安田まさえ「数学女子 1巻」バンブーコミックス

[ Amazon ] ISBN 978-4-8124-7444-0, \648
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 応用数理学会年会の最中,秋葉原駅構内の書店で見つけたのが本書である。これも何かの縁かとパラパラめくってみると,ふつーのよくある萌え系4コマ漫画の体裁ではあるものの,ところどころに妙な「リアリティ」を感じたのである。で,そのままレジに運び,両国のホテルに戻って読み始めたらこれがなんと,やっぱし「数学科」出身者が描いた漫画であり,あえなく落ちこぼれた数学科出身のワシには分かりすぎるほどの内容がちりばめられていることを知ることになったのである。
 数学という学問は自然科学なのか,工学の奴隷なのか,といった疑問は昔から付きまとっている。しかしまぁ,議論のための議論という感じがして,ワシはあまり真面目に考えたことがない。哲学に近い,理論体系を構築できるという側面もあるし,工学に応用できるこじんまりした理屈付けにも使えるという側面もあるので,まぁ哲学と思いたければそう思っていればいいし,自分のやりたい工学的目的に利用できると思えば利用すればいい。森毅流に言うなら「万人が好きなように考えたらええ」というだけの話だ。それだけ変幻自在,ツボにはまれば面白い学問であると,途中で挫折したワシでも断言できる。
 しかし,これだけ向き不向きが明確で,同じ「理学」として括られる物理学・化学・生物学と比べると潰しがききづらい学問も珍しい。数学教員やコンピュータ関係に進むのが一般的な進路だが,物理学でも数学教員免許が取れるのが普通だし,今ならシビアで大量のコンピュータシミュレーションを行うのは数学以外の理学関係であるから,プログラマーとしての腕は,専門的な情報科学を収めたならともかく,他学科に比べて優れている,とは言えないのが普通じゃないかと思う。3DCGを使い倒すデモアニメを作ったり,表計算ソフトを常時データ集計用として利用するのはもっぱら数学以外の理学・工学関係だ。ワシなぞ,ロクにLaplace変換を勉強しなかったせいで,化学科とか機械工学科の連中から常微分方程式の解法を教えてもらったりしたものである。そーゆー応用につながる計算技術一般に疎いのも数学科の学生の弱点だったりするので,「何ぃ~,数学科のくせにそんな問題も解けないのか~?」とバカにされたりすることも珍しくない。
 じゃぁ,数学科って何をやっているのかというと,伝統的な純粋数学を勉強する方法は,ひたすら理論体系を追いかけるのみ。定理→証明,定理→証明・・・という帰納法的学習を淡々と行うだけなのである。いやぁ,今思い返しても,位相とかトポロジーとか代数学とか・・・さっぱりわからなかったというのが正直なダメ学生としての感想である。今この年になれば,さすがに数学的構造なるものの正体をそこそこ掴むことができているが,高校数学までの「計算技術=数学」みたいなバカの一つ覚えを脱し切れずにいた学部学生の頃は,全く,皆目,この手の理論体系が理解できなかったのだ。これで卒研配属前に「数値解析」との出会いがなければ,ワシはとっくに就職してダメプログラマーとして札幌に戻って幸福な生活を送っていたであろう。
 だもんで,本書で主人公である4人の「数学女子」が語る,数学科生活には思わず苦笑してしまうエピソードがたくさん詰まっている。詰まり過ぎていて,果たして一般読者にどこまで受けているのか,ワシにはよく分からないが,確実に言えるのは,数学科生活を送ったことがある奴なら思わず苦笑してしまうリアリティに溢れているということだ。例えば,前述した純粋数学の勉強法など,今ではレベル低下に悩む大学はともかくとして,経験者じゃないと分からないことがしっかり語られている。下手くそな証明は長くなるとか(もっと長くなると「入門書」になるというヲチ),暗号解析専門の教授が妙に若々しい恰好をしているとか(ヒッピー文化の影響か,情報科学の連中はジーパンに派手なシャツを着ていることが多く,茶髪も結構いる),合コンの時にも一人本を読んでしまうとか(ワシはこれをやって批判された経験がある・・・見てたのか,安田!),老教授を慕う女性准教授の造形にはモデルがいそうだとか(美人なのに独身という設定が(以下検閲削除))・・・いやぁ,恥にまみれた自分の大学学部生活を思い起こさせるエピソード満載なのだ。
