ふひー。もう大晦日だよ。昨年ここに2006年の抱負を書いたばっかりなのに,もう一年経っちまったのか。こうしてますます年を取るスピードが速まっていくのであるなぁ。
ぷちめれ祭り,何とか終了。一応9記事書いたが,本の数としてはもっと増えるよな。これは2冊分だし,これなんか3冊分である。しかしこうして眺めると,段々くそまじめな本が増えてきているような。もっとエロとバイオレンス(not abuse)に満ち溢れたエンターテインメントを紹介すべきなのであろうが,段々年と共にそーゆーものに淡泊になってきているようで,全然食指が動かないのである。まあワシなんか自分が好きなものについてだけ好き勝手にパーパー言ってりゃいいんだから気楽なモンであるが,プロ書評家の人たちって,先方の要望に応える必要があるわけで,自分の興味の埒外のジャンルにも手を出さざるをえないことも多いんだろうな。ホント,大変な仕事をしているんだなぁと思います。
フセイン元大統領の死刑執行。口封じ以外の何者でもないな。USAさんも,力を行使するんだったら,同時に知恵も最大限発揮しないとうまくいかないのにねぇ。折角Occupied Japanのような(USAにとっては)優れた実例があるってのに,ぜーんぜん勉強してなかったのだな。フセインも困った人間だったが,USAの悪印象も更に高まれり。
今日は大晦日だが,コミケは壮絶な三日目なんだよね。参加者は年越しの行事もパーですな。ワシはもう引退モードなので,自分の家の中のことだけして,てれてれ過ごします。
とゆーことで
NHK「東海村臨界事故」取材班「朽ちていった命 -被爆治療83日間の記録- 」新潮文庫
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-10-129551-4, \438
新潮社 (2006.10)
通常24時間以内に発送します。
東海村のJCOで日本初,いや世界でも初めてという臨界事故が1999年9月30日AM10:30に発生した。事件のあらましは,例えばWikipediaの記事を参照されたい。
事故直後に作業に当たっていた3人が被爆し,そのうちの1人が事故から83日目に,もう1人が211日目に死亡した。本書は,前者の治療描いたNHKのドキュメンタリー番組を作り上げた取材班が著したものである。
この事故については,ワシが静岡に移った直後に起こった事件だったので,発生直後の報道はよく覚えている。政府も非常事態体制で臨んでいたし,チェレンコフ光を発した沈殿槽の臨界状態を停止させるために,政府から派遣された学者がJCO職員に被爆覚悟の作業を行わせたことも後の報道で知った。この辺りの事情の是非についての詳細は承知していないが,その後,直接この事故の原因となる作業を行っていた3人が治療を受けているということ,そのうち2人が重傷ということを聞いたときには,正直,どう反応して良いのか困惑したものである。本書のP.53の記述を読むまでは,どのようにこの83日後に死亡した方に対して「同情」していいものか,全く分からなかった。
はっきり言って,この事故は,この3人の作業によって引き起こされたものである。臨界事故が発生しかねない作業を命じたJCOの会社としての責任は当然第一に考えられるべきものだが,この作業がなければ,そしてそれが「臨界」に達することがなければこの事件もなかったのだ。つまりは「加害者イコール被害者」という図式が成立しているのである。この83日後に亡くなった方は「(事故が起きた)転換試験棟での作業は今回が初めてだった。上司の指示に従って作業を進め,臨界に達する可能性については,まったく知らされていなかった」(P.53)ために,このような事態を招いた,ということを読まされていなければ,ワシは本書を読了することは多分,できなかったろう。しかしそれでもワシの胸の内のモヤモヤは解消していないのだ。
本書の記述の大部分は,この亡くなった方の,まさしくタイトルにある通り,強烈な放射線障害によって「朽ちていく」様と,治療に当たった東大病院の医療チームの苦闘ぶりに割かれている。多細胞生物の生命現象を支える部分が破壊されて,どう移植治療や外国の専門家の助力を仰ごうにも,救いようのない事態が続発して,まことに痛ましく無惨である。それを伝えることが番組と本書の狙いであり,この目的を果たすことが出来ていることは十分認める。
