内田樹「村上春樹にご用心」アルテスパブリッシング

[ Amazon ] ISBN 978-4-903951-00-3, ¥1600
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 日記にも書いたが,ワシは村上春樹とは相性が悪い。おかげでエッセイ一冊,小説一冊,読み通したことがない。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の文庫版を買って読もうとしたが,最初の段落を読んで「こりゃだめだわ」と早々に撤退してしまった。以来,どんなに売れていようと,世評が高かろうと,ワシにとって村上春樹は敬して遠ざける作家であり続けている。
 だもんで,本書を買ってしまったのは,純粋に内田樹が書く村上春樹に関する文章が好きだ,という理由によるのであって,決して村上春樹に興味があったからではない。本書に納められている文章の大部分は既に内田のblogで発表されたものであるが,リライトされ,紙に印刷されたものを読むと更に面白さが増しているように思える。やっぱ,ワシは骨の髄から内田ファンになってしまったんだな,きっと。
 しかし,最近,村上春樹に関して興味が湧く事件があった。かつて担当編集者だった故・安原顯が村上の直筆原稿を売り飛ばしていた,という事実が発覚したのである。それに対して村上春樹は長文のコメントを雑誌に寄稿している。本書でも内田はこの事件について一文を寄せ,村上のコメントを引用しながら鮮やかにこの事件について解説を行っている。既にblogで読んでいた記事だが,ワシはそれを本書で再読しながら,いちいちごもっともだなぁ,と理性で思いつつも,一方では,「酷薄だな」と感じたものだ。
 本書でもう一カ所,内田の「酷薄さ」を感じた所を引用しよう。

 しかしご存じのとおり,今や日本を代表する世界的文学者である村上春樹について,わが国の批評家のほとんど全員(およびかなりの数の作家)たちが「毛嫌い」ないし「無関心」を示している。世界的な評価とドメスティックな無関心との対比は誠に興味深い。
 これを「売れているから嫉妬している」というふうに下世話に解釈することは(かりにそれがかなりの程度まで事実であったとしても)文学的には生産的ではないだろう。やはり,村上春樹を嫌う人々にはそれなりにやむにやまれぬ文学的事情というものがあるに違いないと考える方がよろしいと私は思う。(P.36)

 これを読んだワシは,なんだウチダ先生,ちゃんと村上春樹が世間のジェラ心によって意図的に無視されているってことはご承知なんだ・・・と思ったものだ。しかし,それはそれとして,この文章はさっさとよりグレードの高い問題へ軽やかに移行していくのである。
 こういうスマートな思考を持つ人たちをエリートと呼ぶのである。そしてこういう思考をできる人はそれほど多く存在しない。ワシも含めたある種の「しぶとい(友人命名)」バカどもは,「スマートな思考」が優れていることを重々承知しながら,自分が拘る一カ所に拘泥し,そこから足抜けできずに日々悶々としているのである。
 そこを軽やかにすり抜けていく人間を見れば,そりゃ,ジェラ心を抱かない方がおかしいだろう。もちろん,ある程度年輪を重ねると,露骨に感情を出すよりは黙っていた方が得策だ,という程度の知恵は付く。しかし・・・それで治まりがつかない人間もやっぱりいる訳で,その一人が安原顯だったんだろうなぁ,とワシは思うのである。そして,ウチダも村上も,エリートの思考を持ってして,図星を付く指摘をしているのだ。
 これを「酷薄」と呼ばずにおられようか。
 ワシの理性は拍手を送っているのだが,感情は「冷たい・・・」と震え上がっているのである。
 本書の担当編集者が,ほぼ日で本書の紹介をしている。そこでは「橋本治以来の知性」という文句を使ってウチダを礼賛している。
 ワシもそれは肯定する。その知性は恐ろしく切れ味が深い,という意味でも正しい。しかし,それは小谷野敦や大塚英志にワシが感じる「自分の持つダメさへの諦観と郷愁」という奴とは真逆のベクトルを持つものである。人類全体の進歩には重要なものではあるが,人間個々人の「癒し」とは成り得ないものである。本書で批判されている蓮實重彦の「村上春樹作品は結婚詐欺である」(P.63)や松浦寿輝の「うまいのは確かだが,文学ってそういうものなのか」(P.167)という発言は,多分そのあたりのことを指摘しているのではないか,とワシには思えるのである。
 ま,しかし「癒し」でない知性も重要である。その意味でも一度読んでみると,村上春樹以上に内田樹という人の考えがよくわかる本であることは間違いないのである。

10/17(水) 掛川・?

