[原作] 藤野千夜・[漫画] 志村貴子「団地のふたり」1巻, 双葉社

[ Amazon Kindle, 紙版 ] ISBN 978-4-575-44132-1, \740 + TAX

 原作は小泉今日子・小林聡美というビッグ俳優陣でNHKでドラマ化され,うちの神さんが熱心に視聴していたので,ワシも横目で眺めていたが,原作に手を出すほどでもなく、再放送がされてドラマ人気の高さをうかがわせるタイミングで本作が出たのである。話の筋や背景を見知っていたことはあったけれど,今まで敬遠していた「志村貴子」作品ということもあり,これなら大丈夫かなと手を出した次第。やっぱり当たりであったので,ここで紹介する次第である。

 ワシには画力もスケールもデカい漫画を避ける傾向があるのである。筆頭は萩尾望都であり,昨今の週刊連載漫画作家であり,そして志村貴子なのである。いや,読んでしまえば慣れ親しんで耽溺すること間違いなし,単なる食わず嫌い・・・というとそーでもなかったりする。萩尾望都は多分昔の名作の方がいいんだろうけど近作には馴染めず,日本芸術院に入った今でも敬して遠ざけている。一方,森薫のようにごってり重い画風ながら軽やかに読める作風はドはまりしたりして,まぁ一言でまとめると「相性」が合ったり合わなかったりする訳である。

 その意味では志村貴子は食わず嫌いであったが,ちらちら見かけるカットや切り抜き漫画には確かな画力とストーリーテリング力が感じられるものがあり,気になる存在ではあったのだ。とはいえ,ワシの財力と体力と視力との最適化を図った結果,ちょいと枠外に置いていたのだが,今回は題材的に見知ったものであるし,何より五十路同世代の子なし団地ぐらしというシチュエーションが共感をそそるものであり,えいやっと重い腰を上げて購入に至ったのである。読了した結果は満足のいくものであり,今回改めて志村貴子の表現力に感服することができた。

 明治は遠くなりにけり,とは昭和世代が散々聞かされたフレーズであるが,平成を挟んで令和も小学校入学を果たした今は,「昭和は遠くなりにけり」である。失われた30年を営々として支えてきた昭和世代のインフラは耐用年数を過ぎて,手間のかかるメンテナンスか取り壊しての再開発の対象となっている。本作の舞台となっている昭和の団地は,ぼちぼち博物館入りも近いというぐらいの対象となっており,若い世代は寄り付きがたいものに成り下がっている。そんな団地で,過去に色々抱えつつも今や独り者となった団地育ちの幼馴染がそのまま居ついて余生的な日常を送る様が,志村流のファンタジー世界でアウフヘーベンされて読者に提示されているのだ。

 家業のイラストは競合他社が増えてAI普及も手伝って先細りとなり,隣人の不要物を引き取ってはネットオークションに精出しつつ,団地内住民の老人から網戸の修理を頼まれて断れずに何でも屋になりつつあるなっちゃんと,大学の常勤になれずに非常勤で生計を立てつつ,幼馴染のなっちゃんとはたまぁに冷戦状態になりながらも腐れ縁を続けるノエチという二人の五十路女性が中心で描かれる。つましい日常ではあるが,それも老朽化という現実には抗えず,日々チマチマとした弥縫策を積み重ねながら生きていく様が,なぜか志村ファンタジーの手にかかると「楽しそう」なのである。原作の持ち味でもあるのだろうが,ドラマではもう少し生々しい生活臭が漂っていたものが,本作には全くないのである。そこをどうとらえるかは人それぞれであろうが,ワシにとっては高邁な芸術作品よりは,心地よいファンタジーが座りよい。現実逃避?・・・かもしれないけど,人生ヒマつぶしという見方もあるし,逃避しながらも人様に迷惑かけずに火葬場の灰になった方が,世の中的には理想的なのではなかろうか。

