志摩時緒「あまあま」白泉社

[ Amazon ] ISBN 978-4-592-71039-4, \762
sweet_sweet_young_couples.jpg
 神さんが米をとぐ音を聞きながらこれを書いている。そーいや,一人暮らしの時には自分で何もかもやっていたから,家事を誰かに任せるつつ,自分は好きな事をやっているというシチュエーションは高校時代以来だなー・・・感慨深い。なるほどなぁ,結婚ってのは生活とイコールなんだなぁと,ごく当たり前の事を実感として理解しつつある昨今なのである。
 だから,というわけではないけれど,恋愛結婚がごく普通のことになってしまった昨今では,子供ができたりしない限りはいきなり籍を入れたりせず,結婚「生活」の助走期間としてお試し同棲する,というのは至極合理的な行動と言える。恋愛をおやつに例えれば,結婚は三度三度の食事ということになる。おやつとしては美味しくても食事としては成立しない,それが恋愛の恋愛たる本質であって,だからこそ長続きしないのが普通なのであろう。
 その恋愛の本質,つまり「あまあま」の所をピックアップして作品化したのが本作なのである。のっけから分かりやすいタイトルの漫画であるが,あまあま漫画祭りのスタートを飾る作品としてはこれ以上のモノはない。ストレートすぎるタイトルではあるが,しかし内実はしごく良く練られた恋愛対照(対称でもなく対象でもない)漫画なのである。
 表紙の二人のメガネカップルがメインキャラクターのこの漫画,単純に甘いだけの高校生カップルの物語かと思うと,実はその通りなのである。つーても,その「見せ方」は結構感心させられるのだ。アイスに醤油をかけて更に甘く感じさせる,つまり,正反対のカップルを対比させて甘さを更に増幅させる,というのではなく,アイスにクリームをかけてしまうのだ。甘いものに別種の甘さを加える,というところがワシの第一のおすすめポイントなのである。
 一番甘いのはメインキャラクターのメガネカップル・祐司と美咲であることは間違いない。この二人は「早咲き」であり,特に美咲の方が肉欲に溢れており,祐司を早々に「食って」しまったらしい。本作の第二のポイントはこの肉欲の高まり具合と,肉欲そのものを描かない「ずらし」にある。基本は定型的な四コマ漫画の体裁をとるが,所々で非定型のコマになるページが挟まる描き方をしている。その縛りの緩慢具合がまたいい味を醸し出しているのだ。
 そしてもう一つ加わる甘さ,それは早々に「出来ちゃった」祐司・美咲とは対照的に,これから告ってジワジワとタイミングを計りながら初々しく近接していく清純派カップル(未満かな?)高梨君と神崎さんである。会ったなりいきなり祐司を押し倒してしまう美咲とは真逆で,高梨君は手をつなぐ事も満足に出来ないチェリーボーイである。この甘酸っぱいところが,濃厚だが単純に甘い祐司・美咲とは別の味わいを出していて,その両方がモザイク状に絡む「構成」がいいのである。それ故,ダブルカップルによる「あま」+「あま」を描いている,という意味のタイトルなのかなぁとワシは勝手に思い込んでいるのである。
 そーいやワシは学生時代には肉感的な恋愛とは無縁で,せいぜい高梨君の二歩手前程度で終わっていたなぁ,と,別種の「甘酸っぱさ」を感じてしまったのは,ま,個人的なことなのでこのぐらいにしておいてやらぁ!(誰に向かって言っているのやら)

