小林信彦「テレビの黄金時代」文春文庫

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-16-725617-7, \638

テレビの黄金時代
小林 信彦著
文芸春秋 (2005.11)
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 今では古典になってしまったが,成長のモデルとしてロジスティック曲線というものがある。グラフにするとこんな感じである。
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 特徴は,成長の速度が三パターンに分類できるところにある。
 勃興期(ネーミングは自己流です為念)の立ち上がりが遅く,急成長期に一気に駆け上り,飽和期には成長がほぼストップする。
 本書で述べられているのは,著者が覗き見た急成長期のテレビ業界である。特に「放送作家」が大量に必要となるバラエティのはしり番組について,日本テレビの立役者であった井原高志を中心に描いている。それが本当に急成長期=黄金時代であったかどうか,ということについては異論もあろうが,TV番組制作のシステムが確立し,「イグアノドンの卵」→「シャボン玉ホリデー」→「11PM」→「ゲバゲバ90分」という,今でも人口に膾炙する名番組の多くが生まれていった時代であり,その後はオリジナリティが払底していったところから見て,概ね著者の見方は正しいと思われる。
 小林信彦の偏見はつとに有名だが,客観データと他書からの引用も豊富な本書の記述自体には見るべきものが多い。飽和しまくって,これから先は現状維持が精一杯という時代を生きねばならないワシらとしては,単に急成長期の立役者達の活動を羨ましがるのではなく,そこからせめて現状維持のための知恵を授かりたいものである。

夢路行「ねこあきない 1巻」秋田書店

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-253-10537-8, \590

ねこあきない 1
夢路 行著
秋田書店 (2006.1)
通常24時間以内に発送します。

 昨年に引き続き,今年も最後は夢路行の,それも採録ではない最新刊で締めくくることが出来,ワシは大変うれしい。
 居職である漫画家,特に女性漫画家は必ず仕事場,もしくは自宅にペットを飼っているという。ことに猫が多いようでだ。で,そーゆー境遇だと,つい猫をわが子のように愛しんでしまうらしい。故に,親バカ化した漫画家は,エッセイのネタに「わが子」を描いてしまいたくなるようで,その結果,女性漫画には「親バカ漫画」なる分野が確固として存在するようになったのである。そーいやコミケにも「ペット」というジャンルが出来て久しいよな。
 親バカ漫画の内容は大概似たり寄ったりであるが,数が多いと傑作も出るもので,古くは大島弓子のサバや,大雪師走のハムスターのように名作を生んでしまったりする。夢路にとっての猫は不可欠の友,というよりは,適度に付き合っている知り合いという感じであるから,擬人化するまでに感情移入されたサバにはなり得ず,故に,本書はハムスター観察日記猫バージョン,という淡々とした日常エッセイになっている。ま,夢路らしくていいやね。暫くは連載が続くようであるから,是非とも傑作にのし上がって行ってほしいものである。
 大晦日までみのもんたとお付き合いしたくない向きには,除夜の鐘を遠くに聞きつつ,まったりと本書を読むのがよろしかろう。
 あ,一度はカバーを取るのをお忘れなく,ね。

吾妻ひでお「アズマニア1~3」ハヤカワコミック文庫

アズマニア1 [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-15-030543-9, \600
アズマニア2 [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-15-030550-1, \600
アズマニア3 [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-15-030558-7, \600

