清野とおる「壇蜜」1巻, 講談社

[ Amazon ] ISBN 978-4-06^540035-7, \792 + TAX

 実は最初は楠桂「サレ妻漫画家の旦捨離戦記」(1巻~6巻(2025-07-27現在)以後続刊予定)について書こうと思ったのだが,妻視点側からの一方的な内容である以上,「(妻側の意見が理解できて)なるほどね」という納得と,「もっと旦那側の言い分を聞いてみたい」という欲求不満と,離婚裁判の有様が分かって参考になる(かも),としか書けないことに気が付いて取りやめと相成った。しかしまぁ怒りのパワーのなせる業なのであろう,ハイペースでKindle連載が続いているのは凄いなぁとつくづく感心させられる・・・が,相性の悪いところにお互いの罵りあいになってしまった夫婦から学ぶことと言えば「反面教師」以上のものはない。まず先に学ぶべきは,やはり「うまくいっている夫婦」から得られるストレートなノウハウなのである。

 とゆーことで,出たばっかりのサブカル(といっていいのか?)ベスト夫婦,清野とおる&壇蜜のエッセイ漫画を取り上げることにしたい。正直,ワシは清野の良い読者ではないが,本作は連載時より注目しており,単行本刊行を今か今かと渇望していたのである。何せあの「壇蜜」(檀蜜ではなく壇蜜)が見染めた相手が描いた「壇蜜ルポルタージュ」である。面白くないはずがないのである。もちろん著名芸能人のプライベートを知りたいという下世話な興味が9割方占めているのだが,現在健康を害して不調にある妻を甲斐甲斐しく看病する良き夫の有様を学びたいという健全な好奇心も1割程度はあるのだ。

 本書によれば,清野が出世作で紹介した赤羽界隈のディープな店を取り上げたTV番組に壇蜜が出演することとなり,そこでいきなり清野に結婚を前提としたお付き合いを提案されたとのこと。その場でメールアドレスを手渡され,通り一遍のあいさつメールのやり取りをきっかけに,浮間公園で最初のデートと相成り,そのまま普通の男女のお付き合いに突入したということらしい。本書には描かれてはいないが,おそらくはTV番組の企画に興味を示した壇蜜は,以前より愛読していた作品を描く清野に狙いを定めていたのであろう。

 あれだけの濃厚なけだるい色気を放っていたにもかかわらず,本書に絵が描かれる壇蜜は相当なサブカル寄りの女性である。生活はいたって質素,芸能人らしい派手な所は一切なく,そもそも業界での交遊もないらしい。興味があるのは動物(詳細は以後続刊で描かれるらしい)や,清野が描く東京の郊外と埼玉の庶民的な飲食店や風物である。札びらきってのお誘いは山のようにあったろうに,そういうものには一切目もくれず,自分のサブカル魂を自然と受け入れ,楽しんでくれそうな「清野とおる」という人材を絡めとったのである。本書はその狙いが正しかったことの証明であり,ワシを含む多数の下種読者の好奇心を満足させる「壇蜜ルポ」として結実した,このご夫婦の愛の結晶と言える作品なのである。

 そういえば,件の破綻夫婦ルポ漫画には,旦那の弁として,自分の趣味に妻も付き合ってほしかったということがチラと描かれていた。夫婦の趣味が完全に合致することなぞありえないが,互いの理解と受容は,可能な限り深くなされるべきであろう。本書はその重要さを知らしめてくれる,夫婦生活指南書でもあるのである。

7/6(日) 駿府・曇時々晴

 今年は,西日本においてはまごうことなく空梅雨という奴で,6/27には梅雨前線が消滅して梅雨明け。東海地方も7/4に梅雨明けと,今後の水の貯えが心配になるレベル。関東以北もボチボチ梅雨明けになりそうで,全国的に夏枯れのコメ不足とならんことを祈るのみ。またぞろコメ価格高騰となると面倒なことこの上ないしな。

 とゆーことで13回しか講義のない現職場はそろそろ夏休み目前。さすがにくそ熱い京都と名古屋に挟まれた北摂だけあって,朝晩は多少マシとはいえ,日中の暑さは尋常ならず。

 AI画像生成,アニメ長にすると多少は不気味さが軽減されるかなぁと。どうでしょ? にしても「これどこ?」という風景であることは変わりなく。

 やんなきゃいけないことが山積みであることは変わりないが,平常講義が終われば少しはヨユーがでてくるかしらん? まずは生存確認がてら,今日はこの辺で。

最期に残すべきは家事

 この4月から平日限定の一人暮らしが始まった。「アカデミックを生業とすると,仕事場に近いところに平日拠点を移すということは珍しいことではない」,とはワシの前任額縁ょ~の言。にしても五十路過ぎて定年も見えてきているというのにワザワザ遠くに行かんでもというご感想はあまり聞かない。どっかのTV番組のタイトルじゃないけど「人生の楽園」は人それぞれ,今まで通り年金暮らしに突入するのもいいけどその前にもうちょっとやり残したことをやっておきたいという煩悩は,大なり小なり初老になれば持つものであろう。ワシの場合,それが行動に繋がり,どういうわけか機会に恵まれたので,定年前の9年間の週5日一人暮らしが決定したという次第である。

