ピーカン晴れの中,高校への出張講義へ行く。入試広報課のKさんの運転に同乗。今日は他にも二つ出張講義の要望があったそうで,ワシ以外にも同じ学科のK先生と,別学科の先生も県内の別の高校へお出かけらしい。
近頃はどこの高校も大学からの営業活動に悩まされているようで,あの内田先生すらけんもほろろの対応をされているようである。ましてやワシのような木っ端教師は人間扱いされなくて当然である。そんなご時世であるから,先方からおいで下さいという要望は是が非でも引き受けねばならないのである。
で,引き受けたのは結局みんな講師以下の若手(三十路以下は若手と呼ばれてしまう世界なのである)だったりする。それもあって,車中は××の悪口をKさん相手にぶちまけて鬱憤を晴らすことになった。あーすっきり。ちなみに××とは「クソオヤジ」とルビを振ることになっておりまする。
講演の方は,予定していた話題を喋りきれず,最後はドタバタで終わってしまって失敗。しかしまあアルゴリズムの話を実演とビデオを交えて紹介できたから,よしとしよう(と言い訳)。教師芸人論を最初に唱えたのは森毅であったが,ワシはまだまだ芸人になりきれていない。精進あるのみである。生徒諸君には真面目に聞いてくれていたが,果たして満足して頂いたかどうかは不明。どーもお邪魔致しました。
使用したビデオについては,只今A君が鋭意完成版を制作中であるので,それができ次第,いつも通りYouTubeに登録予定。しばしお待ち下さい・・・って,そんなに面白い代物ではないのだが。
とゆーわけで,情報系の話題でよろしければいつでもお呼び下さいませ>高校の皆様方。
あ,Firefox 2.0がリリースされたか。早速インストールして使ってみる・・・大差ないな。
お,Fedora Core 6もリリースされたか。早速インストール・・・できるわけないやん。BitTorrentでダウンロードしようとしてもエライ時間がかかりそうだ。まあ今晩ずっと動かしてみるけどさ。
明日,新たに一台マシンを組み立てるので,間に合うようならFC6を入れてみるけどぉ,多分無理だろうな。
興味があったので,MPI関係はどうなったかな,と収録RPM(例えばここのmirrorとか)をざっと見てみると,おおっ,今度はOpenMPIのパッケージ(openmpi-1.1-7.fc6.xxxx.rpmなど)も入ってんじゃん。LAMも引き続き収録されているから,多分FC5とほとんど同じ手順でインストールはできる筈だな。Open MPIはどうなってるのかなぁ。また勉強しなくちゃ。
寝ます。
10/24(火) 掛川・曇時々雨
ちょっと冷えてきたかなぁ,という気候。2週間後には函館行きなのだが,さてどこまで寒くなっているやら。コートを引っ張り出しておかなきゃ。カビ生えてなきゃいいが。
ふーん,Lenovo(まだIBMと言いそうになる自分)のThinkPadにCore 2 Duoモデルが出たか。今年初めにはまだ出始めだったCore Duoモデルが欲しかったのだが,結局買えずじまい。うーんどうしようかなぁ,MSDNの更新なんて実のないものにつぎ込むのは止めて,そろそろ動作が怪しくなり出したLet’s Note R3の代替わりを,ちょっと背伸びしてでも入手しておいた方が有益だよなぁ・・・としばし悩む。まあ金が出来るのは年度末だから,それまでしばらく悩むとしよう。
お,SciCADE07のFirst Announcementが出たか。これ,前回の参加者だけに送られてきているのかなぁ。しかし,200人以上を一つのホテルで丸ごと宿泊されられるっていうのが凄いなぁ。ホテルの確保で大わらわだった(と聞いている)前回とはエライ違い。予算とかバックアップシステムが根本的に違うんだろうな,きっと。
あらら,大阪の天神天満繁昌亭の席亭さんが心労のため辞任とのこと。
繁昌亭ついては,既に小朝の本で「これがですね,正直な話,前途多難だと思います」(P.74)と紹介されている通り,どうも上方の噺家の足並みが揃っていないような空気があるということであった。今回のニュースはそれを裏付ける事になってしまった訳だ。
実際,寄席の出演料だけではとても食っていけない訳で,ましてや前座・二つ目・真打という階級が全く存在しない実力社会の上方では,寄席というシステムが定着するまでには時間がかかるということなんだろうな。何にせよ,ワシが見に行くまでは存続して欲しいものである。
