夏目にーに「夏目にーに短編集5 底辺画家はどう生きるか: コロナ禍画家が2年間もがいた記録漫画」Amazon Kindle,あららぎ菜名「東京藝大ものがたり」飛鳥新社,原作・二宮敦人,漫画・土岐蔦子「最後の秘境 東京藝大 全4巻」新潮社

夏目にーに「夏目にーに短編集5 底辺画家はどう生きるか: コロナ禍画家が2年間もがいた記録漫画」Amazon Kindle,\0
あららぎ菜名「東京藝大ものがたり」飛鳥新社,\1200,Kindle版
原作・二宮敦人,漫画・土岐蔦子「最後の秘境 東京藝大 全4巻」新潮社, Kindle版

 年の瀬に何か一冊ぐらいはレビューをしたいなと思っていながらとうとう年の瀬,どん詰まりの大つごもり。ということで,今までやろうやろうと思ってできなかったアーティスト実録漫画を一気に紹介することとしたい。

 きっかけは夏目にーにのエッセイ漫画である。最近すっかりひ弱になって,Xのおすすめポストを抵抗することなくぼーっと眺めていたら出てきたエッセイ漫画,さすが現役画家だけあって,しりあがり寿クラスのセンスの良い,白い画面をすさまじく疾走する筆者が主人公のエッセイ漫画である。本書の内容を一言でいえば,ステータスを上げるべく,高校の美術教員として日々忙しく過ごしながらも空き時間を芸術活動に捧げつつ,成果が出たり出なかったりに一喜一憂する日常を描いている。最近はXでちょいと社会的地位の高そうな方々にかみつく愚かで暇な中高老年らしきアカウントが跋扈しているが,あの手の叫びは自己充足できず世間からの承認を得られない不満が転じたジェラ心が駆動しているだけであるからして,ミュートするなりブロックするなり,場合によっては自分のアカウントを一定時間鍵かけておくなりして無視してやり過ごしておくに限る。要は,オタク的成熟を経ていないだけの話であるからして,自分が愚かな中高老年バカッターになりたくなければ,自分が楽しいと思える,それでいて少しはごく近い人間関係を円満にする活動に身を置いて活躍すればよろしいのである。この点,夏目にーにがタダでAmazonより提供しているこの巻は,みっともない中高老年にならないよう,良き見本として大いに役立つものである。年寄りはかくありたい。

 それにしても,芸術活動というものも残酷なものである。世間的評価によって成果ははっきり出る。一定の成功を収めるにはもちろん,本人の営業的努力は必要であろうけれど,それ以前にアート的な価値というものの理解がアーティスト自身に存在していないと話にならんのだろう。問題はその「アート的な価値」というものがワシみたいな門外漢には分かったようでいて分からん代物であることだ。専門家に聞く限りは,ある程度は教育で「アートな価値観」とテクニックを収められるものらしいが,それにしても土台となるその価値を理解できるセンスがなければ,学んだテクニックをもってしてもアートに昇華する作品を作ることは不可能であろう。そういう残酷なチャレンジを,日本国における最高のアーティストを輩出する東京藝術大学(東京藝大)では,入試という最初の関門で20前後の若者に課しているわけである。ということで,今時地方私大なら名前を書けば誰でも入ることができる時代に,あららぎ菜名は3浪(1回目×,2回目×,3回目で合格)して最高芸術学府に入学できたという次第である。そのつまびらかな過程は本書を読んで頂くとして,要はアーティストの基礎教養=センスを磨きながらのテクニック向上(デッサン,デザインなど)をみっちりと入学前に叩き込んでおく必要がある,ということはワシでも理解できた。高校在学中からの3年間の葛藤,なかなか読んでいて胃が痛くなるが,易化する大学入試においては年内合格が当たり前のこのご時世に,この恐ろしく過酷な受験というものが持つ意味を考えるには良いエッセイ漫画である。

