
[ Amazon ] ISBN 978-4-10-314537-0, \1650+TAX
筒井康隆の小説において,豪勢な料理が出るごとに詳細かつ見たことも聞いたこともないメニューがずらずらと列挙されるようになったのはいつからだろうか? 夭折した息子(ワシと同学年)が挿画を描いた「聖痕」は,美しい主人公が美食に目覚めていく様が描かれるが,文中これでもかこれでもかというほどの迫力で料理名が押し寄せてくるのだ。不思議なもので,自分では食したことのないものでも,そのメニューを目で読むごとに唾液が出てくるのである。まったくもって旨そうであって,読者に対する飯テロに他ならない。幸いなことに,この度関西に縁あって職場を得ることになったので,とりあえずワシの収入でも破産せずに済みそうな「テアトロクチーナ」ぐらいは行ってみたいなと夢想する程度には洗脳されているのである。
本書では頸椎を痛めて以来,足元不如意となった著者が豪勢な老人ホームに入居してもなお,美食ツアーに精出す様が生き生きと描写されており,食欲がある限りはこの筆の勢いも健在なりやと,一ファンとしては歓喜せざるを得ないのである。
旨いものを食いたいのは人類の性であり,誰しも不味いものよりは旨いものを食いたいと願うのは当然である。我々は資本主義社会に生きている以上,旨さは値段に比例して増していくのはやむを得ず,という悟りは得ている。とはいえ年収三千万円もある大作家ならともかく,そんなに稼げていない一介のサラリーマンは自分の財布の中身と相談しながらの「最適化」を行う他ない。今ならSNSを通じてのグルメガイドが容易に入手できるから,スマホ片手にGPSも駆使してどんな狭い路地にある店でもたどり着くことが可能である。かくして,通常普通の庶民としては,できるだけ安く旨いものを食うべく,価格とうまさの最適化を行う「B級グルメ」に精出すことになる訳である。ま,たまぁあに小銭を貯めて5桁クラスの勘定を厭わずド高い所に行ったりすることもあるが,それは家庭内不和を軽減するための必要経費なのであって,滅多にできるものではない。故に,印税成金作家の美食の様を文章で堪能するのが,一塊の庶民読者の関の山なのである。
この大作家の美食ぶりは,本人の嗜好もあろうが,どうやら細君のためであるらしい。貢がれることは誰しも望むことであるが,高級スーパーである紀ノ國屋(文中ではKINOKUNIYA)で高級総菜をかき集めない限りはマトモな食事が取れないという事情も大きいようだ。また,息子の夭折の影響もあるようで,死後のエッセイでは「金なんて貯めても仕方ない」と浪費宣言していたりする。正直,これだけ日をあけずに一食〇万円台の飲食を続けていたら,いくら美食であっても飽きるだろうと心配になるが,この二つの要因を知っているツツイスト達は,鬼気迫るメニューの羅列にある種の安心と恍惚感を覚えるのである。
さすがにホームに入ってからは美食するといっても行動範囲が狭まってしまい,繰り返しになるのでこの辺でと美食日記は中締めと相成ったが,潤沢な印税が支える美食の渉猟は今も相変わらず続いているのだろう。その証拠に,新潮社の広報誌ではショートショート連載が2026年5月現在も続いている。執筆が行われている限り,食欲は滅していないということになる訳である。ということで,ワシも美食と執筆を支えるべく,本書を紙書籍で購入し,僅かながらも寄付をしたという次第である。・・・しかしやっぱり旨そうだなぁ。帝国ホテルはとても無理だが,紀ノ國屋ぐらいは漁ってみようかしらん。



