相原コージ「下ネタで考える学問」双葉社

[ Amazon ] ISBN 978-4-575-94380-1, \857
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 相原コージのギャグ作品を単行本で読むのは久しぶりだ。バブル時代の出世作「コージ苑」以来である。その後,シリアス(?)ストーリー「ムジナ」や「真・異種格闘大戦」,異能の狂人(褒め言葉です)竹熊健太郎とタッグを組んだ「サルでも描ける漫画教室」は完読はしていないので,ワシは相原の良い読者ではない。が,どれを読んでも多分,ワシの相原感は揺るがないと思われるので,この機会にこの北海道出身の不器用な漫画家についての印象を語っておくことにするのである。
 そう,相原コージは不器用な漫画家である。ここで言う「不器用」は良い意味ではない。ハッキリ言って,自分でも言っている通り絵はヘタクソだし,ギャグの引き出しも多くはない。本作は「下ネタで考える」と銘打っているが,基本的に相原ギャグの多くは下ネタ,しかも情けない性的由来のものが多い。間違ってもお国が推薦する「ジャパンクール」の一作とはなり得ないのである。
 しかしこの不器用さこそが相原最大の武器であり,長所でもある。というより,不器用さをとことん突き詰めて武器にしてしまったところが相原コージという漫画家の特質の一つと言えよう。ワシはそれをセンス,とは言いたくない。乗り越え方が無骨,真面目一辺倒でとてもそーゆー洒落た言い回しが似合わないのだ。「泥臭い努力家」,それが相原コージの不器用さを更に際立たせ,読者の目を他に逸らさない理由となっているのである。
 相原のギャグはベタである。下ネタ由来のベタベタなものだ。しかし下品と断言するには少し躊躇してしまう。それは軽みがあるからだ。下手だが鋭角的な描線でさらりと描かれた人物は基本的に軽い。ベタギャグを一生懸命やっている,しかしそれが嫌味にならず,さりとて爆笑までは行かなくともクスリとしたユーモアに昇華しているのは,偏に軽みのある描写を真摯に行っているからであろう。「ムジナ」や「真・異種格闘大戦」のようなストーリー物でも,ワシが読んだ限りでは本作と何ら変わらない印象を受けた。ギャグ作品同様の真摯さで書き込みを行い,薀蓄を惜しげもなくぶち込んでモザイク状に作品中に散りばめるのである。勉強した知識や技術そのままに取り込んだ相原作品は,それ故に何故か不思議な魅力を発酵させてしまうのである。
 本作のように,アカデミックな学問を取り込んだ漫画としてワシが最高の一冊と考えているのが,いしいひさいちの「現代思想の遭難者たち」である。いしいの知性とセンスが,哲学者の思想の本質を丸め込んで自身のギャグをより高次な次元に高め,読者を普通に笑わせてくれるという稀有な作品である。それに比べれば相原コージの無骨さは明らかだ。学んだ知識を真面目に下ネタを題材として語っており,それ故に本書はかなり普通に学問入門書として使えるものになってしまっている。例えば,「26時限目・論理学」は,命題論理と述語論理の基本事項がそのまま語られており,下ネタ題材の使い方が学問的に正確なのだ。しかしこれは「センスのあるギャグ」とは言えず,やはり漫画作品としては無骨な印象を受ける。そしてそこが相原コージ作品たる所以なのである。
 しかし久々に本作で相原漫画に触れ,ワシが一番感動したのは,相変わらず包茎ペニスとセックスネタの多いこと。やはり本人のレゾンデートルとギャグ漫画家としての立ち位置を決めたネタだからなのだろう。日本人男性の8割が該当するってところがまた別の「共感」を呼んでしまうからこその画業30周年・・・なのかしらん?