 してみれば現代的な「わびさび」を,昭和の団地という,真似のしようのない「茶室」で表現している作品と言えよう。茶道なんて結局,応仁の乱で荒廃しまくった挙句に,物のない状況を開き直って侘びだの寂だのと言っただけという見方もある訳で,それなら失われた30年でボロくなった昭和団地で,溜まった不要物を売り買いしながらの若旦那が唐様で書いた茶の湯の有様,それが志村貴子が渋い女性雑誌「Jour」で表現したものなのである。

小田原ドラゴン「今日も嫁が見つからない。」扶桑社

小田原ドラゴン「今日も嫁が見つからない。」扶桑社

[ Amazon ] ISBN 978-4^594-10338-5, \900+TAX

 五十路過ぎの男性の婚活記,1巻と銘打っているところを見れば明らかなように,いまだ嫁は見つかっておらず,以後続刊が期待できる。本人は真面目にやっているのかもしれないし,画風故のものなのかもしれないが,イマイチ真剣みが感じられず,諦観も漂いつつ,まぁいい人がいれば一緒になりたいなぁぐらいのぼんやりした願望しか伝わってこないあたり,読者としては今後の楽しみが増える未来しか見えないのである。

 婚活をテーマにした漫画を追いかけて幾星霜,現在のお気に入りは井原タクヤ「運命など存在しないので」1,2,3,4巻である。シビアだが有能な婚活アドバイザー・柏木が,老若男女の様々なシチュエーションに対して的確なアドバイスをビシバシかます様は婚活版ブラックジャックである。「私は一生懸命治そうとする患者が好きでねぇ」という名文句は医療であれ婚活であれ通じるものであり,主人公・柏木は結婚に真剣な顧客に対しては成婚に繋がるカンフル剤をストレートにぶつけてくる。「結婚はスペックの取引です」という容赦ない現実を認識しないことには,いつまで経っても薄甘いファンタジーにおぼれて老いさらばえるだけである。

 ・・・ということは本書でも結婚相談所に入会する時点で認識しているのではないかしら。掟ポルシェのアドバイスに対しても今一つ乗り気でない感じであるし,ネタ消化的な車中泊トラベル記は挟まるしで,エッセイ漫画としては大いに楽しめるんだけど,五十路過ぎのキモい親父が真剣に婚活を考える書としては,反面教師以上の意味は見いだせない。いや,そのうち電撃的に結婚しちゃうかもしれないけれど,そこに至る経路としては,正統的な婚活路線にはなっておらず,真面目に婚活を考える向きにはお勧めしかねるものなのである。

 いわゆるコミュ障で,パーティーでは壁の花が定番という,小田原ドラゴンのような人間の婚活には,なるあすくのエッセイ漫画(前編,後編)をお勧めしておく。結局は自分をよく見知った知人を介しての紹介が決め手になった幸運なケースではあるけれど,一番の幸運はまだ40台だったということだろう。子育てを考えると50台は遅いと言わざるを得ない。夫婦の合意があれば渡辺電機(株)のようなレアケースもあり得るだろうが,人付き合いがしっかりできる人ならではの幸運さが舞い込んだものであって,レアはあくまでレアである。

 結婚というものが人生と生活を共にするものである以上は,SEXもさることながら,まずはお互いの人生観のすり合わせが最重要なのである。どーせ還暦近づけば性欲も落ちてくるし,それよか老後の生活をイメージできるかどうかということであろう。金だけあっても最期は紀州のドンファンが関の山である。

 ご本人,結構金もあるし,漫画家としての力量は本書も含めた作品を読めば一目瞭然であるからして,犬好きの中年女性の方は一度アプローチされてみてはいかがだろうか。DVするような人物ではないが,人生の伴侶としてはいささか心もとないところはありそうだけど,「飼いならすつもりで一生付き合いつつ楽しむ」つもりなら悪くないとは思うんだけどねぇ。次の展開を期待して2巻を待つことにしたい。