 ふひー,本日の講演,1/4以上の方々の沈没者を出して終了した。うーん,だから講演じゃなくって実習にさせてくれと言ったのに〜。
 ・・・と言い訳するのは見苦しいな。こーゆー内容をおもしろがって聞いてくれるかどうか,まずは考えるべきであったのである。ま,覚悟の上ではあったけど。自分としては,考えがまとまって,良い機会ではありました。
 引率の先生は平身低頭されていたけど,ワシも悪い訳ですから,お気にされることはないですよ〜。だから来年こそはリベンジの機会を下さいね(懲りない奴)。
 ACS論文,ハードコピーだのTeXソースだのをまとめて送付。これで一安心である。さて,次は何やろっかなぁ〜・・・って,早く計算中の論文まとめて出さなきゃな。これから暫くは論文執筆モードに入るぞ〜。
 ふーん,Leopardは予定通り今月下旬に出荷か。しかし既存ユーザに対する値引きは一切ないのね。VMwareを入れちまったし,今更Boot Campが標準搭載と言われても食指は動かないなぁ。まあ評判をじっくり聞いてから判断しても遅くないよね。Vistaみたいな話もある訳だし。
 /.Jによれば,著作権分科会がパブコメを募集中とのこと。早速中間答申案を印刷している。時間があればワシの意見をまとめて送りつけてやろう。サーチエンジンがらみの話もあるようだし,勉強の一貫として読んでみるのも無駄ではなかろう。一番よろしくないのは,異論があるくせに黙っていることだ。「発言するってぇのは大事なことなんですねぇ(@風雲児たち)」という言葉,じっくり噛み締めましょうぞ。Webっつーもんもある訳だしな。
 今日はゆっくり溜まっていた新刊を読みながら寝ます。

10/15(月) 掛川・?

 秋が深まっていく。今週は全国的にどんどん寒くなっていくらしい。今年は石油ストーブの出番はないな,と思っていたが,こりゃ暫定的にでも出さざるを得ないな。それもこれも,4ヶ月も完成が遅延しているマンションのせいである。金返せ。
 煮詰まっている。煮詰まると,現実逃避したくなる悪い癖が出て,ついつい本日〆切の研究部会に講演を申し込んでしまった・・・また11月は出張3回・・・今年はもう研究費も尽きているというのに,ワシのバカ。
 本日の三年生ゼミはMySQLのconsole clientを使ってSQL文演習・・・の筈が,MySQL serverを起動させる解説をすっかり忘れていて,そのフォローに手間取ってしまった。うーむ,やっぱりテキストは使ってなんぼだなぁ。終了後,いそいそと修正をかける・・・こうしてまた3ページ増えてしまった。ただいま117ページ。1月中にはほぼ完成の目処が立ったが,こりゃ130ページは越えるな。一通りできたら4月には印刷をかけてしまおうと思っているのだが,いくらかかるのやら。かけばいいというもんではない。ワシのバカ。
 11月上旬の研究集会関連のメールが立て続けに3通も来る。しかも夜中の11時過ぎ。本日〆切の研究部会の申し込みのお返事も深夜に届いたりして,一体このお世話役の方々はいつ寝ているんだろうと不思議でしょうがない。特に後者のS先生は,「よく死にませんね」とご挨拶申し上げると「いやーそろそろ限界じゃないか」といいながら,あっちのワークショップ,こっちの研究会,むこうのコンテスト・・・と恐ろしいほどの仕事をこなしておられる。体力が違うんだろうなぁと,感心することしきり。日本の科学技術はことほどさように,真面目な一部の方々の不眠不休のサービス残業によって支えられているのである。感謝せねば。
 感謝しつつ,不真面目なワシはもう寝るのであった。

10/14(日) 掛川・?

 ふ〜,やれやれ,ようやく講演のための下書きを書き上げる。A4用紙2段組み12ページ・・・書き過ぎだって。しかも書きながら論旨がずれてきやがんの。それでも結論まで一気に書ききったおかげで,ようやく自分の言いたいことをすっきりまとめられそう。あとはこれを土台にしてPowerPoint資料を作るのみ。これは火曜日かな・・・間に合うのか>ワシ
 資料に使った中に,藤子・F・不二雄のSF短編があったのだが,今入手できるのは全部小学館から出版されているのね。ワシが持っているのは1994年に出た中公文庫の奴で,これには4巻に納められている「征地球論」。今ではこいつに載っているようだ。
 PowerPoint資料にはここから4コマ分スキャンして使うつもりだが,これってWebに出したらまずいのかしらん? 書籍だと引用扱いで良さそうだが,小学館からなんか言われるのも嫌だよな。どーもこの辺りの権利関係を考えると面倒である。まあ仕方のないことではあるものの,段々とこの権利関係がこんがらがってくると,ついテロを支持してしまいたくなる自分がいる。
 大体,著作権保持団体が何かワシらユーザの役に立つサービスを生み出した試しがあったのか? ユーザや家電メーカーを締め上げて一番得をするのは,著作権を持っている盗品ではなく,その中間にいる弁護士とか保持団体役員連中だろうが,こういう搾取者に自分の権利を一任して普段はロクに発言もしない輩を尊敬しろと言われてもなぁ。ニコニコ動画が支持される訳だよ,全く。
 著作権を70年に延長しようという話はまだ審議が継続中のようだが,仮に70年になったとして,権利者団体が何もサービスを提供しなければホントに暴動が起きるぞ。いやムシロ旗立てて「権利者様お願げぇしますだ」と直訴するというんじゃなしに,著作権など無視しまくるテロが跋扈しかねない。そろそろ権利者も要求するだけの態度を改めるべきだ。
 明日は講義とゼミだらけなので,早く寝ます。