 だからかえって,一般読者にどこまで本作が受けているのか,そこがイマイチよく分からない。女子がかわいいということはさておき,ギャグ一つ一つのレベルが高いかというと,その辺はふつ~の四コマレベルであり,切れ味が優れているというものではない。ベタなギャグを延々と続けるという図太い精神は買うけど,う~ん,どこまで頑張って連載を維持できるのか,ワシにはよく分からない。1巻が出るほどだから,それなりに売り上げはあると見込まれていることは確かだが,さて2巻以降がどうなるか,ワシは注視しているのである。
 最後に苦言を一言。裏表紙に文句を言いたい。1次~3次関数のグラフと数式が印刷されているのだが,グラフはともかく数式がメチャクチャだ。大体,”y=-0.064x-0.096x+1.1152x-1.592″とか”y=0.4x-2.7x-7.1″なんて,同類項をまとめずに放置しておいて気持ち悪くないのか? グラフから想像するに,本来は”y=-0.064x^3-0.096x^2+1.1152x-1.592″と”y=0.4x-2.7x^2-7.1″かなぁと思うのだが,グラフと数式を連動させる必要がないとはいえ,少なくとも「数学少女」を署名にするなら高校数学IIレベルの常識を踏まえたものにしてもらいたい。そんなものを気にする奴を読者には想定していない,という営業戦略だとすれば,それは間違っていると断言したい。少なくとも,気になる奴はコアな読者になるかもしれないではないか。今の時代,コアになる読者がどれだけ貴重か,そこから火が付く可能性があることを,マーケティングを知る竹書房営業部なら知っているのではないか? せめて著者の安田が「う,裏表紙が,気になります・・・」ぐらいの抵抗はしたんだろうと想像し,このぷちめれではこの程度で矛を収めてやるが,2巻がもし出るのであれば,まともな数学を意匠に使ってもらいたいものである。

ヤマザキマリ「イタリア家族 風林火山」ぶんか社

[ Amazon ] ISBN 978-4-8211-7023-4, \781
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 2010年ノーベル化学賞を日本人2名が受賞した。両名とも米国大学の同研究室出身者,しかも指導教員も受賞者で,弟子にあたる今回の受賞者の一人を推薦したいと述べていたこともあったとのこと。世界レベルの学術研究競争が激しく行われるようになった昨今,一定レベル以上の頭脳が研究の自由と資金が保障されているところに集まるのは当然である。
 それはいいとして,受賞者の一人が,近年日本人の海外留学組が少なくなってきたことを憂う発言をしたことが注目されたのは,「日本のガラパゴス化」を補強する有力な言説になりうるからであろう。何せノーベル賞受賞者だ。言論の重みは背負っている権威がデカければデカいほどよい。日本の若者には覇気がない,もっと海外でもまれて来い!・・・というエラソーな物言いが増えてきたのも,虎の威を借りる狐さんが跋扈し始めたからであろう。