大島弓子「キャットニップ5巻(完結)」小学館,私屋カヲル「ブリちゃん日記2巻(完結)」竹書房

[ Amazon ] ISBN 978-4-09-389877-5, \1400+TAX

[ Amazon ] ISBN 978-4-8019-9502-4, \1500+TAX

 久しく出ていなかった大島弓子の猫エッセイ漫画,「キャットニップ」5巻がやっと出た・・・と思ったら完結ということで,つまりは本人なりの終活の一環ということらしい。あれだけ猫にまみれた生活を過ごしていながら,徐々に老いていく猫と自分,とうとう最後の2匹も昨年息を引き取ったとの由。猫のために住み慣れたマンションを売却し,今の一軒家に越して元の飼い猫から保護猫,たまぁに現れる野良とも交流しつつ,しっかり避妊させて自然に摂理に従って去って行く猫たち。完璧なまでの終活模様,おみそれしましたと言う他ない。簡素を極めた素朴な線はアートの領域に達しており,それでいてしっかり少女漫画テイストは生きており,可憐であり美しい。よき老後を送られんことを。

 ・・・じゃ,ずっと年若い私屋カヲルの猫漫画をこれからは楽しもうと2巻を買ってきたらこれで終いというじゃありませんか。あんまりだ,大島弓子御大の代わりを誰に求めればいいというのか,バツイチ独身女の酸いも甘いも嚙み締めて幾星霜,日がな一日がっつり猫と戯れる一戸建て生活を楽しめる漫画を,これからはどこに求めればいいというのか。デビュー時はあんな絵だったのにあれよあれよとエロくなり,欧米では危険書扱いされるレベルまで到達した表現力をもってして躍動感たっぷりの中年女の雄たけびを他のどこに求めればいいのか。まったく次の連載の当てがないなら同人誌でもいいから続けて欲しいモンである。

 以上,夏休みの終わりに猫エッセイ漫画2冊も終わってしまってシオシオのパーになってしまった五十路男の愚痴でありました。

9/27(日) 駿府・曇

 9月も半ば過ぎになるとすっかり暑さも遠のき,西日本で荒れ狂った猛暑もどこへやら,秋雨前線がのへーっと関東から東海を縦断して京都から日本海に抜けるところに停滞し,時折北に上がってきた台風からの湿気が刺激になって線状降雨帯を形成しては収穫前の農産物を台無しにする有様。涼しくなったのはありがたいが,急激な気温の変化が季節外れのインフルエンザ流行をもたらしているようで,これから予防接種を受けようかという五十路夫婦を脅かしている。10月にならないと予防接種費用の補助も受けられないから,一刻も早く受けたい&補助も欲しいのダブルパンチでケチ臭い煩悶に身を焦がす今日この頃である。

 とゆーことで,8月から9月終わりにかけては京都・三十三間堂・大阪・道頓堀・福岡・登別温泉・名古屋駅・オープンキャンパスと盛りだくさんの行事と出張・旅行を交えつつ,例によってAIにより,+3本の論文を投稿することになった。1本はAcceptされているので,査読待ちが2+1+1+1+1=6本あることになる。アホの仕儀である。

 加えて新しい教科書の企画書に使うとかでまえがきと目次案を作って先方に先ほど送付。これにて〆切仕事は全て終了・・・というタイミングでもう秋学期が始まるのである。幸い,静岡のド田舎非常勤仕事は終わったし,時間的余裕は確保できているから,この後は10月中に一本仕上げ(①11月発表と同時に投稿),acceptされた論文⓪の続編②も同時に完成させておきつつ,11月中にはさらに②の続編となる仕事③を完成させつつ②を投稿,③を仕上げながら12月の研究発表会でこの仕事の途中経過を発表し,③の完成度を上げて②がacceptされた暁にはこの結果を踏まえて一流どころに論文③を1~2月に投稿,1月までには3月の研究発表会のための仕事④をまとめておき,同時に④を査読のある国際学会に投稿・・・という予定でいる。つまりは①~④の4本を査読論文として年度内に投稿しようというのだから暴挙もいいところ。それもこれもAIのなせる業で,疲れたとか頭が働かないといった言い訳の効かない状況にあるのである。教科書の方もそーゆー状況を踏まえて「AIと共に学ぶ」内容を予定しており,もし企画が通っちゃったらこの執筆も加わる訳で,五十路過ぎたワシを殺す気か~Claude,ChatGPT!と叫びたい。