認めるのだが,その上で,やっぱりワシの頭の中の「割り切れなさ」は残っているのだ。それを解消するには当然,事故調査委員会の報告書を紐解く必要があるのだろうし,いずれは読んでみたいとは思っている。
しかし,高濃度のウラン化合物を扱っている会社で,しかも臨界事故を起こしかねない作業手順が易々と実行されてしまい,それを「知らなかった」ために従順に会社の指示に従った,という事態はやはり問題である。今更言っても詮無いことだが,この時点で「何かがおかしい」という疑問が作業員に湧いていれば,事故は防げた可能性もあるのだ。放射能に関する知識がもう少し与えられていれば,防げないまでも,異議申し立てぐらいはできた可能性はあるのだ。
死者を鞭打つような文章になってしまったが,「朽ちていった命」について考えるならば,このような事態を草の根レベルで防ぐための方策,上から与えられるものではなく,自己を守るための知識を広く染み渡らせるための具体的な方法論が議論されなければ意味がない。どうしてもグローバルスタンダードという奴は,「お人好し」を食い物にしてのさばっていく傾向があり,しかも最悪の場合,知識がないばかりに人のいい人間を加害者に仕立ててしまうこともあり得るのだ。この臨界事故はまさにその典型例であり,本書はその「同情を躊躇させる被害者」を描いた,優れたジャーナリズムの力量を見せつけてくれる良書である。
桂米朝「落語と私」文春文庫,他2冊
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-16-741301-9, \429
本年(2006年)は,昨年のドラマ「タイガー&ドラゴン」による落語人気を引きずって,マスコミは随分と落語ブームを囃し立てていたが,実際は無風状態と言っていいのではないか。一部のマスコミ受けしている噺家は更に人気が高まったようだが,そうではない普通レベルの噺家まで「落語ブーム」とやらの恩恵を受けているとはとても思えない。ブームを当て込んだ出版もちらほら見られたが,爆発的な売れ行き,とまでは行かなくとも,数万~十数万部のセールス記録を残した本が一体どれほど存在していたのか,甚だ心許ないというのが実情ではなかろうか。
実際,寄席に行ってみると,人気者の番組が組まれていない平常時の固定客の年齢層は高止まりしたままのようだし,つまんないベテランのレベルが上がっている訳でもなく,番組が変わる度に必ず通いたくなる程の面白さはそんなに期待できない。フジテレビ提供のお台場寄席・Podcast版の司会進行を勤めている塚越アナは「寄席は当たりが3割(あれば上等)」と言っていたが,まさしくその通り。今のTVのバラエティ番組のテンションに慣らされている我々にとって,寄席はちょっとおとなし過ぎるのだ。従って,これから先の寄席の入りは元通りの低空飛行を余儀なくされると思われる。
春風亭小朝「いま,胎動する落語」(ぴあ)は,前著「苦悩する落語」の続編として今年出版されたインタビュー集であるが,落語界の将来が楽観できる状態にはないことを如実に物語っている。詳細は本書に譲るが,媒体に乗って宣伝できる売れっ子に活躍の場を広く与えつつ,若手の有望株をうまくユニット化して舞台に上げること等,つまりは常に新機軸を出し続けていく必要がある,ということを力説している。いまや,芸能界にもしっかりしたポジションを確保した小朝にしか言えない,きついけれども問題点を的確に指摘する説法は,あのまろやかな口調も手伝って非常に説得力がある。
とはいえ,小朝ですらそれだけの危機感を捨てきれないという現状は,きちんと認識しておく必要があろう。本年は落語協会会長も馬風に代替わりし,そのあたりの事情も述べた自伝「会長への道」(小学館文庫)も出版されたが,この中で会長は次のように述べている。
「上野鈴本演芸場も,近年は出演メンバーが変わって,若くて面白い連中を出すようになったけど,寄席はああでなきゃいけない。世間一般にはまだ無名でも,センスのいい若手を次々と入れていけば,まだまだお客が陰気になるわきゃない。
(略)
個性を上手に差配すれば,寄席はまだまだ面白くなると思いますね。」(P.213)
