小田原ドラゴン「今日も嫁が見つからない。」扶桑社

小田原ドラゴン「今日も嫁が見つからない。」扶桑社

[ Amazon ] ISBN 978-4^594-10338-5, \900+TAX

 五十路過ぎの男性の婚活記,1巻と銘打っているところを見れば明らかなように,いまだ嫁は見つかっておらず,以後続刊が期待できる。本人は真面目にやっているのかもしれないし,画風故のものなのかもしれないが,イマイチ真剣みが感じられず,諦観も漂いつつ,まぁいい人がいれば一緒になりたいなぁぐらいのぼんやりした願望しか伝わってこないあたり,読者としては今後の楽しみが増える未来しか見えないのである。

 婚活をテーマにした漫画を追いかけて幾星霜,現在のお気に入りは井原タクヤ「運命など存在しないので」1,2,3,4巻である。シビアだが有能な婚活アドバイザー・柏木が,老若男女の様々なシチュエーションに対して的確なアドバイスをビシバシかます様は婚活版ブラックジャックである。「私は一生懸命治そうとする患者が好きでねぇ」という名文句は医療であれ婚活であれ通じるものであり,主人公・柏木は結婚に真剣な顧客に対しては成婚に繋がるカンフル剤をストレートにぶつけてくる。「結婚はスペックの取引です」という容赦ない現実を認識しないことには,いつまで経っても薄甘いファンタジーにおぼれて老いさらばえるだけである。

 ・・・ということは本書でも結婚相談所に入会する時点で認識しているのではないかしら。掟ポルシェのアドバイスに対しても今一つ乗り気でない感じであるし,ネタ消化的な車中泊トラベル記は挟まるしで,エッセイ漫画としては大いに楽しめるんだけど,五十路過ぎのキモい親父が真剣に婚活を考える書としては,反面教師以上の意味は見いだせない。いや,そのうち電撃的に結婚しちゃうかもしれないけれど,そこに至る経路としては,正統的な婚活路線にはなっておらず,真面目に婚活を考える向きにはお勧めしかねるものなのである。

 いわゆるコミュ障で,パーティーでは壁の花が定番という,小田原ドラゴンのような人間の婚活には,なるあすくのエッセイ漫画(前編,後編)をお勧めしておく。結局は自分をよく見知った知人を介しての紹介が決め手になった幸運なケースではあるけれど,決め手は40台だったということだろう。50台は遅いと言わざるを得ない。

 結婚というものが人生と生活を共にするものである以上は,SEXもさることながら,まずはお互いの人生観のすり合わせが最重要なのである。どーせ還暦近づけば性欲も落ちてくるし,それよか老後の生活をイメージできるかどうかということであろう。金だけあっても紀州のドンファンが関の山である。

 ご本人,結構金もあるし,漫画家としての力量は本書も含めた作品を読めば一目瞭然であるからして,犬好きの中年女性の方は一度アプローチされてみてはいかがだろうか。DVするような人物ではないが,人生の伴侶としてはいささか心もとないところはありそうだけど,悪くないとは思うんだけどねぇ。次の展開を期待して2巻を待つことにしたい。

大島弓子「キャットニップ5巻(完結)」小学館,私屋カヲル「ブリちゃん日記2巻(完結)」竹書房

[ Amazon ] ISBN 978-4-09-389877-5, \1400+TAX

[ Amazon ] ISBN 978-4-8019-9502-4, \1500+TAX

 久しく出ていなかった大島弓子の猫エッセイ漫画,「キャットニップ」5巻がやっと出た・・・と思ったら完結ということで,つまりは本人なりの終活の一環ということらしい。あれだけ猫にまみれた生活を過ごしていながら,徐々に老いていく猫と自分,とうとう最後の2匹も昨年息を引き取ったとの由。猫のために住み慣れたマンションを売却し,今の一軒家に越して元の飼い猫から保護猫,たまぁに現れる野良とも交流しつつ,しっかり避妊させて自然に摂理に従って去って行く猫たち。完璧なまでの終活模様,おみそれしましたと言う他ない。簡素を極めた素朴な線はアートの領域に達しており,それでいてしっかり少女漫画テイストは生きており,可憐であり美しい。よき老後を送られんことを。

