1/1(日) 掛川->法多山->掛川・晴

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。


 っつーことで,昨日はMさんと紅白を見ながらつらつら過ごす。大掃除,とまではいかなかったが,とりあえず換気扇の掃除は済ませた。窓磨きはここに引っ越してから三年,まったくやっておらず,大分気になる状態になっているものの,高所恐怖症が徒となって手つかずのまま。とはいえ,色々今後のことを考えると一度はやっておかないとまずいよなぁ。ま,話が本決まりになってきたら考えよう。
 本日は法多山へ愛野駅からウォーキング。往復約10kmのみちのりだそうだが,なかなか良かった。人混みさえなければ・・・。
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 近所の勤務先に赴任以来一二年目にしてようやく来訪できたのだが,結構規模がでかいのには感心。厄除け団子の売り方にも一工夫あって,グローバルスタンダードが蔓延る昨今でも強固なギルド的結束に守られているようである。とりあえず,3月の研究集会のエクスカージョン候補はここだな。近いし(それが一番の理由)。
 しかし近年まれに見る忙しい正月であった。今後色々ありそうだが,まぁ何とかなるようになるだろう。植木等か。
 ささっと一仕事して寝ます。

12/31(土) 掛川・晴

 年末に入ってこのかた,ずーっと冬型の気圧配置になりっぱなしのようで,ここ掛川では遠州名物空っ風が吹きまくっている。乾燥した空気が好きなワシにはありがたいぐらいだが,寒いのは苦手。そのせいか,掃除が後回しになってしまったまま,とうとう大晦日になってしまった。日常的な掃除の後,どこまで模様替えとか台所の換気扇の掃除とかに手が回るか。今年もあきらめておしまいかもしれん。しかし頑張りましょうぞ。
 先日投稿した論文,無事受理されて査読プロセスに回ったというご報告を頂く。遅かれ早かれ3か月以内には結果が出るようだが,初めて投稿する論文誌なのでレベルが分からず,この努力賞程度の内容で通るのかどうか,さっぱり予測がつかない。まぁ投稿できただけでも良しとしよう。ダメなら幾つか再投稿先のあてはあることだし。
 この辺の融通が効くってのが,英語論文のありがたいところだよなぁ。日本語で書いちゃうと投稿先が限定されて再投稿できないことが多いし,したところでどのみち同じ人が査読者になる確率も高い。リジェクト即シュレッダー行きってことになっちゃうからもったいないことこの上なし。日本語コミュニティの中で科研費取得をアピールしたい向きには国内向け発表も重要なんだろうが,ワシみたいに一人で独立愚連隊やってる奴にとっては発表場所のバリエーションがあることが重要で,なるべく読者の多いところに投稿した方がいい。
 っつーことで,今年は2本も英語論文書いて投稿しちゃったのである。本当ならもう一本,いやもっと大量にガツガツ論文生産できるはずだったのだが,見通しが甘かったなぁ。課題をクリアすべく,来年1月2月は頑張らねば。当分,コンスタントに英語論文を生産していければ良しとするのである。
 さてそろそろ起き出して(これは寝床で書いている。寒いし),大掃除に取り掛からねば。おせち代わりのうま煮と紅白なますと昆布巻きと雑煮&年越しそばの汁は昨日作ったので,台所の片づけからやることにするか。
 つーことで,毎年恒例の〆のあいさつで今年最後の日記更新を終了したい。