しりあがり寿「あの日からのマンガ」エンターブレイン

[ Amazon ] ISBN 978-4-04-727474-7, \650
From_3.11_to_our_future.jpg
 今年は何はさておき,東日本大震災と福島第一原発事故しかなかったという印象である。静岡県西部の揺れは大したことなく,体感的には震度2程度だった。しかしなかなか揺れが収まらない・・・なんか変だなぁ,などと職場の廊下で少し立ち話をしていたのを覚えている。その後,時間の経過とともに報道が盛んとなり,津波,原発,液状化の被害が段々と分かってきてからは,もう頭を抱えるしかない,ということになってしまった。直接地震と津波の被害を受けなかったワシら東海以西の西日本住民としては,特に原発事故の酷さと後遺症の深さに慄然とさせられた一年であった。
 では今年(2011年)は悲惨な大震災を除くと何もなかったか,というとそーでもない。かなり静岡限定ではあるが,今年はしりあがり寿をフィーバーする行事が,ゆるゆると開催され続けたのであった。ワシも知らなかったが,連れ合いに引っ張られて幾つかのやる気のない(?)展示物の見学にお付き合いしてきたのである。ことに,「しりあがり寿歴史館(笑)」は見応えがあった。ま,単なる汚い大学自体の下宿を現物で再現した部屋だったのだが,ワシよりちょうど10年上の世代,バブル前のビンボ臭い大学生の生活ぶりに親しみを覚えたものである。しかし,見物人は,週末にも関わらずワシら以外はゼロ。郷土の有名人(連れ合い談)なのにねぇと,少し寂しい気分になったが,イヤ待て,しりあがり寿のファンは東京に偏在しているせいだろうとワシは推理したのである。朝日新聞の夕刊で「地球防衛家のヒトビト」が連載されているとはいえ,大衆的な人気を得るに至っていないというのが今のしりあがり寿のステータスなのであろう。
 本書「あの日のマンガ」は,3.11以来描かれた,震災がらみのマンガを集めたコンパクトな作品集である。今年を象徴するマンガとして,様々なところで評価されているから,しりあがり寿の愛読者でない人にも結構読まれているのではないか。「地球防衛家」に加えて,マニアックなマンガ雑誌・コミックビームに掲載されたストーリーマンガ,小説宝石連載の「川下り双子のオヤジ」,TV Bros.掲載の一コママンガ「はなくそ時評」等をごた混ぜに収録しており,その連載媒体の幅広さに驚くとともに,しりあがりマンガの「振り幅の大きさ」を思い知らせてくれる作品集となっている。
 「振り幅の広さ」を言い換えると,芸術的困惑を覚えてしまい,感動の焦点を絞れない,ということを意味する。まぁ地球防衛家の4コマはまだスンナリ面白く読めるのだが,双子オヤジに登場する「ゲンパツ」という名の危険で四角い女とか,「希望」(←実際は×印)という,何とも素直に感動できない作品とか・・・困惑してしまうものがあるかと思いきや,「海辺の村」「震える街」というシリーズ,最後の「そらとみず」のように,ストレートに感動できる作品まで,振り幅が大きいとしか形容のしようが無いほどバラエティに富んでいるのである。この「振り幅の大きさ」がしりあがりの芸術的才能の大きさを示していると同時に,大衆的な人気に「壁」を作っている原因なのではないかと思えるのである。・・・ま,しりあがりにしてみれば,壁になっていようがいまいが,やりたいことをやり描きたいことを描くだけ,ということなんだろうが,その壁のせいで,郷土の星として静岡の有志が企画した展覧会がガランとしてしまうのはちと寂しいのである。
 とまれ,震災を描いた感動漫画集,と一言で纏めきれない幅広さが,すれっからしのマンガ読みには支持されたことは間違いない。逆に,本書を読んで戸惑った,しりあがり慣れしていない読者の方は,とてもいい「芸術的経験」をしたと言えるのではないか。それはしりあがりのデビュー作「エレキな春」以来付き合ってきたワシら年寄りにはもはや新鮮に味わうことの出来ない質の感情なのだから。