小朝の本と言えば,先日の「きくお・木久蔵同時襲名」のニュースも,既に予言されていたりする。
「実はこの間,木久蔵師匠とお話ししててね,木久蔵師匠とそれから息子のきくお君のね,ダブル襲名ができたら面白そうだって話になったんですよ。きくお君が木久蔵を襲名して,木久蔵師匠が別の名前を襲名するわけ。
たとえば,名前だって全国公募なんていう手もあるでしょう。「笑点」を通じて,木久蔵師匠が新しい名前になるのでそれにふさわしい名前はありませんかって。」(P.207-208)
・・・まるっきりこの通りになった訳である。記者会見の時には小朝師も同席していたが,つまり張本人だったのだ。
予言書?イヤ違う,今,最もプロデュース力のある本人が書いた(インタビューをまとめた形式ではあるが)本ということになるんだろうな。
・・・とぷちめれっている暇があったら,函館行きの準備を~。とゆーわけで寝ます(準備は?)。
西原理恵子「パーマネント野ばら」新潮社
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-10-301931-X, \952
かの漫画王いしかわじゅんがのたまう事には,毎日新聞社から出したエッセイ集の,本屋店頭における扱いがあまりよろしくない,あれは毎日に政治力がないからだ,毎日では仕方がない,ということであった。しかしそれを聞いたワシは,どんな地方の場末の本屋にも一冊は置いてある「毎日かあさん1,2,3」も毎日新聞社発行の漫画です,従って,失礼ながら,いしかわ先生の本の扱いがよろしくないのは単に「サイバラ」と「いしかわ」の
なのであって,出版社のせいではないのでは? と思ったものである。
そして今回,この本が発行されたことで,ワシの前言は正しいこと確信させられたのである。
新潮社といえば,良質な漫画作品を扱っていながら,ことその営業成績に関してはロクでもないことで有名である。
まず発行されても店頭で見かけることは少ない。ワシが技術者ドキュメンタリーとして一押しする漫画,小沢さとる「黄色い零戦」や,杉浦日向子の最高傑作「百物語」,ベテランギャグ漫画家初のエッセイ漫画を収録した,山科けいすけ「タンタンペン」。マンガを大々的に扱っている大規模店には,まあなんとか平積みになる程度は配本されていたが,地方の中堅書店ではまずお目にかかれなかった。少しは版元になっているコミックバンチを見習えよ,と言いたいぐらいの体たらくであった。
しかし,サイバラは別格であった。茶畑しかないようなド田舎の本屋でも平積み,50万都市のコミック専門店でも平積み,日本全国津々浦々,どこへ行ってもサイバラ初のオトナ(オバサン)の恋愛・感情を描ききった意欲作は配本されていたのである。
つまり,やっぱり出版社の問題ではなかったのだ。
サイバラの新刊は,「サイバラ本」という分類にカテゴライズされているものであって,おそらくは「ムラカミハルキ本」より若干格下ではあるものの,日本各地に固定ファンが少なくない一定数存在する,とニッパンやトーハンから太鼓判を押された存在になっていたのである。従って,毎日新聞社という朝日や読売やそのうち産経にも抜かれること確実の斜陽新聞社であっても,良質マンガを売るノウハウを全く学習してこなかった文芸only新潮社であっても,関係なかったのだ。「西原理恵子」という名前が,配本数を決定する唯一の決め手なのである。いしかわじゅんの嘆きは正しく,それは斜陽新聞社から発行される,ほどほどの部数の売り上げのみを期待される本に相応しい,普通の扱いだった,というだけのことだったのである。
本書とほぼ同時期に角川書店から馬鹿でかい版形の「いけちゃんとぼく」も出ているが,絵本というだけあって児童書っぽい内容(クライマックスはちょっとオトナっぽいが)であり,少し物足りないと感じた。それに対し,本書は今までの西原キャラよりずっと等身のでかい少女漫画的美人が主人公で,かのいしいひさいちが藤原先生や月子を登場させた時のような,いい意味での違和感を漂わせる冒険的な作品になっている。すれっからしの中年の心象に近い感覚も好ましく,建前だらけのリーマン生活に嫌気がさしている向きには,登場人物たちのすがすがしい生きっぷりを楽しむことで,ストレス解消間違いなしである。
「男ははようおらんになるにかぎるなー」という言葉は真実である。
ワシはこの真実をオバハンに分からせるような,底意地の悪いジジイになりたい,と思いました。◎
10/20(金) 掛川->浜松->掛川・?
