佐岸左岸「ハンケチーフ持って、タイムマシーン待って、ラストシーン黙って、」大洋図書

[ Amazon ] ISBN 978-4-8130-5435-1, \946(\860+TAX)

 本作品を「BL」の一言で斬っちゃうのは乱暴の極みだろう。とはいえ,どういう作品かと問われればそうならざるを得ないし,長く述べるにしても「よくできたBL」というのが偽らざる感想だ。つまりは,それだけ現代日本のBL,GL,TLというものが豊潤であり,それらのジャンルから「性的要素」を抜いた,純然たる漫画作品群としてもすぐれたものを内包しているという証左なのである。

 紙雑誌がどんどん廃刊されると同時進行でWeb媒体が勃興し,既にどのサイトにどの作品が掲載されているか,全体像を把握できている向きがいるのかどうか。本書を連載していた「」というWeb漫画サイトも,本書を読むまでは全く意識していなかったが,どうやら「竜と龍の結婚」(いくたはな)を出版しているところらしいと知ったのは本書を紙媒体で購入してからのことである。なるほど,目立つ新人を捕まえてバズらせる術に長けたところなんだと納得した次第。
 とはいえ,本書については,ワシが信頼する読み手(書き手でもある)が言及していたからで,パラパラとお試しで読んでみるとなるほど・・・と納得するレベルの洗練されたBL画力であったので購入を即決できたのである。

 それにしても,SNS時代とは何とメンドくさくて酷いものなのか。本書の主人公を取り巻く登場人物は軒並み饒舌。ぐずった自己憐憫を縷々言い募るアルバイト従業員や,相手の弱みに付け込んだハラスメント言説をぶつけまくる上司,そして愛情を寄せられる怪しげな探偵は冷静なツラをしながらも感情的に駆動された論理の塊のような文言をぶちまける。そしてそれらを黙って受け取って一人感情を拗らせてしまいこむ長髪イケメンが主人公で,過去には自分の行状が原因とはいえ過剰なバッシングを赤の他人からネット経由でいたぶられ,今もそれが検索で引っかかってしまい,ネチネチとやられる原因となっているという,もうネット時代の被害者の典型のような優男なのである。

 とはいえそれは個々の人間の内面の話であって,空は青いし,飯はうまいし,親子スープは絶品で,つまりは外形的な風景はネット時代であろうとなかろうと厳然として存在し,我々を癒しもしなければ蔑むこともしない。確かな画力は落ち着いた「風景」を,ネットに毒されたこの主人公とその周辺の人物を包み込むように存在し続け,良くも悪くも受け流していく。本書は第1巻であり,約200ページ全ては本書の登場人物の説明をするための饒舌な描写に費やされており,このネット的に不幸な主人公の行く末が気になるところまでで終わってしまっている。さて,この先いかなることになるのか,怪しげな探偵への空回りする愛情を持て余す主人公の行く末が気になるのは当然ではあるが,確実なのはどうやら「ラストシーン黙って」なのかなと勝手に類推しつつ,ネットと戯れながらも次巻を楽しみに待つワシが存在していることなのである。

