朝から晩まで,途中数々の邪魔が入るのもものともせず,情報数学基礎のテキストをガンガン打ちまくる。午後6時過ぎには何とか60ページ近くの第0次原稿が出来上がる。しかしまだまだ,あと5~6回は手直しした上で,2~3回は推敲しないとな。元にした教科書とは様変わり,完全オリジナルな代物になってしまった。なるべく読み物らしく書き連ねたいのは山々だが,それをやると100ページあっても足りない。知っておいて欲しい定理や例題を簡潔に書こうとすると,味も素っ気もない「定義→定理→証明(今回は殆ど省いている)→例題→練習問題」という記述法が一番良いことが良く分かる。
そもそも定理→証明という記述方法の原点は,「俺はこんなすごい定理を知っているんだぜー」という自慢をしてから,疑い深い向きに「何故だと思う? それはな,こうこうこうなって・・・」という解説を行うというところにあると勝手に想像している。だから,こういう記述方法をとる輩は全て「鼻っ柱の高い奴」の子孫であるということになる。
それはともかく,,要点だけを抜書きしてしゃべるしかない短時間の講義では,このようなあっさりした記述の方が教師としてはありがたいのである。定理の効用(適用例)を説明して,そのありがたみをとくとごろうじてから,証明自体が「うまい説明」になっているものだけを紹介することができるからである。「情報数学基礎」は,一年生のうちに知っておいて欲しい事柄をなるたけ詰め込みつつそれでいて丁寧に説明する必要がある科目なので,「教師の説明は丁寧に,教科書はできるだけシンプルに要点のみ」という方がいい・・・と判断しているんだけどなぁ,どーなんでげしょ?>学生諸君
風呂入って寝・・・ようとしていたところで,「トリビアの泉」を見ていたら,掛川花鳥園の飼育課長さんが出演していた。ワシは一度,あそこに友人を連れて行き,恐怖のどん底に陥れたことがある。ヒッチコックの「鳥」を体験したい方にはお勧めのスポットなので,トリビアの泉の視聴者は是非ともご来場いただき,たんまり税金を落としていって頂きたいものである。
今度こそ寝ます。
11/15(火) 掛川・曇
朝出勤する時には曇り空だったが,帰宅時には見事な満月が秋空に浮かんでいた。空気がだんだん澄んでいくにつれて気温も下がり,冬が近づいてくるのであるなぁ。そーいや,お茶畑にもチラホラと白い花が咲くようになってきた。これも冬の情景の一つである。遠州に来るまではお茶の木に花が咲くなんてイメージはなかったもんな。太平洋側の冬は雪も降らず,過ごしやすくてありがたい。
本日はサーヤ様ご成婚のニュース一色である。NHKでも披露宴の献立や都知事のスピーチを報道する始末。まあおめでたいのは確かだが,暫くは静かな新婚生活は望めまい。立場が立場なので仕方がないが,ちと気の毒ではある。
来月早々にワシは久々に実家へ戻るが,この影響で,最近煩く言わなくなった両親の反応が変わっているのが怖い。法事なので,集まってくる親戚からもあれこれ言われるんだろうなぁ。さっさと帰ってこよっと。
キャリアデザインについての記事(ジョブサーチ・読売新聞)。ふーん,キャリアシートってのはこんなのか。参考にはなるが,さて,キャリア教育の成果はいかほどなのかなぁ。誰それが一流企業に就職した,なんて話を聞かされても仕方がない。統計的に有意な効果があったって話を聞きたいものである。ま,大学生活の中で就職を意識させることが必要なのは首肯するけどね。