 本年も多くの方々にお世話になりました。来年もよろしくお願い致します。

しりあがり寿「あの日からのマンガ」エンターブレイン

[ Amazon ] ISBN 978-4-04-727474-7, \650
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 今年は何はさておき,東日本大震災と福島第一原発事故しかなかったという印象である。静岡県西部の揺れは大したことなく,体感的には震度2程度だった。しかしなかなか揺れが収まらない・・・なんか変だなぁ,などと職場の廊下で少し立ち話をしていたのを覚えている。その後,時間の経過とともに報道が盛んとなり,津波,原発,液状化の被害が段々と分かってきてからは,もう頭を抱えるしかない,ということになってしまった。直接地震と津波の被害を受けなかったワシら東海以西の西日本住民としては,特に原発事故の酷さと後遺症の深さに慄然とさせられた一年であった。
 では今年(2011年)は悲惨な大震災を除くと何もなかったか,というとそーでもない。かなり静岡限定ではあるが,今年はしりあがり寿をフィーバーする行事が,ゆるゆると開催され続けたのであった。ワシも知らなかったが,連れ合いに引っ張られて幾つかのやる気のない(?)展示物の見学にお付き合いしてきたのである。ことに,「しりあがり寿歴史館(笑)」は見応えがあった。ま,単なる汚い大学自体の下宿を現物で再現した部屋だったのだが,ワシよりちょうど10年上の世代,バブル前のビンボ臭い大学生の生活ぶりに親しみを覚えたものである。しかし,見物人は,週末にも関わらずワシら以外はゼロ。郷土の有名人(連れ合い談)なのにねぇと,少し寂しい気分になったが,イヤ待て,しりあがり寿のファンは東京に偏在しているせいだろうとワシは推理したのである。朝日新聞の夕刊で「地球防衛家のヒトビト」が連載されているとはいえ,大衆的な人気を得るに至っていないというのが今のしりあがり寿のステータスなのであろう。
 本書「あの日のマンガ」は,3.11以来描かれた,震災がらみのマンガを集めたコンパクトな作品集である。今年を象徴するマンガとして,様々なところで評価されているから,しりあがり寿の愛読者でない人にも結構読まれているのではないか。「地球防衛家」に加えて,マニアックなマンガ雑誌・コミックビームに掲載されたストーリーマンガ,小説宝石連載の「川下り双子のオヤジ」,TV Bros.掲載の一コママンガ「はなくそ時評」等をごた混ぜに収録しており,その連載媒体の幅広さに驚くとともに,しりあがりマンガの「振り幅の大きさ」を思い知らせてくれる作品集となっている。
 「振り幅の広さ」を言い換えると,芸術的困惑を覚えてしまい,感動の焦点を絞れない,ということを意味する。まぁ地球防衛家の4コマはまだスンナリ面白く読めるのだが,双子オヤジに登場する「ゲンパツ」という名の危険で四角い女とか,「希望」(←実際は×印)という,何とも素直に感動できない作品とか・・・困惑してしまうものがあるかと思いきや,「海辺の村」「震える街」というシリーズ,最後の「そらとみず」のように,ストレートに感動できる作品まで,振り幅が大きいとしか形容のしようが無いほどバラエティに富んでいるのである。この「振り幅の大きさ」がしりあがりの芸術的才能の大きさを示していると同時に,大衆的な人気に「壁」を作っている原因なのではないかと思えるのである。・・・ま,しりあがりにしてみれば,壁になっていようがいまいが,やりたいことをやり描きたいことを描くだけ,ということなんだろうが,その壁のせいで,郷土の星として静岡の有志が企画した展覧会がガランとしてしまうのはちと寂しいのである。
 とまれ,震災を描いた感動漫画集,と一言で纏めきれない幅広さが,すれっからしのマンガ読みには支持されたことは間違いない。逆に,本書を読んで戸惑った,しりあがり慣れしていない読者の方は,とてもいい「芸術的経験」をしたと言えるのではないか。それはしりあがりのデビュー作「エレキな春」以来付き合ってきたワシら年寄りにはもはや新鮮に味わうことの出来ない質の感情なのだから。