鳥嶋和彦「ボツ」~「少年ジャンプ」伝説の編集長の”嫌われる”仕事術,小学館集英社プロダクション

[ Amazon 単行本 Kindle ] ISBN 978-4-7968-7447-2, \1600+TAX

 ビジネス書ってのは忙しい(?)サラリーマン向けに売らなきゃいかんという目的があるせいか読みやすくできている。読みやすさの理由としては

  1. 活字がでかい&行間が広い
  2. 文章が短く,意味を取りやすくなっている
  3. 「成功する」ための「身近な」ノウハウが詰まっており実践しやすい

というところが挙げられる。1,2は当然としても,3については凡人が「これは自分には無理」と思わせる自慢話ばかりだととても読む気にならず投げ出してしまうという失敗を踏まえてのものだろう。もちろん,鳥山明を見出し,ジャンプ黄金期を継承してのメディアミックス路線に尽力してゲームを取り込むことに成功するという目利きの良さはあるとは言え,伝統的な日本会社(JTC)において上司を説得し部下を引き連れつつ次世代を担う漫画家を育てたという精神力と体力があってのDr.マシリトであることは間違いなく,この点は誰でもできるというものではない。ではないが,しかしこの説明力の強さは読者を引き込んでやまない。本書は聞き書きだからライター・天野龍に例の「ボツ」を連発してのダメ出しの果てに完成したものらしく,それ故に大変分かりやすく,しかも「なーるほど」という説明の連続なのだ。この点,ワシみたいなスレっからしの中高年読者にはお勧めである。だが,現在20代後半から40代ぐらい迄の働き盛り伸び盛りのモーレツサラリーマンにはどうかしら?・・・という疑問も同時に覚えてしまったのである。

 SNS社会になってぱっと見の印象操作,いわゆるインプレ稼ぎのゾンビみたいな輩が跋扈するようになってしまったが,それも大分淘汰が進んでいるように見える。ネット初心者ならいざ知らず,それなりに場数を踏まえてネット社会を生きてきた「インターネット老人会」の一員たるワシには,リコメンデーションの積み重ねによるバリアがそれなりにできつつあり,陰謀論や反ワクチン,極端なネトウヨやパヨクはスルーする以前にその手のメッセージが届かない。たまに届いたとしても,少しばかり過去の発言を辿ってみれば「あーこれは・・・」となってあえなくミュートするかブロックすることになる。
 あのね,オジサンはね,「実績ゼロ」の輩を相手にしている余裕はないの。見てほしかったら強めの発言一発じゃなくて,小さいところからの積み上げでも,大当たりでもいいけど,あなたが何をできるか,今までの事績に基づいてプレゼンしてからにしてくんない?・・・ぐらいのことは言いたくなる。たまーに,メディアで目立つ評論家的な人が政府の中に入ってしまうことがあるが,さてどの程度お役に立っているのやら?という向きも結構いる。途中高転びしてしまったとはいえ,猪瀬直樹なんてのはそれなりに汗かいて実績出してきた方だと思うが,あのぐらいの提言力と実践力がある人材が,インプレッションゾンビから出るのかどうか,はなはだ怪しいと言わざるを得ない。

 JTCは大分変質してきたとはいえ,それでも新入社員を一から育ててやろうという気風があるところは残っていて,それなりに努力すれば積み上げ的に実績は残せるようになっている。その点,マシリトも上に反抗的とはいえ,果敢に「言った以上にやってみせた」だけあって,今に続く集英社のコンテンツ構築力育成に尽力している。それも偏に,実績に見合ったプレゼンパワーのなす技であり,一塊のビジネス書の中でも現役のビジネスマンには役立つこと疑いない。

 ・・・ないんだけど,さて,今も昭和的な漫画家育成のノウハウが使えるかどうか,そのあたりは大分怪しいと思わざるを得ない。それは「鬼滅の刃」についての本人の弁で,確かに漫画原作についてはもっと力量アップがあっても良いという指摘は当たっているものの,それが今でも可能か,吾峠呼世晴という漫画家に適切かどうかという点は大いに疑問を持った。良くも悪くも今のコンテンツ産業はクリエイター主導であり,かつてのような無茶な制作サイドからのごり押しは通用しない。鬼滅の刃については,むしろ原作の至らなさがあってこそのアニメ作品として極上のものとなったとは言えまいか。このブームを先導したのは原作よりもアニメだといいたいがための主導権争いとも言えるが,それをさせるだけの「隙」が原作にあったからこその今のブームであり,原作本の売り上げではないのかと,既にロートルに足を突っ込んでいるワシは思うのである。

 誰が何と言おうと時代は進むし,年寄りは引退し若者が次を担う。年寄りの提言は聞くに越したことはないとはいえ,次の時代の方法論は若者が作り出すほかない。その意味で,本書はマシリト成功の原動力を大いに知らしめる内容であると同時に,やはり次のブームは次世代が作っていくのだなと痛感させられる「年寄りの限界」を語っているものと言えよう。