 その論はある意味で正しいが,これだけ流通や通信が世界規模でスムーズに流れるようになってきた昨今,果たして海外に出ていく理由が「情報収集」や「異世界コミュニケーション」だけでいいのかどうか,ものすごく疑問だ。例えばしらいさりい(近頃は精神世界に嵌っているようで心配だ)の漫画「ぼくは無職だけど働きたいと思ってる。」ではニートな主人公が,自宅アパートの一室でパソコンとインターネットを通じて毎日フィリピンの女性と英語でチャットする様子が描かれている。日本のどこの駅前にも英会話教室が乱立しているし,少なくとも外国語習得に関しては日本に居ながらにして相当なレベルまで学習することが可能だ。論文だってその他の情報だってWeb経由で相当な量がgetできる。・・・で,かのノーベル受賞者が,日本に戻ってもアカデミックポストに就けないという理由で米国に残ったというから,日本社会はまだまだ閉鎖的だな,と思うと同時に皮肉だとも感じる。・・・とゆーことをもろもろ考えれば,海外に出なければいけないという理由,かなり限られるように思えるのだ。
 大体,特に目的もなく「海外留学してから今後の人生考えます」って奴ほど先行き不安に思えるのは杞憂だろうか? そんな奴はせいぜいコーヒーショップで麻薬に染まって沈没するのが落ちである。むしろ海外渡航を安心して見ていられるのはエネルギーに満ち溢れた「愛すべきバカども」に限られるのだ。よく分からない自分の内部から湧き出てくる「好奇心」,仏教用語でいうところの「業(ごう)」という奴を抱え,未知の世界に漕ぎ出ていく「愛すべきバカども」は,何があっても異世界に漕ぎ出していくものだからだ。ヤマザキマリの近著を読むにつけ,ワシはますます「愛すべきバカども」がいとおしく思え,その一人である著者に限りないエールを送ってしまうのである。
 ヤマザキマリは現在,夫(ベッピーノ)と一人息子(デルス)の3人家族で米国・シカゴに住んでいるらしい。本書ではあまり詳しく語られていないし,他の著作を読んでもよく分からないが,文学を研究しているというこの旦那(ヤマザキより14歳年下),相当の学者だと思われるんだが,誰か日本のイタリア古典文学者でお知り合いはいないのだろうか。是非ともこのベッピーノの学者としての人となりを解説してほしいもんだ。何せ,結婚したのがベッピーノ21歳の大学生の頃。熱烈なプロポーズにほだされて,既にデルスを育ててた子持ちの「平らな顔族」ヤマザキは正式に結婚した訳だが,その当時に学者としての優秀さに魅かれていたわけでは決してない。変なオタク文学青年だった彼が,米国の大学に招かれるまで優秀な学者に育ったのは,偏にヤマザキマリの生体エネルギーがベッピーノを育てたとしか思えないのだ。それぐらい,本書で語られるヤマザキマリのエネルギーにはすさまじいものがある。これだけの「業」を抱えているからには,そりゃぁ,イタリアでもキューバでもポルトガルでも米国でも楽しく生活できるってモンである。
 ヤマザキは既にたくさんのエッセイ漫画を執筆しているようだが,ワシは本書が初ヤマザキである。だもんで,どういう人生を歩んできたのかはよく知らないのだが,どうやら大学時代からイタリアで美術を学びつつ,寄り道的にキューバにボランティア活動しに行ったり,子供を作ったり(恋人とはその時点ですっぱり別れたそうな・・・すげ),ベッピーノと子連れ結婚して,しばらくは北イタリア・ベネト州の山麓にある旦那の実家で大家族生活を送っていたらしい。本書では主としてそのイタリア大家族生活が語られているのだが,まーこれが目からウロコ,イタリアのこじゃれたイメージが大崩壊してしまう。本書を読むまでは,ワシにとってのイタリア生活の知識は塩野七生から仕入れていたのだが,旦那がイギリス人の医者,都市部で使用人付の生活を送っているプチブル塩野の生活ぶりとは真逆のヤマザキマリの庶民的・土俗的生活っぷりは,塩野から植えつけられた先入観をぶち壊すのに十分な破壊力があったのだ。以下,破壊された先入観を列挙してみよう。
1.「欧州では老人介護問題は存在しない」・・・年老いた親はドライに割り切って全員老人ホームにぶち込むのかと思っていたが,ヤマザキマリは姑とともに98歳のアンナ(姑の母親)の食事の世話をしている。・・・下の世話はどうなっているのか。やっぱりイタリアにも「ヘルプマン」がいたりするのだろうか?
