昨日とはうって変わってピーカン晴れ。午前9時頃にはストーブいらずの室内気温となる。原油高の昨今,ありがたいことである。大雪に見舞われている日本海側の方々には深くご同情申し上げる。
Amazon経由で本年初の売り上げがある。奥村先生のアルゴリズム本。\77の紹介料が入る。
昨年一年ではワシに紹介料が入ったDVD・CD・書籍はそれぞれ1枚・4枚・42冊あった。合計\60757の売り上げで,ワシはそのうち\1826を紹介料として貰った。うーむ,ワシの嗜好には営業能力がないことがはっきりしたな。月割りすると,DVD-R一枚分ぐらいの実入りであって,これが本業なら一月で夜逃げしているであろう。ちなみに,2004年の売り上げは¥78031,2003年は¥31074,2002年は¥18948となっている。さて今年はいくらになるかな?
では行ってきます。
だだいま。
ATLASベンチ,Fedora Core 4のRPMは3.6.0ベースで,IntelのEM64Tへの対応が不完全なようで(アセンブラルーチンはAMD64のみ対応らしい),RPMでもSRC.RPMからやり直しても結局Illigal Instruction エラーで動作せず。次元数が小さいと問題なく計算できるところが不思議。
結局,現時点での最新版3.7.11をソースからコンパイルしてやり直し(泣)。こりゃ今日中には終わんないや。明日中にデータが取れれば御の字ってところである。
Redhatが手放したのも分かるよな。こんだけCPUも含めたPCパーツのアーキテクチャが多様化してくると,サポートなんてそう簡単にできやしない。Fedora のような実験環境で人柱さんたちに試してもらって,安定していることが確認できたところだけ頂く,というは賢い戦略である。
ということで,安定した環境が欲しい人は別のdistributionを使いませう。でないと,yum updateだけで一日潰れたりするんだから(泣)。
ATLASのコンパイルができたところで寝ます。
1/6(金) 掛川・曇
全く太陽が姿を見せず,一日中気温が上がらず。仕事始めとしてはちょっと威勢がよろしくない。
さあ心機一転ガンバローとPCの電源を入れたら途端にWindows Updateを要求される。昨年末に騒がれたWMFの脆弱性を修正するパッチらしいが,出鼻をくじかれるよな。仕方のないことであるが。
Windows XP x64を使い始めてから気が付いた不具合を列挙してみる。
(1) Media Playerに「ブツブツ」という異音が定期的に入る。
(2) CDから音楽を取り込むと時たま失敗する(音の入っていないファイルになる)。
(3) Teraterm Pro (TTSSH)で接続していると,一定時間後に接続が勝手に落ちる。
(4) Firefox, IEどちらにおいても,オレオレ認証を使ったSSLで接続してこのblogを書いていると,エントリーの更新時に必ず一旦SSL通信が切れる。
(5) サイトよっては,IEを使っていても”IEを使って下さい”という警告が出る。ちなみにUser-Agent文字列は
IE 32bit版 — Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.2; WOW64; SV1; .NET CLR 2.0.50727)
IE 64bit版 — Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.2; Win64; x64; SV1; .NET CLR 2.0.50727)
Firefox — Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.2; ja; rv:1.8) Gecko/20051111 Firefox/1.5
である。NT 5.2なんだな,XP x64って。
(6) ドライバ類が圧倒的に少ない。プリンタが直結できないので不自由この上ない。
結局,Windows Vistaが出るまで我慢するしかないのかなぁ。ろくにサポートする気がないなら出すなよな>M$ まあ飛びつくワシが愚かといえばそれまでだが。
そーいやVisual Studio 2005,インストールして,NetPIPEがコンパイルできることは確認したが,それっきりになっている。遊んでいる暇がないのが悲しい。
あ,そうそう。blogに書くのを忘れていたが,ワシの愛機Let’s Note R3が年末に故障してbootしなくなったので,購入元のヨドバシの保障で直そうと宅急便で送ったら,なんと無料(送料のみこちら持ち)で戻ってきたのであった。異音がしていたのでCPUファンの故障による熱暴走だと思っていたのが,内臓HDD(40GB)がすっ飛んだためと判明,無償で松下が直してくれたらしい。松下万歳!