谷口ジロー・稲見一良(原作)「猟犬探偵① セント・メリーのリボン」集英社

[ Amazon ] ISBN 978-4-08-782400-1, 1000
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 昨日(12/29),一通り年末の行事を済ませてホッとしたところで偏頭痛となり,余裕もあることから日がな一日ベッドでゴロ寝,積ん読となっていたマンガやら小説やらをつらつら読むことが出来たのである。
 で,その中の一冊,谷口ジローの新刊を読み進めていたら,ふと,登場人物の人生を語る,コントラストのきつい5ページを読み終える直前で不意に涙がこぼれてきたのである。まぁ,体調の悪い時に弱気になっていた,という事情が大きいとは思うが,それにしてもマンガを読んで泣いてしまうという体験は久しぶりで心地良かった。それは一重に,谷口ジローの卓抜な演出力のなせる技であり,そこにまんまと嵌まって背負い投げを食らったワシは,読者である幸せを感じていたのである。
 本書の原作である稲見一良の小説を読んだことはないので,原作がどの程度本作で改変されているのかは分からない。あとがきで谷口が風景・風俗描写を現代に合わせたということは述べているが,大方は原作通りなのではないかと推察される。谷口が惚れ込んで漫画化しようとしたからには,原作を大きく弄るはずがない。
 では,優れた原作をそのままなぞれば優れたマンガになるかと言えば,数々の原作付き失敗作を見れば分かる通り,そう簡単なことではない。脚本段階では良くても,監督の腕が悪ければ駄作に終わる。「演出」という仕事はそれほど難しく,作品そのものの出来を左右する重要な職人芸なのである。
 谷口ジローのマンガのすばらしさを今更ここに言を連ねて詳しく述べる必要は無いだろう。かっちりした描線に薄いスクリーントーンを重ねて爽やかな画面を構成し,物語に必要な要素を過不足なく全て絵に盛り込んでいる。ストーリー運びにはナレーションを効果的に使用しており,徒にページ数を稼ぐことなくコンパクトにまとめる。
 本作の場合,イチロー似の猟犬探偵・竜門の仕事の紹介を第一話の冒頭でさっと済ませ,様々な人物を絡ませつつ,タイトルである「セント・メリーのリボン」の意味が分かる最終話まで,そのストーリーの語り口の見事さはさすがだなぁと感服せざるを得ない。ワシがウルっときた,リチャードの半生を語った5ページは最終話の一つ手前に納められているものだが,アメリカで農園主として地道に生きてきた老人が突然伴侶を失ったことを語るコマは,畑の中で帽子を取って佇む老人を描いている。このあたりで,登場人物達の人生が重層的にストーリーに絡み,最終話の大団円を迎えるのだが,その重みを感じたからこその泣きだったのかなぁとワシは思うのである。
 原作が優れていても,ストーリーの運びのうまさに描写力が付随していなければ感動の量は確実に減る。谷口ジローは,この二つを統合した「演出力」が抜群なのである。とかくその画力だけが賞賛されることが多いようだが,その力を発揮できるストーリーがあってこそのものなのだ。この職人芸は,行き当たりばったりの事故的ストーリー展開だけでダラダラ巻数だけを稼ぐコミックス業界では希有なものだ。いい加減,商業的にはイマイチであっても,「まとめる」能力もなければ,新刊コミックスはブックオフに直行するだけである。本作はシリーズものとして続刊が予定されているが,この1冊で物語としては完結している。谷口の爽やかなカラー表紙に包まれた本書は,日本マンガの最高峰を象徴する一冊として永久保存して頂きたいものである。