 本書は本年(2005年)初頭に失踪日記でブレイクした吾妻ひでおの漫画短編集であるが,今年の新刊ではなく,初版は1996年3月,5月,7月となっている。しかし,ワシが購入した第2版は3冊とも2005年5月31日に刷られたものである。つまり,失踪日記が予想外にブレイクしたため,それを当て込んだ早川書房が慌てて10年ぶりに再販したと思われる。事情はともかく,吾妻ひでおが元気だった頃の傑作集が日の目を見るのは嬉しいものだ。
 とり・みきによる漫画家へのインタビュー集「マンガ家のひみつ」(徳間書店)が刊行されたのは1997年である。収録されているのは,ゆうきまさみ,しりあがり寿,永野のりこ,青木光恵,唐沢なをき,吉田戦車,江口寿史,永井豪といった面子で,これらは全て雑誌に連載された記事のインタビューが元になっている。データを重んじるとりの著作らしく,インタビューの最後には1997年当時の単行本リストが漏れなく付記されている,よく出来た本である。もっとも懲りすぎたためか,インタビューから2年も経って刊行されており,故に,インタビュー自体は全て1995年に収録されたものとなっている。
 このインタビューの最後を飾っているのが,とりがマイフェイバリット漫画家と呼ぶ吾妻ひでおである。これだけは連載されたものではなく,この単行本のために語り下ろされたもので,もちろんこれも1995年9月のもの。失踪日記の巻末対談で最初に言及されているのがこのインタビューである。
 今,この「マンガ家のひみつ」を読み直して気がついたのは,吾妻の失踪が1985年から始まっていたんだな,ということである。いくつか小さな失踪があった末に,1989年の失踪(「夜を歩く」編)と1992年の失踪(「街を歩く」編)に至ったようだ。このインタビューではとりが「あえて訊く決意をして」(P.272)臨んだだけあって,失踪日記のダイジェスト編になっている。だから,今年になって失踪日記が出版され,それを読んだワシは,少なくとも失踪部分についてはさして驚かなかった。予習していたからね(藁)。アル中病棟編はさすがにびっくらこいたけどさ。
 さて,アズマニアである。ここに収録されている中短編のうち,失踪後に執筆されたものは一つしかない。1994年にコミックトム(休刊中)に掲載された「幻影学園」(3巻)である。実はこの時,ワシは地の果て能登半島の奥地で掲載雑誌を講読していたのである。で・・・軽い違和感を覚えたのを記憶している。今これを読んでみても同じ印象で,1980年代に入ってからの,絵からつやと色気が匂い立つようになった作品と比べると,明らかにキャラクターから精気が消えうせている。一生懸命スラップスティックをやろうとしているのは分かるのだが,かえってそれが痛々しい。雑誌で読んだ時にはその理由が分からなかったが,今になると良く分かる。これはちょうど失踪から戻り,アル中になるまでの時期に執筆されたものだからである。思えば,この時期の,ギャグへの執着がアルコールへ走らせたのではないか・・・。
 してみれば,本作品集は残酷である。吾妻ひでおが自覚的にマイナー志向となり,不条理日記をモノにしてからエロスを満載する作品を描き,失踪後の低テンション作品までの全てがここに収録されているのである。よって,アル中に至る前年の1996年に刊行された,解説も何もない粗末な編集の本書は一種のタイムカプセルとなっている。それが今年,失踪日記のブレイクによって発掘されることになったのである。10年ぶりに再び日の目を見たこの作品集は,失踪日記で初めて吾妻ひでおに触れた読者にとっては,失踪に至る吾妻の苦闘とアル中直前の虚脱を学習できるよい参考書でもある。
 心して読みたまえ>新規吾妻ファン

坂田明「ミジンコ 静かなる宇宙」テレコムスタッフ

[ Amazon ] \3990(税込)

 新聞サイトのベタ記事にこのDVDが紹介されていたので,速攻買い。価格は映画のDVDに比べるとちょっと高く感じるが,そんなに数が出るとも思えないので,妥当なところであろう。
 Jazzサックス奏者・坂田明のミジンコ好きはタモリの宣伝も手伝って,かなり有名である。しかしどの程度の趣味なのか,ということについて詳しく知る人はそれほどいなかったのではないか。当然ワシもその一人で,せいぜい金魚と隣り合わせの水槽にミジンコを飼っているだけなのだろうと思っていた。
 しかしそれは完全な誤りであった。坂田明はミジンコ学者なのである。自宅の一室に研究室並みのVTR付き顕微鏡を据え,微に入り細に入り,水滴に閉じ込められた一匹のミジンコを観察しつくすのである。坂田は水産学部を出ており,機器の扱いにある程度通じているとはいえ,ここまでミジンコに入れ込むとは尋常ではない。これは学者の仕事である。
 このDVDは,坂田による学術的なミジンコの解説が主軸となっているが,時間的にはミジンコの物言わぬ映像が多いように思える。これがNHKのドキュメントであれば,3DCGでわかりやすい図解をするところを,全てミジンコの顕微鏡映像を淡々と流すだけである。静かなアルトサックスが奏でる音楽と合わせると環境映像のようであるが,むしろ「分かりやすい解説」,いや,「分からせてやる的な解説」に慣れすぎている我々は,このような本物の映像のみが語り得る情報を,自分の頭をフル回転させて想像し,受け取るべきなのではないか。
 例えば,ミジンコには殻があり,二枚貝のような形状をしている,ということを説明するには,3DCGを作り,それをグルグル回転させればよい。それに対し,この坂田のDVDでは,殻の裂け目からチラチラ動く足が良く見えるよう,縦になったミジンコの顕微鏡映像しか見せてくれない。しかし,我々はそこで想像するべきなのである。いや,かつては想像していたのだ。教師は自分勝手に自分の価値観を押し付けるだけの教育をしていた時代,TVでも字幕スーパーが要所要所に現れたりしなかった時代には,学生は一定の「努力」の末に学問を修め,視聴者は自らの「想像力」の働きによって番組の流すメッセージを受け取ることができたのである。
 このDVDを面白がれるかどうかは,自然科学に対する興味の有無のみならず,昨今では薄れてしまった真の映像が発する情報を想像力を持って理解することができるかどうか,そこにかかっている。それができなければ,単なる透明な生物と坂田の奏でるミジンコ音楽によって構成された環境映像にしかなり得ない。心して視聴して頂きたい。