つまり,馬風会長もそう落語の現状を楽観視していないことが分かる。現状維持ではダメで,伝統を壊さない程度に新機軸をつぎ込む必要性を訴えているわけだ。もちろん,会長の音頭取りで各種のイベントも怠りなく準備しており,その一つが六代目・小さん襲名,もう一つが木久蔵・きくお同時襲名であり,その陰で目立っていないが,「春風亭柳朝」(小朝の師匠)も近々復活予定なのである。
・・・とまぁ,後継者の多い古典芸能と言えどもそう安閑としていられない現状を一通り憂いたところで,原点回帰,そもそも「落語とはどのような芸能なのか?」といことを一度振り返っておく必要があろう。
「落語とは?」ということを解説した本は数多あるけれど,漫画のことは漫画家に効くのが一番説得力があるのと同様,やはりここは噺家に聞くのが一番である。そうなると,いまや人間国宝・桂米朝以外に適任者はそうそういない。語り口は丁寧で奇を衒わず,歴史的な事柄もそのバックグラウンドとなる知識も備えた現役噺家が書いた「落語の教科書」が,表題の「落語と私」である。タイトルだけを見ると「自伝かな?」と思ってしまうが,これは,ポプラ社から1975年(昭和50年)に出版された中高生向けの「落語入門書」である。それが1986年に文春文庫に収まり,2006年には第7刷を数えるまでに至っている。バカ売れとまでは行かないが,定番の書として定着していることは間違いない。
本書の締めくくりとして,米朝は師匠・米団治から入門時に贈られた言葉を掲載している。有名な言葉なので知る人も多かろうが,ここで改めて引用しておく。
「芸人は,米一粒,釘一本もよう作らんくせに,酒が良いの悪いのと言うて,好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに,むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に,世間へのお返しの途はない。また,芸人になった以上,末路哀れは覚悟の前やで」(P.216)
「末路哀れ」が覚悟の「上」ではなくて,「前」というところが凄いな,と思う。一人寂しく橋の下でのたれ死にすることを「リスク」ではなく「当然」として考えろ,ということなんだろうが,これって,学者とか評論家とか作家にも通じるモンがあるよなぁ。世間が決めた自分の値打ちを自分で引き受けて,更に精進を重ねるほかないのだ,ということは馬風も本にも書いてあるけど,言うは易し,行うは難し,なんだよな。しかし,それ以外のまっとうな芸人人生はないわけで,仲間内で愚痴っている暇があったら,精進すべきである。そしてその先にしか,落語の未来も,「世間が値打ちを決める」商売の未来もない訳だ。
びしっと背筋を伸ばして頑張らなきゃ,と気合いの入った一冊(プラス二冊)である。
高千穂遙・一本木蛮「じてんしゃ日記」早川書房
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-15-208774-9, \1000
早川書房 (2006.11)
通常24時間以内に発送します。
ここんとこ真面目に仕事に励んでいるためか,腹回りの芳醇さは目を見張るほどである。・・・いやゴマカシはよそう。そうだよ,太ったんだよ,典型的なメタボリック症候群,つまり内臓脂肪が溜まって成人病予備軍になっちまったんだよチクショー。ダイエットをしたいなと思いつつ,ストレスを散らすための間食が止められず,しかも酒もタバコもやらないので,食うことでしか発散できないのだ。このままでは恐らく,平均寿命はおろか,定年退職前に複数の生活習慣病に侵されて死んでしまうに違いない。恐らく日本の学術研究にとってはワシなんぞ早死にしたところで何の痛痒もないばかりか,かえって厄介払いができて清々するのであろうが,そんなことはワシにとってはどーでもいい。別段,100歳まで生きたいとは思わないが,仕事があるうちは目一杯やるだけやって,糸井重里が常々言っているように「ああ面白かった~」と言って定年退職の日を迎えたいと念願しているのである。従って,せめて運動ぐらいは続けたいと,ろくに通えていないスポーツクラブの会費を払い続けているのだが・・・やっぱりこれじゃダメだよなぁ。
