終戦記念日。正確には敗戦記念日(残念日?)か。東京の九段あたりが騒がしいが,何か予想していたより静かだったな。織り込み済みということか。
昼飯はカレー。ナスとブロッコリーをにんじんとジャガイモの代理として投入した夏野菜カレーとしゃれ込んだのだが,煮込みすぎて歯ごたえゼロ。次回は湯通ししたものを食う直前に入れることにしたい。それでも食いすぎて腹がきつい。
大師匠からお電話を頂き,投稿論文の最終校正をして郵便局に投函。一仕事終了感が漂い,スポーツクラブで軽く運動した後は何もする気が起きずにだらだらと昼寝したり,ボーっと録画してあった番組を眺めたりして過ごす。ああ書き物が進まない,と。
Definition of “専門家”
自分の意見を代弁してくれる,社会的肩書き付きの便利屋。どんなトンデモな論でも,探せば一人ぐらいはそれを持ち上げてくれる専門家は見つかるものである。欧米(USAと西ヨーロッパ)圏の人間であればなお箔がつく。
Definition of “迷う”
ゴールを設定したがために,そこに辿りつけない状況をこのように呼ぶ。ゴールがなければ,単なる「ぶらり旅」であり,ウロウロと徘徊することそのものがゴールとなる。
ほほう,/.Jで吉川潮が話題になるとは。しかし/.Jerの大部分は著作を読んだことがないらしい。まあ当然か。
半ズボンがみっともないってのは,塩野七生もエッセイで書いてた,ベッド以外での毛脛がみっともないって話と通じるよな。
ほぼ日でハゲについての対談が載っていたけど,そこでハゲの当事者,呉智英さんがこんなことを言っている。
「西洋人の場合、見た目的にもゲーハーがあまりみっともなくないんだよね。もともと髪の毛が金髪とかプラチナブロンドだったり、茶色でも色が薄いから、髪の毛と肌の色とあまり違わなくて、ハゲても目立たない。
日本人は地肌の色が白っぽくて、髪の毛が黒いでしょう。だから滅び行く草原状態がどんどんハッキリしてくるんだ。」
東洋系の毛深いおっさん達の毛脛もハゲと同じ状況にあるから,多人種より目立つことは間違いなさそうである。半ズボンみっともない論の源泉はこのあたりにありそうだ。
ボチボチ寝ます。
8/14(月) 掛川・快晴
真っ青な空に雲がちらほら。上空の風が強いせいか,結構な速さで窓の左から右へと流れている。セミも盛んに鳴いている。
昨日は結局自室でヒッキー生活。何もせず,飯を3回食って糞を1回ひり出しただけである。人間所詮糞袋ってのは誰の言葉だったっけか。今のワシはまさしくそれである。今日はさすがに仕事を進めねば。
東京都内から千葉で大規模な停電があったようだ。事情はよく分からんが,ゆりかもめや東京メトロも止まっているらしい。電力消費に配電網がついていけなかったのか,事故なのか,その辺がはっきりするのは明日辺りかな。
どうやら事故らしい。江戸川を横断している送電線にクレーンが接触したとのこと。うーん,損害賠償額はいかほどになるんだろうか。
Definition of “利権”
国や地方自治体が主体となって行う事業から派生するビジネスチャンスのこと。その意味で「利権の構造」とは,民間企業主体の経済活動の構造と同じものだが,使用される資金が,「不当に巻き上げられている」と認知されている「税金」であるため,「納税者」からは常に批判の目に晒されている。
これが民間企業主体の事業に対して,「自らの意思で」支払った資金であれば,「債権者」は,多少(この場合,”多”にウェイトがかかっている)の不正行為があっても,利得があれば黙っているか,時によっては擁護したりもする。
静岡は平和。セミの声しか聞こえない。
二階堂正宏「のりこ」新潮社
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-10-3015520-7, \950
前作の極楽町一丁目シリーズで主役を張っていた,のりこさんと旦那さんの母親との闘争劇を更に「過激に」した,書き下ろし単行本・・・なのだが,正直,不満である。いや,のりこさんは前作より色気が増しているし,意味もなく胸をはだけたり全裸になったり,いわゆる読者サービスはたっぷりあるし,少なくとも前作よりは面白い。しかし,基本的にはナンセンス漫画であって,その枠をぶち壊すほどの過激さは感じられない。まあ,旧世代の大人漫画家にそこまで期待する方が無理ということは分かっているが,本書中で過激さを自己宣伝しまくっているために,その割には大したことないな,と思ってしまうのである。
のりこさんがどれだけ残虐にお舅さんをいたぶろうと,最後は生き返ってしまうのでは,どうやってもナンセンスの枠にとどまってしまうに決まっている。大体,介護すべき親を殺してしまうなんていうレベルの過激さだったら,とっくに山科けいすけが漫画にしている。一番の問題は,この程度のナンセンス漫画をすぐに没にするマスコミの脆弱さにあり,それ故に著者や編集者が作品のレベルを過大評価してしまうのだろう。
