武田一義「さよならタマちゃん」講談社

[ Amazon ] ISBN 978-4-06-352477-2
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 本書はタイトル通り,腫瘍に侵された自分の金タマとおさらばする経験をした著者(奥浩哉のアシスタント)が描いた闘病マンガである。従って,いわゆる「闘病記」の一種であるのだが,エッセイマンガ,とは言いづらい。表紙の通り可愛らしくちんまりしたキャラクターが持ち味のマンガだが,多くのエッセイマンガのようにあっさり軽くは読めないのだ。「イブニング」に連載されていたということもあって,かなり構成的に優れたストーリー漫画になっており,いろんな要素を取り込んだ読み応えのある作品なのである。ワシは夫婦の情愛にホロリとさせられたが,人によってはもっと違うエピソードに涙腺を刺激されるであろう。それだけ「多面的」な漫画になっている,ということはもっと声高に褒められてしかるべき作品である。

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小川隆章「アンモの地球生命誌」双葉社

[ Amazon ] ISBN 978-4-575-30548-7, \1000
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 本書がどーいう文脈で双葉社から出版されたのか,ワシはさっぱり分からないのだが,夏休みの読書感想文のネタに困った時に役立ちそうなものとして本書を推薦したい,つまらん科学書より面白い漫画を読んだ方が何倍も勉強になる,ということはワシの40年以上に渡る読書遍歴によって証明(?)されている訳だが,本書に関しては,題材もさることながら,純粋に漫画として大変面白いのだ。躍動感のある古代生物描写は深海生物に胸ときめかせているガキどもにも面白がって貰えること間違いないのである。

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久世番子「パレス・メイヂ 1巻」白泉社

[ Amazon ] ISBN 978-4-592-19404-0, \429
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 エッセイ漫画の名手,久世番子が少女漫画「コミックス」を出すとは,時代も変わったものである。別冊花とゆめで連載が始まったと知った時には意外だなぁと少し驚いたのだが,今回単行本として纏まったものを読むと,不思議なほど違和感がない。勿論,ワシがスレッカラシの中年漫画読みであることの影響も大きいのだろうが,本作は至極まっとうな「純粋少女漫画」であると感じたのである。それはいわゆる「王宮もの」(今ワシが勝手に作ったジャンルだ)に分類される「(初期の)パタリロ」や「大奥」が純然たる少女漫画であるのと同様,本作は間違いなく少女の夢・ファンタジーを描く作品となっているからである。

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私屋カヲル「こどものじかん 13巻(最終巻)」「こどものじかん ほうかご」双葉社

「こどものじかん 13巻」[ Amazon ] ISBN 978-4-575-84246-3, \600
「こどものじかん ほうかご」[ Amazon ] ISBN 978-4-575-84247-0, \600
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 私屋カヲルについては一度は言及しておく必要があると思っていたのであるが,ついぞ述べる機会を逸していた。それは面白い近作を見逃し続けていた(あまり面白くない凡作は読んだ)という理由による。ここはやはりここ一番のヒット作である「こどものじかん」を読むしかないな,と思っていたところで最新刊・最終巻が発売されたので,一気に読んだのである。で・・・さすがだなぁ,と思うと同時に,これをやり玉に挙げて児童ポルノ法案に漫画・アニメ表現規制も盛り込もうという向きは少し考え直した方がいいのではないかと助言したくなったのである。
 ということを書くと,お前は表現規制派なのかと言われそうだが,個人的には逆であるつもりだ。ただ両者の間のブリッジはもう少し広くして,規制したい方々の「嫌悪感」と,規制したことによる弊害,いやそれ以前に,規制することの「非合理性」についてガチで議論を深めてほしいと願っている。ま,ガチガチの規制派・規制反対派の方々にとってはどっちつかずのコウモリ野郎ということになるのだろうが,それはそれで正しい認識である。ワシはコティさんよろしく,世間の風向きというものにも一定の合理性は認める人間なので,どっちに転ぶのか,その原因たる社会的背景の方を注視していたいのである。
 で,私屋カヲルである。デビュー時にはダッサイ絵だなぁと一顧だにしなかった漫画家が,気が付くと萌え萌えの画風となり,あれよあれよという間に「こどものじかん」で大ヒットを飛ばすまでに成長するなどとは露程も思わなかった。ワシは全く見る目のない一読者であるなぁと今大いに反省しているのである。
 いつぞや,Twitter上では結城焔と私屋カヲルとのバトル(という程でもなかったが)が話題になった。第三者が読めば,私屋の本作が「あざといエロ釣り」であり,それ故に結城作品も載っている掲載雑誌が一般書店に流れづらく,結果として売れていない,という批判が発端となったバトルである。これをつらつら読むと,結城の最初の発言は相当言いがかりである。では振り返って私屋カヲルの本作が「あざといエロ釣り」ではないのかと言われれば,大方の人々は肯定せざるを得ないのではないかと思うのである。断言すると,ストーリーではなく絵面の表面だけ見れば,「あざといエロ釣り」という表現は当たっているのである。そしてここからが重要な論点になるのだが,では「あざといエロ釣り」というものが誰にでも描けるのか,そして大多数が認める「あざといエロ」というものに対して同じく大多数が納得する合理性を伴った規制というものが可能なのかどうか,折角本作という成人漫画規制の枠外の「具体例」があるのだから,大いに議論してほしいと思っているのである。そしてその議論の結果,ジャパンクールにおける「あざといエロ」の重要度が認識されるのではないかとワシは考えているのである。
 本作の主人公・九重は,担任の教師・青木に恋する小6生だ。それだけならいいのだが,その好意の寄せ方は相当エロく,直接的なものである。この辺りが一部のお固い向きから憤激を買うんだろうが,そこを私屋は「都条例をクリア」する表現で,最大限の効果を得るべく描いているのである。この辺の見せるテクニックは非常に巧みで,萌えの極地のような絵柄と名人芸レベルに達した構成で読者を引きつける。「あざとい」と形容するのがピッタリだ。そしてこのあざとさが,都条例をクリアしているにも関わらず,憤激を買う原因になっている。これに規制の網をかぶせようとすると,もっとぼんやりとしたシチュエーションを規定せねばならず,現在問題なしと見られている他作品への影響が大きすぎるということになる。そこがまた規制派の方々のイライラを募らせている原因なのかなぁと想像するのである。
 本作がエロいというのは正しいが,それがエロいのは基準をクリアした表現の巧みさに起因するものであって,私屋カヲルと同レベルの表現力がなければ成し得ない。それ故に本作を規制のターゲットとするのは問題が多すぎる,というのがワシの意見である。大体,ストーリー的には面白く真面目な性教育読本とも解釈できる内容になっているんだし。
 ・・・しかし規制派の意見にはあまり合理性がないとはいえ,政治的動向によっては「ぼんやりしたシチュエーション」での規制がかかり,最低でも現状以上に厳しいゾーニングを余儀なくされるかもしれない。そうなれば本作も同時発売された「こどものじかん ほうかご」も成人向け作品にカテゴライズされてしまう可能性がある。
 だが,私屋カヲルの成り上がりっぷりを見る限り,どんな規制がかかろうと,そういうものはラクラクと踏み越えてしまうだろう。エロ抜きであっても面白いストーリー展開という武器を,私屋はすっかり自家薬籠中のものとしているのだ。規制を逆手に取った漫画作品を生み出して読者の支持を得ること間違いないのである。