天気なんか気にしていられるか,というぐらいめまぐるしい日。といってもワシだけが忙しいわけではなく,同じ職場の方,全員がドタバタと走り回っていた。
合間にメールを今日も一杯書く。おまけに,自分の首を絞めるような提案まで行う。ワシって馬鹿?馬鹿です。そうですかすいません。
明日こそ紀要原稿を上げねば。ということで英気を養うために寝ます。
2/16(水) 掛川・曇時々雨
ちょびちょびと雨が降るはっきりしない天候。春も近い? となれば,花粉も近いんだろうな。今までは無縁だったが,ワシはホコリアレルギーが少しある。今年の高濃度の花粉に反応しやしないかとビクビクしているところである。
本日は卒研発表会の後で打ち上げ。明日は実験室のカギ引渡しと模擬面接,卒研テーマ決定。次週からは軽く卒研環境を整える作業に入る。大掃除・机移動・cs-pcclusterの再セットアップとやることは一杯ある。その前に外置きするサーバのセットアップと,NIS/NFSサーバの立ち上げもある。これは土日に片付ける必要がある。もう一本の紀要原稿も仕上げなければならないが,まだ「初めに」を書き終わったところで頓挫している。死にそう~。
Solaris10ファーストインプレッション(PC Watch)。へぇ~,色々盛りだくさんなのね。時間があったら試してみたいが,残念ながらそれどころではない。
ボチボチ集合の時間なので,これで。
ただいま。明日もせわしいので,早く寝ます。
2/15(火) 掛川・?
今週に入ってメールばっかり書いている。来週には少しは減るかしらん? 減ってほしいなぁ・・・急増する可能性もあるが。
今日は一日ブリブリ怒りっぱなしである。メール未読大王が来られたので,早速,懸案の翻訳について問いただす。
「XXの件なんだけど・・・」
「翻訳は?」
「XX日にどうだろう?」
「ですから翻訳は?」
「XX日は忙しい?」
「翻訳を頂ければお付き合いします」
「・・・XX日には何とかします・・・」
なんだか,借金の返済を迫る高利貸しのようである。しかしまぁ,こっちも小生御大にせっつかれて死にそうになるのはイヤなので,仕方がないのである。半分楽しんじゃっているところが我ながら怖いが。
あー,なんだかS大の諸君が大挙して成績を見に来られているようである。返信は明日以降にしますんで,しばらくお待ちください>メールをくれた人
ボチボチぷちめれを再開しないと,本が溜まって仕方がない。とはいえ,再来週はHOKKEのために札幌入りするし,来週は3年生の卒研準備やら翻訳作業(メール未読大王次第だが)やらやることが目白押しで書いている暇がない。あーん,みうらじゅんの世紀の大傑作も紹介できないよー。誰のせいだ~,くそぅ~。あ~ん。
怒るのも疲れたので寝ます。
2/11(金) 掛川・晴
連休初日なれど,出勤する。某公務員から押し頂いた原稿ファイルをいそいそとTeXに変換し,パコパコと図を張り込み,最後はきれいなTTFで出力したPDFをuploadして「チェックよろしく~」と公務員様にメールして終了である。何だかかんだ言っても4,5時間かかった作業だが,自分で文章を考えなくていいので非常に楽。ワシの役割はIT秘書みたいなもんである。そっかー,複数著者の論文ってこうして楽してんのね~,と納得する。
いそいそとIT秘書業務にいそしんでいたら,つい先日80歳の誕生日を迎えたばかりのG.Dahlquistが亡くなられたという報告が,小生御大からなされる。ご冥福をお祈りする・・・が,ワシはちょっとびっくりしているのである。亡くなられたことではなくて,「まだ」80歳でご存命だったことに対して,である。とっくに歴史上の人物になっていたと思っていたのになぁ。まあ,J.C.Butcherもまだ70歳ぐらいだし,数値解析って若い学問分野なんだな。
IT秘書業務を終えたところで一安心してしまい,今日の仕事を終えた気分になって帰宅。学部時代の指導教官の退官記念パーティ出席の葉書を出す。これ,名古屋の某御大の退官記念講演会の翌日なんだよな~。続くよな~,全く。そーゆーお年頃(ワシもワシの先生も)なんだから仕方がないのだが,いっそがしいことこの上ない。毎月一本は講演予稿を書くペースになってしまっている状況で更にこの手の浮世のお付き合いがあるのである。この先,ワシが定年(つーか引退)するまで単調増加で用事が増えるのであろうか。あーめんどくさっ。
