中野美枝子ほか「Excelで楽しむ統計」共立出版

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-320-01758-7, \2300

Excelで楽しむ統計
中村 美枝子〔ほか〕著
共立出版 (2004.2)
通常2-3日以内に発送します。

 情報セミナーIという,小規模ゼミを二年生対象に行うことになり,さて何をしようかな,Excelでもやろうか,でも自分でテキスト作るのもしんどいなぁ,何か手頃な教科書がないかな?・・・という訳で選択したのが本書である。
 本書の目次を,Amazonの紹介ページからコピペして以下に貼り付けておく。
 第I部 ホップ
  データの入力
  Excelの利用法
  基本統計量
  グラフの利用
  ヒストグラム
 第II部 ステップ
  ピボットテーブルによるデータの整理
  相関係数
  散布図
 第III部 ジャンプ
  母集団と標本―代表的な分布
  統計的推定 その1―母平均の区間推定
  統計的推定その2―母平均の推定(近似的な方法)と母分散、母比率の推定
  統計的検定 その1―仮説検定
  統計的検定その2―分散分析
  回帰分析―単回帰分析
  わかりやすい報告書のまとめ方
 いわゆる,数理統計学,統計解析,統計学,と銘打った大学学部レベルの内容を扱った教科書であり,もちろんExcelの機能を使って実習を行うことを前提としている。それが第I部~第III部に分割されている訳である。
 と,まあ,ごく普通の教科書なのだが,ワシが気に入ったのは,Excelの操作に関しては結構複雑なものが多く,それでいて本文の解説をキチンと読み進めば,その操作がしっかり辿れるようになっている点である。実際,2年ばかりこれを使って,自学自習を行ってみたが,Excelの操作が分からない,と言った学生は一人もいなかった。よって,ワシの教育実践の経験から,本書の教育的レベルの高さは保証できるのである。
 ただ,ワシが使用したのは第II部までなのである。ここまでは,一応統計量の解説なんかがあったりするものの,9割以上が単なるExcel操作練習として流せる内容なのだが,さすがに著者らは大学の講義としてそれではイカンと思ったのか,第III部の冒頭に確率の定義,事象といった,一番数学的かつ学生さんたちからは嫌われる内容を短くまとめてしまっている。そして推定・検定へと雪崩れ込むのである。ここに至っていきなり定積分なんかが出てくるんですぜ。そりゃぁ,今までは単なるExcel練習だと思っていた学生は戸惑ってしまうのである。やむを得ない,かなぁ,と思いつつも,もう少しこの第II部から第III部への不連続さを和らげる手段を講じることはできなかったのかなぁ,というのがユーザとしての偽らざる感想である。
 一応,統計を講義したことのある者としては,どうせ数学の道具立てを使わなければ説明できない内容なのだから,大なり小なりそれを毎回使いながら説明し,少々の脱落者があっても仕方がない,君たちはこれに慣れてもらわねばいかんのだ,と説教をかましながらやるぐらいであったほうがいいのではないか,と思ってしまうのである。そこのさじ加減をうまくできないもんかなぁ,と日々悩んでいる教師としては,本書の説明の不連続さは一種,爽快ではあるものの,他の教師サンたちも同じ問題を抱えているんだろうなぁ,と消極的連帯感を覚えてしまい,その悩みの解決策が本書でも示されなかったことに,少し失望したのであった。

桂歌丸(山本進・編)「極上 歌丸ばなし」うなぎ書房,三遊亭円楽「円楽 芸談 しゃれ噺」白夜書房

「極上 歌丸ばなし」   [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-901174-21-5, \2000
「円楽 芸談 しゃれ噺」 [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-86191-187-7, \2800

極上歌丸ばなし
極上歌丸ばなし

posted with 簡単リンクくん at 2006. 7.23
桂 歌丸著 / 山本 進編
うなぎ書房 (2006.6)
通常24時間以内に発送します。
円楽芸談しゃれ噺
三遊亭 円楽著
白夜書房 (2006.7)
通常24時間以内に発送します。

