幸谷智紀「多倍長精度数値計算」森北出版

幸谷智紀「多倍長精度数値計算」森北出版

[ Amazon ] ISBN 978-4-627-85491-8, \4200 + TAX

 いやぁ長かった長かった。本来なら昨年のうちに発売されているはずのものが,「可能な限り厚く書け」という方針に変更され,巻末のGNU MP(抜粋),MPFR(完璧),__float128(完璧)のリファレンスまで付録に付くことになってしまったからさぁ大変,シコシコ作業してどーにかこーにか248ページの,ワシの単著としては最大のページ数を誇るテキストが出来上がってしまったのである。担当編集者が途中交代したりして「こりゃ出ないかな?」などと疑心暗鬼になりつつも何とか今日の晴れの日を迎えたのだからとりあえずは良しとしよう。表紙のプログラムが本文で使っているC, C++プログラムとは似ても似つかぬものになっているなどと無粋なことをいう奴は嫌いなので無視することにして,ワシはこの分厚くてド高いテキストをしみじみ眺めて悦に入っているところなのである。

 そう,本書は高価である。税抜き4200円! 吉野家の牛丼並を10杯食える値段になってしまった理由はただ一つ,特殊過ぎて売れそうにないからである。・・・んなことは分かっている,だからペラい「LAPACK/BLAS入門」程度でいいんじゃないかという提案もしていたのだが,「あれじゃペラ過ぎて演習書としては物足りない」とぬかす向きがあったらしく,「どのみち売れないんだから,そんなら分厚くしてくれ」ということになった由。開き直った結果の高額書籍なのである。つーことで,長い数字並べてヘラヘラ楽しめる,そう,「π 円周率1,000,000桁表」などをお持ちの方に置かれましては是非とも座右に置かれることをお勧めしておく。何を隠そう,ワシも本書を座右にたくさん置いているのであるからして(当たり前だ),数字マニアにおかれましては,スクラッチからプログラミングする非効率さも知っておかれては如何かと思う次第なのである。

 そう,今時,多倍長計算,即ち,標準的な整数型(int, long)や実数型(float, double)を越える桁数の計算を四則演算レベルから作成するなどということは止めた方がいいのである。趣味で作るならご自由であるが,それにしても,GNU MP(GMP)やMPFR, QDといった高速かつ機能豊富なオープンソース多倍長演算ライブラリがタダで自由に使えるご時世に,それらの機能を一顧だにせずに唯我独尊的なプログラミングをすることは労力の無駄,車輪の再々発明よりたちが悪い暴挙と言わざるを得ない。本書はこれらのライブラリの解説と関数一覧(QDは初めてかしらん?),CやC++のプログラミング例を豊富に取り揃えて,あまつさえ,手間のかかるベンチマークテストまでやってお示ししているのであるから,買えとは言わないけれど(買ってくれると嬉しいけれど),スクラッチから多倍長精度プログラミングをやろうという方は一通り目通ししておくべきであると断言しておく。まぁ,Webの世界には既にこれらのライブラリをベースとした,MPACKみたいな高速計算ライブラリも多数あるので,そちらを見てもらうのも良いが,高度過ぎる複雑なライブラリを見るより,単純なCやC++テンプレート例を読んだ方が取り掛かりには良いのではないか・・・どうかは皆様で判断して頂きたい。ま,当面売り切れる本ではないので,多倍長数値計算をする必要が出てきたら,ちらとでも眺めて頂ければ幸いである。

 