めんどくさくなったのでさっさと寝ます。
うえやまとち「クッキングパパ」79巻・モーニングKC
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-06-300279-9, \467
いつ終わるか分からない,ひょっとして作者が死ぬまで続くかと思われる大長編マンガには法則がある。
まず,「マンネリ」でなければならない。といっても読者を飽きさせない程度のエンターテイメント性は最低限必要である。水戸黄門に由美かおるの色気(ワシにはさっぱり分からないのだが)があるようなものか。さらに,見せ場が必ずあり,この見せ場に至るまでの道筋が「マンネリ化」することが欠かせない。水戸黄門ならば印籠・・・といった手垢がついた分析は,どこかで見たことがあろうし,誰もが知っていることであろう。しかし,この分析には欠けている点がある。著者のモチベーションが維持され,適度なテンションが作品に満ちていること,これは「マンネリ」とか「見せ場」という要素以上に必要なことである。そして,これが常人には容易に真似の出来ないことなのである。
大体,Web日記やblogだって,一年以上続いたものがどれほどあるか,尻切れトンボに終わったものを挙げれば,もうキリがない程である。続かない理由は色々あろうが,要はテンションが続かなかったということに尽きる。個人のWebページの寿命が大体三年と言われているのに対し,会社等の組織のWebページが長続き(更新されないのも多いけどさ)しているのは,書いている人間が複数いたり人事異動があったり,つまりは複数人が携わっているという要素が大きいのだろう。個人が一つのことをやり続けるのは,当人がどう思っていようと,それは大変なことなのである。
という訳で,クッキングパパである。あの競争熾烈な青年週刊誌モーニングにあって79巻を達成した偉大な大河マンガである。間違ってもグルメマンガなどと言ってはいけない。大体「グルメ」なんぞは「大切な食べ物にうるさく文句たれる人」(by 川原泉)であり,スノビッシュな陰険野郎にこそ相応しい言葉である。その意味では「孤独のグルメ」はいい意味で陰険野郎を見事に描いた傑作である。しかし,クッキングパパは料理することを幸いとする人々を描いた作品であって,出されたものに「うるさく文句たれる人」は殆ど登場しない「白マンガ」(by BSマンガ夜話)である。
ワシはマンガのコレクターではないので,クッキングパパを全巻集めたりはしない。登場人物が不老不死になる数多の大長編マンガの中にあって,このマンガの登場人物たちはみなちゃんと年を取っていく稀有な作品であるため,主人公が家長である荒岩家の様子が気になって時々覗いてみたくなるのである。で,久々に拝見させて頂くと,ああ,あの小さかった娘さんは元気に野山を駆け回っているわ,小学生だった息子さんはもう高校生だわ,夫妻は厄年を越えようかという年齢になっているわで,全く月日の過ぎるのは早いものである,と感慨に耽ってしまった。・・・マンガでだよ?。マジにこれって数十年後にはサザエさん並の貴重な文化財として扱われるのではないか。
今回特に感じたのは,善き小市民としての日常を描く,白マンガ性である。それが一番よく分かるのがCOOK.774「串カツが食べたい!!」である。道路交通法が改正されて飲酒運転に対する罰則が厳しくなったため,いつもは串カツを肴に晩酌をしてから一休みし,酒を抜いて帰宅していたおじさんが,それを控えるようになった・・・という話である。どういうオチが付いたかは単行本を読んで頂くとして,誠に清く正しい解決策が示されることになる。これをどう見るかは人によって異なるだろうが,組織の勤め人で扶養家族もいる大多数の中年日本人なら,「正しすぎるよなぁ」と頭の片隅で思いつつ,これを肯定する,いや,こうするべきであると言わざるを得ないであろう。異論はあろうが,今の日本は,正直に法律に則って生きた方が,小市民的生き方がしやすいようになっているのだから。
小市民的生き方における幸福感を「おいしー」という一言と表情にして「マンネリ」的「見せ場」にしているこの作品は,誠に清く正しい白マンガである。大人になって丸くなった,いや,丸くならざるを得なくなった人には,善き小市民のバイブルとして,是非お勧めする次第である。