久々に天気を忘れるほど仕事に熱中した日(ウソつけ)。ワシも人間ドック補助が出る年になって,老人力が付いてきたのであろう。やでうでしや。
某論文の執筆がほぼ完成したとのことで,メイン作業を担当されているO先生よりメールが続々。こちらも負けじとチェックしてここ直せあそこ直せというエラソーな評論家メールを打ち返す。
共著の論文はいくつか書いてきたが,純粋にsecond authorとして気楽に構えていられるのは久しぶりである。First authorはプログラムといろいろ雑用をこなし,Third authorのO先生がせっせと論文本体と投稿の際に必要になる書類を書いておられる。何かちょっと変だが,何,acceptされればこの世界は何でもオッケーである。ちなみに,元になるアンチョコ原稿はワシが以前書いてrejectされた奴であるので,ワシも全く仕事をしていないわけではない(いい訳)。今回は推薦あっての論文投稿なので,まず大丈夫だろうが,ここんとこreject癖が付いている疫病神としては不安がないわけではない。まあなるようになれ,だ。
最終稿は来週月曜に投稿予定。締め切り二日前である。こんなに遅れたのは,Introductionのsurveyをさぼりまくって一週間も遅れたワシのせいである。何だ,結局ワシが足ひっぱってんじゃん。てへ(何がだ)。
久々に査読原稿がないなぁ,ぼかぁ幸せだなぁ,と嘯いていたら,またぞろ依頼が来る。T大のSさんか,同年輩なんだが,なんつーかこー,文面が丁寧な分,凄みがあるとゆーか,恫喝っぽいっつーか,「断るなんて冷たいこと言わないよぁ,ワレェ」的なものを感じるぞ。多分,D大のあの人にも,N大のあの先生にも断られた挙句の苦し紛れの依頼なんだろうなぁ。
ま,引き受けますよ。しかしこれ,〆切がキツてイヤなんだけどなぁ。無事〆切に間に合ったらなんか下さい>S先生
ところで,ワシが夏休みに投稿したあの論文,どうなんたのでせうね。って,自分が査読した論文は一月も〆切破ったくせに,自分がされる側に回るとこれだ。人間そんなモン(で済ませるのかよ)。
あ,小谷野先生のblogが復活していた。やでうでしや。これ読んでいると,文系の学問ってのは,「人間を対象とした,人間による,人間同士の論争」なんじゃないかと思えて仕方ないよな。理工系でも,政治家タイプのセンセーはそれなりにいるけどさ,論争するよか自分の世界に没頭ってタイプの方が多数派と言う気がする。いい悪いの問題じゃなくって,学問の本質が違うんだろうな,と思えて仕方ない。
今日は給料日。この月は,ATMに行く直前にも財布に千円札が一枚残っていたという珍しいぐらいの黒字であったが,それはとりもなおさず東京に出かけなかったし,×××もしなかったから。全く×は金がかかる。金を貯めたいなら,××なんぞしないに越したことはないのである(×が続くと卑猥だが,まんざら当たってなくもない)。もっとも,貯めるだけ貯め込んで老後の入院費の心配をしなくて済むだけの余生を過ごすのか,今を享楽的に生きて早死にを目指すのか,どっちがいい人生なのかはその人次第なんだろうけど。
ワシ? さー,どーでしょーね。多分,どっちにもならず,中途半端な人生を送るのでしょう(詰まらん)。
ほほう,また野矢先生が論理学入門書を出したようである。参考にしよっと。
ボチボチやって寝ます。
印刷許可&(2万-1)ヒット御礼
10月も半ばを過ぎましたので,お約束通り「ソフトウェアとしての数値計算」,PDFファイルの印刷を許可します。
http://na-inet.jp/nasoft/
予定では,今年度中に中途半端な第18章~第20章を改訂し,一応の完成(Ver.1.1)としたいと思っています(want, hope, or wish…)。
あと,トップページカウンタが19999になりました。ご愛顧感謝,感謝です。
今後ともよろしゅうおつきあい下さいませ。