清野とおる「壇蜜」1巻, 講談社

[ Amazon ] ISBN 978-4-06^540035-7, \792 + TAX

 実は最初は楠桂「サレ妻漫画家の旦捨離戦記」(1巻~6巻(2025-07-27現在)以後続刊予定)について書こうと思ったのだが,妻視点側からの一方的な内容である以上,「(妻側の意見が理解できて)なるほどね」という納得と,「もっと旦那側の言い分を聞いてみたい」という欲求不満と,離婚裁判の有様が分かって参考になる(かも),としか書けないことに気が付いて取りやめと相成った。しかしまぁ怒りのパワーのなせる業なのであろう,ハイペースでKindle連載が続いているのは凄いなぁとつくづく感心させられる・・・が,相性の悪いところにお互いの罵りあいになってしまった夫婦から学ぶことと言えば「反面教師」以上のものはない。まず先に学ぶべきは,やはり「うまくいっている夫婦」から得られるストレートなノウハウなのである。

 とゆーことで,出たばっかりのサブカル(といっていいのか?)ベスト夫婦,清野とおる&壇蜜のエッセイ漫画を取り上げることにしたい。正直,ワシは清野の良い読者ではないが,本作は連載時より注目しており,単行本刊行を今か今かと渇望していたのである。何せあの「壇蜜」(檀蜜ではなく壇蜜)が見染めた相手が描いた「壇蜜ルポルタージュ」である。面白くないはずがないのである。もちろん著名芸能人のプライベートを知りたいという下世話な興味が9割方占めているのだが,現在健康を害して不調にある妻を甲斐甲斐しく看病する良き夫の有様を学びたいという健全な好奇心も1割程度はあるのだ。

 本書によれば,清野が出世作で紹介した赤羽界隈のディープな店を取り上げたTV番組に壇蜜が出演することとなり,そこでいきなり清野に結婚を前提としたお付き合いを提案されたとのこと。その場でメールアドレスを手渡され,通り一遍のあいさつメールのやり取りをきっかけに,浮間公園で最初のデートと相成り,そのまま普通の男女のお付き合いに突入したということらしい。本書には描かれてはいないが,おそらくはTV番組の企画に興味を示した壇蜜は,以前より愛読していた作品を描く清野に狙いを定めていたのであろう。

 あれだけの濃厚なけだるい色気を放っていたにもかかわらず,本書に描かれる壇蜜は相当なサブカル寄りの女性である。生活はいたって質素,芸能人らしい派手な所は一切なく,そもそも業界での交遊もないらしい。興味があるのは動物(詳細は以後続刊で描かれるらしい)や,清野が描く東京の郊外と埼玉の庶民的な飲食店や風物である。札びらきってのお誘いは山のようにあったろうに,そういうものには一切目もくれず,自分のサブカル魂を自然と受け入れ,楽しんでくれそうな「清野とおる」という人材を絡めとったのである。本書はその狙いが正しかったことの証明であり,ワシを含む多数の下種読者の好奇心を満足させる「壇蜜ルポ」として結実した,このご夫婦の愛の結晶と言える作品なのである。

 そういえば,件の破綻夫婦ルポ漫画には,旦那の弁として,自分の趣味に妻も付き合ってほしかったということがチラと描かれていた。夫婦の趣味が完全に合致することなぞありえないが,互いの理解と受容は,可能な限り深くなされるべきであろう。本書はその重要さを知らしめてくれる,夫婦生活指南書でもあるのである。