2.「子供はさっさと独り立ちして18歳以降は家を出る」・・・旦那の実家で大家族生活を送っていることもさることながら,旦那の妹まで小姑として居座っている。恋人募集中らしいが,社会に出たら一人暮らしして探すもんだと思ってたよ,ワシ。
3.「欧州では妊産婦を大事に扱う」・・・デルスを出産後,ヤマザキは病院内を歩いて病室に帰らされるところだった(結局,歩けなくてキャリーで運ばれた)。他の妊婦はひいひい言いながらも自力で戻っているとのこと。・・・日本だと妊婦虐待とか非難されそうだ。さすがローマ人の末裔は丈夫である。
4.「欧州では単身赴任はあり得ない」・・・旦那はシカゴ赴任後,しばらく単身赴任生活を強いられた。ヤマザキはポルトガルを気に入っていて,米国に興味がなかったとのこと。・・・かわいそうなベッピーノ,日本のサラリーマン転勤族は君の味方だ!(号泣)
 ・・・以上,確かにノーベル賞受賞者が言うように,海外に行かなければ分からないことはたくさんあるのだなぁと思い知らされたのである。しかし,果たしてヤマザキのような生活っぷりを望んで渡航する奴らがどのぐらいいるのやら・・・? いや,たぶん,子供を産んだ時点で,そして,油絵をやめて漫画を描いて生活すると決意した時点で,日本に戻ってくることを選択するのが普通だろう。傲慢な銭湯設計者を描いた「テルマエ・ロマエ」で手塚治虫漫画文化賞を受賞するほどの評価を得ているのだから,漫画の才能がないとは言わせない。出産後の放置プレイにもめげずに子育てをする根性があるヤマザキが,かのノーベル賞受賞者じゃあるまいし,日本に自分の生きていくポジションが築けないとは思えない。ではなぜ,ヤマザキは世界を漫遊し続けるのか?
 それはヤマザキの持つ「業」に他ならない。赤道に近い温暖な地域を好み,情報にまみれた日本や米国のような先進諸国を避け,土俗的なイタリア大家族の中に溶け込んで自分の仕事を決して手放さないヤマザキの生き様は,万人にまねできるものではなく,過大なエネルギーを抱え込んだ「愛すべきバカども」にしか出来ないものなのだ。そして,本書は,そのバカどもが向う見ずにも飛び込んだ世界でしか得られない体験を描いた,貴重な一冊になっている。ヤマザキは大陸的なユーモアに包んで,イタリア人の生のエネルギーをワシらに伝えているのだ。どっちかてぇと,ノーベル賞受賞者の言説よりヤマザキの押し付けでない本作のあけすけな語りっぷりの方が,異世界体験の素晴らしさを上手に伝えてるように思えるのだが・・・ガラパゴスに住まう平らな顔族の諸君,どう思うかね?