 NTV系列で40年に渡って放送されている長寿番組「笑点」,その司会者を,今は亡き三波伸介の後を受け,昭和57年(1982年)から担当してきた三遊亭円楽が,今年平成18年(2006年)に引退,後をレギュラー回答者の最長老(だったかな?)・桂歌丸に託したことは,ニュースとしても取り上げられた。で,話題が出ると黙っていないのが出版社,なんせ世の中ショーバイショーバイ,オマンマ食ってクソして寝るにはおゼゼが必要,ならば売れると踏んだ本の企画を立て,せっせと売っていかねばならない。そこで新旧の笑点司会者の半生をまとめた本を出版した・・・訳なのだろうが,どっちも出版社が弱小であり,まー,それなりにでかい書店では平積みになっているものの,地方都市のベストセラーと雑誌しか置けないような小さい書店ではまず見かけない。ワシみたいに,本を買うために往復一万数千円も交通費を費やして丸善丸の内本店にのこのこ出かけていく酔狂な輩はそうはいまい。貴重な本であるから,この場を借りて,ど田舎に住む笑点ファンに紹介しておく次第である。
 出版された日付としては,歌丸本の方が先である。こちらは編者が名うての演芸評論家であるから,文章はかっちりまとめてあって,資料写真も豊富である。対して円楽本の方は,たぶん聞き書きなんだろうが,本のサイズがでかい割には文章が改行だらけのスカスカ,なんだか上げ底のうな丼を頼んでしまったようで,損した気分になる。しかし内容はめっぽう面白く,どちらも一気に読んでしまった。
 歌丸師と言えば円朝噺に熱心に取り組んでいることで知られているが,かつては新作で著名な噺家の弟子であった関係もあり,新作を語ることも多かったようである。それがどうして円朝噺へ転向していったのか,というあたりが歌丸本の中核主題である。ワシにとってはそれよか実家の廓,遊郭についての記述が興味深く,実際に身売りの場面を見た,という歴史的事実に出くわして,ああ本当にあったんだなぁ,と嘆息したのであった。
 円楽師は,ワシにとっては人情話の噺家で,本書でも取り上げられている「浜野矩随」なんかは絶品だったのを覚えている。ただ,ワシの両親はどちらも円楽が嫌いで,ことに説教臭い話し方がお気に召さないらしい。うーん,ワシが教師になったはこの説教臭さに魅せられたせいかしらん?
 円楽本で一番面白かったのは,今でもよくさまざまな噺家から語られる落語協会分裂事件についてである。何せ,協会を飛び出した張本人である円生の筆頭弟子が円楽であるから,一番身近で事件を見,その結果を背負ったことになる。その記述を読んでみると,なるほどなぁ,師匠筋の仲たがいのみが原因であって,弟子には迷惑この上ない事件であったことが良く分かる。ことに,円生が怒った「真打大量生産」なぞは,もともと円楽師が言い出したことであったそうな。してみれば円楽師には協会を飛び出す理由はなく,師匠についていかざるを得ない,という義理人情だけで,文字通りの貧乏くじを引いたことになるのだ。うーん,これについては歌丸本でも,「やっぱり一番苦しい思いをしたのは,円楽さんじゃないかと思いますね」(P.134)と言及されている。浮世のしがらみ,なんてもんじゃなく,昔ながらの師弟の繋がりってのが強い世界なんだなぁ,と感嘆することしきりである。ワシなんぞは談志さながら,「じゃ俺はやめる」とばかりにさっさと袂を分かつに違いないのである。
 全体的に,歌丸師は現在,落語芸術協会会長を務めるだけあって,協会内部の変遷が語られているのに対し,円楽師は一人,一門を背負うべく寄席を作って借金をこさえたために無理をして,という苦労話が語られており,歌丸本に比べて円楽本はちと人生に対する後悔の念が強いように思われる。しかし両者とも笑点を土台に人気を獲得していった売れっ子であるから,無用の同情は必要なかろう。噺家も,浮世の波間にどんぶりこ,なんだなぁ,ということがよく分かる2冊,笑点ファンならキチンと常備しておきませう。

佐々木俊尚「グーグル Google」文春新書

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-16-660501-1, \760

 梅田望夫の「ウェブ進化論」が,すこぅし能天気な楽観的未来を展望(期待?)している感があるのに対し,本書は現実に起きている事象のいい面と悪い面をきちんと包含した記述があり,好感が持てる。著者の名前はしばしばInternet Watchでお見かけしていたが,もともとInternetが関係した事件について興味を持って追いかけていただけあって,単純な楽観論には組せず,常に懐疑的な立場で技術の移り変わりを眺めているという立場を守っている,貴重なジャーナリストである。
 本書はGoogleという進化の著しい企業について記述したものだが,梅田が持ち上げるロングテール論の具体例(羽田空港の駐車場ビジネス)を,実地に当事者に取材して取り上げたかと思えば,Google八分(検索結果からの締め出し)が現実にあるということも,悪徳商法マニアックスを例に挙げて示している。
 日本に,いや,世界に広がるInternetが1990年代,急速発展してきたのは確かにWIDE的楽観主義の力があったからであるが,さて,ここまで一般に普及してきた昨今,一部の技術者だけが巨大なネットワークを主導できる筈もなく,ボチボチ真剣に社会制度の一部としてInternetを捉えなおす必要が出てきて来ているのではないか。そう考えるのが普通であろう。
 その材料として,一番ビビットに「使える」資料が本書である。ちえっ,もっと早く読んでおくんだったワイ。