 とはいえ,これで定年以降も続くかと思われた懸案は全部片付いてしまったわけで,3月からは次年度以降の研究テーマをひねり出す過程に入らねばならん。査読論文は年齢と同じ数だけないといかんという向きもあるが,完全に個人仕事のワシにはしょせん無理・・・だったが,来年ぐらいには四十路の域に達し,定年までには五十路半ばになれる見込みが出てきた。頭と心身がついていけば,の話であるが,定年までのカウントダウンが始まっているワシとしては,このあたりを目標に頑張っていきたいモンである。

 HPCのテキスト,ある程度はできてきたが,どーも構成に難があり・・・やっぱり後半は深層学習一般で攻めた方がいいかなぁ,と悩みが出てきてこの9月いっぱいの完成は無理臭い。3月までの仕事かしらねぇ。

 まずは12月の大師匠墓参りまでにどこまで進展があるか,もうひと頑張りしていきまっしょう。ではまた。

岡野原大輔「ヒトとAI」岩波新書

岡野原大輔「ヒトとAI」岩波書店

[ Amazon ] ISBN 978-4-00-432122-4, \940+TAX

 2026年9月13日(日) 20時現在でAmazon Kindleストア282位(コンピュータ分野 1位),書籍104位(IT分野 2位),この時点で最も売れている岩波新書である。AIを構築するための中核的なプロセッサを含むSoCを開発しているPreferred Network社の創業者・社長であり,日本のAIを引っ張る大役を担っている第一人者が,AIの中身を人間の知性と対比しつつ,AIが世界を席巻し我々の日常生活を覆いつつある現在,何を人間が担い,何をAIに任せるのか,読みやすい短文を積み重ねた短い28章で語っている。Claudeがどうの,ChatGPTが賢くなっただの,Kimi3を含む中華AIのコストの安さは驚異的だの,そーゆー目先のことではなく,根本的な原理と人間が構築してきた社会制度を踏まえた怜悧な分析が冴える本書は,AIに右往左往している我々が今こそ読むべき新書と言える。