二宮ひかる「アイであそぶ。 ~二宮ひかる作品集~」白泉社

[ Amazon ] ISBN 978-4-592-71026-4, \743
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 何か,この表紙が全てを物語っているような気がするのだ。これから本書に大してあれこれ言いまくろうとしているのだが,何だか全てが徒労に終わってしまうような気がする。しかし書かずにはいられないから書いてしまおう。
 世に氾濫するポルノは殆どが男性向けだ。女性向けのものも多少出回るようになっているらしいが,一気にシェアを増やすというほどの勢いはなさそうである。理由はいろいろありそうだが,一つだけ言えるとすれば,セックスに対して,大部分の女性の意識は「受動的」なものであり,多少なりとも好意を持った男から迫られれば,「まー・・・ショーがねーな~」・・・と受け入れるものである,というのがワシの結論である。そーいや,大手小町でも「男は狩人」という女性の意見があり,やはり受け身側は冷静に観察しているなぁ,と感心したものである。
 そういう事実を知るにつけ,ワシの興味は氾濫する男向けのファンタジーポルノからは失せ,女性が描くセックスなるものに向くようになったのだ。そしてそれらをちょいと追いかけるだけで,ワシの男としてのちっぽけなプライドがぶち壊される・・・ということはなく,かえって,「そうか,女性もセックスが嫌いではないんだな」,という当たり前の常識を知ることになった。詳細については青木光恵「ひみつのみつえちゃん」や一本木蛮「戦え奥さん!!不妊症ブギ」,そして本書「アイで遊ぶ。」が参考になる。青木と一本木の作品はエッセイ漫画なので女性の生の声を知るにはうってつけであるが,「感性」を表現する作品としては物足りない。そこはやはり,フィクションという舞台設定の上で,思う存分,真の感性をドラマチックに見せてほしい。本作はその意味で,まさにうってつけの,女性が語る,女性だけが知る「セックス」を万人に知らしめてくれる作品と言える。
 とはいえ,二宮ひかるは,近年あまり調子が良くなかったらしい。ワシが本格的に二宮作品を読むようになったのは,アフタヌーンに連載された「犬姫様」なのだが,単行本一冊にまとまる程度の量であえなく打ち切り・・・としか思えない尻切れトンボな終わり方をした,いわば失敗作である。その後,何があったのは詳細は不明なれど,スランプ気味な状態が続いたようで,2007年に発売された単行本「おもいで」(ヤングキングコミックス)では,あとがきで「けっこう長いこと,マンガを描けなくなっていました。」と語っている。この作品集に収められた作品,ヤングキングに掲載されたということもあって当然ではあろうけど,ちょっと男性向けポルノと捉えられかねないテーマも扱っていて,イマイチ本調子ではないのかな・・・と感じられるものであった。しかし,それでも二宮は前言に続いて「種々の問題は解消したか,と言われれば・・・いーえ,マッタク! これっぽちも!(笑) けれど,しょーこりもなく,また描こうとしていますよ。」,と,少し不安は残る言い方だが,自分自身に言い聞かせるように断言している。
 そして,白泉社が現在発行している女性向け漫画ムック「楽園」にて,二宮ひかるは継続的に作品を執筆するまでに回復(?)した。これがまた・・・いや,詳細は後に語るとして,本当にイイんだわ,全く。エロくて面白くて,何より,最後にワシら読者を気持ちよく裏切ってくれるのだ。年季の入った漫画読みはいい加減すれっからしになっていて,大抵の作品については「あのパターンか・・・」とため息つくことも多いのだが,今のところ,楽園掲載の二宮作品についてはそれがない。もっとも,二宮以外の執筆陣の作品も力が入っているムックだから,自然とライバル意識が芽生えるものかもしれない。ともかく,今一番生きのいい女性漫画誌の中でも負けていないベテラン・二宮の作品を拝めるだけでもこのムックはお買い得だ。そしてその楽園掲載作品を中心におさめた短編集が本書,「アイで遊ぶ。」なのである。