鶴田謙二ほか「日本ふるさと沈没」徳間書店

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-19-770132-2, \1200

日本ふるさと沈没
徳間書店 (2006.6)
通常24時間以内に発送します。

 1973年に一度沈没した日本がこの2006年7月15日に再び沈没するというのである。この未曾有の大惨事を目前にして,世界に冠たる書籍文化を支える大手出版社が手をこまねいているはずもなく,音羽グループ・一ツ橋グループはもちろん,日本より先に沈没しかけている徳間書店までが,日本を代表するカルト漫画家を緊急召集し,アピールを行うに至ったのである。
 それが本書だ。
 鶴田謙二がカバーイラストを担当した関係上その名前だけが表紙にでかく印刷されているが,それ以外の執筆人が多すぎて載せ切れなかったらしい。これは,日本が保有する全船舶・航空機を動員しても全国民を退避させるには大幅に足りず取り残される国民が多数出る,ということを象徴させているものと思われる。なんて憎らしい演出なのだ。徳間康快亡き後,迷走しまくった出版社とは思えない緻密な営業戦略である。
 それはともかく,文字数制限のないこの場所を使い,鶴田以外の執筆陣もここで紹介しておくことにする。
 吾妻ひでお,あさりよしとお,唐沢なをき,遠藤浩輝,伊藤伸平,西島大輔,恋緒みなと,米村孝一郎,ひさうちみちお,トニーたけざき,空ヲ,いしいひさいち,寺田克也,TONO,宮尾岳,安永航一郎,ヒロモト森一,幸田朋弘,ロマのフ比嘉,とり・みき(敬称略)
 これだけの豪華ラインナップを取り揃えて,自身の出身地がどのような沈没の有様を呈するのかをシミュレーションさせようという壮大な試みが今,開始されたのである。ワシは書店で本書が大量に平積みされているのを発見し,感動を抑えきれず,残り少ないSUICAをはたいてレジに直行したのであった。
 読了したワシが満足したことはいうまでもない。しかし,部分的には不満が残る。一番問題なのは恋緒みなとが執筆した名古屋沈没編である。
 今や名古屋といえば,日本の製造業の中心地である。総売上高21兆円,純利益1兆円を誇るトヨタ自動車が本社を構える地域の沈没を描く重責を与えられたにもかかわらず,トヨタのトの字すら出てこないのはどういうわけだ。なぜ「トヨタ沈没」ではなく,「赤味噌沈没!?」なのだ。名古屋人の赤味噌志向は日本の七不思議の一つに数えられるものであるが,トヨタを差し置いて赤味噌を取り上げるとは,お好み焼きの焼き方一つで殺人が起こる大阪人並みの非合理精神である。瀕死の徳間が健気にも編んだ本書という大舞台で,このような重大なミステイクが発生したことは万死に値する。
 徳間書店はこの責任をどのように考えているのか,ワシとしては猛省を促したい・・・のだが,実は既に多数の読者から同様の非難が寄せられたと見え,「日本ふるさと沈没 Vol.2」の代わりに,伝説の漫画雑誌「リュウ」が2006年9月19日に復活させるという知らせが本書に挟み込まれていた。今頃「リュウ」というブランドに頼るぐらいなら,ワンマン社長の暴走を食い止めて「キャプテン」を続けていればよかったものを・・・と今更ながら嘆息してしまうのだが,何にせよ,この知らせは喜ばしい。
 願わくば,日本沈没前に発行してほしかったが,贅沢は言うまい。せいぜい沈んだ後にじっくり楽しませていただこうではないか。
 なお,本レビューに関しての論理的情緒的短絡的常識的なご意見は黙って消去させていただくものとする。

