金森修「病魔という悪の物語 チフスのメアリー」ちくまプリマー新書

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-480-68729-7, \700

病魔という悪の物語
金森 修著
筑摩書房 (2006.3)
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 お目当ての新刊をgetすべく書店に入ったものの見つからず,さりとて読書欲ははちきれんばかりに膨れ上がっており,このまま手ぶらで帰るわけにはいかなかったのである。本書はそんな時にふと目に入ったもので,もちろん金森の名前は知ってはいたものの著作を読んだことはなく,題名の,それも副題である「チフスのメアリー」に惹かれて買ってしまったのである。夕飯代わりのマクドナルドのフィレオフィッシュセットをパクつきながらほぼ一コマ,90分で一気に読了した後に残ったものは,ひたすら苦く,それ故に脳細胞が活性化される「問題の種」であった。
 いや,これを中学生に読ませるのかい,金森先生よ。ワシとしてはその度胸を大いに買うと共に,「いいのかよ,ぉい」という一抹の不安を持たざるを得ないのである。ちょっとでもヒューマンな心を持ち,サイエンスの心得がある者であれば,それ故に,本書が提示している問題の大きさに慄然とせざるを得ないはずなのだ。道徳の教材に使える? そーね,使えるけど,教室が水を打ったようにシーンとしても知らねーぜ,オラ。
 チフスのメアリーという言葉をどこで聞いたかは覚えていない。しかし,確かにどこかでチラとその意味と言葉を知って以来,脳の奥底に引っかかっていたのは間違いない。そこには不可視の病原菌への恐怖と,基本的人権を完全に否定された者への憐憫がオマケとして付加されている。
 本書はその,18世紀末から19世紀初めにかけて,アメリカ合衆国に実在した「チフスのメアリー」こと,Mary Mallonの生涯を辿り,そこから現代にも未来にも通じる公衆衛生的大問題を突きつけている。
 本書では触れられていないが,隔離を伴う法定伝染病として最も著名なのはハンセン病だろう。つい最近,日本政府が過去の隔離政策の行き過ぎを謝罪したことも大きく報道された。この問題に関しては,武田徹の「隔離という病」に詳しい。
 感染力の強い(と思われる)伝染病が発生した時の対策として,一般社会から離れた場所に「隔離」する,ということは,まあ字面だけ見ていれば当たり前のことと思える。しかし,それによって生じる問題を考え出すとキリがない。隔離に際して発揮される強制力はどこから来るのか? また,隔離することによって確保される公衆衛生の規模はどの程度のものなのか? 隔離される患者の人権が侵されることによって得られる社会の対価は,本当に釣り合うものなのか?・・・といった難しい,そして結論が出るまでに時間が必要な問題が山ほど噴出してくるのである。普段,我々が「善意」と呼んでいるものが,スライドしてそのまま患者にぶつかり,取り返しのつかない被害をもたらしてしまうのだ。
 伝染病は怖い,怖いから公権力に取り締まって欲しいと願う,その後押しを受けて隔離に乗り出した結果,医学的に正確な感染力の把握もなしに患者への差別が社会に蔓延してしまう・・・という構造を非難するのはたやすい。たやすいが,その構造こそが我々の社会を保つ源泉でもある訳で・・・あーもー,考え出すとキリがないっ・・・ということになってしまうのである。
 実在したメアリーは,腸チフスの保菌者であることが断定され,ごく一時期を除き,人生の大部分を隔離された島で送ることになってしまった人物である。確かに著者の言う通り,そんなに長期間閉じ込めておく必要があったのかは疑わしく,不幸なレアケースであることは間違いない。しかしそれでも,メアリーが腸チフスを他人に感染させたことは否定できない。そんな人物を我々,いやワシやアンタは受け入れることが出来るのだろうか?
 できる,と著者は言い,その実例を,Plavska一家とメアリーとの交流に求めている。家族ぐるみでメアリーを歓待しながらも,メアリーとの食事後は「お皿をごしごし洗ったり,熱湯で煮沸したりした」。しかし,続けて「それほどの懸念を押してでも,メアリーと時間を共に過ごしたいと思ったということの方が大切」(P.113)だ,と。
 自分の身を守りつつも,かけがえのない友人との交流を保ち続けるという,この態度が一般常識になることが望ましいのは言うまでもないが,果たしてそれが自分に出来るかどうか。この辺が,道徳教材としては一番難しく,そして核心部であると思われる。
 文章は軽快でありながら,読み進むにつれて,ドンドン自分の思考が捩れ,キリキリと音を上げだす。そんな辛くて楽しい読書は久しぶりだった。二重丸。

