[ Amazon ] ISBN 978-4-10-314761-9, \1500
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本書が世に出ちまって,東工大がひっくり返ってないかどうか,ワシはマジに心配しているのである。いや,本書が単なる「暴露本」なら,無視すればいい話なのだが,本書はそういうよくあるタイプのゴシップ集ではない。白川浩という,夭折したサブタイトル通りの「モーレツ天才助教授」(ただし,晩年は教授に昇進している)へのはなむけとしてのノンフィクション読み物なのである。しかも執筆者は「カーマーカー特許とソフトウェア」でワシを虜にした,数理計画法&金融工学(本人は「理財」工学と呼んでいるが,ここは通りのいい名前を使わせて頂く)の権威・今野浩。その今野がストレートな大学・学会・文科省とのやりとりといった内部事情を何のてらいもなく書きまくっているのだ。このドライブ感溢れる文章からは,「全てを正直に語らねばならぬ」という白川の執念が乗り移ったかのような情熱がほとばしっており,ワシは秋葉原から新幹線で掛川へ移動するまでの間,本書から一時も目を離すことができなかった。
結論を言おう。
本書は大傑作である。
まるでエンターテイメントと見まごうばかりの「読ませる」文章の見事さ,そして,大学や学界に接したことがある人間なら誰しも知っている,建前に覆われた真の人間関係とシステムをぐうの音も出ないほど正確に描いた恐ろしいほどの誠実さは,本書が歴史に残る快著であることをイヤというほど知らしめてくれる。応用数理(応用「数学」でないことがポイント)学会やオペレーションズリサーチ学会の関係者なら,本書を苦笑や苦痛,そして白川という人物への同情なしに読むことは出来ない筈である。
他の分野はよく知らないが,ワシが依拠する応用数理&情報処理の分野の,ことに一流どころの研究者という人たちは例外なくよく働いている。働きすぎて過労死じゃないのと思われるような夭折な方々も結構な頻度で見聞する程である。
ワシがよく知る方は,ホントに死ぬんじゃないかというほど論文を書きまくり講演をしまくり研究会の座長だのなんだのと引き受けまくっていた。たまたま研究会で同じエレベーターに乗ったときに「そんなに仕事して倒れないんですか?」と聞いたら,「あ~,そろそろダメになるかもね~」といつもの調子で淡々と述べられたので呆れたことがある。幸いその方はまもなく定常状態で落ち着いたようで,日本の数値解析研究の先行きに暗雲が立ちこめることなく済んだのだが,ワシが見る限り,ホントに死ぬほど働いている方々は例外なく,頭もさることながら性格がイイ。図抜けて良い,というべきか。この世界のことだから,まぁ,頭の良い人間はザラにいる。しかし,本書でも今野が再三強調しているように,性格が良い人間はそうはいないのである。ワシのように,教授が研究室に訪ねてこようモンならあからさまにイヤな顔をして,「何の用ですか?」と地獄の底からにじみ出るような声で応答する人間が普通なのだ(いいすぎ?)。まぁ,そういう奴にはそんなに「雑用」は回ってこない。
しかし前述した方や,白川浩のような「イヤと言えないいい人」のところには大量の仕事が回ってくる。研究会の幹事だの科研費プロジェクトのとりまとめだのという仕事の場合,その人しか勤められないというケースが多い。自身の研究もそこに載っかって進められていくことになれば,高い評価を受けるようになればなるほど仕事が仕事を呼ぶことになってしまう。結果として,評価の高い人間的にも優れた研究者には「体力」が必須のアイテムとなるのである。
白川は東工大の助手時代,確率論を駆使した難解な金融工学の理論をドカドカと吸収し,世界の一流どころから認められる論文を書くまでに成長する。そして最期は東工大の金融工学研究の中心となるセンターの中核となって馬車馬のように働き,40代早々に経営システム工学科の教授になるのだが,既にそのときには病魔が本人の体をむしばんでいた。将来有望な白川だったが,業績の「量」という点ではイマイチだったのは,彼のキャリアにおいて多数の人間が白川の面倒見の良さにつけ込んであれこれ仕事を押しつけたことと,本人が生真面目すぎて仕事を一人で抱え込んでしまうということが原因だったようだ。研究テーマを与えて学生が仕上げた卒論や修論をベースに論文を書くことすら「搾取だ!」と拒否し続けていたというぐらい潔癖だった白川は,その純真さが徒となって,元々丈夫でなかった肉体を毀損することになってしまったのだ。今野はこのような白川の歩いてきたキャリアを,その才能に幾分かのジェラ心を抱きつつも,愛情を持って語っている。