で,今のところ我が家で唯一LBP-1210と接続できるマシンとして,年賀状の返信を一生懸命印刷してくれたのであった。いやぁ,これがなかったら今頃は返信すらしない冷酷な奴というレッテルを貼られていたことであろう。もう一度,松下万歳!
ということで,イソイソと仕事モードに戻ります。久々にMuPADでプログラミングしようとすると勘が鈍っていてイカン。
1/1(日) 掛川・曇後晴
ワシのblogも4年目に入るのであるな。よく続いているなぁ。やっぱり人間が出来ていないせいだろう。何はともあれご挨拶。
今年もうだうだ書き続けます(気が向いた時に)
2006年はAtlasによる行列積ベンチマークをしていたら明けてしまった。しかもまだ続いていたりする。やっぱりtuneされたルーチンは速いなぁ。単純ループの100倍も違うんだもんなぁ。明日には文書にまとめる作業に入り,8日に第一稿を上げる予定。まだまだ勉強である。全てが済んだら予告通りtutorialの方も手を付けたいが・・・3月下旬かなぁ。
近場の小さい祠に初詣。掛川に定住してから7年になるが,きちんと正月にここを参拝したのは初めて。
誰もいねぇだろうと思っていたら,ワシの前にも後にも参拝する人・家族がいた。近場で済ませる人も多いのね。帰り道でも他のお稲荷さんにお参りした人がぞろそろ歩いていた。
年賀状に返事を書く。こちらからは一切書かず返信のみ,というシステムにしてから年賀葉書は十数枚程度で済むようになった。そのうちゼロになるかと思っていたが,まだ義理堅い人達が残っていて,正月唯一の義務労働となっている。
葉書を投函すべく掛川郵便局へ出かけ,その足でマクドナルドへ立ち寄り昼飯を買う。昨日張り切って雑煮汁と筑前煮を作った時に味見をしすぎ,既に飽きてしまったのである。ワシと同じような人も結構いて,マックの隣のファミレスも満員だった。毎年のことだが,日本の正月はどこへ行くのか(嘆く資格があるのか?)。
ベンチマークをしつつ,ぼちぼち元旦を過ごします。
12/31(土) 掛川・晴時々曇
天候悪化と伝えらえられていたのが,ちょっとマシになったようである。雲が空の50%程度を覆っているが,水分が振り出す気配は今のところない。
昨日このblogを書き付けてからメールチェックしたら,論文不採択のお知らせあり。新規性が薄いのでレターとして再投稿せよ,というエディタの判断が付記されていた。まー,昔のようにけんもほろろという査読結果はなくなったが,通らなけりゃ意味がない。えらそーに学者論などぶった報いであろうか。
共著だし,通りそうな見通しはあるわけなので,2月上旬には再投稿する予定。このほかにもう一本,アイディアは良いけど誤差解析がなおざり,という理由でrejectされた論文がたな晒しになっている。これも来年早々には何とかせにゃ。
今年の誓いは「質より量」であったが,これは9講演したことでまあなんとか達成できた。来年は講演数を少し減らして5講演程度とし,少しは査読論文を書くことにしたい。ということで誓いとしては
としておこう・・・どっちも達成できなくて玉砕したりして。しかし,年も年だし,この辺りで気合を入れて「中身」の充実を図っていかないと,定年まで楽しく研究生活を送ることができなくなってしまう。自己満足だけならどーとでもできるが,それじゃぁねぇ,publishしてこその学者でしょうが。
よーし,頑張るぞ~。
今年は初めて筑前煮に挑んだが見事に失敗。煮物は濃い目の味付けにしないとダメなんだなぁ・・・糖尿患者のオカズみたいになってしまった。そば汁兼雑煮汁は無事成功。これは薄味でいいしな。
もうちっと日本人のふるさと「煮物」に精進しないといかんな。来年は
頑張ろう。うん。
来年もよろしくお願い致します。
ぼちぼち仕事してから風呂入って,ほぼ日の除夜の鐘を聞きながら寝ます。
12/30(金) 掛川・晴
昨日に引き続き快晴だが,午後からは雲が出るらしい。昨日の水炊きの残り汁で雑炊を作ってかきこみ,今年最後の燃えるごみを出し,半年分の漫画雑誌を紐でくくり,残りの洗濯と布団干しを同時にこなす。一息ついてこれを書いているという次第。
後は仕事部屋の片付けと全体の掃除機がけ,余裕があれば拭き掃除もしたいが体力が残っているかな?