 本書には描き下ろしの短い2短編を含む11作品が収められている。一番古いのは2003年ヤングアニマル掲載の「ごめんなさい」,最新作は2010年楽園3号に掲載された「白昼夜話」である。内容を一言で言うと「セックス」。前戯も本番もセックスに至るための恋愛も別離も,全部が入ったてんこ盛りの一冊だ。A5版,196ページという青年コミックサイズでありながら743円という価格,結構出版社と著者の自信が表れていると思うが,果たしてどうか? ワシは実際,内容を考えると妥当なところだと考えている。高めの価格設定も裏切らない,と断言したい。
 本書に収められてる11作品では,様々な男女関係が描かれている。女性に翻弄される男性もいるし,その逆もある。幸せな生活を送るであろうカップルもいれば,別れてしまうカップルもいる。両天秤を楽しむ男もいれば,男を弄ぶ女もいる。バリエーションに富む設定を次々に繰り出してストーリーに組み込む手腕はさすが男性誌でもまれてきた経験が生きているな,と感心するが,それより見事だと思うのは,女性は「観察」する生き物であり,男性はその観察眼の中で踊っているだけなのではないか,という野太いテーマが見えてくることである。これは多分,二宮ひかるという作家が持つ個性の一部なのだろう。そして多分,酸いも甘いも噛み続けてきた経験を持つ女性の多くが持つ「達観」なのではないか,とワシには思えてならないのだ。
 楽園1号に掲載された「・・・ごっこ」は,ワシにとって見事にだまされた作品である。「おもいで」を読んだ奴なら分かってもらえるであろう。これ以上は言わないが,ワシは自分の浅はかさを思い知らされて,しばらくショックから立ち直れなかった。・・・いや大げさではない。自分の,いや,男の狩猟心って,ホント,バカなもんだなぁ,と今でもこうして本作を読見返すと,「手玉に取られた」感覚が蘇ってくる。ホントに赤面ものなので・・・もうこの辺で恥の陳列は勘弁してもらいたい。他にも「楽園」掲載作品は珠玉のものが多いが,今のところ本作がワシにとってはベストである。
 「手玉に取られた」と言えば,本書で初見となる「観覧車」も,読後感は悪くないが,やはり二宮ひかるの視線が背後に感じられて,「どっ,どーせ男は,若い男はそーなんですっ!」と叫びたくなってしまう作品だ。いやまったく,このP.108中ゴマの「・・・ヤらせてください・・・」(そうは言っていないが)と語りかける男の顔ったら・・・どこまでねちっこく観察しやがるんだこの漫画家はっ! もうワシは勘弁してほしいと,いま読み返しても赤面してしまっているのである。
 ・・・とまぁ,一作一作,男なら「いやまぁ・・・そーゆーもんだよ・・・ははは」と力なく抗弁にもならない言い訳をしてしまうほど,本書に収められている短編群は内心に食い込んでくるのである。だから,ワシの次の興味は,女性なら本書をどう読むのか,そこに移っている。男性誌で男目線を引き付ける女性の裸体を描き続けた二宮ひかるが描く作品をどのように自身の体験を踏まえて楽しめるのか? ・・・と。
 たぶん,それは,本書の表紙に描かれている女性の持つ視線と舌なめずりが示唆しているのだ。そしてそれは女性だけが持てる「達観」なのだ・・・と,ワシは予想しているのだが,さて真実はいかに?

藤子不二雄A「PARマンの情熱的な日々 ~漫画家人生途中下車編~」集英社

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 今は亡き,潮出版社の漫画雑誌「月刊コミックトム」(1997年11月号にて休刊)で,長らく「パーマンの指定席」というコラムが連載されていた。もちろん作者は藤子不二雄A先生。映画の話題が多かったと記憶しているが,あいにく現物が手元にないのでうろ覚えだ。しかし,あのブラックかつユーモラスな藤子A作品ではおなじみの黒々としたコピー画像をちりばめたコラムは,人生を楽しむ「正しいオジサン」の素直な感想が綴られていて,熱心に愛読していたという記憶もないのだが,コミックトムを買えば必ず目を通す,印象に残る小連載であった。