 まーしかし2025年から2026年にかけての,LLM(Large Language Model)に代表される生成AIの進化は恐ろしいものがある。昨年早々にはChatGPTとGeminiを有料課金する最低ラインのところで使っていたのだが,正直,卒研生並みの能力しかなかった。具体的に言うと,論文に記述してあるアルゴリズムを読み取ってプログラムに起こすことはまともにできなかったし,せいぜいワシが書いたコードを機械的に書き換える程度のことしかできず,しかも結構つまらんミスをして気が付きもしないレベル。それでもまぁ目も肩もくたびれてきて,ぼちぼち人生黄昏時で根気も集中力もなくなってきた年寄り仕事の補助ができればいいか,ぐらいに考えていた。
 それがどうであろう,Claude Codeを導入し,Vibeコーディングのための研究費をつぎ込んでMaxプランを本格的に導入したのが本年3月。コーポレートカードの支払いは新年度からだから4月支払い分は自腹を切ったのだが,ちょっとびっくりするほど役に立つ・・・どころか,ワシがかつて3か月格闘した挙句に移植を諦めたライブラリのCUDA化を,悪戦苦闘しながらも成し遂げてしまったではないか。あろうことかベンチマークテストまで自動的にPythonコードを書いてサクサク進め,「あれとこれに載っている論文のアルゴリズムを起こして比較して」という漠然としたプロンプトにも的確に対応し,翻訳調ではあるが完璧なTeXレポートを仕上げてきたではないか。ワシは興奮していそいそとまとめてarXivにぶん投げつつ,ちょっとレベルの高い国際会議にも投稿した。残念ながら国際会議は3名の査読者のうち1名から難癖としか思えないrejectを食らって落ちてしまったが,1名はプラマイゼロ,1名はWeak acceptという評価をもらった。つまりは「筋は悪くない」のである。
 その後は今まであきらめていた題材を次々にClaude Codeに投げ込みつつ,ChatGPTやGeminiも併用してあれとこれをarXivに投げ込み,あまつさえ,arXivの投稿制限を超えて入りきらなかったそれとそれとそれも書いてしまったのである。どれもこれもワシ単独では到底こんな短時間ではできず,Claude Codeのパワーのおかげで仕上がったものである。そのうち一本は情報処理学会論文誌採録が決定している。今も,2本ばかり準備が終わったネタがあり,これから3月に発表と投稿を控えるテーマについても下調べと基本ベンチマークは終わっており,おそらくはワシの研究者人生において最高の査読論文・査読国際会議採録数になること間違いないのである。せいぜい卒研生並みの能力しかなかったAIが,ClaudeでいえばOpus 4.8あたりでポスドクの博士ぐらいの能力を持つに至ったと言える。

 まさに生成AI様様なのであるが,いざ使ってみると,うまく活用するためには人間によるディレクションが不可欠であることも事実である。本書の第4章「AIは継続学習が苦手」でも述べられているが,一度やった仕事を完璧に忘れているのである。それどころか,レポートをまとめながら進めてきた仕事でも,最初に指示したことをすっかり忘れて間違い仕事を繰り返したり,小改良で済むところを一からやり直したりと,究極的な鳥頭なのである。これが人間相手なら「おまえなぁ,何回同じことを言わせるんじゃ」と愚痴の一つや二つや出てくるが,記憶力のないAIにそんなこと言っても仕方がない。こちらでも自衛のため,いったん区切る仕事は必ずTeXレポートを記述させ,次に開始するときにはそれを読み直せば記憶を呼び起こすことができるようにしておかねばならない。

 さらに厄介なのはAIには感情がないということである。つまりは仕事に対する動機付けがないのだ。人間ならば,出世したい,そのためには業績を上げたい,論文を書かねばならない,論文執筆のためには研究せねばならない,みたいな,つまりは行動の動機となるアカラサマな欲望が必ずあるものだが,それはAIには期待できない。欲望を駆動する感情があってこその人間であり,「何を記憶し,何を忘れ,どのように行動するかを強く規定」(第12章「感情」, P.86)するのも感情がなせる業なのだが,そこがAIには決定的に欠けている。逆に言えば,全知全能の神みたいなAGI(Artificial General Intelligence, 汎用人工知能)に到達するための一里塚として,何らかの感情的な駆動装置を発明する必要があると言える。最近の研究ではどうもその萌芽のようなものがあるとの報告も上がっており,これはこれでちょっと怖い状況であるが,にしてもワシも含むAIの能力に魅了された人間がこの便利なツールを手放すわけもなく,世界中の電気を食いつくすまではAI能力向上競争が止まることはないのであろう。

 著者は既に科学を支える基盤としてのAIについての考察をまとめてしまっているらしく,東京化学同人から「AI計算科学:表現・推論・探索による計算科学の再編」が11月に出るらしい。全く東大・松尾研出身者の馬力の高さは恐ろしいほどである。ワシ自身がAIに駆動されながら論文作成に邁進しているぐらいだから,もう学術界の,特にコンピューティングに依存するところは「AI計算科学」に染まりつつあるのだ。本書はその土台となる基盤技術,人間社会のありようとAIとの協調をどこに求めるのか,AIの導出した結果の責任の取り方を考える基礎教養書になること間違いないのである。