資金提供者にも上司に当たる教授にもアケスケな物言いをする白川に対しては軋轢も多かったが,一度懐に入ってしまえば悪意がないということが理解できるようで,友人や指導を受けた学生からは好かれていたようだ。その悪意のないストレートな意見を吐いてきた白川の人生を語る際に,教員採用基準はあくまで公募による公明正大なものだとか,論文査読はどのような研究者に対しても平等に開かれているとか,政府予算の配分は平等に行われるだのといった,誰しもそんなものは建前に過ぎないと分っている物言いを使うことは決して許されることではないし,建前で塗り固めてしまえば,そもそもなぜ前途有望な若手研究者が志し半ばで物故せねばならなかったかの説明が不可能になる。今野の文章に鬼気迫るストレートさが貫かれているのは,それこそが白川という人物を語る上では欠かせないアイテムだからなのだろう。
それ故に,本書は一研究者の伝記という以上に,日本の,いや,世界の研究者世界というものがどのような人間くさいダイナミズムを抱えているのかを雄弁に物語っているのだ。物語りすぎて,ワシみたいな三流どころの研究者には耳の痛い文章も多いが,そこがまた本書の語りの「誠実さ」の証拠でもある。山口昌哉とか伊理正夫とか森口繁一といった,ワシにはなじみ深い大御所の名前がたくさん出ていることもさることながら,本書前半には,今野が筑波大から東工大へ異動した際に属した人文・社会学系の話も登場する。いや,大体知っては居たけど,教官のポストって,こんなに厳格に決まっているモンなんだなぁと,正直呆れる程である。何だか言いたいことが多すぎてうまくまとまらなくなってしまったが,兎にも角にも,本書は,「理工系研究者の世界ってこんなモンだよ」と説明するにはうってつけの真実の書であることは断言しておきたい。この方面の知識が皆無な読者にも,晦渋な技術の解説が皆無な本書は面白い読み物となる筈だ。
だから東工大の皆様,本書に対してはご寛容かつ冷静な態度を取って頂きたく,切にお願い申し上げる次第であります。
William J.Cody, Jr & William Waite, “Software Manual for the Elementary Functions”, Prentice Hall
[ Amazon ] ISBN 0-13-822064-6, \?
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ワシの手元にあるものは1992年に御茶ノ水の丸善で購入したもので,当時でも14790円だった。Amazonを検索してみると,古本でも万単位の値が付いているから,結構貴重なものなのかも知れない。もちろん,購入当時は「珍しい本があるもんだ」ぐらいにしか思ってなかった。本書のFirst authorが数値計算ソフトウェアの大御所であるとはこの度の訃報を見るまでは殆ど知らずに過ごしてきたのである。詳細はC.Molerの記事中にあるインタビュー記事を参照されたい。以下,この記事中にある情報はそれを斜め読みして得た知識が殆どである。
オープンソースの源流というのを辿っていくと,これは殆ど誰も言及していないようなのだが,数値計算ソフトウェアの配布という「習慣」に行き着くことが多い。1990年代までは,日本でも数値解析シンポジウムとかでソフトを配布するということが普通に行われていた。その大本を辿っていくと,どうやらこのCodyが行ってきた研究活動に行き着くようなのである。
朝鮮戦争から戻ってきたCodyはオクラホマ大学の数学科で修士号を,ノースウェスタン大学でPh.Dを取得して,原水爆の研究で有名なロス・アラモス研究所で仕事をした後,1991年に引退するまでアルゴンヌの国立研究所で研究者として過ごした。1960年代から,シュレジンガー方程式の計算をするうちに既存の初等関数に問題が多いことを知り,1964年に論文「CDC-3600向け倍精度平方根計算」(“Double Precision Square Root for the CDC-3600″, ACM Vol.7, 1964, pp.715-718)を掲載,ここから初等関数・特殊関数の計算法の研究を本格的に開始することになる。CDCやIBMのマシンを使いつつサポートもする必要があったため,互換性を重視しつつ性能を落とすことがないよう,マシンごとの特性を事前にチェックするサブルーチン”MACHAR” (Machine Characteristicの略?)を作成したりと,地味だが重要な仕事をしてきた。後にEISPACK(行列固有値計算サブルーチン集)の開発も手伝い(というよりコードはかなり書いたみたい),これが連立一次方程式解法ライブラリLINPACKと統合されてLAPACKとなる。で,今もMACHARはBLASに残ってたりする。