 本書はその形式を継承しつつも,内容はより自由度を増したエッセイ漫画・・・いや,漫画っぽいエッセイというべきものになっている。「パーマン」が「PARマン」になっているのは,今も熱心に続けているゴルフと掛けているのか,商標の問題があるのかは判然としないが,しかしそんなことはどうでもいい。古希を超えてなお現役漫画家として「愛・・・しりそめし頃に・・・」の連載を続ける藤子A先生の元気な様を読むにつけ,「指定席」の頃から一貫して変わらない自由で,変に捻じ曲がっていない語り口にワシは魅了されてしまったのだ。そこにはやはり,幼少期に,それこそタイトルにもなっている「パーマン」をはじめとする,「怪物くん」や「魔太郎が来る!」や「プロゴルファー猿」や「まんが道」といった藤子不二雄A作品(もちろんF先生の作品も!)を読んで育った世代だということも影響しているのだろう。のど越し良く,すっとワシの頭に入ってくるのは,この幼いころの,ぐにゃっとした描線に親しんだ経験に基づく「刷り込み」によるものに違いない。
 藤子不二雄A先生,こと,PARマンの「情熱的な日々」は,文字通り,情熱的な「生」にあふれている。月曜日から金曜日まで,新宿の藤子スタジオ(故F先生の方は「藤子プロ」である)に出勤するも,ゴルフの打ちっぱなしをしたりスポーツクラブで水泳をしたりと寄り道もしばしば。スタジオに入っても,さいとうたかをからの呼び出しを受けて飲みに出てしまう・・・というのが第一話だが,70歳を超えてこんなに活動的でいられるかどうか,まずそこで感心してしまう。ウィークデーの毎日の出勤もさることながら,ベテラン漫画家らと集ってのゴルフ,大橋巨泉をはじめとする芸能人とのパーティー,ファンとの交流,東北へ講演会に出かけたり,郷里・氷見で市民栄誉賞を受けたりまんが展を行ったり・・・まぁ,これでもかこれでもかというぐらい「情熱的」な活動には驚かされる。加えて時折挿入されるカットの描線は相変わらずへにょっとしてやわらかく肉感的で昔と変わらない。あの~,A先生は「枯れる」っていういことがないんでしょうかと言いたいぐらい,活動も表現もエネルギーに溢れているのだ。正直,うらやましいを通り越して,あきれてしまうほどだ。
 丈夫で健康自慢のPARマンだからこその八面六臂の活躍っぷり,年寄りがよくやる病気自慢(?)は第11話のみ。酔っぱらって自宅玄関ですっころんだとか,ヘルニアで4日間の入院をしたという程度。生死にかかわる大病がこの年にして無縁ということだから,まだまだ相当長生きしそうである。是非ともお国から旭日小綬賞を超える勲章を奉じられるまで,現役漫画家としてご活躍してほしいと願っている。
 本書には,PARマンと親交のある漫画家,タレントからの多数の寄せ書きや,ゴルフ仲間との談話,連載誌であるジャンプSQ.の編集長との対談が挿入されている。本書の魅力の源泉は,PARマンの漫画エッセイの力もさることながら,「情熱的な日々」を過ごすことによって,エッセイのネタを次々に生み出すことができる旺盛なコミュニケーション力にあると,愛ある寄せ書きを眺めながらワシは確信してしているのである。

「Comicリュウ 11月号 創刊4周年」徳間書店

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 4周年記念号である。・・・じ~ん。よくもまぁ続いてきたものである。2周年3周年での記事は既に書いたので,今回は常々感じていることを箇条書きにしてみる。
1.思ったより新人の活躍の場がない
 毎年2回,安彦良和&吾妻ひでおを審査員として招いての「龍神賞」を募集している他,Comitiaとかでも有望な人材を見つけてデビューさせたりと,結構新人発掘には熱心である・・・が,思いのほかヒットが少ない・・・ように思える。これが例えば一昔前の10代~20代前半の青少年をターゲットとした漫画誌であれば,5年経ったら相当な数の新人が人気連載を引っ張り,その分,ベテラン勢が別冊系列や他誌に活躍の場を移していくってのが普通だった。今は景気が悪い上に出版不況に加えて雑誌がダメになりつつあるので,なおさらなんだろうが,ベテラン勢がここまで固定化しているのは,嬉しい反面,ちょっと残念な感じもする。