春日太一(聴き手・構成)「黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄」文藝春秋

春日太一(聴き手・構成)「黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄」文藝春秋

[ Amazon ] ISBN 978-4-16-391108-3, ¥1900 + TAX

 いやぁ,他ならぬ春日太一の著作だし期待外れになることはない,とは思っていたけれど,書店で手にとって驚いたのはその分厚さ。本文419ページ! もちろん,全く映画ファンではない一般ピーポーであるワシでも「奥山和由」という名前は知っていたし,著者がまえがきで述べているように,その電撃的な松竹からの解任劇についても,TVや新聞を通じての報道はワシもリアルタイムで見聞きはしていたが,そこに至るまでの狂気的な映画への奉仕者・プロデューサーとしての仕事っぷりがこれほど凄まじいものだとは,想像の範囲を超えていたのである。分厚いことは分厚いが,その熱量と読みやすさに当てられて,即位礼の儀を横目に一日で読んでしまったぜよ。しかしまぁ,解任される直前に自分から辞めることを考えていたというのは本書を通じて初めて知り,そこまで思い悩むまでの入れ込み具合が放逐される原因なんだろうなぁと,奥山の主観に満ち溢れた本書の記述を通じてボンヤリ浮かんでくるあたりが,聴き手・構成を通じてしっかり春日太一の著作になっているという証にもなっているのである。

 ワシは大変下世話な性格なので,成功者の自慢話より挫折経験者の失敗談の方を好む。組織に馴染めず辞めてしまったり,放逐されたりした経験が自分にとって一番身になる知識だと感じているのである。奥山和由という人の絶頂期,バブルの勃興期から崩壊して失われた数十年に入りかけのプロデュースした映画の本数は60本を超えているが,直接見た映画は少ないにもかかわらず,恐らくはTVを通じてだろうが,そのタイトルは結構覚えている。TV番組にも露出するし,派手なプロデューサーだなという印象は持っていたが,その分,世間,というより松竹という古い体質を持つ大会社内部からの風当たりは相当強かったようで,アゲンストの風に向かいながらグングン上昇していく凧のような存在だったのだろう。才能はあってもそれ以上に癖の強い映画監督や俳優と議論したり宥めすかしたりしつつ,身内からの足の引っ張り合いにも揉まれながら,それらのゴタゴタをエネルギーに変換して疾走する様は凄まじいの一言に尽きる。語りっぷりに熱がこもっているのはもちろんだが,どのぐらい春日の手が入って整理されているのかは定かではないけれど,かなり映画に対する審美眼が一貫していて,作品の善し悪しを客観的に評価しているし,それでいて興行師としての仕事もおろそかにしておらず,ヒットを飛ばすことでしか,やりたい仕事ができないということも「ハチ公物語」の大当たりを通じて学んでいる。ワシはこういう体験を通じての学習というものしか信用していないので,毀誉褒貶はあるにしても,この奥山和由の経験談はかなりワシ自身の身になるものになると確信しているのである。

 ・・・という本書の語りの面白さはピカイチで申し分ないけれど,ワシの下衆根性は奥山の松竹放逐の原因にやっぱり興味があり,その辺りをズバリ知りたい向きには不満が残るのかなぁと感じる。奥山当人はあまりに変わらない松竹の体質に嫌気が差して放逐される前に辞めることも考えていたようだが,さて額面通り取っていいものかどうか。組織人として生きていれば,辞めたいと考えることは当然ありがちではあるし,父親が最初から重役として,最後は社長として君臨している会社で,自分も重役として引き立てられている立場であったことを考えると,その立場を生かしての活躍ができているメリットも大いにあったわけで,何となく言い訳めいているとも感じる。しかしその点を追求することは本書の目的ではない。組織人であれば,放逐する方もされる方もそれぞれ言い分があり,片方が一方的に悪いというキレイな話にはならないということも承知していることである。そんなことより,奥山という稀代のプロデューサーの持つ危うさと熱量,そしてその疾走してきた歩みを本人に語らせることで生きた日本の映画史を読者に提示することにあり,映画のプロデュース業というものの過酷さと面白さが生み出すダイナミズムを体感させることにある。ワシはすっかり本書に当てられ,この浮かれた休日に熱くなってしまったのである。