西原理恵子・吾妻ひでお(協力・月乃光司)「実録! あるこーる白書」徳間書店

[ Amazon ] ISBN 978-4-19-863586-2, \1200
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 元,コミックリュウ編集長,大野修一は自身のサブカル人脈を使って気になる本を次々と世に送り出している。「サブカルスーパー鬱伝」や「日中韓お笑い不一致」・・・ああいかにも大野元編集長らしい本だなぁと,出るたびに買って読んで楽しんでいるのである。徳間書店の経営状態は知らねど,会社か編集長のどちらかがくたばるまで本を出し尽くしてほしい。
 その一連のサブカルシリーズの最新作が本書,西原理恵子と吾妻ひでおが自身のアルコール依存症(西原先生は旦那の方ね)体験を語りつくした一冊なのである。吾妻先生を引っ張り出してくるあたりは大野さんらしいが,超大物・西原先生とタッグを組ませたってのは凄い。自分も依存症だった月乃光司も仕切り役+依存症体験係として対談に混ざっているので,注釈や大野さんの解説文もあり,ちゃんとしたアルコール依存症入門書としても読めるようになっている。
 しかしまぁ,対談はおおむね西原先生ペース。さすが語り慣れているというか,場を盛り上げるための話術の巧みさは最高である。吾妻・西原の愛読者であるワシにとっては大体見知った話が多いのだが,断片的だった部分に染み込んでくるような事実も語られており,「もう聞き飽きた」と感じる方にも一読をお勧めしたい。
 改めてアルコール依存症って怖いな,と思うと同時に,健常者と言えど,大なり小なり何かに「依存」して生きている訳で,「底つき」をしないことには立ち直りは不可能,という事実を前に,反省させられることは山ほどあるなぁとシミジミしてしまったのである。

ハイソンヤギ「真田と浜子」1巻,徳間書店

[ Amazon ] ISBN 978-4-19-950319-1, \619
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 本作が初めて「コミックリュウ」2012年8月号に掲載された時,編集部は気が狂ったのかと思ったものである。編集部も編集部なら描く方も描く方だ。二人揃って何を考えているのか,と思いつつ,妙な魅力に導かれて一気に読んでしまったのだから不思議という他ない。そうかこういう視点もあったのか,と感心したのもつかの間,いつやら読み切り連載が始まって2012年のどん詰まりに単行本として全国の書店に配本されてしまったのである。徳間書店の愚挙なのか英断なのかはまだ分からないが,少なくともワシは日本初(?)となる「倦怠期の恋愛漫画」の登場を寿ぎたく,本年の最後に取り上げる作品として本書を選んだのである。・・・バカはワシか。
 ハイソンヤギ(どういう由来のネーミングなんだか)が描く本作の魅力のポイントは二つある。
 まず画風。デッサン狂いなんてもんじゃないレベルのきついデフォルメの効いた絵は,妙にシャープで,ドライブ感に溢れている。黒咲練導は歪んだ画風で退廃的なエロスを醸し出しているが,ハイソンヤギにも一種のエロスが感じられる。が,それ以上にシャープさが際立っていて読みやすい。こういう画風は狙って構築できるものなんだろうか? ちと不思議である。
 もう一つが,「倦怠期の恋愛」というテーマだ。基本的にはデブのサラリーマン・真田(男)と,非正規雇用で食い繋ぐガリの浜子との関西漫才のような,ボヤキとドツキの混じった会話を楽しむ作品なのだが,この二人がSEXをやり尽して退屈している倦怠期のカップル,というところがミソなのである。退屈しつつも何とか真田に構ってほしい浜子が,時々いじらしく描かれており,そこが本作をして「恋愛漫画」たらしめている。「恋愛の倦怠期」というよりも「倦怠期の恋愛」と呼ぶべき作品になっているのはそのためである。意図的かどうかは知らねど,ハイソンヤギの独自の視点がここにあるのだ。
 どの読み切りも同じテイストで貫かれているので,どれでもいいのだが,とりあえず「独自の視点」が分かりやすい例として第5話「ゾクッと盗撮」を取り上げよう。
 出だしはSEX終了直後の二人の会話から。真田が「早い」という話から食い物の話題になり,腹減ったから「メシ食おう」となって食事となる。この間の,慣れ親しみすぎて色気ゼロな会話がベッドの上でなされるのだが,その取りとめのなさ加減がヒドい。しかし面白い。この辺りが意図せぬ名人芸的関西漫才に似ている所以なのであろう。結局最後は両者の盗撮写真を巡ってのグダグダ会話となる。・・・どうやったらこういうコンテが切れるのか,編集者と著者が相談しながら決めているとすれば二人揃ってバカなんじゃないかとしか言いようがない。それでいて読者を引き込むドライブ感,繰り返しになるが,いや全く不思議な作風である。
 幸い(なのか?),本作はまだまだコミックリュウで続くようだ。書き慣れていくにつれて,浜子が可愛くなっていくのがちと気がかりだが,恋する浜子を魅力的にしたいと思うのは止むを得ない。しかし,ごく当たり前のエロス的描写に堕することなく,倦怠期恋愛漫才漫画を今後も綴ってほしいものである。