SF作家・高千穂遙も同様の悩みを抱えていたそうである。まあ座業している時間の長い職種であれば誰しもメタボリ体型になるのは避けられないことではあるが,「運動しなきゃ・・・でも仕事しないとおまんまの食い上げだ」とズルズル現状を引きずっていられるのもせいぜい40代後半まで,それを過ぎると老化現象とのダブルパンチで死がずいぃいっと近づいてくることになる。高千穂先生は体の不調を訴えて医者に行ったところ,中年諸氏なら誰しも思い当たる警句を大量に頂いて帰ってくることになったが,それを身に染みて痛感させられたのは,同年輩・同業種の知人の死や入院がぽつぽつ聞こえてくるようになったからだそうである。そりゃそうだ。三十路後半のワシだって,同級生の腹回りの見事さにわが身のそれを思い知らされたりしているんだからな。
で,誰しもそうであるように,高千穂先生,様々なダイエット法や健康法に取り組んでみるものの,なかなか長続きしない。水泳やスポーツクラブは通うのが面倒になるし,せいぜい散歩に毛が生えた程度のウォーキングが性に合うということが判明したぐらいだそうな。いや,それでも立派。ワシなんぞ,電車+徒歩通勤すら面倒で続けられず,デブった腹を抱えながら自動車通勤が止められないのだから,既にこの時点で高千穂先生に負けている。
ともかく,自宅玄関前からすぐに修練が始まり,しかも自分の体に負担のかからない運動で,外の景色を眺めながらできる運動であれば続けられる,ということを高千穂先生は発見したのだ。その結果,自転車漕ぎにたどり着き,修練の結果,知人から「えっ,なに,ガン?」と言われるぐらいの劇ヤセを達成し,現在も体脂肪率一ケタ台の体型を維持するまでになったのである。
本書はその経緯と,ツーリングのための薀蓄が詰まった,一本木蛮との共著によるエッセイ漫画である。一本木蛮も高千穂パパに誘われて(だまくらかされて?),ツーリング仲間として巻き込てしまったので,漫画そのものは大部分,一本木主導で構成されたもののようだ。従って,エッセイ漫画の構成は自然なもので,ガチガチの原作をそのままなぞったものでは全くない。一本木蛮と言えば本人のコスプレの方が漫画作品より有名なぐらいであろうが,漫画家としての力量は高千穂が言うようにかなりのものであり,しかも女性的な色気とかわいらしさを兼ね備えた魅力的な絵も手伝って,情報のみっちり詰まった作品であるにも拘らず,スムーズに読むことができる作品に仕上がっている。
あの吾妻ひでおをして,「じてんしゃに乗りたくなった」と言わしめるほど,読者を乗せられるパワーを秘めた本作品であるが,残念ながら,早川という健康やスポーツとは縁のなさそうな出版社から出されたこともあってか,あまり配本数は期待できそうになく,田舎の小さな本屋で見かけることは多分ない。従って,ワシみたいな田舎暮らしの人間が購入するとすれば,高千穂のWebページに張ってあるオンライン書店を頼ることになる。本書を読む限り,一本木蛮は「じてんしゃ日記」第二段に意欲を燃やしているらしいから,その念願を達成させるべく,あなたがSF者であろうとなかろうと,自分がメタボリ男(女も可)でなくても近くにかようなデブがいれば,本書を薦めて頂きたいものである。
12/28(木) 掛川・曇
なーんかすっきりしない薄曇りの年末。今年は典型的な暖冬なんだそうで,内地のスキー場は雪が積もらず大変らしい。って,ここ十数年来,ウィンタースポーツとは縁のない生活を送っているので,ワシにとってはすっかり他人事であるが。実家に1.8mのスキー板と28cmの靴がホコリの中に埋もれているはずなので,やる気になればすぐに出来るのだが,もうそんな気分になることはなさそうである。大体,そんな長い板,流行遅れもいいところだもんな。
昨日は東京。富士山がとてもきれい。この時期は空気も澄んで,一年で一番キレイに青空に映えている。
大師匠の所へ暮れのご挨拶に行くついでに,丸の内丸善で樋口一葉と数人の野口英世が行方知れずとなる。これで年内に欲しかった新刊は全て買い揃えた。問題はいつ読むかなのだが・・・ま,おいおいに。
クリスマスが済むとあっという間に正月準備が進むようで,OAZOの入り口にはもう門松が飾ってあった。
そーいや,一人暮らし初めて以来,松飾りなんてしたことないよなぁ。伝統的日本人から遠のくばかりである。
本日はもらい損ねた宅配便の到着を待って,年越しのための買い出しに出かける予定。もう浜松に行く気力もないので,掛川市内の行きつけのスーパーで済ませることになりそう。あ,インクジェットプリンタのインクも尽き果てていたな。買っておこう。それが終わったら,残り二日分のぷちめれを書かなきゃ。どーれにしようっかなぁ。
ボチボチ過ごします。