谷口ジロー・稲見一良(原作)「猟犬探偵① セント・メリーのリボン」集英社

[ Amazon ] ISBN 978-4-08-782400-1, 1000
saint_merry's_ribbon.jpg
 昨日(12/29),一通り年末の行事を済ませてホッとしたところで偏頭痛となり,余裕もあることから日がな一日ベッドでゴロ寝,積ん読となっていたマンガやら小説やらをつらつら読むことが出来たのである。
 で,その中の一冊,谷口ジローの新刊を読み進めていたら,ふと,登場人物の人生を語る,コントラストのきつい5ページを読み終える直前で不意に涙がこぼれてきたのである。まぁ,体調の悪い時に弱気になっていた,という事情が大きいとは思うが,それにしてもマンガを読んで泣いてしまうという体験は久しぶりで心地良かった。それは一重に,谷口ジローの卓抜な演出力のなせる技であり,そこにまんまと嵌まって背負い投げを食らったワシは,読者である幸せを感じていたのである。
 本書の原作である稲見一良の小説を読んだことはないので,原作がどの程度本作で改変されているのかは分からない。あとがきで谷口が風景・風俗描写を現代に合わせたということは述べているが,大方は原作通りなのではないかと推察される。谷口が惚れ込んで漫画化しようとしたからには,原作を大きく弄るはずがない。
 では,優れた原作をそのままなぞれば優れたマンガになるかと言えば,数々の原作付き失敗作を見れば分かる通り,そう簡単なことではない。脚本段階では良くても,監督の腕が悪ければ駄作に終わる。「演出」という仕事はそれほど難しく,作品そのものの出来を左右する重要な職人芸なのである。
 谷口ジローのマンガのすばらしさを今更ここに言を連ねて詳しく述べる必要は無いだろう。かっちりした描線に薄いスクリーントーンを重ねて爽やかな画面を構成し,物語に必要な要素を過不足なく全て絵に盛り込んでいる。ストーリー運びにはナレーションを効果的に使用しており,徒にページ数を稼ぐことなくコンパクトにまとめる。
 本作の場合,イチロー似の猟犬探偵・竜門の仕事の紹介を第一話の冒頭でさっと済ませ,様々な人物を絡ませつつ,タイトルである「セント・メリーのリボン」の意味が分かる最終話まで,そのストーリーの語り口の見事さはさすがだなぁと感服せざるを得ない。ワシがウルっときた,リチャードの半生を語った5ページは最終話の一つ手前に納められているものだが,アメリカで農園主として地道に生きてきた老人が突然伴侶を失ったことを語るコマは,畑の中で帽子を取って佇む老人を描いている。このあたりで,登場人物達の人生が重層的にストーリーに絡み,最終話の大団円を迎えるのだが,その重みを感じたからこその泣きだったのかなぁとワシは思うのである。
 原作が優れていても,ストーリーの運びのうまさに描写力が付随していなければ感動の量は確実に減る。谷口ジローは,この二つを統合した「演出力」が抜群なのである。とかくその画力だけが賞賛されることが多いようだが,その力を発揮できるストーリーがあってこそのものなのだ。この職人芸は,行き当たりばったりの事故的ストーリー展開だけでダラダラ巻数だけを稼ぐコミックス業界では希有なものだ。いい加減,商業的にはイマイチであっても,「まとめる」能力もなければ,新刊コミックスはブックオフに直行するだけである。本作はシリーズものとして続刊が予定されているが,この1冊で物語としては完結している。谷口の爽やかなカラー表紙に包まれた本書は,日本マンガの最高峰を象徴する一冊として永久保存して頂きたいものである。

