10/4(土) 掛川・晴

 秋晴れの良い天気。清々しい。しかし,朝晩と日中の気温の差が激しくなって,服装の調整がめんどくさい。寒いなら寒い,暑いなら暑いと一貫してくれた方がありがたい。一番良いのは常春の島マリネラの如く,涼しいまんま,なんだが,「涼しい」という状態は,暑いと寒いがあってこそ存在する概念であって,変化に伴う一時的な状態に過ぎない。そこがかえって愛おしいと思わせる一番の原因なのだろう。嗚呼全く世の中ままならない。
 OpenOffice 1.1.0が正式にリリースされた。どうやらRC5がそのまま1.1.0へ格上げされたものらしい。暫く様子を見て,日本語localizedが完了したものを貰ってくることにしよう。
 DKA法のベンチマークテスト,本格的にあれこれやりだすも,BNCpack, MPIBNCpackの機能追加も合わせてやるハメになる。まあこうやって段々と便利になるんだが,逆に言えば,もう後戻りできないぐらいの機能が積み込まれてしまっているのである。今時なら,多倍長計算を楽にプログラムしたいのであれば,OpenMPのomniF77とか,先日も書いたIntelのFortran90コンパイラを使ってFMLIBを使う方が楽である。苦労してSend/RecvやらCollective Communication関数と格闘する必要はないだろう。やりたきゃ止めないけど。
 んでも苦労してMPI対応したわしのライブラリは,折角ですからちゃんと生かしたいな。Globus対応とかね。あ,いや,言ってみただけです。今それどころじゃないので。
 で,肝心のDKA法は,どーも収束が悪い。初期値もかなりギリギリ根に近いところに配置したにもかかわらず,だ。で,絵を描いてみたら,ありゃりゃ,初期値がおかしい部分がちらほら。全部異常というわけではないので,見逃していたのである。この辺がどーやら影響しているようだ。
dka-chebychev128.jpg
 もう128次だの256次だのという代数方程式を300桁以上の桁数で相手にしていると,数値データを目視するだけではどうにもなりませんなぁ。初期値の異常もExcelでプロットしてみて判明したのである。大規模シミュレーションでは数値そのものと直接触れる機会が無くなり,Visualizationだけを見ることになる。超低速並列分散CPUであるところの脳には大量の数値データを処理する能力がなく,直感的に把握できる図形に頼らざるを得ないのであるなあ,と実感。
 ともあれ,もっと低次のものからちゃんと解くようにしないといかんな。ということで,案外長期戦になりそうな予感が・・・いかんいかん,今年中には投稿しなきゃいかんのだ。これから手がける○○行列の原稿が上がったらすぐに取りかからなきゃ。論文書くぞ。今年中にあと2本じゃ! ファイトッ,オー(古いかけ声だこと)。

10/3(金) 掛川->浜松->掛川

[2007-12-13追記] ifcがらみの記事はこっちです。
 爽やかな秋空が続く今日この頃である。その分,仕事にも身が入って・・・のはずなのだが,どーも,LC2003の原稿を無理して上げたのがたたってか,調子が戻らない。我ながら軟弱者であることよ。
 今日は静大非常勤の講義開始日。東京に通わなくなったー,と昨年度は肩の荷を下ろした矢先にこの仕事が舞い込んだのである。世の中ままならない。まあおかげで冊子も出来たし,人間万事塞翁が馬・・・年寄り臭いな,もう。
 最近はメールチェックもいい加減になった。spamだらけなんだもん。わしみたいなマイナー学者のでも,一度悪徳業者のアドレス帳に登録されてしまうと,わんさと来る。多分,リターン率なんて全く考慮せずに,送付先アドレスの数だけで金とってんだろうな。帯域のムダムダ,と思うが,逆に言えば,そんだけのメールを送っても,the Internet全体では大した影響がないということでもある。時代の移り変わりを感じる今日この頃。

10/2(木) 掛川・?

 勢いづいて,Linux Conferenceの原稿を上げてしまい,今メールで送信し終わったところである。もう寝る。今度こそ寝る。しかし横山光輝があんなにボロクソに言われているとは意外だった(んなもん見てるからこんな時間になったんじゃ!)。

小谷野敦「反=文藝評論」新曜社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-7885-0859-1, \2400
 コヤノ先生の本は,いつ出版されたのか,その動向が掴みづらい。筑摩書房のように,新刊情報が手に入りやすい大手(でもないか)の出版社なら何とかなるのだが,単行本onlyのマイナー系出版社だと,こちらがWebをマメにチェックする必要がある。で,本書も長らく出版されていることを知らず,仕事が一段落して欲求不満を解消すべく,八重洲ブックセンター本店に突入して目を皿のように棚をサーチしている時に発見したのである。ん,もう,コヤノ先生ったら水くさい(誰に言っているのか)。
 何でこんなにコヤノに入れ込むのか,というと,文章の面白さ,論理思考の強さと共に,感性が自分と似通っている,という点も大きいようである。本書は「反」文藝評論と銘打っているが,それは自分が「文藝評論家ではないから」ということであって,内容は文藝の評論,そのものである。相変わらず,わし自身はここで取り上げられている小説をまるで読んでおらず,村上春樹も右に同じという有様である。んで,小説の内容に照らしてコヤノ先生の論旨がどうなのか,ということを論評する立場にはない。が,コヤノ先生の文章そのものは全面的に肯定し,面白いと感じる。これじゃまるでパロディの元ネタを知らずに,パロディそのものを楽しんでいるようではないか。しかしそれが可能なぐらい,コヤノ節は世間に認知されているのである。そうでなければこれだけ多くの著作を世に出そうと,出版社が考えるはずがない。
 にも関わらず,コヤノ先生は「作家専業でやるつもりはない」とおっしゃる。理由はあとがきに書いてあるので,ここでは触れない。しかし・・・うーん,才能のカケラもないわしからみると,誠にもったいない。生活はそれほど豊かではなさそうであるが,一応食えているのであれば,小熊英二が「本とコンピュータ」最新号で述べているように,そのままフリーの学者,ときどきエッセイストとして活躍した方がいいように思えるのだが・・・というのは,学校出てからこのかたずーっとサラリーマン生活をしている者の「隣の青い芝」的考えなんでしょうかねぇ?
 本書の内容そのものについては,前述の通り,論評する立場にないので触れない。しかし,取り上げられる評論家の言い分をあれこれと詮索し,比較し,反駁する,という「文系」のガクモンの有り様が炸裂していることだけは述べておきたい。学者先生稼業は頭の勝負と思われがちだが,旺盛な脳細胞の活動を支える「体力」の方が,実は重要なのである。軟弱者を自認するコヤノ先生であるが,こと本業に関する限り,恐ろしく精力的なのである。