堀田善衛「ミシェル 城館の人」第一部~第三部 集英社文庫

第一部 [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-08-747749-5, \838
第二部 [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-08-747759-2, \838
第三部 [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-08-747772-X, \838
 古典を読め,とはよく言われることであり,実際読むべきである,とは思う。古典とは,その後それを追う著作がいっぱい出て,「何でこんなに言及されるのか?」と不思議に感じたときに紐解かれる,いわば著作の源泉なのである。そーゆー代物は読みたいとは思うが,例えば「たけくらべ」を読もうとしても,文語調に慣れていないヘタレな現代一般人の多くは読了できないだろう。短いこの作品にしてからこの体たらくであるから,源氏物語なぞは,まあ無理である。せいぜい,瀬戸内寂聴円地文子の現代語訳を通じてオリジナルの息吹を感じる程度が関の山である。
 更に問題なのは,文語もさることながら,その古典が執筆された際の時代背景についての知識が必要になることである。実は,ワシは名前を出していながら白状するが,源氏物語は現代語訳や大和和紀「あさきゆめみし」すら読んだことはない。もちろん,学校教育でちらりとその抜粋を見かけたことはあるが,光源氏なる人物がいかような女遍歴を辿ったのか,ということはさっぱり分からなかった。おぼろげながらも筋を知ったのは,川原泉「笑うミカエル」を読んでからである。おかげでワシの光源氏像はエラく偏ったものとなってしまっている。
 とまぁ,読みたくても読めないのが,ワシにとっての古典である。どーせオリジナルを読めないならさ,いっそマンガでもダイジェストでも小説でもいーじゃん,と安易な開き直り状態に陥ってしまっているのである。
 というわけで,「ミシェル 城館の人」である。ミシェル,とはMichael de Montaigne,つまり「随想録」を著したモンテーニュのことである。皮肉もあり,鋭い文明批評あり,何より相対主義的な思想書と褒めちぎられることの多いこの古典は,しかし白水社の全訳は2186ページ・・・もうそれを聞いただけで読む気が失せる分厚さである。せいぜい同じ出版社から出ている新選本の方を読むのが精一杯である。しかしそれとても,それが執筆された時代背景を知っているのと知らないのとでは,やっぱり読み方が変わってくるのではないだろうか。現代にも通じる,かなり普遍的な「エセー」であるとは言え,それが16世紀の宗教改革の嵐が吹き荒れていた頃に,政治的に重要な役割を果たしながら,一人城館に篭ってこれを書いていた,ということが分かってくると,より一層,古典としての凄みが理解できそうではないか。しかも,ミシェルさんは,領主としてあまりよい働きをしたとは言えず,父親には溺愛されてラテン語の早期教育まで受けさせられたが,母親とはあまりうまくいかず,しかも妻は寝取られる,というプライベートまで明かされてしまうと,だからこそこれが書けたのかな・・・と変な納得をしてしまう。そーゆー,ミシェルさんに関する様々な政治的・家庭的な事柄も,「エセー」からの豊富な(ちょっと重複は多くてくどい感じはあるけど)引用も含めて時系列的に述べられている本書は,言葉は悪いが「馬鹿でも読める随想録」と言える。ワシはこの3部作を読了して,すっかりモンテーニュが,随想録が分かった気になってしまった。
 しかし,本書は小説としての筋の通し方も見事である。最終的にモンテーニュが到達したもの,それに向かって収斂していくまでの流れが,歴史的ドラマの要素も加わって,結構ドキドキできたのである。相手に合わせるだけの相対主義は思想とは呼べない・・・モンテーニュがたどり着いたのはそんなものではなく,自分の内面を徹底的に見つめることで築くことの出来た「思想」であると,堀田は言う。果たしてワシみたいな文学的素養のない人間にそれが正しく理解できているかどうかは怪しいが,どーも,小林よしりん的な「絶対主義」よりは,ずっと相対的な「構造主義」の方が肌に合うよな,と感じつつあるワシとしては,ミシェルさんに近しい感情を勝手に覚えてしまっているのである。