速水螺旋人「大砲とスタンプ 1」講談社,同「靴ずれ戦線 魔女ワーシェンカの戦争 1」徳間書店

「大砲とスタンプ 1」 [ Amazon ] 978-4-06-387072-5, \562
「靴ずれ戦線 1」 [ Amazon ] 978-4-19-950281-1, \800
guns_and_stamps.jpg at_blister_front_witch_wershenka's_war.jpg
 休刊前のComicリュウに突如掲載されるようになった「ツレヅレメカコラム」で速水螺旋人の暖かみのある描線とみっちりつまった情報量のあるイラストに魅了されて以来,同人誌やイラスト集を読みあさってきたが,この年末にはとうとう2冊のマンガの単行本が出版され,しみじみ堪能したところである。
 しかし,改めて思うのだが,この人,ホントにひねているというのか,一筋縄ではいかないというのか,マニアックでコアなファン層以外には浸透しづらい特徴があることに気がついた。いや,もちろんこのみっちりつまった絵が苦手という人が多いということは当然としても,それ以上に,マンガのストーリー展開に癖があって,好きになる人はそこがたまらない魅力なんだが,普通のわくわくどきどきするストーリーを期待する大勢の方々には「肩すかし」が多いように思えるのだ。その肩すかし具合,実は速水の膨大な知識量がつぎ込まれた結果なのではないか,というのがワシの見立てなのだが,さてどうかしらね。
 まず,モーニングツーで連載されている「大砲とスタンプ」から見ていこう。スマートなデジタル機器なんて見当たらないアナログ的世界において,大公国と帝国の連合軍 vs. 共和国という図式の戦争が続いている中,表の派手なドンパチを支える事務職・大公国兵站軍のマルチナ少尉がアゲゾコ要塞に赴任するところから物語が始まる。しかし,地図を見ると,大公国が今のロシア,帝国が東ヨーロッパ,共和国がトルコからギリシアを含む地域に見えてくるのだが,架空戦記っぽい作りなのかな? その辺の考察についてはゲーム関係に詳しい方にお任せするとして,一番地味で官僚的な「兵站」に着目するあたりが既に変。そう,速水はソビエト連邦的官僚主義と,宮崎駿の如きもっさりアナログメカが大好きなインテリ変人なのである。それでいてストーリー展開は妙にシニカルなところがあり,売春婦のような文盲(差別語なのかな?)の女性が兵長にのし上がっているわ,中立国の嫌みな記者団は重要人物に間違えられてあっさり銃殺されちゃうわ,占領下の銀行家は浪速の商人並みに渋ちんだわ,なんつーか,よくもまぁここまでアンチクライマックス的リアルでシニカルなシチュエーション,即ち「肩すかし」をてんこ盛りにするもんだと呆れかえるほどである。
 その変人ぷりは,第2次世界大戦におけるドイツ vs. ソ連,即ち「大祖国戦争」(ソ連側の呼び方ね)を題材に取った,「靴ずれ戦線」で更に度を増すことになる。まず,唯物論で凝り固まっているはずのボルシェビキ・共産党が率いる内務省の役人・ナディア少尉が魔女の所に徴兵にくるというところから始まるってあたりが相当シニカル。速水本人は,ソビエト軍が日本を占領した暁には共産党幹部にのし上がるつもりでいるらしいが,こんなマンガを描いていては,即座に人民裁判送りで自己批判を迫られて失脚すること間違いない。内容に至っては,魔女ワーシェンカとナディアのコンビが魑魅魍魎と戯れる(?)というもので,大体,ソビエト軍のゾンビ(これだけでも爆笑ものだ)が出てくるという発想が凄い。もうどこまでこのデタラメかつシニカルな暴走が続くのか,ワシは手に汗握って楽しんでしまうのである。
 肩すかしっぷりも共通していて,ワーシェンカが恋心を抱いた若い兵士はあっという間に死んでしまって死神の餌になるし,ユーゴスラビアではパルチザンを匿った村人を虐殺するウスタシャ(ドイツ側に付いたクロアチアの民族軍事組織)将校をほったらかしして,いつもの化け物ファンタジーにストーリーが流れていく・・・普通なら「石の花」的展開を目指すと思うんだが,その辺が坂口尚と速水螺旋人の作家性の違いなんだろう。
 所謂アキバ系に好まれる絵柄であることは間違いないし,そのマニアックなこだわりっぷりは,それ故に普通の読者にはついて行けない部分もあるやもしれない。若くて純粋まっすぐな方にはシニカルぶりが気にかかるかもしれず,すれっからしの中年オヤジ・オバサンの方が「肩すかし」を楽しめる作品なんだろう。速水の歴史的・軍事的・ゲーム的知識の深さがもたらす芳醇なバカ騒ぎが堪能できるこの2冊,年末の喧噪をBGMにして楽しむには格好の作品であること間違いないのである。