真面目に仕事しだすとここの更新が止まってしまう。今日もあれこれと学生個人指導。K君の頑張りで,情報数学基礎のテキストは何とか完成できそうである。教科書は使ったものの,原形を留めない改変ぶり。もうオリジナル作品である。明日中にばたばたとまとめて目処をつけてしまおう。
うわーっ,Poster Sessionに受かっちゃった。って,あんた,ホントに審査しているのか? というほどズサンかつ中途半端な原稿送ったのに・・・多分,審査してねーな。まあいいや。
ということで,FCS2005とやらに参加することになる。もー,今週から12/13(火)まで毎週出張が決定。死ぬ,絶対に死ぬ。久々に十二指腸に穴があく~。
別のお仕事を終わらせてから寝ます。
本田透「萌える男」ちくま新書
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-480-06271-8, \700
ふーん・・・と感心するところの多い分析が随所に見られるが,最終的には本書で提示されている「萌える人生賛歌」には全く同意できなかった。
決定的だったのは,著者自身が「萌え尽きる人生」を全うする気がなく,自分はそのうち社会的ステータスを上げて恋愛して結婚してしまうかもしれないが,萌える人生そのものは社会として認知し,推奨しましょう,と主張している次の個所にぶち当たったことである。
「僕はよく『萌えるとかモテナイとか言うけど,もしモテたらどうするんだ』『本が売れたらモテるのではないか』などと言われるのだが,僕は僕個人が『恋愛資本主義』的な価値体系の中で首尾よく自分の商品価値を上げてモテました,めでたしめでたし,というふうには考えていない。これは僕個人の問題ではなく,社会全体の問題なのだ。
恋愛とは個人の問題ではない。社会問題である。」(P.166)
いや,「結婚」は社会問題ですが,「恋愛」はやっぱり個人の問題でしょうよ。ま,それはともかく。
申し訳ないが,ワシはごく普通(異論があるかも知れぬ)の常識人なので,自分が出来もしないことを他人(この場合は社会だが)に軽く押し付けるような言説を信用することはできない。オウム真理教事件を経験した日本社会としても,そのような覚悟のない「萌える人生教祖」においそれと若者が追随するのを容赦するべきではない。結局,あの教祖は批判能力のない若者をかどわかして食い物にしただけであるが,本田透も,「俺は萌えて尽きるしかないのかなぁ」と消沈している奴を,「そのまま萌えて行きなさい」と優しく諭すことで自身の論を彼らのバイブルとし,自分の著作を買わせ続けるための市場を作ろうとしているだけなのではないか,と思えて仕方がないのである。
現実との折り合いのつけ方は人それぞれで,趣味や仕事に走ることで,恋愛や結婚から「降りる」というのも選択肢の一つではあろう。しかし,現実社会で広く認知されている「人はある一定の年齢以上になったら結婚すべきである」という常識を,キモいだのウザいだの言われたからといって,そう易々と放棄して良いものだろうか。常識ってのは,疑ってみることも,実践してみることも,そしてそれをやり続けることも必要なものなのである。
まあねぇ,面倒なことも多いけど,ほんと,生身の女性ってのはいいもんですよ,振られてもさ,ということだけは「萌えるひとりもの」の先達として,後輩の方々にお伝えしておきたい。・・・ちっ,思い出しちゃった(泣)。本田透のスカタンのせいだな。今日は一日,「帰ってきたもてない男」小谷野先生と一緒に泣き暮らし,明日からは気分を変えてまたチャレンジしよーっと。
11/10(木) 掛川・?