 ・・・じゃ,ずっと年若い私屋カヲルの猫漫画をこれからは楽しもうと2巻を買ってきたらこれで終いというじゃありませんか。あんまりだ,大島弓子御大の代わりを誰に求めればいいというのか,バツイチ独身女の酸いも甘いも嚙み締めて幾星霜,日がな一日がっつり猫と戯れる一戸建て生活を楽しめる漫画を,これからはどこに求めればいいというのか。デビュー時はあんな絵だったのにあれよあれよとエロくなり,欧米では危険書扱いされるレベルまで到達した表現力をもってして躍動感たっぷりの中年女の雄たけびを他のどこに求めればいいのか。まったく次の連載の当てがないなら同人誌でもいいから続けて欲しいモンである。

 以上,夏休みの終わりに猫エッセイ漫画2冊も終わってしまってシオシオのパーになってしまった五十路男の愚痴でありました。

岡野原大輔「ヒトとAI」岩波新書

岡野原大輔「ヒトとAI」岩波書店

[ Amazon ] ISBN 978-4-00-432122-4, \940+TAX

 2026年9月13日(日) 20時現在でAmazon Kindleストア282位(コンピュータ分野 1位),書籍104位(IT分野 2位),この時点で最も売れている岩波新書である。AIを構築するための中核的なプロセッサを含むSoCを開発しているPreferred Network社の創業者・社長であり,日本のAIを引っ張る大役を担っている第一人者が,AIの中身を人間の知性と対比しつつ,AIが世界を席巻し我々の日常生活を覆いつつある現在,何を人間が担い,何をAIに任せるのか,読みやすい短文を積み重ねた短い28章で語っている。Claudeがどうの,ChatGPTが賢くなっただの,Kimi3を含む中華AIのコストの安さは驚異的だの,そーゆー目先のことではなく,根本的な原理と人間が構築してきた社会制度を踏まえた怜悧な分析が冴える本書は,AIに右往左往している我々が今こそ読むべき新書と言える。

 まーしかし2025年から2026年にかけての,LLM(Large Language Model)に代表される生成AIの進化は恐ろしいものがある。昨年早々にはChatGPTとGeminiを有料課金する最低ラインのところで使っていたのだが,正直,卒研生並みの能力しかなかった。具体的に言うと,論文に記述してあるアルゴリズムを読み取ってプログラムに起こすことはまともにできなかったし,せいぜいワシが書いたコードを機械的に書き換える程度のことしかできず,しかも結構つまらんミスをして気が付きもしないレベル。それでもまぁ目も肩もくたびれてきて,ぼちぼち人生黄昏時で根気も集中力もなくなってきた年寄り仕事の補助ができればいいか,ぐらいに考えていた。
 それがどうであろう,Claude Codeを導入し,Vibeコーディングのための研究費をつぎ込んでMaxプランを本格的に導入したのが本年3月。コーポレートカードの支払いは新年度からだから4月支払い分は自腹を切ったのだが,ちょっとびっくりするほど役に立つ・・・どころか,ワシがかつて3か月格闘した挙句に移植を諦めたライブラリのCUDA化を,悪戦苦闘しながらも成し遂げてしまったではないか。あろうことかベンチマークテストまで自動的にPythonコードを書いてサクサク進め,「あれとこれに載っている論文のアルゴリズムを起こして比較して」という漠然としたプロンプトにも的確に対応し,翻訳調ではあるが完璧なTeXレポートを仕上げてきたではないか。ワシは興奮していそいそとまとめてarXivにぶん投げつつ,ちょっとレベルの高い国際会議にも投稿した。残念ながら国際会議は3名の査読者のうち1名から難癖としか思えないrejectを食らって落ちてしまったが,1名はプラマイゼロ,1名はWeak acceptという評価をもらった。つまりは「筋は悪くない」のである。
 その後は今まであきらめていた題材を次々にClaude Codeに投げ込みつつ,ChatGPTやGeminiも併用してあれとこれをarXivに投げ込み,あまつさえ,arXivの投稿制限を超えて入りきらなかったそれとそれとそれも書いてしまったのである。どれもこれもワシ単独では到底こんな短時間ではできず,Claude Codeのパワーのおかげで仕上がったものである。そのうち一本は情報処理学会論文誌採録が決定している。今も,2本ばかり準備が終わったネタがあり,これから3月に発表と投稿を控えるテーマについても下調べと基本ベンチマークは終わっており,おそらくはワシの研究者人生において最高の査読論文・査読国際会議採録数になること間違いないのである。せいぜい卒研生並みの能力しかなかったAIが,ClaudeでいえばOpus 4.8あたりでポスドクの博士ぐらいの能力を持つに至ったと言える。