 とはいえ,じゃぁ入学してからのアーティスト修養生活はいかなるものか?という疑問は残ったままだ。この点,本来ならあららぎに描いてほしいところ,今のところ続刊はないようなので,二宮敦人の夫人(東京藝大・彫刻科・1浪)を媒介としたエッセイをもとに漫画化した本書を読むことをお勧めする。もちろん原作を読んでおけばいいんだろうが,やっぱり芸術であるからして,漫画で説明してもらった方がビビットにその生態が伝わってこようというものである。で,全4巻読んだ感想としては,センスのある生物的タフネスさが,アーティストとして一番の成功ポイントなんだろうなという,当たり前の結論である。なーんだ,結局,「性懲りもなく悩みながらも継続すること」これ以外に充実する人生ってあり得ないんだなと。営業サラリーマンであろうと,プログラミングで四苦八苦するSEであろうと,研究に日常思考を捧げちゃった学者先生であろうと,「やたらめったら動き回るしかない」(水木しげる「新選組」から)のである。

 以上,アートにまつわる3つの作品を読み返して年の瀬に思うことは,来年もまた頑張ろう,それだけであり,毎年同じことを繰り返して日が暮れていくのをしみじみ嚙み締めつつ,後半戦に突入した我が人生を堪能していきたいものである。

細野不二彦「1978年のまんが虫」小学館

1978年のまんが虫

[ Amazon ] ISBN 978-4-09-861558-2, ¥1480

 ベテラン漫画家による自伝漫画が続々と出版される昨今である。こちとら「ドラえもん」6巻を親に買って貰って以来の筋金入りの漫画読みであるから、慣れ親しんだ漫画家先生の自伝となれば即買いである。手元には既に矢口高雄、ちばてつや、車田正美、藤子不二雄A、小林まこと・・・と、既に鬼籍に入った方からまだまだ現役の方まで入手済みである。
 とはいえ、全部が全部傑作かというとそうでもなかったりする。なるほど、作者の主観についてはしっかり描かれてはいるものの、自分を客観視できる突き放した視点が欠けていると、今一つ面白みを感じないのがワシなので、その当時の社会・経済・漫画界の状況の説明は、自伝漫画にどうしても欲しいものなのである。
 ということで、細野不二彦によるこの「デビュー直前・漫画家細野の青春とその決別の時期」を描いた本作は、1978年当時の熱いSF業界や、ジャンプからサンデーへのラブコメ路線が花開く時期の漫画業界のことがしっかり解説されており、ワシみたいな当時を知っている五十路以上の人間には懐かしく、もっと若い読者には新鮮な驚きを持って伝わりやすい傑作自伝になっていると断言できるのである。

 細野不二彦にはデビュー作が2作ある。一つは「スタジオぬえ」社長・高千穂遙原作の「クラッシャー・ジョウ」の漫画化作品、もう一つはその後、本作の最後の最後に登場する少年サンデー掲載作「恋のプリズナー」である。本書によれば,前者,つまり一作目の出来に今一つ細野自身が納得できず、世評もパッとしなかったので、社長命令で第一作のコレを持って出版社への持ち込みを強要され、最終的には小学館に拾ってもらって書き上げたのが後者、つまりに二番目の実質的なデビュー作となったものであるらしい。本作ではその辺りの事情が、丘の上大学(慶應義塾大学)の学生として、先輩や同輩の才能と日常の充実っぷりに当てられながらも漫画家としての技量を高めていく様が、本作・主人公の汗に象徴される焦燥感と共に描かれている。
 そう、細野不二彦と言えば、荒っぽいが生々しい描線と共に、ムンムンと熱を発する汗と涙に代表される体液が特徴的な漫画家なのである。ワシが面白さを認識したのはアニメ化された「さすがの猿飛」で、石ノ森章太郎チックな描線の荒さが気になりつつも、ムッチリした主人公と、エロかわいいヒロインに魅せられながら単行本を楽しんでいた記憶がある。既にその頃には独特の画風を確立しており、本作で高千穂社長から「永井豪の真似」と散々な言われようだったタッチからは完全に脱皮していたのだ。

