくれ」と秘書・早坂茂三から言われるほどの信頼を勝ち得た朝日新聞記者・早野透が書いた角栄の伝記である。
 早坂の本も読んだことがあるが,しかし戸川猪佐武といい,早野透といい,田中角栄について書くとなると,なんでまたこうもウェットな文章になるのだろうか。たぶんそれが角栄マジックという奴で,つまりは角栄の人心掌握術がそういう古臭い人情回線を刺激するものであり,そこに感激するタイプの書き手だったから,ということなんだろう。本書でも登場するアンチ田中角栄グループ「青嵐会」の一員であった石原慎太郎はそういう泥臭い感情がないようで,田中角栄は芸術というものを理解していない人間として描いている。まぁ分かるけど。
 昭和ロマン的な文章がちと鼻につくが,408ページと新書としては分厚い本書は,角栄の伝記としてよくまとまっている。巻末に挙げられている参考文献や年表だけでも価値の高いものであろう。戦前の軍国政策の一端を担った理研コンツェルンの仕事を受注することでのし上がった田中角栄は,戦後,新潟から立候補し,初回は落選の憂き目にあうが,2回目の選挙以降は順調に当選を重ね,ついには30万票を獲得するに至る。ロッキード裁判もなんのその,中央政界での影響力は人徳プラス政策提案・実現力,そして派手な政治資金のバラマキによって維持してきた。新潟の苦労人が佐藤栄作からもぎ取るように首相に上り詰め,闇将軍として君臨するに至る過程をウェットかつ怜悧な事実の積み重ねで語った本書は,現在のような政治状況で,ある意味で望まれている政治家像を考える上で貴重な材料を提供してくれるだろう。