 といってもワシの場合,一人暮らしが長かったので,13年ぶりの単身生活もさほど苦でないだろうと高を括っていたが,これがさにあらず。独身時の一人暮らしとは違って,家事労働が結婚生活を通じて心身に染み通ってしまい,しかも神さんの指導もあって知らん間にレベルアップしていたのである。曰く,毎日必ずご飯は炊く(週末にまとめて炊飯→冷凍より格段にコメが旨い),おかずは炭水化物+野菜が基本(野菜を添えないと便通に響く),手作り弁当作成(日の丸ご飯に高菜漬けを添え,おかずは朝食+α,果物も必須),掃除と洗濯(浴室乾燥機使用につき風呂掃除もセット)は交互に毎朝実施・・・とまぁ,いかにこの13年間神さんにおんぶにだっこで生活していたのか,骨身に染みて理解したのである。最初は段取りを決めることができずに家事並列アルゴリズムの最適化どころか至る所ボトルネックが発生,起床から2時間以内で完遂するのも難しかったのだが,ひと月過ぎてようやく1.5時間ほどで終了できるようになってきた。次は最適化を目指して1時間以内に収めたいものである。

 そんなに大変なら手抜きすればいいのに,とは思わんではないが,毎週末に完璧な家事労働の末にビシッと維持できている自宅の様子に触れると,わざわざ月曜日にみすぼらしい一人暮らし場所に戻るのが嫌になること確実であるし,何より平日の生活においても「やらないと居心地の悪い思い」をすることになる・・・より前にスケジュールに家事労働が組み込まれているから,まぁ人様が思うほど大変ではないのだ。何より,そこそこ綺麗な状態で借りることができた所なので,立ち去るまではなるべくこの状態を維持したいという妙な意地(お,ダジャレ)のようなものを持ってしまったのが大きいかな。

 この先どのみち意図しないまでも,一人で暮らす時間ができる可能性はあるわけだし,二人暮らしであっても,家事労働に関しては互いにオールマイティであることが望ましいことは言うまでもない。であれば,自宅の状態を維持管理するレベル感も共有しておけば,不足分は気になった方が勝手に補うことができる。・・・ということは,先日放映された名優・近藤正臣の独り身ドキュメンタリー番組を見て納得したのである。

 近藤正臣は理想とする田舎暮らしを夫人と共に送るべく終の棲家を鄙びた山奥の街に建てた。しかしそれもつかの間,夫人の方が先に亡くなってしまい,近藤は現在やもめ暮らし。しかし夫人と共に建てた家は生前と同じ状態が保たれている。それは本人がぶつくさ言いながらも「こうしていないといられない」感覚を身に着けてしまっており,掃除洗濯は生前と変わらずコマメに実行できているからである。本人は積極的に仕事を取りに行くではなく,世捨て人的なものと述懐しているが,夫婦で執り行ってきた家の環境維持,すなわち家事労働だけは毎日の習慣として自分の進退に刻み込まれているのである。そう,仕事をしなくなっても人生は続く,最期に残るのは家事,なのである。

 ワシより四半世紀以上年長の先達として,これは理想的だなと感じ入った次第。ワシもこの平日限定一人暮らしの機会に家事労働を自分の肉体に叩き込み,体が動くうちはせっせと家の維持管理に努めたいと念願しているのである。運動にもなるし良いことづくめですぜ,旦那。

5/12(月) 駿府→柏→北摂・曇

 朝っぱらから曇天模様で気温が上がらない。沖縄の方には梅雨前線らしいものが出ており,南から梅雨が迫ってきているが,夏の空気はまだ北上する気配なし。とはいえ今週半ば以降は気温が上がるようなので,ぼちぼち夏の準備をしておかねばならぬ。

 とゆーことで,GW明け一発目のお仕事は東大柏キャンパスへの出張。過去2回ほど来たことはあるんだが,そん時はTXと徒歩&バスで向かったような気がする。今回調べてみたら柏駅からのバスが10~15分間隔で出ており,上野東京ラインができた今となっては,東京駅からの乗り換えが楽なJRオンリーの方が断然楽。何十年ぶりに柏駅を通過することとなった。基本的な構造は変わっておらず,東武野田線がアーバン何とかシャラクサイ名前になっていたほかは昔のまま。柏駅西口の狭苦しさも同じである。自分の講演がなく,スパコン見学がメインだったので大いに楽しませて頂いた。次はこーはいくまいな。9月の金沢も近くなった分いきたいものだが,さてどーなることやら。

 帰りは東京駅から「のぞみ」で京都に向かう。静岡県民にとっての新幹線とは「ひかり」と「こだま」の計3本/時であり,二けたも通っている「のぞみ」に乗ることなどないのであるが,そこは北摂在住ということで,今後は静岡県を完全に突っ切る列車を愛用することになりそうである。しかしまぁ混んでるわね。すげぇ勢いでタッチタイピングに勤しむビジネスパーソンがいたりして,雰囲気も殺気立ってるわい。ま,JR東海も躍起になってリニア作りたくなるのも分かるよなぁ。とはいえ,ワシが現役の時には開通する見込みゼロだし,生きているうちに一部でも開通するのかというレベルの話になっており,ま,縁がなさそーね。せいぜい北摂通いのうちに「のぞみ」と親しむことにしようぞ。