 安定したライフワークとなった「ギャラリーフェイク」をはじめとする多数の作品を紡いできたベテラン漫画家をして、デビュー直前の悪戦苦闘ぶりは、ぬくぬくとした自己充足的モラトリアムから脱するためには、近しい肉親や友人の死という生のリアル感と、キャリアを積んだ先輩社会人からの客観的視点からの批評が不可欠であることを改めて認識されられる。何者でもない時代のヒリヒリ感は、五十路のワシでも忘れられない苦い記憶と共に今も自分の中にある。年寄りはそのような「青春の思い出」として、現在進行形でもがいている若者には一つの処方箋として「試行錯誤の先に道が見えてくる」という、当事者にとっては「適当なことを抜かすな!」と言いたくなる、しかしジタバタした足掻が一番重要であることを突きつけてくれる、傑作自伝であること間違いないのである。

佐藤賢一「シャルル・ドゥ・ゴール」角川ソフィア文庫

[ Amazon ] ISBN 978-4-04-400732-4, \1240 + TAX

 フレデリック・フォーサイスの「ジャッカルの日」()は,最初,原作の翻訳を夢中になって読んだものである。その後,長じて映画も見たが,これもひたすら渋い作りで,原作のフランス警察警部がコロンボの如くパッとしない中年親父にも関わらず,ジリジリとターゲットのド・ゴール仏大統領の暗殺を狙う冷酷な犯人を地道に追いかけていく。派手な音楽もなく,クライマックスの暗殺実行シーンもあっさり終わり,それがまたひたすらリアルで寂しさも感じさせるあたり,こういうのが大人の映画だなと勝手に決めつけているのである。
 とはいえ,原作を読んでも映画を見ても,今ひとつ腑に落ちなかったのは,このシャルル・ド・ゴールという年老いた背の高い大統領がなぜこうも執拗に命を狙われるのか,その理由である。もちろん,原作では説明があり,アルジェリア独立を認める大統領の政治決断に対して反発する政治勢力がテロを敢行している,ということであったが,そもそも「アルジェリア独立」がどれほどの衝撃をフランスにもたらしたのか,その辺りの時代背景を知る由もないワシの胃の腑には落ちてこなかったのである。
 そんなワシにとって本書はピッタリの参考書であった。第2次世界大戦ではフランス国土の半分がナチスドイツの支配下に抑えられ,もう半分もペタン傀儡政権がかろうじて存続しているだけということはぼんやりとは知っていたが,ド・ゴール将軍がイギリスに渡って自由政府を立ち上げて大戦末期にレジスタンスや連合軍と協力しながらフランスの解放を行い,かろうじて「戦勝国」の地位につき,国連の常任理事国の一席を占めるに至ったという経緯の詳細は本書を読むまで全く不案内であった。その後のフランス植民地の独立の機運の高まりでにっちもさっちも行かなくなったフランス政界にカムバックした救国の英雄は,大統領の権限を高めた第5共和政を立ち上げて,単なる植民地とは言い難いほど関係を深めていたアルジェリアの独立を認めるに至る。この辺の詳細は第9章「アルジェリア問題」に詳しい。なるほど,これだけ本国からの移民が深く根ざしたアルジェリア社会を切り離すのは相当な力技が必要になるなと,著者の圧倒的な筆力に唸りながら納得するに至ったのである。そりゃまぁ,反対する側としては暗殺したくもなろうというものである。

 本書は「フランス」を骨身に染みて体現していると自負している救国の将軍の生い立ちから,長年住み続けたコロンべ・デ・ドゥー・ゼグリーズに若くして死んだ娘と共に葬られるまで,過不足なく時代背景や政治状況を繰り込みながら巧みにその人生を詳述している。正直,直木賞作家なんだからフツーに角川文庫に入れてもよかろうと思ったもんだが,あんまし売れないと思われたのか,お堅い学術文庫に収められてしまった。とはいえ,鹿島茂も講談社学術文庫に納められちゃうし,学術的価値があるとなればお高めの価格で販売される所に入っちゃうのも仕方ないのかもしらん。

 とゆーことで,近寄りがたいソフィア文庫ではあるが,本書は愛国的熱血将校のフランス救国物語であるからして,安心してワクワク楽しんで読める。年末年始のお供としてふさわしい良書である。「ジャッカルの日」に連なる長年の疑問を解消できたワシからもお勧めしておく次第であります。