韓国のES細胞研究(Yahoo! Japan News),完全な捏造らしいという。今年はどの分野からも論文・業績の偽造・虚偽報告のニュースが満遍なく聞こえてくる。実際,研究に主軸を置いている大学・研究所における業績評価のプレッシャーはかなり強いらしいと聞くから,誘惑に抗し切れないヤワな神経の持ち主は耐え切れずに罪を犯してしまうのであろう。
このような風潮に対して批判的な向きも多いが,概して学者さんからの批判には首をかしげるものが少なくない。その大部分が,「昔は良かった,昔に帰れ」的なもので,ようは論文の本数や被引用数による締め付けを緩くしろ,というようなものであるが,それはどーかなぁと首を傾げてしまう。分野によって論文の本数には雲泥の差があるのは確かだから,その辺りは勘案されてしかるべきだが,十数年に渡って査読論文ゼロとか,研究発表も数年に一度とか,Fermatの定理の証明並みの大プロジェクト準備のためとか,健康上の理由とかでもない限り,明らかなサボりと見られても仕方のない状況にある輩を見逃すようなことになってはマズいだろう。また,高評価の論文を5年に一本書く学者と,低評価だが1年に一本論文を書く学者とは,学者としての評価は前者の方が高いであろうが,組織内における出世においては後者が早いということがあっても,それは不合理なことではない。
結局,質と量を乗じた「面積」による評価でしか,今のところ多数が納得する結論は得られないということである。これにもし合理的な教育に対する評価が加われば,「体積」評価ということも可能であろう。しかし,そのような評価によって,結果平等というものが得られるかどうかということについては,かなり怪しいといわざるを得ない。むしろ相当な格差が付くであろう。しかしながら,それをもってして「質や量」の評価を下げろ,と主張するのはどう見ても合理的とは思えない。
中島らもはワシも好きな作家だが,そのエッセイの中で「人生の晩年に老人ホームで人気者になる」という「幸せ」を提示していた。そう,人間としては合理的な業績評価とは別の物差しがあって,そーゆー幸せを求めることによって豊かな人生を送ることができるのである。
だが,専門家として,教育者として,組織内労働者としての学者という職を選択した以上,人間的な「幸せ」追求だけに偏ってしまっては,不適格の烙印を押されても仕方あるまい。そーゆー幸せは「保険」なのであって,学者としての時間ではなく,余暇に家族や友人と育むものであって,勤務時間中に掛け金を支払うものではない。
業績を偽造しちゃう方々ってのは,学者としての本来業務を軽視し,単なる書類上の項目を増やすことによって,豊かな老後を得るための資金稼ぎに執念を燃やしすぎたんじゃないのか,という気がする。それは人間としての幸せ追求の一種であろうが,明らかに学者としては失格である。
大体,学者なんてのは西部邁が言うように,村はずれの丘の上に一人住む変人なんだから,人間らしい豊かな老後なんて望む方がおかしい。そんなに人生楽しく送りたいんだったらさ,辞めなさいよ学者なんて,と言っておく。大体,そんな変人生活でも送りたいという馬鹿は引きもきらないんだからさ,アンタの代わりはいくらでもいるのである。
ぜえはぁ・・・掃除終了。拭き掃除は著しく汚いところだけをゾリゾリそぎ落とすように拭いて終了。いやぁ,床に這いつくばって濡れ雑巾を前後左右に擦る運動というものは本当に疲れる。昔の日本家屋は部屋から廊下から全てこのような重労働によって維持されていたのだなぁ。昔の女中さんは偉かった。してみれば,西洋のメイドさんなどというのは殆どが立ち仕事で済むのであるから,楽なものである。
ああそうか,ワシがメイド喫茶に並ぶ野郎どもに寒気がするのは,日本の女中さんがないがしろにされていることへの,深層心理における憤りであったのか。それに加えて,重労働に黙って耐えていた女中さんに対する敬意の念が欠けていることに対する,愛国心の表われであったのだ。
ということで女中さん喫茶を希望(違)。