Cody自身の仕事として誇れるものは,このMACHARと特殊関数ライブラリSPECFUN,実数関数ライブラリELEFUNT, 複素関数テスト用プログラムCELEFUNTということだそうだ。IEEE754-1985や854の規格制定では議長として場を仕切っているが,W.Kahanの発想を生かしただけと控えめな感想を述べている。
話が横道に逸れてしまったが,SPECFUN, CELEFUNTは論文のページからソースコードが今でも無料でダウンロードできるし,LAPACKは言わずもがな。この源泉は,Codyが計算センターでサポート業務の一環としてプログラムを配布していたことにあるようだ。本人曰く,「税金で造ったものはpublic domainにすべき」というポリシーだそうな。これは本人の性格もさることながら,Abramowitz & Stegunの”Handbook of Mathematical Functions“がそうであるように,アメリカ合衆国の理念に通じるところがあるように思える。国家が造ったものはpublic domainにすべきって考え方,USA発祥・・・なんでしょうか? この辺になるとワシもよく分らないが,どうも本人の意志によるというよりごく当たり前の常識ということなんじゃないかと思える。もちろん,数学理論には特許が降りないためにビジネスとしては成り立たなかったから,という事情も手伝っているとは思うんだけど,どーもソフトウェアは望む人にタダで配るという伝統はこのあたりから始まっているんじゃないのかなーと思えるのだ。山形浩生さんとか八田真之さんあたりが調べてくれないかしらん?
で,本書である。あの気むずかしなKahan先生もテキストとしてご愛用したという本書は,ELEFUNTの解説本という位置づけになっている。初等関数の計算法は様々なものがあるが,本書で述べられているのは最良近似多項式に基づくものが殆どである。最新の研究結果はMullerの本にコンパクトにまとめられているが,そこでomitした近似多項式の係数表はCodyの本とかに譲るとしている。本書では平方根から始まって,log, exp, power, sin/cos/tan, asin/acos/atan/atan2, sinh/cosh/tanhの計算法が章ごとにフローチャート付きで解説されている。最良近似多項式は固定小数点数,浮動小数点数,10進,10進以外の場合と細かく分類されて提示されており,もー細かい細かいノウハウがぎっちり書き込まれていて,とうてい自分で造ろうという気分にはさせてくれない代物である。使用する固定・浮動小数点数の桁数に応じて近似多項式の係数も2~3パターンで提示されていて,全てHorner法を使って最小の計算量で済むよう計算せよと書いてある。・・・お見それしましたとしか言いようがない。和書でも山下真一郎によるものとか浜田穂積によるものもあって,まー,細かい細かい。その細かさの源泉はCodyにあるんだなとよく分ろうというものである。
何でこんなに厳密かつ多項式計算一つにもこだわんなきゃいかんのかというと,プログラムによる計算の正確さと計算速度が初等関数のそれに大きく依存しているからである。角度計算一つとっても逆三角関数が不正確ではどうしようもない。呼び出し回数も多いから高速であることが重要。現在のCPUではハードウェア内部でマイクロコードによって初等関数は計算されるが,Intel CPUですら普通の四則演算より数十倍の計算時間がかかるのが普通である。高速性と精度維持が必須の機能を担っている初等関数の計算とCodyが格闘せざるを得なかったのは,コンピュータ黎明期においては必然だったのかもしれない。本書では関数のチェック方法についても細かく記述があり,これは類書では見あたらない貴重なものである。カシオさんとこのチップはちゃんとこのテストはクリアしているのかしらん? 10進ベースの係数表はホント,貴重ですから揃えておいた方が良いですぜ。