内田麻理香・高世えり子(絵)「理系なお姉さんは苦手ですか?」技術評論社

[ Amazon ] ISBN 978-4-77414753-6, \1480
will_you_girls_study_and_work_place_around_science_and_technology.jpg
 のっけから苦言で申し訳ないが,本書のタイトルはもう少し何とかならなかったのか。このタイトルのままではエロマンガの棚に置かれると間違ってフェチな男どもが妄想コミで買っていきそうである。いや,それをあえて狙ったというならいいのだが,表紙の高世えり子によるグラマラスな内田のカット(美・・・いや余計なことは言うまい)が載っている分さらに誤解されそうなので,一応言っておく。・・・ワシの頭が腐ってるだけかしらん。
 ワシ自身,男女偏見のない人間かどうかは定かでないのだが,多分,数学科としては珍しい部類だと思われるので,まずはワシの大学院(修士・博士)の指導教員が女性だった,ということは申告しておきたい。女性だから指導教員に選んだということではなく,流れ流れて数値解析を専門としている先生を探していたらたまたまぶち当たって受け入れてくれた,ということである。一応,著作があるのは知っていたが,それを読んで感動して弟子入り,という美談は一切無い。むしろ,その内容がワシにとっては優しすぎて専門的には(?)を付けていた(失礼な話だが事実だから仕方ない),ということもあり,大学院の6年間(間1年開くので実質7年)はワシの好きなようにやらせて貰った。おかげで色々あったが(特に博士号取得直前の,名目上の指導教員とのいざこざは思い出すだけでもイヤ),今のワシがあるのはこの先生のおかげであって,足を向けて寝られない。今でも齢90になろうという先生の所に迷惑も顧みずお邪魔して駄弁らせて頂いているのだから,縁というのは不思議なものである。
 その先生は自由闊達な方で,誰とでも気さくに打ち解けて話してくれる。人見知りの多い理系人間の中では特筆すべきコミュニケーション力を誇っているのだが,その先生ですら,随分と大学内では辛酸を嘗めたらしく,たまに愚痴っぽいことを漏らしていた。実際,都立女専(首都大学東京の前身)を出,日大に助手として着任してから長いこと助手に留めおかれてろくに論文も書かせて貰えなかったとのこと。ワシからすれば信じがたいが,連名でもない単著論文も投稿するに当たっては教授の許可が必要だったという時代があったらしい。そのせいもあってか博士号取得も遅く,教授に昇進したのも定年の何年か前ということになってしまった。・・・しかしワシは思うのだ。それでも同年配,あるいはその後輩に当たる女性研究者の中でもまだマシな部類ではなかったか,と。
 ・・・という女性受難の時代が長かった以上,今頃「理系にも女子を!」と唱えてもそう簡単には方向転換できるはずがない。偏見だってなくなっていないし(悲しいことだが「女性は理系には向かない」と公言して止まないバカどもがいるのは事実だ),何より教員に女性が圧倒的に少ない。文科省も慌てて女性理系研究者のインタビュー集などを作ったりしているが,ワシから見るにあれは全体としては逆効果なんではないかと思えてくる。女性にとって居心地の悪い世界でピカイチの業績を上げて勝ち残ってきたエリートばかり集めても,普通の女性にとっては眩しすぎて,自分の見本とは思って貰えないのではないか。もう少し普通の仕事をしている普通の人に「理系女子」を語って貰った方がいいのではないかと思っていたのである。
 で,本書が出たのである。まさにタイトル以外は理想的。ワシの出身大学のSF研の方も出ていて,ひょっとして本人とどっかですれ違っているのではないかと思われる方もいらっしゃる(コミティアとかでも・・・)。職業も様々で,高校教員,大学教員,イラストレーター,プロデューサー,デザイナー,パーソナルヘアカラー講師(そーゆー職業もあるんですな)・・・と,よくもまぁこれだけ集めたなぁと感心する。カフェ・サイファイティークのコネクション(「応用化学科の逆襲」は大好きな同人誌だ)もあってのこととは言え,やっぱり労作であることは間違いない。文科省も見習って頂きたい。
 個人的にはほっといても理系女子は増える傾向にあるし,あまり無理強いするのもどうかと思っているのだが,ICT系には随分女性が増えているから,分野ごと,まだら模様的に男女比率は等しくなってくるのだろうと楽観視している。それでも,「女のことだからやっぱり文系に」というアドバイスを親類縁者,高校教員からされることはしばらく無くならないだろうし,男が圧倒的に多い学部・学科に進んでしまうと,ワシの指導教員ほどではないにしろ,どうしてもマイノリティ的扱いになることもあるだろう。そんな時,本書のように人生の先の先に明るい未来があるのだと指し示す文献は絶対に必要だ。是非とも「理系」への興味のあるなしにかかわらず,全ての女性並びに頭の固い年寄りに読んで貰いたい一冊である。