8/15(土) 駿府・雨後曇

 蒸し暑くて気が狂いそうになるほどであるが,天候は不順で,どんよりした日が続く。カンカン照りの方がまだ米の作付けにとっては良かろうが,それもナシとなると,今後の米価が気になってくる。何にせよ,早く夏が終わって欲しいモンである。

 とゆーことで,前職場の最後の講義終了。15週講義の上に定期試験がある分,なかなか学生にとってはハードだが,結構カジュアルに欠席したりしてうまくやり過ごしている感。相応の成績は付けたのでこれで一段落。毎月のオープンキャンパスの準備で大変そうであった。

 後期からは一日空くので大分らくちん。その分ガンガン仕事せんといかんわな。

 毎週楽しみしていた「山田五郎・大人の教養講座」,ご本人逝去(キリスト教徒だったので「帰天」と言うらしい)されてしまい,誠に残念である。時折販売されるグッズが好きで,犬印鞄は講義用の物入れとして重宝しているし,このみうらじゅんのマイ走馬灯Tシャツは永久保存ものである。2回ほど袖を通したので,額縁に入れて飾る予定。古希手前というのはちょっと早いよなと思う昨今であるが,五十路代でもガンガンがん患者が出ていることを考えれば,まぁそういうこともあるよなと。そうなると68歳定年の現職場,ありがたくはあるが,さてめいっぱい務めるのが良いかどうか,難しい所である。ま,退職時期は63歳の時点で決めればいいようなので,その時の精神・経済・経営・健康・神の御心状態を加味して考えることにしよう。

 毎年恒例,SWoPP2026の講演,今回は飛騨高山での山ン中の立派な会場での開催。名古屋からは高速バスでもJR特急でもあまり時間が変わらないという山中の悪路をひたすらに走るのみである。

 道中は絶景ではあるんだけどね。しかしまぁ,規模がデカくなった分,地元コンベンションビューローからの補助も取れるようになったようで,シャトルバスはあるは,飲み物サービスは充実しているわで,至れり尽くせりでした。しかし運営委員は大変そうであるなぁ。

 自宅に戻ってみれば,自著の増刷のお知らせが届いていた。まいだりー。

 ま,部数はコミケ大手サークル程度ではありますがね。何にせよ有難し。

 論文は3本投稿できたし(これこれこれ),これから4本目を描きつつ,卒研用HPCテキストを書き始めるのであるが,AIのおかげで下書きや例題の執筆は楽になった。その分,無駄に分厚くなりそうなので,コンパクトに納めるのが大変そうである。

 あ,そうそう,こっちの方もよろしくです。発売一週前にはサンプルコードを更新するように致しまする。

 つーことで,ぼちぼちやりまする。

7/4(土) 駿府・曇

 沖縄・奄美は明けたが,九州から東北までは梅雨真っ盛りである。台風が立て続けに発生して近畿から関東を脅かしたり,非常勤先で「危ないから」と受講生が自主欠席したりと,なかなか慌ただしいが,気温は平年並みでごく涼しい。それも今週で終わりで,次週からは梅雨末期の大雨の後に猛暑がやってくるようである。体が追い付かないうちに熱気にやられて熱中症にならないよう,無理せずこの夏を乗り切りたいモンである。

 とゆーことで,生成AIである。まー,昨年はまだ高校生ぐらいか,と,せいぜいSIMD intrinsicsのAVX2→Neon移植ぐらいの仕事ができりゃいいかと割り切っていたが,そのあとにMythos騒ぎがあり,Fatal 5が出てきたりして,もう,博識で生意気で怠惰で命令したことしかやらない博士課程の学生のようである。おかげでしばらく放置していたCUDAプログラミングバリバリのネタを投稿できたし(通るかどうかはともかく),心残りの題材をガシガシFatal 5にやらせて一本論文の下書きまで辿り着いた(これも通るかどうかはともかく)。Token食いであっというまにClaudeのMaxプランの上限にぶち当たること多数であるが,こっちの頭と体力とやる気の問題で着手できなかった物事をガシガシやってくれるのは痛快を通り越して怖いぐらいである。一番のボトルネックはワシという人間にあり,理解力が追い付かないので咀嚼するまでのデッドロックが長く,そこさえなければあっという間に論文投稿→次の仕事というステップが進むはずである。そのうちワシら人類が生成AIに退治されるのではないか。