 と書いているうちに米原通過。そろそろ京都も近いのでこの辺で。週3日限定とはいえ「萌えるひとりもの」になっちゃったから,これも再開したいよな。下宿で仕事できる体制がようやくできたことだしねぇ。

 あ,WordPressにAI画像生成機能がついたので,アイキャッチ画像に使ってみた。不穏な絵が上がってきたが,トーンを変えてやる気もなし。ぼちぼち遊んでみたいものである。

 ではまた。

小林よしのり「夫婦の絆」光文社

[ Amazon ] ISBN 978-4-33-4105501, \2500+TAX

 いやぁ,さすが小林よしりん健在なり。情念と狂気がない交ぜになった濃すぎる精神世界を,ホラーとミステリー仕立てにして一気呵成に読ませてくれる。一度中断した作品だけに,さてどうだろうと危惧したのだが,しつっこくねちっこく本作の再開と完結を願っていた一読者であるからして,言った以上は責任があると2500円+TAXを支払って紙本を購入したのだが,満足満足。正直言ってどこから再開したのかも分からないほどストーリー仕立てが見事であり,土俗的書き込みの濃厚さも,加齢による衰えを感じさせない程である。300ページを超える厚みでありながら,読了後のたらふく感この上なく,五十路半ばで疲れたなぁ・・・などと言ってたら罰が当たると背筋が伸びる思いである。

 小林よしのりと言えば「ゴーマニズム宣言」略して「ゴー宣」で一世を風靡した大家であるが,ワシ世代はやっぱり「東大一直線」と「東大快進撃」の作者としての記憶が強い。「おぼっちゃまくん」は世代が違いすぎるし,正直言ってギャグ作家としては盛りを過ぎてからの作品だったから,横眼で眺めた以上のものではない。「ゴー宣」でドはまりして「戦争論」に打ちのめされたのは20代半ばだったから,よしりんのごく初期と中堅以上になってからの読者の一人がワシなのである。
 とはいえ,さすがにコロナ禍での反ワクチン的言動には付いて行けず,「よしりん辻説法」もごく初期のみ付き合っただけで,そのあとはちょっと辛いなと感じて以来は遠ざかっていた。ただ,情念で突っ走る勉強ぶりと健筆ぶりはさすがだなぁと感心してはいたのである。とはいえ,一度中断した「夫婦の絆」の再開は,今の路線とは遠すぎて無理だろうなと半ばあきらめていただけに,本作の完結と出版は意外過ぎる僥倖であった。あったのだが・・・正直言って,ベテラン作家がかつて全盛期だったころの作品をリバイバルすると失望させられることが多く,本作についても「怖いもの見たさ」というスケベ心があったことは否定しがたい。しかしそこは小林よしりん,スタッフの力を借りたとはいえ,古希過ぎても内に秘める破壊衝動をしっかりと紙面に焼き付ける力量は健在だったのだ。

 本作は不思議な美男とブスの定常的な夫婦生活から始まる。なぜこのハンサムと人並外れた不細工がくっついたのか,という昭和的感性からくる常識に反する疑問を,悲惨すぎて奇想天外なキャラクターたちのバックグラウンドをストーリー展開と共に明かすことによって明らかにし,最後は・・・おっと,ネタバレはここまでとし,一言だけ言うなら,広げまくった主張とキャラたちの因果全てにきちんと落とし前をつけた結末になっている・・・ということだけはワシが保証するのである。ということで,躊躇していた神さんには一読を勧めているのだが,読んでくれるのやら? 曰く「表紙が怖い」そうで,その点はちょっとマーケティング的に損しているかもなぁ。

 本作を読了して思い出したのが,つかこうへいの「熱海殺人事件」である。ワシは原作ではなく,仲代達也・風間杜夫・志穂美悦子・竹田高利が出演した映画版しか見ていないのだが,基本コメディでありながら,不細工とかハンサムとか,当時の表面的な昭和的価値観をひっくり返す情念の絡み合いが濃厚な展開に魅了されたものである。
 よしりんの本作も,SFファンタジー的要素が強いとはいえ,基本は安定した夫婦関係というものの根底には情念の絡み合いと一定の諦念という土台があることを見せつける点では共通するものを感じる。今時のエンターテインメント,ある程度年季の入った読者に深い印象を植え付けるには,常識を揺さぶる主張を投げつけることが不可欠で,その点は,世俗にまみれつつも絶叫しつづけてきたよしりんのベテランぶりがいかんなく発揮されている。

 いやね,とにかく読んでいくと「不細工」とされた主人公がどんどん可愛く愛おしくなっていくこと間違いなく,つまりこれは「ベストカップル」というものの一形態に落ち着くまでの,よしりんゴー宣的主張の一環なのかなと,古い読者はしみじみ感じ入ってしまうのである。さてワシも仕事しよっと。