3/18(金) 掛川->名古屋->掛川・晴

 昨日は雨だった。途中,暖かい空気が流れてきたようで,冷気を溜め込んでいた我が職場の廊下は水浸しとなっていた。冷たい飲み物の入ったガラスのコップに水がつくのと同じ理屈である。しかし滑って転んで死んでしまっては元も子もないので,慎重に歩かねばならないのが面倒である。
 どーにか学外設置サーバが動作する。iptablesは細かい指定が出来るのが売りだが,どーもうまく指定できていないようである。今のところはえいやっとセキュリティ的には甘くしてあるのだが,さて休暇明けにはどうなっていることやら。トップページが書き換わっていたりして。
 さて本日は名古屋で某御大の退官記念講演会,明日はワシの学部時代の恩師の退官記念パーティである。その後はのんびり休暇を楽しむ予定が,サーバの構築に時間が掛かって,肝心の翻訳最終チェック作業がぜんぜん捗っていない。従って,仕事道具一式をかついでホテルに向かわねばならない。嗚呼。それもこれもメール未読大王が(以下略)。
 ということで,行ってきまーす。
 ただいま。定年退官記念講演会というのは,話には聞いていたが出席するのは,実は初めて。なかなかいい雰囲気で行われていた。その後,八事のホテルに移動してパーティ。2次会が開かれたので1時間ほどお付き合いして帰宅した。
 明日も退官記念パーティ。その前にあれこれ雑務を片付けねば。仕事も持っていかねば。それもこれも(以下略)。
 寝ます。

3/16(水) 掛川・?

 晴れてたような気もするが,2つの会議の合間にVine 3.1でサーバのセッティングを行っていたので,忘れてしまった。
 あーめんどくさ。久々のセッティングなので,すっかり忘れてやんの。apt-getコマンドは便利だが,それに頼れないPHPだのJakarta-TomcatだのJDKだのとあれこれ突っ込んだのである。一通り動くところまで漕ぎ着けたので,一安心である。後はiptablesでガッチガチに防御してセッティングである。postfixの設定は結局後回し。やっぱりSMTP-AUTHを使いたいので,再来週にテストを重ねてから使ってみることにしたい。でもやっぱ,sendmailに比べると楽だわ。
 さて,明日も早いので,さっさと寝ます。もう少しで休暇だ休暇だ。

西島大介「世界の終わりの魔法使い」河出書房新社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-309-72846-4, \1200
 サラブレッド,という言い方があるそうだ。何のことかというと,いわゆるエリート純血主義のことである。出身地,出身校,両親・親類等が優れている人物のうち,特に才能に秀でている者を引き立ててエリートとして育てあげる,というシステムをそう呼ぶのだそうである。取り立てて才能もなく,出身大学も並以下,人並みはずれて努力家というわけでもないワシは,最初そのシステムを聞いてムカついたものである。大体,サラブレッドだらけの世の中って面白くなさそうである。ワシみたいな馬鹿もいた方が,何かと賑やかで,トラブルは多いけど,それ故に思わぬ見返りもありそうじゃないか。
 しかし,サラブレッド・システムでなければ生まれ得ない人物,というのも確かにおり,馬鹿を生かすなら,飛び切りのエリートもいないと釣り合いが取れない,とも言える。まあ,最終的にはバランスの問題になるのだけれど,とびっきりのエリートってのは,やっぱり必要だな,と,同世代のそーゆー人物と言葉を交わす機会が多くなってくると,そう思うのである。
 サラブレッドなら,自力で這い上がってくるんじゃないかって? いや,それじゃまずいのである。千尋の谷から這い上がって来た時点で,サラブレッドは獅子になっているのである。馬はやっぱり平和な牧場で,飼い葉に困ることなく,それでいて「走る」ための鍛錬だけは怠らずに続ける,そうやって育てなくてはならない。余計な岩登りなんぞさせてはいけない。ま,ワシみたいな馬鹿は,「馬鹿力」がないと世の中渡っていけないので,大いにロッククライミングに励む必要があるのだが,ね。
 で,西島大介である。後見人は・・・いっぱいいそうだけど,やっぱり大塚英志の力が大きいのかな。独り立ちして書いた作品は既に2作。「凹村戦争」と,この作品である。「へえー,新人でもう書き下ろし2作目?早川と河出から,ねぇ」などと嫌味を言ってはいけない。彼はエリートなのである。サラブレッドなのである。その資格を十分備えた作家(漫画家,と言われた方が嬉しいのかな?)なのである。大事に育てようではないか。冗談抜きで,ワシは宮崎駿亡き後は西島大介が日本のカルチャーを引っ張っていくのではないかと,期待しているのである。
 とにかくセンスがいいのだ。一見かわいい3頭身のキャラクター達が,鮮血を噴出しながらバラバラになったり,SEXしたり(本作ではベロチュー止まりだが),泣いたり笑ったり絶望したりと,白い画面を有効に使って柔軟に動き回り,ストーリーを作っていく。読み終わってみると,実は二作とも馬鹿マンガ(by BSマンガ夜話)だと結論付けられるのだが,それ故に読了後の爽快感はなかなか心地よい。久々にヤラれたという気分を味わって,ワシは大変に嬉しいのである。
 現在連載中の「ディエンビエンフー」はタイトルから分かる通りベトナム戦争が舞台の作品だが,これも含めて3作全て,舞台が破壊されつくした,あるいは破壊されつつある世界である。まあ小難しい評論だと色々理屈がつくのだろうけど,単なる中年の一おっさんとしては,バブル後の失われた十年世代の感覚なのかな,という気はする。そして,絶望の底にいる以上は這い上がるしかない,というストーリーも,そこに由来するのだろう。
 何だこいつ,デザインセンスはあるし,動きはうまいし,デビュー後の活躍の舞台もちょっとマイナーだが注目されやすい所だし,すくすくとエリート街道まっしぐらの癖に,みょーにワシら馬鹿の琴線に触れる作品を描くじゃねーか。あっ,そこが「才能」なのかっ! こいつぁ,やっぱりサラブレッドなんだなぁ。
 とゆー訳で,しばらくは西島大介の走りっぷりに注目,なのである。