 まさに生成AI様様なのであるが,いざ使ってみると,うまく活用するためには人間によるディレクションが不可欠であることも事実である。本書の第4章「AIは継続学習が苦手」でも述べられているが,一度やった仕事を完璧に忘れているのである。それどころか,レポートをまとめながら進めてきた仕事でも,最初に指示したことをすっかり忘れて間違い仕事を繰り返したり,小改良で済むところを一からやり直したりと,究極的な鳥頭なのである。これが人間相手なら「おまえなぁ,何回同じことを言わせるんじゃ」と愚痴の一つや二つや出てくるが,記憶力のないAIにそんなこと言っても仕方がない。こちらでも自衛のため,いったん区切る仕事は必ずTeXレポートを記述させ,次に開始するときにはそれを読み直せば記憶を呼び起こすことができるようにしておかねばならない。

 さらに厄介なのはAIには感情がないということである。つまりは仕事に対する動機付けがないのだ。人間ならば,出世したい,そのためには業績を上げたい,論文を書かねばならない,論文執筆のためには研究せねばならない,みたいな,つまりは行動の動機となるアカラサマな欲望が必ずあるものだが,それはAIには期待できない。欲望を駆動する感情があってこその人間であり,「何を記憶し,何を忘れ,どのように行動するかを強く規定」(第12章「感情」, P.86)するのも感情がなせる業なのだが,そこがAIには決定的に欠けている。逆に言えば,全知全能の神みたいなAGI(Artificial General Intelligence, 汎用人工知能)に到達するための一里塚として,何らかの感情的な駆動装置を発明する必要があると言える。最近の研究ではどうもその萌芽のようなものがあるとの報告も上がっており,これはこれでちょっと怖い状況であるが,にしてもワシも含むAIの能力に魅了された人間がこの便利なツールを手放すわけもなく,世界中の電気を食いつくすまではAI能力向上競争が止まることはないのであろう。

 著者は既に科学を支える基盤としてのAIについての考察をまとめてしまっているらしく,東京化学同人から「AI計算科学:表現・推論・探索による計算科学の再編」が11月に出るらしい。全く東大・松尾研出身者の馬力の高さは恐ろしいほどである。ワシ自身がAIに駆動されながら論文作成に邁進しているぐらいだから,もう学術界の,特にコンピューティングに依存するところは「AI計算科学」に染まりつつあるのだ。本書はその土台となる基盤技術,人間社会のありようとAIとの協調をどこに求めるのか,AIの導出した結果の責任の取り方を考える基礎教養書になること間違いないのである。