金森修「病魔という悪の物語 チフスのメアリー」ちくまプリマー新書

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-480-68729-7, \700

病魔という悪の物語
金森 修著
筑摩書房 (2006.3)
通常24時間以内に発送します。

 お目当ての新刊をgetすべく書店に入ったものの見つからず,さりとて読書欲ははちきれんばかりに膨れ上がっており,このまま手ぶらで帰るわけにはいかなかったのである。本書はそんな時にふと目に入ったもので,もちろん金森の名前は知ってはいたものの著作を読んだことはなく,題名の,それも副題である「チフスのメアリー」に惹かれて買ってしまったのである。夕飯代わりのマクドナルドのフィレオフィッシュセットをパクつきながらほぼ一コマ,90分で一気に読了した後に残ったものは,ひたすら苦く,それ故に脳細胞が活性化される「問題の種」であった。
 いや,これを中学生に読ませるのかい,金森先生よ。ワシとしてはその度胸を大いに買うと共に,「いいのかよ,ぉい」という一抹の不安を持たざるを得ないのである。ちょっとでもヒューマンな心を持ち,サイエンスの心得がある者であれば,それ故に,本書が提示している問題の大きさに慄然とせざるを得ないはずなのだ。道徳の教材に使える? そーね,使えるけど,教室が水を打ったようにシーンとしても知らねーぜ,オラ。
 チフスのメアリーという言葉をどこで聞いたかは覚えていない。しかし,確かにどこかでチラとその意味と言葉を知って以来,脳の奥底に引っかかっていたのは間違いない。そこには不可視の病原菌への恐怖と,基本的人権を完全に否定された者への憐憫がオマケとして付加されている。
 本書はその,18世紀末から19世紀初めにかけて,アメリカ合衆国に実在した「チフスのメアリー」こと,Mary Mallonの生涯を辿り,そこから現代にも未来にも通じる公衆衛生的大問題を突きつけている。
 本書では触れられていないが,隔離を伴う法定伝染病として最も著名なのはハンセン病だろう。つい最近,日本政府が過去の隔離政策の行き過ぎを謝罪したことも大きく報道された。この問題に関しては,武田徹の「隔離という病」に詳しい。
 感染力の強い(と思われる)伝染病が発生した時の対策として,一般社会から離れた場所に「隔離」する,ということは,まあ字面だけ見ていれば当たり前のことと思える。しかし,それによって生じる問題を考え出すとキリがない。隔離に際して発揮される強制力はどこから来るのか? また,隔離することによって確保される公衆衛生の規模はどの程度のものなのか? 隔離される患者の人権が侵されることによって得られる社会の対価は,本当に釣り合うものなのか?・・・といった難しい,そして結論が出るまでに時間が必要な問題が山ほど噴出してくるのである。普段,我々が「善意」と呼んでいるものが,スライドしてそのまま患者にぶつかり,取り返しのつかない被害をもたらしてしまうのだ。
 伝染病は怖い,怖いから公権力に取り締まって欲しいと願う,その後押しを受けて隔離に乗り出した結果,医学的に正確な感染力の把握もなしに患者への差別が社会に蔓延してしまう・・・という構造を非難するのはたやすい。たやすいが,その構造こそが我々の社会を保つ源泉でもある訳で・・・あーもー,考え出すとキリがないっ・・・ということになってしまうのである。
 実在したメアリーは,腸チフスの保菌者であることが断定され,ごく一時期を除き,人生の大部分を隔離された島で送ることになってしまった人物である。確かに著者の言う通り,そんなに長期間閉じ込めておく必要があったのかは疑わしく,不幸なレアケースであることは間違いない。しかしそれでも,メアリーが腸チフスを他人に感染させたことは否定できない。そんな人物を我々,いやワシやアンタは受け入れることが出来るのだろうか?
 できる,と著者は言い,その実例を,Plavska一家とメアリーとの交流に求めている。家族ぐるみでメアリーを歓待しながらも,メアリーとの食事後は「お皿をごしごし洗ったり,熱湯で煮沸したりした」。しかし,続けて「それほどの懸念を押してでも,メアリーと時間を共に過ごしたいと思ったということの方が大切」(P.113)だ,と。
 自分の身を守りつつも,かけがえのない友人との交流を保ち続けるという,この態度が一般常識になることが望ましいのは言うまでもないが,果たしてそれが自分に出来るかどうか。この辺が,道徳教材としては一番難しく,そして核心部であると思われる。
 文章は軽快でありながら,読み進むにつれて,ドンドン自分の思考が捩れ,キリキリと音を上げだす。そんな辛くて楽しい読書は久しぶりだった。二重丸。