 何はともあれ,6月中の3本の〆切仕事を6/29(火)にすませて気が抜けたのである。生成AIがなければここまで進まなかったが,どつかれるように成果を出すもんだから,文章にまとめるこちらの筆が追い付かないほどである。とまれ,先方に仕事を投げ,伸びちゃったけど当初の締め切りまでに論文投稿し,8月のSWoPPの予稿をsubmitできたのだから良しとする。

 ということで締め切りに追われる6月であったが戦果もあったのである。例えば

とか,

とか,

などなど。詳細は省くが,それなりに出かけることができているのであった。あと,珍しく来客もお二人ほど。お一人は時間が合わずにすれ違いであったが,ま,メールは届いているので良しとする。

 つーことで,今後の出張は8月のSWoPP@飛騨高山,9月のJSIAM@博多,12月の環瀬戸内@松山,3月のHPC@北大の予定。今のところ,であって,合間にもう一つ二つあるかもしれんが,それはそれで。今となってはあんましウロウロするよりは,Claude or ChatGPTにあれこれ個人的趣味の研究の相談しながらあーだこーだしている方が有意義かなと。8月以降は旧職場の非常勤もなくなるし,もうちょっとディープな関西を堪能したいモンである。

 さて,前期講義の残り2回をしっかりやってオープンキャンパスに備えようかしらん。

永田礼路「まどいのいきもの」1巻,小学館

永田礼路「まどいのいきもの」1巻,小学館

[ Amazon ] ISBN 978-4-09-8638246

 大体,国家資格である医師免許を持って居ながらにして,歌人になったり作家になったり漫画家になったりソフトウェア作ったりという人種がいること自体,人間の持つエネルギーや能力は不平等極まりないなということを痛感させられるのである。古くは斎藤茂吉から始まって息子の北杜夫,渡辺淳一,手塚治虫という超ビッグネーム迄居る始末。困ったことに,医療は自然科学から人間心理学から社会学までネタの宝庫であるから意欲さえあれば書く材料には事欠かない。エッセイ漫画から重厚な人間ドラマまで幅広の題材が選べるだけに,読者としては楽しみが多くなるわけだが,SF畑出身(?)の永田礼路はファンタジー路線の上に「ロン先生の虫眼鏡」とか岡崎二郎的な生物学蘊蓄を載せる方向で連載を持つに至り,今回めでたく商業単行本を刊行することができたのである。

 著者の永田がどういう遍歴を経て医者兼漫画家なったのかということを知りたければ著者のエッセイ漫画(前編後編)を読むのが良い。最近ではベテラン漫画家が自分の人生を振り返った作品を描くことが多いが,割と若いうちに,というか,まだまだ現役真っ最中でまだキャリアの半分ぐらいじゃないのという向きも,一息つきたいということなのか,はたまたこれからを見据えてということなのか,来し方を振り返った漫画を描いたりすることがある。古くはとり・みきの「あしたのために」というギャグエッセイ漫画があったが,やっぱりキャリアの合間にヒマができたりするとその手の吐露をしたくなるのかなと勝手に想像しているのである。

 永田の場合,手塚ほど漫画にのめりこんでそっちを本業にしたというほどではないにしろ,本業と並行してのデッサン教室通いをしたり,出版社に持ち込みしたり,同人誌を作ったりと,かなり漫画の方にも気合いを入れて取り組んだようである。そのせいか,画風はオーソドックスながらも画力は高く,それでいて上品なユーモアを醸し出しているあたり,ワシの好みの一端とフィットしている。もうちっとエロいと個人的には嬉しいのだが,そのあたりは教養が邪魔しているのか,正直前作はう~んという感じであったが,本作は自然体でオチの効いた読み切り短編としてまとまっており,しかも一口メモ的な生医学的エッセイ付き。エンターテインメントだけでは物足りない小うるさいオタク気質の読み手にはお勧めできるものとなっている。それでいて通底するSFミステリー的伏線を感じさせるところもあり,打ち切りになっちゃった過去作よりも良い着地になることを願っている・・・いやまぁ続きは同人でという手もあるんだけど,正直,売り上げと読者からの反応を気にする編集者が関わらない作品には「ゆるい」感じが付きまとうことが多くて,個人的には好んでも人様にはイマイチ勧めづらいところがあるのだ。いや,これは理工学書を書いた経験しかないワシも痛感するところで,好き勝手書いたものよりは読み手を気にした記述が多い方が格段に良いものになっていること間違いないのである。