そんな程度の漫画であるから,現在老人介護の真っ最中でストレスを溜めまくっている方も,介護される側の方も,安心して読んで頂ける筈である。え? 実際に事件が起きたらどうするのかって? 大丈夫,介護する側もされる側も,望んでいるのは合法的な安らかな死であって,この作品にあるような舅殺しなんて面倒な犯罪は所詮,ナンセンスに過ぎないのだ。つまり,当事者にとっては2重に意味でナンセンスな,安全安心な作品なのである。
本書で物足りない方には,ヘルプマン!をお勧めする次第である。
8/13(日) 掛川・晴
セミの声がやかましく響く,夏らしい日。7月中は梅雨が長引いていたし,8月に入ってからも案外晴れの日が少ないから,鳴ける機会があればここぞとばかりにじわじわみーんみーんかなかなかなの合唱に参加するのであろう。
そーいや,1945年8月15日は日本全国快晴であったそうな。クーデターを起こした兵団は雪の降る中を進軍しなきゃいけないのと同様,耐え難きを耐え,忍び難きを忍ぶためにはセミの大合唱をバックグラウンドミュージックとし,夏の照りつける太陽を背中にしょって俯きながらラジオからの音声に耳を傾けねばならないのである。いいとか悪いとかの問題ではなく,もう固定された様式になっているのだな。
昨日は帰省ラッシュの真っ最中に東京へ出かける。途中,小田原で下車して在来線に乗り換え,久々に北鎌倉の叔母の家に立ち寄る。いやぁ,暑い暑い。鎌倉はいいところだが,真夏にうろうろするところではない。いとこの運転で大船駅まで送ってもらい,観光もせずに東京へ。
いつものように,丸善丸の内本店に立ち寄るべく東京駅で降りると,山手線も京浜東北線も落雷のため全面ストップ。しゃーねーな,でもしばらくすれば復旧するだろうと軽く考え,いつものようにOAZOへ行き,店内をうろうろ。以前から気になっていた「小沢昭一的新宿末廣亭十夜」を購入し,さて飲み会の待ち合わせ場所である巣鴨に向かうか,と店を出て東京駅へ。改札を通ってホームに入ると,京浜東北線は確かに復旧していたが,山手線は相変わらず停止したまま。しゃーねーな,飲み会場は池袋だから,丸の内線で向かうか,と長い行列が連なった有人改札にて振り替え乗車券を貰う。

行き先が書かれていない切符を見て,一瞬邪悪な考えが浮かぶが,実行に移すのは面倒なので素直に赤い電車で池袋へ。
毎回会場としていた日本酒の店が閉店していたのを確認。

全国の銘酒を揃えた(ワシは飲めないけど)渋い店であったが,腰の定まらないマスターであったので,いきなりイタリアン風に変化したりして,常連客を戸惑わせたものである。今回はこの場所にビルが建つそうなので,まあ復活はあるまい・・・いや,また不死鳥のようによみがえるかな? その時には火の鳥庵と呼ばせていただこう。
仕方がないので近くの焼肉店に入って一番安いコースを取る。肉は上等だったが,アメリカ産じゃあるまいな,とビクビクしながら食う。ごちそうさまでした。
帰りの新幹線に乗る頃には山手線は完全復旧。終電の浜松行きで帰宅し,ちょろっとぷちめれって寝る。
さて今日もお仕事。カリカリ書きものをしようっと。
内田樹「私家版・ユダヤ文化論」文春新書
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-16-660519-4, \750
うーん・・・,敬愛するウチダ先生の力作であるが,力作過ぎて,ワシにはよく理解できなかった,というのが正直な感想である。正確に言えば,本書を構成する4章,「第一章 ユダヤ人とは誰のことか?」「第二章 日本人とユダヤ人」「第三章 反ユダヤ主義の生理と病理」「終章 終わらない反ユダヤ主義」のうち,終章の「5 サルトルの冒険」と「6 殺意と自責」の部分が,一度さらっと読んだだけでは分からなかったのである。とりあえず「7 結語」を読んで,まあ分かったような気分にはなったかなぁ,というところである。サルトルのユダヤ人論の中で最大の瑕疵と著者の言う,反ユダヤ主義者がユダヤ人を成立せしめた,という主張を,レヴィナスの論を引きつつ修正する,という作業をしているらしいのだ。たぶん。この辺りが「私家版」と銘打った一番の所以であろうが,悲しいかな,そこのところをすんなり理解する頭をワシは持ち合わせていなかったのである。
それでも,他の3章は既存のユダヤ人関連の事項が要領よくまとまっていて,ためになる。特に第二章はトンデモ本では一ジャンルを築いているユダヤ陰謀論の出所が歴史的経緯を踏まえて語られており,その方面に興味を持つ人は必読である。本書の帯にある養老孟司の言う「自己と世界,両者の理解を深める」確信である終章部がよく理解できなくても,本書を通じてユダヤ人というものの概要を知ることは十分に可能である・・・とワシは自分を慰めているのであるが,どうであろうか?