西UKO「Collectors(コレクターズ) 1」白泉社,大沢あまね「彼女×彼女(カノカノ)」新書館

「Collectors 1」[ Amazon ] ISBN 978-4-592-71047-9, \838
「彼女×彼女」[ Amazon ] ISBN 978-4-403-67133-3, \950
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 百合というジャンルは正直よく分かっていない。いや,今やBLと称するやおい漫画(死語か?)も把握し切れていないので,つまりは同性愛ファンタジー分野全般が分かっていない。
 従って,印象論でしかないのだが,BL分野は竹宮惠子が切り開いてから既に40年近い年月を経て様式化が進んでしまい,差別化のために敢えてエロ漫画化することで顧客を引き付けようというのが最近のトレンドなのかなぁ,という気がしている。性描写にうるさい向きがBLっぽいイラストに反応して図書館での閲覧に抗議が寄せられたりするのも無理もないと思う昨今なのである。
 反面,いくつか読んだ百合漫画はそこまでエロくない。つーか,全然エロさのかけらもなく,単なる女の友情漫画なのでは?,と思ってしまう作品が多かった。ま,ワシの好みで選んだものがたまたまそーだっただけで,もっと過激なエロ化が百合でも進んでたりするのかもしれないが,ワシの印象としてはそうなのである。
 にしても,BLに引きずられる形ではあるが,一ジャンルとして商業的にも定着してきた分,この先どういう方向に向かうのか,ちと楽しみである。飯の食えるジャンルは新人作家の苗床として機能するので,この分野からも,BL同様よしながふみのような才能が育ってくることを期待できるのだから。
 とはいえ,ちと首をかしげる作品が多かったのは事実。面白いものが出ないなー,と思っていたら,今年になってようやくお勧めできる作家が現れた。それが,西UKOと大沢あまねである。
 まずは西UKO「Collectors」から。白泉社のムック「楽園」第一号から連載が続いている四コマ形式の短い漫画をまとめたものである。主人公は本を買いまくる大学院生・仁藤忍と,着道楽の関埼貴子のカップル。繊細かつ優美な絵柄で,結構リアリティのある忍の研究生活と,貴子のおシャレっぷりが軽やかなギャグを交えて描かれている。本書では世話焼きの忍の友人,大江(結婚後は志賀)直巳が紡いだ二人の馴れ初めエピソードも収録されており,重層的なキャラクターの描写が心地よい。ちなみに西UKOは人物作画担当で,絵コンテは北条KOZが担当しているとのこと。インテリっぽい上質な作風は,百合漫画というジャンルとは無縁の読者も掴むこと間違いない。短い作品なので,単行本に纏まるには相当の時間が必要であるが,2巻が出る3年後(?)を楽しみに待ちたい。
 次は大沢あまね「彼女×彼女(カノカノ)」。これもまた四コマ漫画である。主として新書館の媒体に掲載された作品を纏めたもので,シチュエーションは様々。共通しているのは百合漫画,ということだけである。
 しかし,大沢の画風は艶めかしい肉感的なもので,「裸でベタベタ」なところが多い。それでいて上品さを保っているところが素晴らしい。言い方は悪いが,女の子は大概「大根足,鳩胸」の,いわゆる「ぼんきゅっぼん」である(昭和テイストな言い方)。失恋あり,成就した恋ありで,ストーリー漫画を四コマで区切ってあるだけの,いわゆる「いしいひさいち形式」。西の作品といい,この大沢の作品といい,この形式は今の「面白い」百合漫画には多いんだろうか? この辺り,識者(いるのか?)の意見を伺いたいものである。
 どちらも百合かどうかということは抜きにして,魅力的な絵と面白いギャグ,そしてしんみりした恋愛感情の描写に優れた良作である。百合漫画ジャンルはこういう才能育成の土壌として,しっかり機能して貰いたいものである。