墓石には「Family man」と刻んで欲しい,と言い残して世を去った穏和な研究者に,哀悼の意味を込めてこのぷちめれを東洋の片隅からお送りしたい。
よしながふみ「それを言ったらおしまいよ」太田出版
[ Amazon ] ISBN 4-87233-798-0, \650
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マイケル・ジャクソンが突然の心不全で亡くなった(2009-06-26)。享年50歳。ワシは別段マイケルの熱心なファンというわけではないが,80年代にUSAヒットチャートを聞きまくって育った人間の一人として,耳馴染んだあの声の主がこの世から去ったことに対して,皆と同じような感傷を抱いてしまう。死因については薬物の影響も言われているようだが,何はともあれ,哀悼の意を表しておきたい。
マイケルに限らず,音楽家にしろ物書きにしろ,常に他人からの歓声と批判と無視に晒されつつ,安定しない収入に依存して生活するというのは,誰しもできることではないようだ。第三者からの「評価」に対して超然としていればいいかというと,客商売ということを考えるとある程度は聞き入れた方が良い場合もある。では依存しまくっていればいいかというと,結果でしか評価されない商売である以上,いい作品を生み出すための「雑音」となってしまうようでは意味がない。どちらにしても,悩みは常に商売のネタである向こう側から間断なく押し寄せてくる訳で,ことに一時爆発的な人気を誇ったアーティストが早死にしがちというのは無理からぬことと言える。マイケル・ジャクソンについては90年代に入ってからの「奇行」が世間を騒がしていたが,ワシら常人には理解できないストレスを抱え込んでいたのだろう。そう考えると,近年の彼はどうにも痛々しい印象を与え続けていたことが納得できる。
で,思い出したのがこの2003年に刊行された作品集に収められている「ピアニスト」という短編である。2009年度の手塚治虫文化賞を獲ったよしながふみの素晴らしさを今更語るのも面はゆいが,ま,良い機会なので,マイケルの追悼にこと寄せてまとめておきたい。
本書はいわゆるBL(boys love)作品集ということになっているし,実際登場人物は一作品を除いて全員ホモだったりするので,その手の描写に免疫のない方々には読めないかも知れない。しかし,それではあまりにもったいない。男×男をの片方を女に置き換えても,本書に収められている作品は十分成立する内容だからである。つーか,BLはあくまでよしながの装飾趣味みたいなモンで,作品の構造は普通のマンガと変わらず,しかもかなり骨太,そして中年以降の人間にも読み応えのあるものになっているのである。
さて,「ピアニスト」である。帯にある書き下ろし32ページ作品というのがこれ。主人公は,かつて世界的なコンクールで入賞したピアニストであったが,今は作曲した歌謡曲の印税で食いつなぐ落ちぶれた境遇にある45歳の中年男である。ピアノに対する情熱を失ったわけではなく,毎日8時間の練習は欠かしていない。しかし,「才能」という点では,体を許したピアノの師匠からも見切られてしまっており,自分でもそれは十分自覚している。・・・という境遇,ワシは絶妙だと思っているのである。
よしながは「プロの矜持」というものを大事にしている作家だと感じる。「ピアニスト」の主人公が世界的に認められる技量を持ちながらも,実は才能がない分を人並み以上の努力でカバーしてきただけ,という設定はすごい。そして主人公の独白。
「自分をみっともない努力家だと
認めるぐらいなら
怠けて落ちぶれた天才のふりをして
忘れ去られた方がましじゃないか」(P.183)
いやぁ~,これは40歳過ぎて,自分の才能という奴を自覚した段階になるとよく理解できる台詞ですね。更に言うと,一度は悩んだこの「みっともない努力家」という立場が,「みっともない努力」と同じことを「楽しみながらの試行錯誤」に反転することで,実はとても魅力的なものになり得るのだということも,よく分っているわけだ。もっともワシの場合は天才という立場にいたことがないので,「落ちぶれた」という境遇については理解が及ばないのが残念である。
この短編の結末がどうなるかということは読んで確認していただくのがよろしかろうが,よしながは決して斜に構えた投げ出し方をしていないということだけは断言しておこう。