木野咲カズラ(漫画)・徒然花(原作)・萩原凛(キャラクター原案)「誰かこの状況を説明してください!〜契約から始まるウェディング〜1」「同2」フロンティアワークス

「誰かこの状況を説明してください!〜契約から始まるウェディング〜1」「同2」

[kindle] 「誰かこの状況を説明してください!〜契約から始まるウェディング〜1
[kindle] 「同2

 本作はRenta!のTwitter広告で見かけたのがキッカケで読んでみたものである。なんでRenta!のリンクじゃなくてKindleなのかというと,サービスの継続性や専用アプリの使い勝手からして,前者より後者の方が断然高いので,他の電子書籍サービスで見かけたコンテンツも全部Kindle経由で購入することにしている。正直言って,日本国内限定の電子書籍サービス,ワシは一切信用していない。泡沫ローカル電子書籍サービスなんてシャボン玉,屋根まで飛ばずに遠からず消え去るに決まっているのである。

 それはともかく,本作は久々に一気読みしたラノベのコミカライズ作品で,こういう体験をしたのは「キャンディ・キャンディ」や「なんて素敵にジャパネスク」以来なのである。「契約ウェディング? ふ〜ん,ありきたりのハッピーエンド作品かな」と舐めてかかってKindleの1巻を読んだらドハマリし,読了後即座に2巻をクリック一発で購入してしまったのである。原作は8巻まであるので,今後もコミカライズ版は出るものと期待しているが,途中で止めやがったら承知しねぇぞ。ワシは真正の漫画読み体質なので,先に上げた2作品のごとく,最初に漫画から入った作品はあくまで漫画で読み続けたいのである。

 近年のワシのラノベ感は「侮るべからず・恐るべし」なのである。才能ある若者が殺到しているということもさることながら,ゲームやアニメ,YouTube・ニコ動など,ネットを通じて自在に膨大なコンテンツに触れられる時代になって久しい昨今,デジタルネイティブ世代のコンテンツ作成能力の高さは恐るべき物があると感じている。本作の原作者については,ワシは全く馴染みがないのだが,本作の主人公・ヴィオラのキャラ設定をキッチリ構築したということだけでも尊敬に値する。それを優れた漫画描写能力でコミカライズした木野咲カズラの力量が相まって,Renta!がTwitter社に大枚払って一押しする作品になったのだと思われる。

 ヴィオラは,領民思い故にキツキツ生活をしている貧乏伯爵家の娘である。不作の穴埋めをすべくこしらえた実家の借金をチャラにしてもらう代わりに,由緒正しき金満公爵家の跡取りであるサーシスの名目上の妻となることをあっさり承諾してしまう。サーシスには溺愛する元踊り子の豊満年増愛人がおり,別宅で二人きりのアバンチュールを楽しむ日々。身分差故に愛人とは正式な結婚ができないため,サーシスの両親をはじめとする世間体を維持するだけの妻として公爵家の本宅に迎え入れられたのである。
 そこで意気消沈するかと思えば,ゴージャスな生活ぶりに驚きはするものの,恋愛体質ではない良妻賢母なヴィオラは一人きりの生活を,多くの使用人たちと存分に楽しむモードに入る。きっぱりと割り切って,金満体質で人間味のない公爵屋敷の生活をエンジョイしようと張り切るのだ。食べ切れないほどの美食をサーブするのを辞め一人で食事するには十分な量に留めさせる,家具調度類を品の良いものに変える,室内を自宅庭園で育てた花で装飾する・・・等々,旦那が居ないが故に心地よい空間に,どこか冷たかった屋敷を構造改革してしまうのである。当然,多数の使用人の受けは最高に良く,形式妻とは知らないサーシスの両親にはベタ惚れされ,愛人ベッタリの旦那は屋敷内の人間関係に不案内であることをヴィオラに叱責される始末である。結果として,徐々に愛人よりもこの良妻賢母で精神的にタフな形式的な妻の方にサーシスは傾いていくというストーリーである。

 何が驚いたかといって,この令和の時代に「良妻賢母」の持つ抗いがたい魅力を描いていることである。専業主婦としてひたすら家のために尽くす,そのためには使用人とのコミュニケーションを密にして,システマティックな屋敷運営体制を構築したその手腕と人間的魅力に,お坊ちゃんは遅まきながら気が付くという辺り,恋愛至上主義で結婚した結果,家事にも疎く,外でろくすっぽ稼ぐこともできない相手であることに気が付いた結果の若気の至り離婚なんて事例は履いて捨てるほどある。本作の場合は愛人との別離ということになるが,これを描いている所がなんともリアルで面白いのである。全く,近年のラノベ恐るべし。それを流麗な絵とマンガ構成でコミカライズする近年の若手漫画家の力量たるや,全くオッサンとしては嘆息する他ないのである。