速水螺旋人「大砲とスタンプ 1」講談社,同「靴ずれ戦線 魔女ワーシェンカの戦争 1」徳間書店

「大砲とスタンプ 1」 [ Amazon ] 978-4-06-387072-5, \562
「靴ずれ戦線 1」 [ Amazon ] 978-4-19-950281-1, \800
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 休刊前のComicリュウに突如掲載されるようになった「ツレヅレメカコラム」で速水螺旋人の暖かみのある描線とみっちりつまった情報量のあるイラストに魅了されて以来,同人誌やイラスト集を読みあさってきたが,この年末にはとうとう2冊のマンガの単行本が出版され,しみじみ堪能したところである。
 しかし,改めて思うのだが,この人,ホントにひねているというのか,一筋縄ではいかないというのか,マニアックでコアなファン層以外には浸透しづらい特徴があることに気がついた。いや,もちろんこのみっちりつまった絵が苦手という人が多いということは当然としても,それ以上に,マンガのストーリー展開に癖があって,好きになる人はそこがたまらない魅力なんだが,普通のわくわくどきどきするストーリーを期待する大勢の方々には「肩すかし」が多いように思えるのだ。その肩すかし具合,実は速水の膨大な知識量がつぎ込まれた結果なのではないか,というのがワシの見立てなのだが,さてどうかしらね。
 まず,モーニングツーで連載されている「大砲とスタンプ」から見ていこう。スマートなデジタル機器なんて見当たらないアナログ的世界において,大公国と帝国の連合軍 vs. 共和国という図式の戦争が続いている中,表の派手なドンパチを支える事務職・大公国兵站軍のマルチナ少尉がアゲゾコ要塞に赴任するところから物語が始まる。しかし,地図を見ると,大公国が今のロシア,帝国が東ヨーロッパ,共和国がトルコからギリシアを含む地域に見えてくるのだが,架空戦記っぽい作りなのかな? その辺の考察についてはゲーム関係に詳しい方にお任せするとして,一番地味で官僚的な「兵站」に着目するあたりが既に変。そう,速水はソビエト連邦的官僚主義と,宮崎駿の如きもっさりアナログメカが大好きなインテリ変人なのである。それでいてストーリー展開は妙にシニカルなところがあり,売春婦のような文盲(差別語なのかな?)の女性が兵長にのし上がっているわ,中立国の嫌みな記者団は重要人物に間違えられてあっさり銃殺されちゃうわ,占領下の銀行家は浪速の商人並みに渋ちんだわ,なんつーか,よくもまぁここまでアンチクライマックス的リアルでシニカルなシチュエーション,即ち「肩すかし」をてんこ盛りにするもんだと呆れかえるほどである。
 その変人ぷりは,第2次世界大戦におけるドイツ vs. ソ連,即ち「大祖国戦争」(ソ連側の呼び方ね)を題材に取った,「靴ずれ戦線」で更に度を増すことになる。まず,唯物論で凝り固まっているはずのボルシェビキ・共産党が率いる内務省の役人・ナディア少尉が魔女の所に徴兵にくるというところから始まるってあたりが相当シニカル。速水本人は,ソビエト軍が日本を占領した暁には共産党幹部にのし上がるつもりでいるらしいが,こんなマンガを描いていては,即座に人民裁判送りで自己批判を迫られて失脚すること間違いない。内容に至っては,魔女ワーシェンカとナディアのコンビが魑魅魍魎と戯れる(?)というもので,大体,ソビエト軍のゾンビ(これだけでも爆笑ものだ)が出てくるという発想が凄い。もうどこまでこのデタラメかつシニカルな暴走が続くのか,ワシは手に汗握って楽しんでしまうのである。
 肩すかしっぷりも共通していて,ワーシェンカが恋心を抱いた若い兵士はあっという間に死んでしまって死神の餌になるし,ユーゴスラビアではパルチザンを匿った村人を虐殺するウスタシャ(ドイツ側に付いたクロアチアの民族軍事組織)将校をほったらかしして,いつもの化け物ファンタジーにストーリーが流れていく・・・普通なら「石の花」的展開を目指すと思うんだが,その辺が坂口尚と速水螺旋人の作家性の違いなんだろう。
 所謂アキバ系に好まれる絵柄であることは間違いないし,そのマニアックなこだわりっぷりは,それ故に普通の読者にはついて行けない部分もあるやもしれない。若くて純粋まっすぐな方にはシニカルぶりが気にかかるかもしれず,すれっからしの中年オヤジ・オバサンの方が「肩すかし」を楽しめる作品なんだろう。速水の歴史的・軍事的・ゲーム的知識の深さがもたらす芳醇なバカ騒ぎが堪能できるこの2冊,年末の喧噪をBGMにして楽しむには格好の作品であること間違いないのである。