立川談四楼「文字助のはなし」筑摩書房,山本おさむ・宮部嘉光(原作)「父を焼く」小学館

「文字助のはなし」[ Amazon ] ISBN 978-4-480-81868-3, ¥1700 + TAX
「父を焼く」[ Amazon ] ISBN 978-4-09-861503-2, ¥1287

 戸田書店静岡本店が撤退して以来、静岡市中心部に残る大規模書店は丸善・ジュンク堂静岡店しか無くなってしまった。しかもウィークデーには営業時間内に帰宅することはほぼ出来ない上、ここんとこ土日に出勤する行事が多く、今週末は久々に林立する本棚を渉猟することができ、諭吉を一人行方知れずにしてしまった。今回はその中でとても共感できた二冊を取り上げることにする。

 ワシはまごうことなき「凡人」である。
 「凡人」とは何か。その定義は「偉人」が成し得たことを悉く否定すれば事足りる。
 「粘り強く努力を「しない」」、「他人とのコミュニケーションを円滑に保つ努力を「怠る」」、「健康的な食生活を「心がけない」」、「日々情報収集に「努めない」」・・・ほら簡単でしょ。「やればできる」と思い込むことで日々の研鑽をちょっとずつ先延ばしし、イタズラに年を重ねて気がつきゃ定年までカウントダウンの年齢だ。自律的な努力をしないから、たまにやってくる幸運を掴んだとしても維持できない。せいぜい組織内で出世しないまでも自分や家族を養うだけの食い扶持を維持するだけが関の山。これが凡人であり、世の中の過半数はかような凡人によって構成されているのである。
 立川談四楼が描く兄弟子の桂文字助、宮部嘉光原作を山本おさむが無骨に描く飲んだくれの父親、大成できずに周囲に迷惑をかけまくる凡人として終わったこの二人の人生を描いた二冊は、凡人たるワシにこの上ない「納得感」をもたらしてくれた良作なのである。

 まずは桂文字助の方から触れていこう。ワシは立川談四楼師匠のツイートが好きでリストに登録してあるのだが、いつ頃からかこのダメな兄弟子についてのツイートが楽しみになっていたのである。「文字助のはなし」はそれをベースに書き下ろしエッセイとして出版されたものかと思いきや、読んでみると断片的なツイートだけでは追いきれない、ダメさの裏に隠れた事情を活写する記述の方がずっと多く、文字助関連ツイートは刺身のツマ的なアクセントに収まってしまっている。可愛がられていた築地の贔屓筋からも、「名人」と呼ばれた人格者のファンからも、そして妻子からも見放された真の事情は弟弟子からも詳らかにできていないが、結果として自らを反省することなく自己を貫いた結果、晩年にチミッとTVに引っ張り出された以外は、たいして売れない落語家,すなわち「凡人」としてその一生を老人介護施設で終えた。
 それでも,エビデンスには欠けるものの,「替わり目」の旦那の独り言のような推論を含む総括、これが本書の一番の読みどころであり,そこで一応の事情説明らしきものは行われている。よってワシの感想は下記の通りと相成った。

 もう一人の凡人である飲んだくれのDV父を、息子の視点から描いた一冊が「父を焼く」だ。父親を描いた傑作としては谷口ジローの「父の暦」があるが、こちらは実母と離婚した実父とのちょっとミスコミュニケーションを葬儀の場で解消する、穏やかな物語である。何よりこの父親は、親類縁者から信頼される誠実な理髪師として人生を全うした「偉人」なのである。
 山本おさむが無骨に描くこの父親は真反対のダメな「凡人」である。事故により目に障害を負った事は気の毒で同情はするが、子をなすに至った妻に酔っ払って暴力を振るうに至っては全く擁護の余地はない。息子がまともに成長し、鎹としてこの夫婦を繋ぎ止めた結果、親類縁者からはそっぽ向かれつつも別れずに生涯を終えることができたのだから、犯罪者にならずにすんだ凡人であることは間違いない。最期は孤独死して蠅に塗れて発見されたのもムベなるかな、息子が駆けつけて泣いてくれただけでも幸せである。
 それにしても、この読了後に押し寄せてくる納得感を伴うやるせなさは堪らない。読者たるワシの凡人力が感応しているとしか思えない。表紙に描かれた父の顔は腐敗してしまい、漫画本編で描かれる葬儀の場では見られないが、凡人が最期にたどり着いた安寧を表現しているように思える。