 一つ訂正しておくと,コミカライズされた2巻においてはヴィオラは良妻ではあるが「賢母」にはなっていない。愛人が去った後,ようやく形式的に生活を共にする夫婦になったところで終わっている。つまり,サーシスはぞっこんになりつあるが,ヴィオラは恋愛感情の高まりがまるでないところからのスタートラインに立っただけなのである。原作は既に完結しているらしいが,ワシは生粋のマンガ読みなので,先刻宣言した通り,コミカライズ版の完結の方を待つことにする。始まったばかりの愛情ギャップのある夫婦の物語の今後の展開が楽しみで仕方がない今日この頃なのである。

藤生「えりちゃんちはふつう」白泉社

藤生「えりちゃんちはふつう」白泉社

[ Amazon ] ISBN 978-4-592-71152-0, \830+TAX

 齢50のオヤジにもヒリついた感情を引き起こすエッセイマンガだ。タイトルからして人をイラつかせるところがある。「ふつう」って何だよそれ? 良くも悪くも金持ちでも貧乏でもないと言いたいのか? ・・・まずは読んで頂き,どう感じたかを皆様からお伺いしたいという欲求を抑えられないワシなのである。

 エッセイマンガの読み方は難しい。ワシは「ふつう」に,エッセイマンガの主人公を著者の投影として解釈するが,果たしてそれでいいのかどうか。本書の場合,幼い頃の思い出を描いた後,実態は違っていたというネタバレが含まれていたりするから用心しなくてはならない。そのネタバレ直後に著者は

「えりちゃんちはふつう」は実際にあったエピソードを元に構成したフィクションです

藤生「えりちゃんちはふつう」P.34より

とお断りを入れているのである。しかしワシはどうしても,著者の藤生と本書の主人公である「えりちゃん」を切り離すことができないのである。それは,本書に収められている20本の短い「フィクション」から,この上ないリアルな感情の揺さぶりが与えられるからである。

 「えりちゃんち」は,三人兄弟故なのか,ケーキは特別な日しか買ってもらえないという程度にちょっと貧乏である。父親は成績が悪いと手が出る程度に乱暴で,母親は兄弟の真ん中である「えりちゃん」への愛情が今ひとつ薄い。なるほど確かに,どこの家庭にもある多少の歪みを抱えた「ふつう」ではある。あるけれど,自己主張が不得手で内向的な「えりちゃん」には少々辛いことが日常的に降ってくるのである。曰く,何でもいいと言われて買ってきたラーメンに文句を言われる。曰く,自分だけ幼稚園での送別会をやってもらえない。曰く,全く母親から期待されなかった高校に合格した結果,同級生から八つ当たりされる。・・・等々,日本の義務教育における女子共同体のメンドクサさに起因するヒリついたエピソードが,ワシみたいなオヤジにもいちいち響いてくるのである。マンガである以上,脚色はあるだろうが,とても単なるフィクションとは思えず,故に「えりちゃん」の健気さは,(お会いしたことはないので勝手に想像した結果の)腺病質な藤生に通じるモノがあると結論付けざるを得ないのである。

 藤生の絵はセンスあふれる白くて細い描線で構成されている。「えりちゃん」も,不登校気味だった中学生時代から同人活動に目覚め,ハブられるだけだった学校とは別の同人コミュニティの元で人生を歩み出していくのだが,同時に,ヒリついた学校生活を突き放して観察する視点とテクニックを得た訳である。BL由来の繊細なキャラクター描写は,空白の美の中のなかで起きる感情の爆発や達観を的確に表現するに相応しいものになっているのである。