3/14(月) 掛川・晴

 寒いぞ。一時的に寒気が戻ってきたらしい。灯油の備蓄がなくなるのが早いか,それとも本格的な春が来るのが早いか。あと三日が勝負である。
 某シンポジウムの登録受け付けCGIを設置した職場の外部Webサーバが,停電復旧後,早々にダウンしたらしい。復旧はいつになるやら。結構高いマシン(確かUltra Sparcを積んだ奴)を買ったのに。
 前の職場でも,Compaq(現HP)のNetware Serverを導入したが,ワシが出て行ってから早々にダメになったみたいである。高いマシンを導入するのは故障が怖いからなんだが,いざ壊れてしまうと誰でもすぐに治せるというモンでないだけに,復旧に時間が掛かる。それを考えると,そんじょそこらにあるPCにLinuxでも突っ込んで,技量の範囲内で世話できるサーバを立てて置いた方がよっぽどマシな場合もある。メンテナンスの手間とコストを良く考えて,しかも実績のある業者に頼まないといかんのだが,さりとてこちらが余りにメンテ料金を値切ってしまうと,「安い客」扱いされて,ろくすっぽ勉強していない新人なんかを回されたりする。うーん,難しい。
 別件で,久々に外部サーバのセッティングをしなきゃならない羽目になり,Vine Linuxを弄くり倒す。apt-getは便利なコマンドだが,結局/usr/localに突っ込まなきゃならないものもあり,updateは全て自動で,とはいかないところが悩ましい。今日はまとめてupdateかけて,iptablesやOpenSSH,apacheのセッティングは明日に回す。さて,出来るかな?
 総務省の人口動向調査が発表される。ジワジワと人口ピラミッドがやせ細っていく様子が良く分かる。全国の都道府県で,人口が増えたのは関東・中部・関西地区を除けば,福岡県と静岡県だけ。周囲の地域からこの地域へ人口が移動しているだけなんだろうな。老後は東京で,という人も多いようだし,過疎=老齢化とは単純に結びつかない時代になってきたようだ。50過ぎたら,ワシも老人ホームを捜さねばいかんのう。
 今日は炊きそこなったメッコ飯を食いすぎたので腹具合がよろしくない。さっさと寝て,明日に備えます。