うぐいすみつる「恋愛ちゃちゃちゃ!!」ピチコミックス

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-05-604392-2, \667

恋愛ちゃちゃちゃ!!
うぐいす みつる
学習研究社 (2006.4)
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声のぷちめれ -> MP3 file(4:27)
参考リンク
 ・うぐいす通信
 ・うぐいすみつる「ピンクのお部屋1」「ピンクのお部屋2
 ・うぐいすみつる「妊娠ちゃちゃちゃ!!
 ・けらえいこ「たたかうお嫁さま

古谷三敏「BARレモンハート 22巻」アクションコミックス

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-575-83236-7, \552

BARレモン・ハート 22
古谷 三敏著
双葉社 (2006.5)
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 買い物に出かけたショッピングセンター内の書店で本書が出ているのを発見した。おお久々,では早速レジへ・・・と思いきや,先ほどなけなしの金を煮干と本だしと詰め替え用シャンプーと3足セット靴下に費やしてしまったばかり。ATMから金を引き出そうにも今は土曜日の午後6時過ぎで,とうに閉まっている。うう悔しい,これから家に帰って金を取って戻るのも面倒だし,今日は諦め・・・いやいや待て待て。BARレモンハートと言えば・・・そうだ,そうだ。自宅に飛んで帰り,すぐ隣のコンビニに飛び込んで新刊漫画の棚をざっと見ると・・・あったあった,ありましたよ。
 そんな訳で,無事本書を見つけたその日にgetすることができたのであった。
 そう,BARレモンハートの単行本は,全国ネットのコンビニには必ず数冊配本されているのである。うろ覚えだが,これは十数巻に達した頃からの現象だったと思う。年単位で出版されるかされないかという頻度であるから,ワシは大抵,どこかの店頭に並んでいるのを見て気がついた時に買う,というやり方でgetしていたのだが,いつの間にやらコンビニで出会う確率が増えていったのである。ジャンプ・サンデー・マガジンコミックスのヒット漫画なら兎も角,大手とは呼べない双葉社の,しかも一度は休刊したアクション連載のコミックスとしては,クレしん・じゃりチエ・三丁目の夕日に次ぐ配本数ではなかろうか。実際,この最新刊の帯には「600万部突破記念フェア」の文字が大きく踊っている。一巻分だけでも30万部近い部数が出ている漫画単行本は,双葉社レベルでなくとも大ヒット作であることは間違いない。
 作風はどう見ても派手とは言えない漫画作品がどうしてこれまでの大ヒットを記録するまでに至ったのか。そこで語られている酒に関する薀蓄の深さと愛情もさることながら,やはり前回も述べたようにBARレモンハートに集う常連達の魅力と,そこに登場する多彩なゲストキャラクター,その三位一体がなす力が大きいと思われる。しかし何より,掲載雑誌の危機に際しても本連載を絶やさなかった双葉社の頑張りが大きい。連載がストップしていれば,このような大ヒットに繋がることはなかっただろう。
 松っちゃんの独身生活は相変わらずだが,振られても振られてもチャレンジし続ける姿勢は寅さんを思わせる。どんなに時代が変わろうとも,ギネスブック級のシリーズ映画の味わいに近づきつつあるこの作品が続くことを願わずにはいられないのである。

快楽亭ブラック「借金2000万円返済記」ブックマン社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-89308-639-1, \1238