早野透「田中角栄 戦後日本の悲しき自画像」中公新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-12-102186-1, \940
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 2012年12月16日,第46回衆議院議員総選挙が行われ,与党・民主党は3年間に3人の首相が代わり,離党者がボロボロ出るという始末の上,マニフェストに謳った政策の多くを実行することができず,結果責任を取らされる形でボロ負け,解党的出直しができるかどうかという瀬戸際まで追い込まれた。
 一方,野党だった自民党は小選挙区でボロ勝ち。民主党離党者がバラバラと小党に分かれて票を分散させたため,漁夫の利が転がりこんだ格好である。その証拠に,比例区では前回とさほど自民党の得票数は変わっていない。大勝ちした格好の吉田茂以来の再チャレンジ総裁(すでに総理大臣だが)・安倍晋三も,幹事長・石破茂も慎重な物言いに終始した。来年には参議院議員選挙が控えており,それまでは選挙中派手にぶち上げていた諸政策をマイルドにして小出しにしていくのではないか,と言われている。
 しかし,これだけ経済も情報も全世界的に共有されるようになった昨今,少子高齢化にも拘わらず移民政策にも及び腰で働き手が減っていくこの日本で,政府と日銀が頑張って旗振ったところでどこまで通用するものなのか? 民主党政権も酷かったが,その前の自民党政権だって,小泉純一郎以後の首相はお世辞にもうまくやったとは言えない。そのことは前回の失敗をよく知っている安倍晋三自身が一番骨身に沁みて知っているはずだ。一個人としては,折角グローバル化したのだから,その流れをキャッチアップして自身の能力を磨きつつ,政府を当てにするのは最低限にした上で自力で何とかするほかないだろう。
 しかし,この揺れ動きの激しい政治状況,小選挙区制がもたらした効用(?)ではあるが,それを最初に言い出して実現させようとしたのは田中角栄だった,ということは意外と知られていないのではないか。そのことは,角栄びいきだった戸川猪佐武の「小説吉田学校」(ワシはさいとうたかをのマンガバージョンで読んだ口)にも,そして本書にも書いてある。なるほどなぁ,してみれば角栄子飼いの小沢一郎が小選挙区制導入に積極的だったのも頷ける。その効果のほどをよく知っている割には政党を作っては壊し作っては壊し続けてとうとう一けた台の政党を率いるまでに落ちぶれた政治感覚のなさはどういうことか?
 小沢一郎の「人徳のなさ」については定評があるが,それは親分・田中角栄の慕われっぷり,人たらしっぷりとの対比として語られることが多い。本書はそんなウェットな人情論に満ち溢れた,角栄番として「朝日新聞のハヤノにおやじの人となりを聞いてから来てくれ」と秘書・早坂茂三から言われるほどの信頼を勝ち得た朝日新聞記者・早野透が書いた角栄の伝記である。
 早坂の本も読んだことがあるが,しかし戸川猪佐武といい,早野透といい,田中角栄について書くとなると,なんでまたこうもウェットな文章になるのだろうか。たぶんそれが角栄マジックという奴で,つまりは角栄の人心掌握術がそういう古臭い人情回線を刺激するものであり,そこに感激するタイプの書き手だったから,ということなんだろう。本書でも登場するアンチ田中角栄グループ「青嵐会」の一員であった石原慎太郎はそういう泥臭い感情がないようで,田中角栄は芸術というものを理解していない人間として描いている。まぁ分かるけど。
 昭和ロマン的な文章がちと鼻につくが,408ページと新書としては分厚い本書は,角栄の伝記としてよくまとまっている。巻末に挙げられている参考文献や年表だけでも価値の高いものであろう。戦前の軍国政策の一端を担った理研コンツェルンの仕事を受注することでのし上がった田中角栄は,戦後,新潟から立候補し,初回は落選の憂き目にあうが,2回目の選挙以降は順調に当選を重ね,ついには30万票を獲得するに至る。ロッキード裁判もなんのその,中央政界での影響力は人徳プラス政策提案・実現力,そして派手な政治資金のバラマキによって維持してきた。新潟の苦労人が佐藤栄作からもぎ取るように首相に上り詰め,闇将軍として君臨するに至る過程をウェットかつ怜悧な事実の積み重ねで語った本書は,現在のような政治状況で,ある意味で望まれている政治家像を考える上で貴重な材料を提供してくれるだろう。