小林よしのり「夫婦の絆」光文社

[ Amazon ] ISBN 978-4-33-4105501, \2500+TAX

 いやぁ,さすが小林よしりん健在なり。情念と狂気がない交ぜになった濃すぎる精神世界を,ホラーとミステリー仕立てにして一気呵成に読ませてくれる。一度中断した作品だけに,さてどうだろうと危惧したのだが,しつっこくねちっこく本作の再開と完結を願っていた一読者であるからして,言った以上は責任があると2500円+TAXを支払って紙本を購入したのだが,満足満足。正直言ってどこから再開したのかも分からないほどストーリー仕立てが見事であり,土俗的書き込みの濃厚さも,加齢による衰えを感じさせない程である。300ページを超える厚みでありながら,読了後のたらふく感この上なく,五十路半ばで疲れたなぁ・・・などと言ってたら罰が当たると背筋が伸びる思いである。

 小林よしのりと言えば「ゴーマニズム宣言」略して「ゴー宣」で一世を風靡した大家であるが,ワシ世代はやっぱり「東大一直線」と「東大快進撃」の作者としての記憶が強い。「おぼっちゃまくん」は世代が違いすぎるし,正直言ってギャグ作家としては盛りを過ぎてからの作品だったから,横眼で眺めた以上のものではない。「ゴー宣」でドはまりして「戦争論」に打ちのめされたのは20代半ばだったから,よしりんのごく初期と中堅以上になってからの読者の一人がワシなのである。
 とはいえ,さすがにコロナ禍での反ワクチン的言動には付いて行けず,「よしりん辻説法」もごく初期のみ付き合っただけで,そのあとはちょっと辛いなと感じて以来は遠ざかっていた。ただ,情念で突っ走る勉強ぶりと健筆ぶりはさすがだなぁと感心してはいたのである。とはいえ,一度中断した「夫婦の絆」の再開は,今の路線とは遠すぎて無理だろうなと半ばあきらめていただけに,本作の完結と出版は意外過ぎる僥倖であった。あったのだが・・・正直言って,ベテラン作家がかつて全盛期だったころの作品をリバイバルすると失望させられることが多く,本作についても「怖いもの見たさ」というスケベ心があったことは否定しがたい。しかしそこは小林よしりん,スタッフの力を借りたとはいえ,古希過ぎても内に秘める破壊衝動をしっかりと紙面に焼き付ける力量は健在だったのだ。

 本作は不思議な美男とブスの定常的な夫婦生活から始まる。なぜこのハンサムと人並外れた不細工がくっついたのか,という昭和的感性からくる常識に反する疑問を,悲惨すぎて奇想天外なキャラクターたちのバックグラウンドをストーリー展開と共に明かすことによって明らかにし,最後は・・・おっと,ネタバレはここまでとし,一言だけ言うなら,広げまくった主張とキャラたちの因果全てにきちんと落とし前をつけた結末になっている・・・ということだけはワシが保証するのである。ということで,躊躇していた神さんには一読を勧めているのだが,読んでくれるのやら? 曰く「表紙が怖い」そうで,その点はちょっとマーケティング的に損しているかもなぁ。

 本作を読了して思い出したのが,つかこうへいの「熱海殺人事件」である。ワシは原作ではなく,仲代達也・風間杜夫・志穂美悦子・竹田高利が出演した映画版しか見ていないのだが,基本コメディでありながら,不細工とかハンサムとか,当時の表面的な昭和的価値観をひっくり返す情念の絡み合いが濃厚な展開に魅了されたものである。
 よしりんの本作も,SFファンタジー的要素が強いとはいえ,基本は安定した夫婦関係というものの根底には情念の絡み合いと一定の諦念という土台があることを見せつける点では共通するものを感じる。今時のエンターテインメント,ある程度年季の入った読者に深い印象を植え付けるには,常識を揺さぶる主張を投げつけることが不可欠で,その点は,世俗にまみれつつも絶叫しつづけてきたよしりんのベテランぶりがいかんなく発揮されている。

 いやね,とにかく読んでいくと「不細工」とされた主人公がどんどん可愛く愛おしくなっていくこと間違いなく,つまりこれは「ベストカップル」というものの一形態に落ち着くまでの,よしりんゴー宣的主張の一環なのかなと,古い読者はしみじみ感じ入ってしまうのである。さてワシも仕事しよっと。