風邪が長引いている。ううずるずる。ここんとこ鬱っぽい状態が続いていたが,風邪のため不調に拍車が掛かっている。こういう状態の時には自殺衝動ぐらい出ても良さそうなもんなのだが,食欲だけは全く落ちないせいか,全然「死ぬ」という選択肢が浮かんで来ないのである。純文学から縁遠いのはそのせいか。筒井康隆も純文の一種だと思ってたんだけど,あれは別種と考えるべきなんだろうな。
ちょっと元気が出たので,Tutorialの増補案を練る。次年度からゼミで使うテキストにしようとしているのである。困ったことに,ワシの興味のある計算をしようにも,それに相応しい和書が全然ない。多倍長計算に限っても,扱っている本はかなり限られる。ましてやPthreadやMPIについても記述されているものなんて皆無である。仕方がないから現状のものに増補してテキストにしてしまおうという魂胆である。どなたかこの分野の第一人者に書いて欲しいもんだが,そーゆー方々は英語の論文を書くのに忙しくて,パンピーは相手にしていられないのが現状である。というわけで,ボチボチ執筆していく予定。2年もほったらかしだったもんな。何とかせにゃ。
本田透の「萌える男」が出たので早速読んでいる・・・う~ん,間違ってるよなぁ,という思いが沸々と込み上げてくる。大体だな,「思い起こせば,同年代の独身女性と一緒にいて心が癒されたという記憶がまったくない。『喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな!』的な厳しいチェックの視線にさらされ,オタク趣味を咎められ,金を稼げと叱咤され,果ては役にも立たない陳腐な人生論を長々と説教され・・・という経験を十数年も積み重ねてくると,「恐ろしい」という感情ばかりが蓄積されていく」(P.47)・・・って,あんた一体どーゆー女と付き合ってきたんだと言いたくなる。それはホントに女か? 団塊世代のオヤジじゃねーの? そーゆー特異な恋愛(?)経験のルサンチマンで論をごり押しされたらたまんねーぞ。
まとまった反論は,多分,「萌えるひとりもの」氏がやってくれるだろうから。ワシはこれ以降,本書に関しては無視を決め込むことにする。
それよか,小林信彦の「テレビの黄金時代」の方が純粋に楽しめそうだ。しかしこれは後のお楽しみとして取っておこうっと。
寝ます。
蛭児神建(元)「出家日記」角川書店
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-04-883932-2,\1500
世代的にはドンピシャリだったにもかかわらず,いわゆる「ロリコンブーム」という奴とは無縁の人生を送ってきた。まだ「マカロニほうれん荘」の余韻の残る少年チャンピオンで内山亜紀がデビューした時も,「何これ?」と思っただけで完全スルー。別段ワシが倫理的であるとゆーわけではなく,単に「つるぺた」には全然リビドーを感じない性癖であったからに他ならない。おかげで,たまーに報道される未成年買春事件を見ても,世間には物好きがいるなぁ,と思うぐらいで全く同情できないのである。何が楽しくって「じょりじょり感ゼロ」の子供相手にSEXせにゃいかんのだよ。ふんとに。
だもんで,本書の著者が「ロリコンブームにおけるカリスマ」だと言われても,あそー,ふーん,ってなもんで,全然存じ上げなかったのも無理はない。もし著者が吾妻ひでおに手紙を送らなければ,そしてその手紙は誰に見せても良いと断りがなければ,そしてそして「Comic 新現実」で吾妻ひでお特集がなければ蛭児神の自伝連載が始まることもなく,本書が刊行されることもなかった訳である。ま,それも著者と吾妻ひでおとは浅からぬ因縁があったからこそ,なのであるが,それは本書を読んで納得して頂きたい。
それよか,ロリコン市場(とゆーものがあったらしい)を退いてからの著者の生き様の方がずっと読んでて興味深かった。本書のタイトルである「出家」生活はここから始まっているのだが,まぁなんとゆーか,宗教界というものは大変なところであるなぁ,と嘆息することしきりである。それに輪をかけて奥様との日常生活がまた凄まじい。著者はワシより10歳ほど上であるし坊さんであるが,それ故に一種の悟りの境地に達しているのだろうなぁ,そうでなきゃこういう人生はそうそう送れるもんじゃない,と考え込んでしまったのである。
業田良家が「自虐の詩」で示した「幸も不幸もなく,ただ人生がそこにある」という達観の実例を見る思いがする本書は,ロリだのショタだのという単語とは無縁の人でも引き込んでしまう普遍性を帯びている。その割には配本数が少ないのか,先日東京の書店をうろついた際にはついぞ本書が平積みになっているのを見かけなかった。わずかに数冊,背表紙をこちらに向けていたのを3件目の大書店で発見し,いそいそと購入してきたぐらいである。折角の人生読本なのだから,もう少し人目につくように売っていただけませんかねぇ>角川書店。