永田礼路「まどいのいきもの」1巻,小学館

永田礼路「まどいのいきもの」1巻,小学館

[ Amazon ] ISBN 978-4-09-8638246

 大体,国家資格である医師免許を持って居ながらにして,歌人になったり作家になったり漫画家になったりソフトウェア作ったりという人種がいること自体,人間の持つエネルギーや能力は不平等極まりないなということを痛感させられるのである。古くは斎藤茂吉から始まって息子の北杜夫,渡辺淳一,手塚治虫という超ビッグネーム迄居る始末。困ったことに,医療は自然科学から人間心理学から社会学までネタの宝庫であるから意欲さえあれば書く材料には事欠かない。エッセイ漫画から重厚な人間ドラマまで幅広の題材が選べるだけに,読者としては楽しみが多くなるわけだが,SF畑出身(?)の永田礼路はファンタジー路線の上に「ロン先生の虫眼鏡」とか岡崎二郎的な生物学蘊蓄を載せる方向で連載を持つに至り,今回めでたく商業単行本を刊行することができたのである。

 著者の永田がどういう遍歴を経て医者兼漫画家なったのかということを知りたければ著者のエッセイ漫画(前編,後編)を読むのが良い。最近ではベテラン漫画家が自分の人生を振り返った作品を描くことが多いが,割と若いうちに,というか,まだまだ現役真っ最中でまだキャリアの半分ぐらいじゃないのという向きも,一息つきたいということなのか,はたまたこれからを見据えてということなのか,来し方を振り返った漫画を描いたりすることがある。古くはとり・みきの「あしたのために」というギャグエッセイ漫画があったが,やっぱりキャリアの合間にヒマができたりするとその手の吐露をしたくなるのかなと勝手に想像しているのである。

 永田の場合,手塚ほど漫画にのめりこんでそっちを本業にしたというほどではないにしろ,本業と並行してのデッサン教室通いをしたり,出版社に持ち込みしたり,同人誌を作ったりと,かなり漫画の方にも気合いを入れて取り組んだようである。そのせいか,画風はオーソドックスながらも画力は高く,それでいて上品なユーモアを醸し出しているあたり,ワシの好みの一端とフィットしている。もうちっとエロいと個人的には嬉しいのだが,そのあたりは教養が邪魔しているのか,正直前作はう~んという感じであったが,本作は自然体でオチの効いた読み切り短編としてまとまっており,しかも一口メモ的な生医学的エッセイ付き。エンターテインメントだけでは物足りない小うるさいオタク気質の読み手にはお勧めできるものとなっている。それでいて通底するSFミステリー的伏線を感じさせるところもあり,打ち切りになっちゃった過去作よりも良い着地になることを願っている・・・いやまぁ続きは同人でという手もあるんだけど,正直,売り上げと読者からの反応を気にする編集者が関わらない作品には「ゆるい」感じが付きまとうことが多くて,個人的には好んでも人様にはイマイチ勧めづらいところがあるのだ。いや,これは理工学書を書いた経験しかないワシも痛感するところで,好き勝手書いたものよりは読み手を気にした記述が多い方が格段に良いものになっていること間違いないのである。

 とゆーことで,2巻以降が紙媒体で出るかどうかは不明なれど,電書であっても商業連載作品としては一定の面白さを保つためにも続いて欲しいと願っている。胡乱な学者タイプの医者と謎な女性(?)看護師が紡ぐSFショートショートっぽいテイスト,今となっては天然記念物的希少価値のある作品なのである。