 とゆーことで,2巻以降が紙媒体で出るかどうかは不明なれど,電書であっても商業連載作品としては一定の面白さを保つためにも続いて欲しいと願っている。胡乱な学者タイプの医者と謎な女性(?)看護師が紡ぐSFショートショートっぽいテイスト,今となっては天然記念物的希少価値のある作品なのである。

ゆうきまさみ「新九郎、奔る!」22巻,小学館

ゆうきまさみ「新九郎、奔る!」22巻,小学館

[ Amazon ] ISBN 978-4-09-86385704, \750+TAX

 2026年4月25日(土)から同年6月7日(日)まで,静岡市歴史博物館にて没後500年を記念して「戦国大名 今川氏親」企画展を催している。連載中の作品の主要人物である「龍王丸(氏親の幼名)」が展示の主ということもあって,著者も訪れたようである。本作品を愛読しているワシも会期終了2週前に400円支払って神さん共々身銭払って見てきたわけだが,なるほど料金に相応しい分量の見ごたえがある展示であり,まだ元服前で未だに虫取りに興じている龍王丸の立派な業績を知り,「(母親・北川殿と叔父・伊勢新九郎盛時の助力があってのことであれど)ご立派になられて」と感慨に耽ったのであった。
 今川氏というと,氏親の息子・義元が桶狭間で織田信長に首を取られた貴族まがいの間抜けという印象がいまだに根強いようだが,氏親の時代に駿府から遠江まで,つまり伊豆半島を除く,今の静岡県を版図とする大身の戦国大名になり,義元時代には氏親時代に足がかりを作っていた三河から尾張に進出するまでに至ったのだから,なかなかのご一家だったのである。とはいえ桶狭間の前からしばしば当主が不慮の死を遂げる癖があり,氏親の父親・義忠しかり,氏親の長男・氏輝は家督を継いで間もなくよく分からん死に方をするし,義元しかり。戦国大名あるあるなのかもしれんが,にしても,まとまりに欠けるところは否めない。その点,本作の主人公・新九郎が創始した北条5代は割とスムーズに本家の継承が行われ,伊豆半島を根城に,ごたごた続きだった関東一円を納めるに至った訳で,後ろ盾の今川家や,もっとゴタゴタ続きの足利将軍家の威光を笠にしたとはいえ,反面教師的にも学習した結果としか思えんのである。

 作家がベテラン期以降になると時代小説を書くようになるという傾向があるが,ゆうきまさみがその路線を踏むとは思わなかった。とはいえ,パトレイバー以降はちょっと厳しいかなという感じがあり,もちろん少年誌から青年誌に移ったことも影響しているとは思うが,程の良い作品ではあるものの,ごっつり骨太のストーリーを堪能できる作品が,少なくともワシ的には無かったのである。もちろん,一定レベル以上に面白いから一定数以上の読者は付いてくるだろうし,短めの連載か読み切り主体の作品でボチボチやっていくのかなと思っていたところに本作がドッカーンとやってきたのであるからビックらこいたのである。しかも導入から後の展開を知らしめるべく,伊豆公方・足利茶々丸の館襲撃から始まっているからこれは楽しみ,一巻から紙の単行本で買いましょうと付き合い始めたのが運のツキ,まさか22巻になるまで引っ張るとは思わなんだ。

 幕末を描くべく関ケ原から始めて結局完結しなかった「風雲児たち」ほどではないとはいえ,漫画家のロングスパンの構想に延々付き合ってくれるほど,商業漫画の世界は甘くなかろう。ゆうきほどのベテランだって例外ではなく,特に紙需要がひっ迫し,コストアップが急激になっている昨今,部数の出ない作品を単行本にまとめて印刷してくれるお人好し出版社は存在しない。それを見越してのことなのかどうか,ゆうきは延々と伊勢家の傍流で堅物ながらも将軍の近習にまで出世してコケてしまった新九郎の周囲の状況を,京都や関東の政情までしっかり大河ドラマ的な解説を交えながら22巻に渡って語り続けたのである。この構想力もさることながら,人気を維持するだけのストーリーテリングの旨さ,そしてこの新九郎という人物の魅力がなせる業なのであろう。もうここまで引っ張ってきたゆうきまさみの力量に感服せざるを得ないのである。