 ワシが思うに,原因は二つ。一つは,龍神賞に集まる漫画家に,スッピンの新人があまりおらず(最終審査に残ってないだけかもしれないが),再デビュー組が結構な率で混じっていることが挙げられる。結果として作品の完成度の高い後者の作品が選ばれる率も上がり,新鮮さに疑問符が付くことがあるのだ。もちろん再デビュー組としては必死で生き残りを図ってのことだろうが,雑誌の新陳代謝としての機能に問題はないのか,と考えてしまう。二つ目は,2年目以降は雑誌の厚さがさほど増えておらず,そもそも多様な人材を登用する余裕がないように思えることである。普通,ここまで続いた雑誌であれば,ぼちぼち別冊を作るとかしても良さそうなモンである。台所事情は結構厳しいのかもしれない。
2. ターゲット層がSF・アニメ世代のオッサン中年に偏っている
 いや,いいことかもしんないけどw。意図していたかどうかはともかく,雑誌のカラーが当初から変わっていないどころか,さらに純化しているように思えるのは気のせいか? おかげでますます購読をやめられなくなっているワシなので,まんまと編集部の術中に嵌っている訳だが,もうちっと若いオタク連中を引っ張り込む作品布陣を考えてもいいように思う。年寄りのオアシスは,「別冊リュウ」に移行して,もっとガンガン新人を登用する場として本誌を活用できればベストかなぁ・・・と夢想しているのだが,いかがか?
 しかし,今のご時世,安定して収入があって,こーゆー700円近い雑誌に金を払って無邪気に喜んでいられるのは,のうのうと正社員天国を満喫しているバブル組以上の世代に限られるのかなぁ・・・と思うと,なかなか理想と現実のマッチングは難しおすなぁ。
3. 雑誌も単行本も営業力が増えていない・・・ように見える
 以前にも書いたが,単行本も雑誌も,営業力ねぇなぁ・・・・と思いつつ4年,今もそれほど事態は好転していないよう見える。ひとえに,あまり数が出てない故,なんだろうが,2に述べたような理由で購買層がオッサンに限られ,雑誌購読者が単行本を熱心に買うわけないってことを考えると,むべなるかな,である。やっぱ1で指摘したように,もちっと若者に媚びうる路線を強化してもいいんじゃね? まぁ,しばらくは電子書籍と紙媒体がせめぎ合う時代が続きそうだから,若い世代に紙媒体を買ってもらえるようにする工夫は必要だが。具体的なアイディアはあんましないけど,まずは徳間書店のWebサイトをもうちっと更新頻繁にするとかWebコミック版のリュウを作るとかしてもいいかなぁ。ともかく,書店で目立ってないことは事実なので,頑張りは認めるけど,徳間唯一の青年(中年?)向け漫画雑誌なのだから,かつての「少年キャプテン」程度の部数(知らんけど)と目立ち度は確保してほしい。
4. 大塚英志の連載が全然浮いている
 今月号の「大塚教授の漫画教室」,いつもにも増して熱い! 怒りというか情熱というか,グデグデした文章で本音をぶちまけつつ,最後は「やってやるぜ!」という決意表明,さすがである。でも一度神戸芸術工科大学の学生+教員による合作が掲載されて以来,とんと大塚が育てた新人さんの音沙汰をリュウでは聞かない。大塚によると,縁もゆかりもない少年サンデーとかでは担当さんがついたりしているようだが・・・やっぱ,1に戻るけど,あんまし手間のかかるスッピンの新人さんを積極的に育てる方針ではないのかね?せっかく大学内部で全然評価されてない連載を持ってくれているのだから,龍神賞を大塚に任せてみるとか,漫画講座から誰かデビューさせるとかしてもいいんじゃないか?
 ま~,毎月編集後記を読んでいると,なかなかリュウも大変そうな状況であることは理解するけど,このご時世,どこだって楽な日常を送っているところは少ないはず。4周年ということで張り込んだせいか,ビニール加工してテカテカになった本誌を見る限り,やる気はみなぎっていると判断する。5周年に向けて,ますますの繁盛,もとい,最低でも現状維持を期待して,このぷちめれを締めることにする。