 本書を編むのに要した6年間,「楽園」を一人で背負うI田編集長は藤生,いや「えりちゃん」に「なんでもいいからとにかく描け」と言う。そして描いたものは「なんでもいい」日常的ではあるが,ヒリついた感情を惹起させる物語であった。これからも編集長は末永く「描け」と,藤生じゃない「えりちゃん」に命じて頂き,ワシらに「えりちゃん」の何でもなくない「ふつう」な出来事をマンガで与えていただきたいと念願しているのである。

 

R. T. Kneusel, “Numbers and Computers”, Springer

R. T. Kneusel, “Numbers and Computers”, Springer

[ Amazon ] ISBN 978-3319505077, \8000ぐらい?

 「多倍長数値計算(仮)」という本を刊行すべく原稿は何とか仕上げたものの,果たしていつ頃完成するのかは全然見通せない今日この頃,いつになったら版下ができるんでしょうか? ・・・ま,予定より1年以上完成が遅れたワシには急かす権利はありませんな。

(追記: 今年秋頃に出るそうです。ワシがサボらなければ。Mさん,慌てさせてすいません。)

 つーことで,いわゆる多倍長計算,GNU MPとかMPFRとかQDとかで,どういうC/C++プログラムを書いたら長い桁数で計算がすいすいできるようになるのかなぁ~という方への(刊行予定の立たない立った)入門書を書いたわけだが,そーゆー本が,この世にないわけではない。日本より何十倍も読者がいる英語の本ならありそうなもんだが,これが案外ない。もちろんこの分野の専門家の書いた”Modern Computer Arithmetic” (by R.P. Brent & P. Zimmermann)とか,”Handbook of Floating-point Arithmetic” (by Muller, et. al.)なんてのがあるんだが,これはゴリゴリの専門書であって「入門書」ではないのである。

 「入門書」とは何か? それは敷居を極力低くした,底の浅い記述に満ち溢れたお手軽な本のことである。「LAPACK使う必要があるんだけど,ググったら大量の解説ページやマニュアルが出てきてゲンナリ」という向きに,お手軽な「とっかかり」を提供すること,そのためには分厚さで圧倒してはならず,古老の如きウンチクを傾けてはならず,記述は簡潔にしたペラペラな本が望ましい・・・という自虐はこの辺にしておくけど,必要以上に厚くする必要はない,つか,「ほんとにその分厚さ必要なの?」というプログラミング書籍が多くてちょっとゲンナリしているのは確かなのである。「敷居を低く,底は浅く」書く,その上で「ストーリー」があれば言うことなし。入門書との相性は,著者が提供するこの「ストーリー」と波長が合うかどうか,そこに尽きるとワシは確信しているのである。

 「ストーリー」とは何か? それはその入門書の目的を完遂するための「流れ」と言い換えることができる。本書の場合,「数とコンピュータ」というタイトルが物語る通り,整数,有理数,浮動小数点数,固定小数点数,区間演算(Pythonによる実装とMPFIの解説がある)などなど,「コンピュータ上で数をどのように取り扱うか?」ということを理解させるべく,その本質的な記述を心掛けつつ,短く適切なプログラム例を織り込んでおり,プログラミングを通じて目的を完遂しようというストーリーがあるのだ。

 これ,ワシにとっては理想的なストーリーなんである。で,ワシもそれに従って・・・といきたいところだが,いかんせん教養がなく,仕方がないので自分なりに持っているノウハウの引き出しをぶちまけた「GNU MP, MPFR, QDプログラミング入門書」になってしまったのは致し方ないところ。それなりにストーリーを作ったつもりであったが,どーもワシの悪癖である「書いてあるからプログラム読めば?」というところが随所に出てしまってかなり解説が舌足らずになってしまっている。・・・という反省ができるのも,先達である本書が優れたストーリーを見せてくれたからである。

 まさに「先達はあらまほしき」なのである。まぁバリバリプログラミングしたい向きにはちと物足りないところはあれど,現代的に「数」の扱いはどうなっているのか,俯瞰的に知りたい向きには程が良い「入門書」と言えるのである。