手塚治虫文化賞を獲った「大奥」も含めて,よしなが作品の最大の魅力は,洗練された絵によって,SEXと愛情と常識的な社会人感覚が,解け合うのではなく固まりのままゴツゴツとぶつかり合っている様が描かれているという所にある。そしてぶつかり合う状態が大河ドラマを構成する重要な要素なのだと,自覚しているのだ。それを楽しんで描くためのツールが,BLという様式なのだろう。ホントに色気のある男を描くのが好きそうだもんなぁ~。きっと,「みっともない努力家」に陥らないための,仕事を楽しむためのツールとしてBL風味は欠かせないものなのだろう。
そう,お客様あっての偉大なエンターテナーに必要なのは,まず,自分が楽しんでいること,なのである。マイケル・ジャクソンも相当額の印税が入る立場だったのだから,せいぜいうまく「落ちぶれ」つつ,うまく人生楽しむことができていれば,晩年を痛々しく感じさせることもなく長逝していたかもしれない。
魔夜峰央「魔夜峰央のまどろみ日記 本日も異常ナシ」秋田書店
[ Amazon ] ISBN 978-4-253-10713-6, \800
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デビュー以来三十ウン年,永遠の28歳ミーちゃんの自伝的(?)エッセイマンガである。既に白泉社からは娘さんと息子さんをネタにした親バカマンガシリーズ「親バカ日誌」「親バカの壁」「親バカ輪舞」「親バカの品格」が刊行されているが,秋田書店からは初のエッセイマンガである。ワシもマンガ読みキャリアは三十ウン年を超えているので,昔から読んでいる子育てエッセイマンガではボチボチお子さんが大学入学だの就職だのというエピソードが描かれていて,愕然とさせられることがある。いやぁ,月日の経つのは早いモンですなぁ~・・・と人ごとのように(人ごとなんだが)つぶやきつつ,自身の年齢をシミジミと噛みしめることになるのである。
ミーちゃんのエッセイもそうで,娘さんも息子さんも2009年には成人になっていと聞くと年が・・・いや,ミーちゃん,28歳でいつもお若いことで結構でございます。ワシは既に四十を超えて寄る年波には勝てず,白泉社の丹○さんや白○さんのように,ひとりものにもかかわらず,マンションを買っちまいましたよええ,当分,つーか下手すりゃ一生ひとりものですけどいいんですほっといて下さい(号泣)。
ぐすん・・・って何の話だっけ? ああ,ミーちゃん,秋田書店初刊行の自伝的エッセイマンガのことでしたな。話を戻しましょう。ぐしっ。
まぁ,美人の奥様(マライヒのモデルとしか思えない美人)と仲むつまじいご家庭をお持ちであることはゲップが出るほど親バカシリーズで見せつけられたのだが,ご本人の生い立ちについては触れずじまいであった。まぁ,ちょうどお子さんが大きくなっていく時期のものだし,奥さんお子さんを書くのが楽しくて仕方がないという風情であったから(あーごちそーさま),自分のことを描くことには思いが至らなかったのだろう。本書ではお子さんが完全に親離れしつつある時期に描かれており,「親バカの品格」にも本書のしょっぱなに述べられている一戸建てへの引っ越しについてのエピソードが載っている。いーなー,地下のバレー教室付き一戸建て,ご家族揃ってうらやま・・・いや,いかん,羨ましがっているだけでは先に進めんではないか。
で,引っ越しの話の後に,どーゆー脈略なのか,交通事故で亡くなられたご母堂の思い出話につながり,貧乏だった子供の頃の話,ご両親の故郷・佐渡島での思い出話に繋がっていくのだ。このゆらゆらさ加減,それでいてちゃんと読者に面白く読ませる力量は,さすが手塚治虫のジェラ心(P.12)を浴びただけのことはある。
もともと脈略のないエッセイマンガということもあって,ご家族の写真が巻末1ページにあったりする他は,独特なスタイルの漫画家・魔夜峰央の誕生に繋がる漫画史的なエピソードは描かれていない。まぁ永遠の28歳であるからして,この先まだまだご活躍されることは間違いないので,これからボツボツ,「ひとりジャンル・魔夜峰央」(by 夏目房之介)誕生の秘密なども描いていって欲しいものである。
山本直樹「レッド3」講談社
[ Amazon ] ISBN 978-4-06-375722-4, \952
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やぁあっと出ましたよ,「レッド」三巻目。で,一,二巻を読んで久しく待ちわびた所にこれ読んで・・・みんなどう思うんだろうな? ワシの感想は