カワハラ恋「未熟なふたりでございますが」18巻(完結),講談社

[ Amazon ] ISBN 978-4065363874, \759

 初物買いで,1巻が出たところで書評した作品であっても,その後の展開次第でこちらの興味が薄れ,完結までお付き合いしなかった作品,結構あったりする。あれとかそれとかこれとか・・・いちいち取り上げないけれど・・・とゆーことで最近は長めの連載作については,もう大丈夫だろうと見切ったものか,完結した作品のみ取り上げることにしている。

 とゆーことで,本年完結したヒット作,「未熟なふたりでございますが」(全18巻)を取り上げることにする。本作,いわゆるエッチな作品,つまりはセックスアピール全面展開の漫画ではあるのだけれど,健全極まりない夫婦愛を描くための道具としてのSEXを軸としているので,万人にお勧めできるものなのである。

 昨今は著名人の不倫とやらがトレンドで,やたらめったら文春リークスにはタレコミが寄せられているようだが,こちとら昭和の感性から一向に進化していないせいか,無関係の第三者視点では何処が悪いのかサッパリ分からない。不倫そのものは犯罪ではないし,双方の当事者(配偶者込みの家族)以外はせいぜい「よーやってはるわ(ニヤニヤ)」程度の感想を持つ程度の話だと思うのだが,スポンサーやら応援団やら,利害を共にするグループの構成人数が多ければ多いほど迷惑をこうむる率が高まる,というか,正確に言えば「迷惑をこうむると感じられる人たちからの苦情が増えて商売に差し支えるレベルに達する」ことを恐れなければならないという,極めてメンドクサイ事態になっているらしい。はてさて人間の道徳心がどれほど向上しているのかと皮肉の一つも言いたくなるが,とはいえ,一度籍を入れた以上は添い遂げるべき,という「世間の声」が復活していると考えれば,そのこと自体は悪いことではないと言える。そして「一度籍を入れた以上は添い遂げる」一手段として,性欲が有り余っている時期に夫婦ともどもSEX込みで仲良くすることを寿ぐ漫画があっても好かろうと「世間の声」の後押しがあった・・・のかどうかは知らんけど,ともかくシリーズ累計100万部(電子含む)の売り上げにつながったことは,過剰とも思える不倫バッシングがいかに強いかということを物語っているのである。

 幼馴染のカップル,年長になって一緒になったものの中々ことに至らず悶えまくるという,前半4巻目までの葛藤が引っ張る展開から一転,ラブラブやりまくりになってからの展開もまた趣深い。そんなに性欲が長続きするのかというリアルな声はどーでも良く,ファンタジーとしての生活臭漂う,さほどヤバいことも夫婦の危機が全く感じられない日常もまた良いのである。「こうあらねばならぬ」イズムが薄れ,あれもこれもまぁ個人の選択だし的な,独身の友人や見合いの夫婦との緩いコミュニティ感も令和風と言えよう。そんな付き合いを続けていくうちに「まぁああいう感じもアリかな」との感想から「じゃぁ自分も」という,自然発火的なムーブメントがあるのも時代である。そんなご時世に,破壊的衝動に身を任せるキャラが登場しようもんならあーた,この作品の雰囲気ぶち壊しですぜ。そーいや「よろめき昼ドラ」とか一時期はやった時期があったなぁと感慨にふけるのは昭和世代だけだな。

 以前のペンネーム時代の作品から今の「カワハラ恋」になってからのセックスアピール的漫画力向上を狙う功名心がどこからやってきたのかは分からねど,前作「淫らな青ちゃんは勉強ができない」での飛躍があっての本作の大ヒットであることは疑いない。ただ,本作が単にエロいから売れた,というだけではないのは,前述した通り,「世間様」のニーズに合致したからに外ならず,不倫なんぞに現を抜かすよりは一途を貫くことの重要さを認識するようになった,いわゆる「保守的」な倫理観を持つ世代が台頭してきたということ,そのこと以外にはありえないと言えるのである。