 何はともあれ,第一話の冒頭で描かれたように新九郎は伊豆を手中に収める過程に入った。龍王丸・氏親のサポート役として活躍しながら,よく知る地名が随所に出てくる上に,京都にほど近い所で仕事を得たワシとしては,偶然ながらもうってつけの作品になりつつある。この先まだまだ長いはずであるが,まずは長大歴史漫画の先人・みなもと太郎のように未完で終わることがないように健康に留意されて作品を綴って欲しいと切に願う次第である。

久田将義「教養としての新宿・歌舞伎町」朝日新書

久田将義「教養としての新宿・歌舞伎町」朝日新書

[ Amazon ] ISBN978-4-02-295370-4, \870+TAX

 ここんとこ神さんに呆れられるほど吉田豪の動画コンテンツを貪り視聴している。毎月やっているニコ生の3番組(平熱大陸,噂のワイドショー,居酒屋タックルズ)は欠かさず見ているし,Show Roomの「豪の部屋」はよほど興味のない人以外は大体見ている。オンラインで見られるトークイベントも,本書の著者・久田将義氏との番組は課金してちゃんと追いかけているのである。
 今日日,程よくリベラルで程よく保守で,ゴリゴリの人文系アカデミズムにも染まらず,とはいえ一定の教養を踏まえつつ世俗との接点も多いという御仁はごく少ない。どれかに偏った論者は多いんだけど,中庸的バランス感覚を持っているメディア論者は限られる。一時はかなり右寄りとみなされた小林よしりんは良い感じで着地した感があるし,東浩紀は元々バランス感覚が良かった上に今も中小企業経営者として一定のスタンスを保っているし,辻田真佐憲は右寄りからぐっと中道的な論者になって左右の論者に是々非々で臨んでいる。久田将義は,論者というよりは編集者という立場を守っているせいか,他人の論をしっかり受け止める素地があり,本書で開陳されているように,ヤクザや立ちんぼ当事者からのインタビューを行っており,人間生理的にしっくりくる論を展開できる貴重な人材なのである。

 ワシ自身は,新宿コマ劇場がまだ現役だった頃の歌舞伎町に映画を見に訪れたことがある程度の体験しかないが,それでも夕方から夜の盛り場の猥雑さは今もしっかり脳裏に刻まれている。ひっきりなしにポン引きやホステスらしき人物からの声掛けはあるし,振り払いながら雑踏を歩くのは妙な緊張感があったものだ。幸い下戸の人間嫌いなので,おかしな店に入ることはなかったのだが,一歩間違えるとあぶねぇ所だなということは肌身で理解できた。
 本書では21世紀も1/4を過ぎた今の歌舞伎町の様子がビビットに伝わってくる。のみならず,猥雑さの奥底に潜むヤクザや半グレ,立ちんぼからインバウンドで訪れる外国人,そして戦後の歌舞伎町を作り上げた韓国出身の立役者まで,本文200ページ足らずのちょっと薄めの新書なのに,情報量がぎっちり詰まっていてしかも読みやすい,ディープな歌舞伎町のガイドブックになっているのである。

 半面,もうちょっと読みたいな,という物足りなさもあり,阿形氏のインタビューは,戦後の焼け跡の愚連隊からヤクザになるまでの軌跡が知りたいし,アルファベットになっている現役ヤクザの方々の話はもっと読みたいなと思わされる。立ちんぼについては,サポートしているNPOからの取材などがあればもっと真相が分かるだろうなとか,無茶な要求はいくらでも湧いてくるのだが,それだけ本書の提供する情報が,好奇心を呼び起こす良い呼び水になっているという証なのであろう。この続きは別のスポライターや社会学者の方々に突っ込んでもらいたいモンであると思う次第である。

 AIがいくらでもネットに転がる情報を引っ張ってきて「いい感じ」にまとめてくれる昨今,生身の人間からの血の通った一次情報に基づくルポは貴重である。中庸的な視点で人間社会のしょーもなさとダイナミズムを醸し出す,久田将義に続く書き手の登場も願ってやまない。