借金2000万円返済記
快楽亭 ブラック著
ブックマン社 (2006.4)
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 自堕落なGW(NHK的には大型連休)を過ごしてしまったので,ワシより10以上も年上なのに更に自堕落な人生の一時期を過ごしてしまった噺家の本を紹介したい。ここでも昨年の借金&立川流除名&心臓発作騒動を取り上げ,そのことに触れ憤っている吉川潮の本もぷちめれした,快楽亭ブラック師匠の半生記(反省記?)である。題名の通り,最高2000万円の借金を抱えて立川流を除名され,心臓発作で倒れて病院に担ぎ込まれて九死に一生を得,高座に復帰するまでのことを,自分の生い立ちや生き様を交えて包み隠さず語っている。さすが噺家としてよりは映画評論家&風俗レポーターとして活躍してきただけあって,文章は至極読みやすい。
 ワシがブラック師の落語を聞いたのは一度きり(日記によれば2002年3月らしい)だが,確かに危ないネタ(○室・シモネタ・エロ・○別)が満載ではあるものの,その使い方はきわめてストレートであったことを覚えている。社会風刺を気取ってやろうという意図はまるで感じられず,優れた芸人の感性で「これは誰もやっていないからベタにならないし,受けるから使おう」と選択した結果,かような内容になってしまったのだ,とワシには思えた。実際,far right peopleの乱入だけは恐れたが,ワシは素直に笑えたのである。逆に言えば,彼が取り上げる対象に対して普段我々が感じていることを素直に掬い上げている,ということなんだろう。従って,彼を「アブナイ噺家」たらしめているのは,ワシらの心に救う拭いがたい,そして拭うつもりもない感情であると言える。
 そんなストレートなブラック師であるから,本書で語られている内容はかなり赤裸々なのに,乾いているのである。うーん,ワシが思い描く多重債務者のイメージって,自分のだらしなさ・至らなさを棚に上げて,徹頭徹尾,自己弁護に努めるって感じなのだが,これは全く違う。
 例えば,原稿料収入が減って複数のサラ金から借金をしまくり,その返済に行き詰った時に彼が取った方法は,かの吉川先生を憤らせた,自分の弟子にカードを作らせて借金を代替わりさせる,というものだったのだが,それに関する本書の記述はこんな感じである。
 「しかしパニックになっている時は人間悪い判断しかしないものだ。」
 「この方法,かつて全日本プロレスが資金繰りに困った時,女子プロレスラーや小人レスラーにサラ金から借金させて支払いしたと,(略)以前聞いた話を思い出してやってみたのだが,二度も倒産し,遂には自殺者まで出した会社の真似をしたんだからうまくいくはずもない。」(P.28-29)
 冷静に分析している。騒動がおさまった今だからこういう記述ができるんだろうが,それを差し引いても,普通,自己弁護の一つや二つは挿入したくなるのが人情ってもんだろうが,それが一切ないのは潔い。もちろん,この潔さは,「借金を友人だと思い,開き直って借金ネタを自虐的なギャグにしたら,面白いように客席がわいた」(P.158-159),という芸人の感性も手伝っているのだろう。危ないネタを選択してきたブラック師の真骨頂である。
 世間的には「困った人」という存在は,ワシも含む普通人に対して踏み絵となる。困った人を身近に持ってしまった場合,どの地点までは付き合い,どの地点からは突き放すか。これは困った人との距離のとり方で随分違ってくるが,基本的にはワシらの「度量」というもので決まってくる。単なる聴衆としてブラック師と付き合う分にはCD代込みの毒演会入場料を支払うだけで縁が切れるが,借金に直接巻き込まれた奥さんや弟子とその親,吉川先生も含む立川流関係者にとっては,かなりの度量を要求される踏み絵であったろう。ブラック師は自身の甘えのあらわれとして,奥さんや吉川先生(本文中ではY先生)には非難がましいことをちらっと書いているが,見放されても仕方ないな,と納得しているところが見られる。反面,毒演会に来てくれる聴衆や友人らには感謝しているものの,これから自分が芸人としての人生を全うしなければ彼らも見放すだろう,ということは覚悟しているようだ。まだ1500万円以上残る借金はそのカタとして返済し続けます,という決意宣言。それが本書刊行最大の,本人にとっての目的であることは間違いない。
 とゆーことで,ブラック師は借金返済ために毎月毒演会を開催しCDを販売し続けねばならなくなった。おかげで彼を遠くから応援する聴衆は毎月3000円の踏み絵を踏まされることになったが,ワシ自身は殆ど駆けつけられない。で,せめてここで本書を紹介し,印税分ぐらいは踏み絵さんに援助をしたいと思っている次第なのである。
オマケ(声のぷちめれ) -> MP3 file(2:32)