「あさま山荘は遠そうだ」
というものである。何せ,本巻だけで1971年の5月~6月分にしかならないんだから。壮絶な「アレ」を期待していた向きには残念に思われるかも知れないが,ワシは逆にこの先の展開に期待を持ってしまった。単純に「じらす」というより,この後に来る,登場人物の頭にくっついている番号順に行われる筈の「事件」への伏線が張りまくられている,と感じたからである。実際にその伏線がどう今後のストーリーに反映されてくるのかは,多分,2010年に刊行されるであろう4巻を読まなければ何とも言えないが,ワシは期待しているのである。・・・ここまで引っ張っておいて,外したら怒るよ>山本直樹先生
さて,これからのお楽しみが増えただけの本巻の内容については,ネタばらしになることもない分,これ以上語ることもない。だもんで,普段はやらないんだけど,作品とは別に感心したものがあるので,それについての感想を述べることで本巻のぷちめれに代えることにしたい。
「レッド」は学生運動が盛り上がった1960年代~1970年代初頭の事件を題材にしているので,ワシらのように,それ以降に生まれた人間にとってはどーもその時代背景が分りづらい。本巻ではそれを補うために,ワシより更に二つも若い紙屋高雪が書いた解説「なぜ彼らは<革命>を信じられたのか?」が巻末に付いている。二巻では山本と押井守との対談が載っていたけど,「アレじゃこの登場人物達を押し立てていった時代の熱情が理解できん!」という読者の声でもあったのかなぁ? 少なくともワシはそこんとこを含めてこの事件をチャンと理解したくて,スタインホフの本とか若松孝二の映画とか見ることになったのだ。結果として,この事件そのものについてはよく分ったものの,時代背景を「どう理解できるか?」ということについては,以前に読んだ森毅の自伝的エッセイ「ボクの京大物語」の方が雰囲気はつかめたなぁ,というのが実情だ。
現代の左翼を自称する紙屋にしても事情は同じであるようで,14もの参考文献やドキュメンタリー映像を渉猟し,引用文を交えながら何とか彼らを持ち上げた時代を「解説」しようとしている。大体ワシの理解と一致しているし,ワシと同時代人が自分の言葉で語っているので,その内容はすんなりワシの頭に入ってくる。まずはこの名解説をまとめた労に対して敬意を表したい。
もう一つ,この解説に感心したのは,紙屋がきちんと自身が肯定する左翼思想と,「レッド」の登場人物達が行動の土台とした思想との共感ポイントを隠さずに吐露していることだ。紙屋は赤軍派と一緒にされてはたまらないと思いつつも
「しかし,それでも自分は最初の頃,そういうものに惹かれた。そうである以上,ぼく個人についていえば,まったく自分とは隔絶された無関係な存在として考えるのではなく,できるだけその論理や心情によりそいながら,そのうえで自分がどこで袂を分かったかを示したいと思った。」
と述べている。
ワシ個人の感想は,この「レッド」に描かれている事件,そしてこれから描かれるであろう悲惨な「同士討ち」が,彼らが左翼故に起こったものと理解するのは大間違いだ,というものである。ある種の強い思想を持って寄り集まった小さいグループが,抑圧的な状況下で集団生活を長期間過ごせば大なり小なり「同士討ち」が起こるものだ。1995年のオウム真理教事件をリアルタイムで知っている人間なら,アレが左翼思想とは全く関係なく起こったことを理解していよう。そして「レッド」の「状況」がアレとそっくりだった,ということも覚えているはずだ。右翼とか左翼とか宗教的とか,そんなことは事件の「様式」にしか関係しない。「同士討ち」に至る道は,あくまで思想とは関係のない「状況」に依存しているのである。真面目な人間ならば,いや,真面目であればあるほど,自縄自縛的に追い詰められたあげくにレゾンデートル維持のために,組織や思想という「名目」を盾にとって近しい人間を虐待しかねないのである。
紙屋がオウム事件を引き合いに出すことなく,ストレートに「レッド」の登場人物達の「論理や心情によりそいながら」時代解説を行ったのは潔いなぁと,ワシは感心しているのである。経済的には落ちていく現代日本の行く末を導く考え方は,右翼なワシとは相容れないところがあるが,逃げずに「レッド」と向き合っているところは,左翼も棄てたモンではない,と思わせてくれる。
・・・と,作品ではなくその解説をぷちめれしてみました。ま,たまには良いかっつーことで一つご勘弁を。