 親鸞が唱えるところの「悪人正機」の一端に触れたような気がするこの二冊、凡人としてはもう少しできる努力ぐらいはしておこうかという気にはさせられる一方、まぁこのまま終わってもいいんじゃないという妙な達観も降ってきた。大多数の凡人のサンプルとして、良質な記述と表現を堪能しながら、大いに共感と反省と憐憫を慈しみたい。

呉座勇一「頼朝と義時」講談社現代新書

呉座勇一「頼朝と義時」講談社現代新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-06-526105-7, ¥1000+TAX

 昨年(2021年)はTwitterでお騒がせの著者であるが、歴史学の王道を踏み外さず、陰謀論を毛ほども寄せ付けない堅実な書きっぷりは前作と変わらず清々しい一冊である。本年(2022年)のNHK大河ドラマが始まる前に予習しておこうと購入したのだが、大筋は「吾妻鏡」に添いながらも、北条執権寄りな記述が多いことに留意し,批判を忘れない姿勢には凛としたものを感じた。ワシは竹宮惠子の漫画で大体この時代の流れは掴んでいたつもりだが、より深い政治的洞察を盛り込んだ本書の記述はそれを補って余りある。

 平清盛が確立した平氏政権から、源頼朝と北条一族らが打ち立てた鎌倉幕府が成立し、承久の乱を経て朝廷をコントロールできるようになるまでの歴史の流れは、中学校の歴史を学んだ日本人ならば大体頭に入っているはずである。とは言え、通り一遍の年表的な知識以上の人間臭い要素は、平家物語ほか、歴史を土台とした漫画、アニメ、ドラマ、映画、そして本書のようなコンパクトな新書から得るのが普通だろう。ワシの場合、前述した竹宮惠子作品に加えて、「平清盛」のような大河ドラマから共感できるリアルな臭いを吸収し、頭の中の歴史年表に人間的要素を肉付けして現在に至っている。そのせいで、ワシの理解にはリアルな政治的骨格に欠けるところがあり、その点は呉座勇一に随分助けられた。

 例えば、木曾義仲が一時台頭して京都を頼朝より早くに抑えたことについては、元々、以仁王の令旨に呼応した日本各地の武士団、特に源氏系統のグループが個々に活動を始めていて、頼朝はその一派に過ぎず、各グループ間の争いの中で起きたものだというという解説には感心させられた。そういう重要な補助線を随所で引いてくれることで、ワシみたいな政治にウブなオヤジの脳みそにも染み入る記述が可能になったのだろう。

 頼朝から頼家・実朝までの3代で源氏将軍が絶えたことも、北条時政・義時・政子の陰謀とは考え難く、偶然の賜物に過ぎず、むしろ偶然のイベントに対して政治的に無理のない解決策を模索してきた結果であるとのこと。勿論、頼朝亡き後の「鎌倉殿の13人」の中では、未亡人である尼将軍・政子の後ろ盾があった北条一族が有利であったことは間違いないが、源氏将軍を意図的に滅ぼすメリットはない、という解説には唸らされた。実朝暗殺時に、本来であれば側についてた筈の義時がその直前に退いて源仲章に交代したことも偶然で、陰謀の証と考える必要はないと断じている。へぇ〜である。

 本書ではかように陰謀論を徹底して退け、複数の資料や研究者の論考を比較検討しながら、最も学問的に妥当な結論を導き出すという姿勢が貫かれている。勿論、血沸き肉踊る歴史活劇を目指した書物の存在は重要ではあるが、嘘が蔓延するようでは困る。呉座のように、アカデミックな正しさを第一としながらも、歴史が持つ生の面白さを活写できる書き手は貴重であり、今後もSNSなんぞは適当にあしらいながら、長く活躍してもらいたいものである。