ゆうきまさみ「新九郎、奔る!」22巻,小学館

ゆうきまさみ「新九郎、奔る!」22巻,小学館

[ Amazon ] ISBN 978-4-09-86385704, \750+TAX

 2026年4月25日(土)から同年6月7日(日)まで,静岡市歴史博物館にて没後500年を記念して「戦国大名 今川氏親」企画展を催している。連載中の作品の主要人物である「龍王丸(氏親の幼名)」が展示の主ということもあって,著者も訪れたようである。本作品を愛読しているワシも会期終了2週前に400円支払って神さん共々身銭払って見てきたわけだが,なるほど料金に相応しい分量の見ごたえがある展示であり,まだ元服前で未だに虫取りに興じている龍王丸の立派な業績を知り,「(母親・北川殿と叔父・伊勢新九郎盛時の助力があってのことであれど)ご立派になられて」と感慨に耽ったのであった。
 今川氏というと,氏親の息子・義元が桶狭間で織田信長に首を取られた貴族まがいの間抜けという印象がいまだに根強いようだが,氏親の時代に駿府から遠江まで,つまり伊豆半島を除く,今の静岡県を版図とする大身の戦国大名になり,義元時代には氏親時代に足がかりを作っていた三河から尾張に進出するまでに至ったのだから,なかなかのご一家だったのである。とはいえ桶狭間の前からしばしば当主が不慮の死を遂げる癖があり,氏親の父親・義忠しかり,氏親の長男・氏輝は家督を継いで間もなくよく分からん死に方をするし,義元しかり。戦国大名あるあるなのかもしれんが,にしても,まとまりに欠けるところは否めない。その点,本作の主人公・新九郎が創始した北条5代は割とスムーズに本家の継承が行われ,伊豆半島を根城に,ごたごた続きだった関東一円を納めるに至った訳で,後ろ盾の今川家や,もっとゴタゴタ続きの足利将軍家の威光を笠にしたとはいえ,反面教師的にも学習した結果としか思えんのである。

 作家がベテラン期以降になると時代小説を書くようになるという傾向があるが,ゆうきまさみがその路線を踏むとは思わなかった。とはいえ,パトレイバー以降はちょっと厳しいかなという感じがあり,もちろん少年誌から青年誌に移ったことも影響しているとは思うが,程の良い作品ではあるものの,ごっつり骨太のストーリーを堪能できる作品が,少なくともワシ的には無かったのである。もちろん,一定レベル以上に面白いから一定数以上の読者は付いてくるだろうし,短めの連載か読み切り主体の作品でボチボチやっていくのかなと思っていたところに本作がドッカーンとやってきたのであるからビックらこいたのである。しかも導入から後の展開を知らしめるべく,伊豆公方・足利茶々丸の館襲撃から始まっているからこれは楽しみ,一巻から紙の単行本で買いましょうと付き合い始めたのが運のツキ,まさか22巻になるまで引っ張るとは思わなんだ。

 幕末を描くべく関ケ原から始めて結局完結しなかった「風雲児たち」ほどではないとはいえ,漫画家のロングスパンの構想に延々付き合ってくれるほど,商業漫画の世界は甘くなかろう。ゆうきほどのベテランだって例外ではなく,特に紙需要がひっ迫し,コストアップが急激になっている昨今,部数の出ない作品を単行本にまとめて印刷してくれるお人好し出版社は存在しない。それを見越してのことなのかどうか,ゆうきは延々と伊勢家の傍流で堅物ながらも将軍の近習にまで出世してコケてしまった新九郎の周囲の状況を,京都や関東の政情までしっかり大河ドラマ的な解説を交えながら22巻に渡って語り続けたのである。この構想力もさることながら,人気を維持するだけのストーリーテリングの旨さ,そしてこの新九郎という人物の魅力がなせる業なのであろう。もうここまで引っ張ってきたゆうきまさみの力量に感服せざるを得ないのである。

 何はともあれ,第一話の冒頭で描かれたように新九郎は伊豆を手中に収める過程に入った。龍王丸・氏親のサポート役として活躍しながら,よく知る地名が随所に出てくる上に,京都にほど近い所で仕事を得たワシとしては,偶然ながらもうってつけの作品になりつつある。この先まだまだ長いはずであるが,まずは長大歴史漫画の先人・みなもと太郎のように未完で終わることがないように健康に留意されて作品を綴って欲しいと切に願う次第である。