得能史子「まんねん貧乏2 年収19万円編」ポプラ社

[ Amazon ] ISBN 978-4-591-09915-5, ¥1000
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 まさか第二弾が出るとは思わなかったのだ。昨年,閉店間近のなにわ書房本店で第一弾と邂逅し,「貧乏の悲しみ」を白い簡素な絵で描いていることに感動したことをここに書いたのだが,それが何と,今でもググるとトップページの上位に表示されているのである。
 マイナーだ。
 マイナーの証拠である。平均以下のページランクしか与えられていないこのblogの記事がトップに来るなんてありえね〜。しかも発売から一年以上もたっているのにこの記事の少なさ。第二弾が出るぐらいだから,それなりに読者はいると思うんだが・・・みんなWebに記事を書かないのね。
 以前,BSマンガ夜話で「事件屋稼業」を取り上げた時,夏目房之介さんが,「これ(事件屋稼業)好きな奴はアンケート出さないんだよ」と言っていたが,どうやらこの「まんねん貧乏」ファンも同じことが言えそうである。出版社に感想文は送るのに(得能がそれを読んで喜んでいることが本書に描かれている),それ以上の主張も広報活動もしない奥ゆかしい人々。それが本書のターゲット層たる女性たちなのであろう。恐らくは得能と同じように,旦那を送り出して家事をこなし,午後のゆったりとした独り身時間にごろんとソファーに体を横たえ,本書を紐解いて「そーなのよねー」と共感したり,くすくす笑ったりしているだけで幸せなご仁たちが多いのであろう。
 平和だ。日本のこの自堕落なまでに平和な日常の象徴,それが得能のまんねん貧乏生活なのである。ワシはこの事実を,数少ないオスの負け犬読者として,Web広報活動家として声を・・・まあ普通程度の音量にして,ボソボソとお伝えしようと思うのである。
 第一弾はビンボー負け犬生活を送っていた頃の得能の回顧録みたいなもんであったが,第二弾はラブラブ新婚生活ビンボーだけど幸せです的なほのぼのライフの紹介がメインである。ワシはこう見えても新婚生活に憧れを抱いており,結婚したての奴が不幸せそうな表情をしていると「もっと幸せそうにしやがれ!」とカツを入れてしまう悪い癖があるのだが,得能にはその必要はなさそうである。いわゆる「等身大の幸せ」という奴の模範生であり,旦那(New Zeal人)の給料が合算されてもボロアパートに住み続け,毎月の千円単位のやり繰りに腐心し,チマチマとささやかなイベントのための予算を積み立てることに喜びを覚えている得能は,多分,一人で暮らしていた頃よりも幸せなのだ。特に生活が豊かになった訳ではないが,一緒に暮らしていくこと,それだけが唯一の喜びの源泉であり,それさえあれば,飢えない程度の稼ぎで充分なのだ。
 二人で暮らしていくことの大切さ,という大変ベタなテーマを,軽やかでシンプルな描線でユーモラスに描いている本書は,負けただの勝っただの上流だの下流だのといった格差論を軽やかに受け流す強さを持っている。残念ながら得能は前作と今作の原稿料と印税で,少なくとも中流以上の所得を得ることになってしまい,下流の悲しさで勝負することは今後できないだろう。そのことは得能も充分承知した上で,本作を「らぶらぶ」路線にしたのだろう。結果,「下からの目線」による勝負はできなくなったが,人間社会を包括する,ベタだが大切なテーマを獲得することができたのは幸いであった。しかも得能の「らぶらぶ」は肩肘張らずに受け取ることがきるまったりしたものである。安心してご購入され,くすくす笑ってそれを自然に受け取って頂きたいのである。