白井恵理子「STOP劉備くん!」メディアファクトリー

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-8401-1337-8, \514

STOP!劉備くん! 1
白井 恵理子
メディアファクトリー (2005.11)
通常2-3日以内に発送します。

 ワシは自分の意思が薄い人間が大嫌いである。もちろん,意思がありすぎる人間も嫌いであるが,意思がないよりはマシである。世の中,自分の思い通りにならないことが多いのは当然であるが,時間と暇と住む場所さえ確保できているのであれば,自分次第でどうにでもなることも多少は残っている。自己表現という奴はその代表的なものであって,文章を書いたり漫画を描いたりアニメを作ったり(これはちと大変だが)することは,自分の意思さえしっかりしていれば何とでもなるものである。それが商売となると売れなかったり酷評されたりと,思い通りに金銭を得,評価されることは難しいが,表現を捨てるかどうかは自分次第である。
 本書のウダウダしたあとがきを読んでいて猛烈に腹が立ってきたのは,著者の愚痴っぽさもさることながら,コツコツと積み上げ高めてきた表現能力をしょーもない理由で捨ててしまったことを知ったからである。もちろん,白井は白井なりに熟慮の結果なのであろうが,本書を編む土台となった角川あすかコミックス版3冊(1991年刊, 1994年刊, 1997年刊),及び希望コミックス版三冊(「GOGO玄徳くん!!」 2001年刊, 2002年10月刊, 2002年11月刊)を後生大事に抱えていた愛読者としては,「漫画家を辞めただぁ,ふざけんな!」と憤ってしまうのである。
 申し訳ないが,デビュー当時の白井の絵は見られたものではなかったと記憶する。人物はゆがんでおり,シリアスものとなればどーにも不恰好で,人には薦められたものの,あすかコミックスから刊行されていた黒の李氷シリーズなどはどーにも読む気になれなかった。しかし,絵が下手,ということはギャグ漫画にはむしろプラスに転化する。とり・みきが言うように,絵が多少ゆがんでいたとしても,それがギャグの勢いを生かすことに繋がったりする。4コマではあるが,この「STOP!劉備くん」シリーズは,時事ネタをうまく三国志のキャラクターに嵌め込んで,しょーもないネタを笑える漫画に昇華させることに成功している。未だに復刻を望む読者が多く,それ故に今回新たに新作も加えて編みなおされたのは,白井の才能が一定のレベルに達しているという証である。
 しかし,このシリーズをちまちまと続けつつも,白井は表現のレベルを更に上げていったのである。その成果は1997年に刊行された「賢治と水晶機関車」(あすかコミックスDX)に結実した。ワシは書店でこれを新刊書のコーナーで見かけて手に取り,どれだけ下手か(我ながらヒドイ)を確認しようとしたのであるが,一見して驚愕し,迷わずレジに持っていったのである。
 書名から分かるとおり,これはは宮沢賢治の物語世界を下敷きにした短編を収録したものであるが,宮沢賢治の原作をなぞったものではない。主人公には中学生の宮沢賢治と友人の銀茂を据えた,賢治テイストではあるがオリジナルの物語である。この作品の絵のレベルは,デビュー当時のへたっぴぃなものと比べると,とてつもなく上がっている。勿論,絵に加えて物語の構成も優れたものになっている。ワシは「STOP!劉備くん」とは異なる世界を展開させつつある白井に驚愕したのであった。
 その白井がだよ,体調が悪いならともかく,回復しつつあるというのに筆を折って看護師になるだとか,そのために予備校に通って楽しかったとか,面接を受けたけど(本人曰く)年のせいで落っこちたとか,ウダウダウダウダ・・・と本書のあとがきに書いているじゃねーかよ。
 ふざけるんじゃない!
 ワシは期待していたのだ。
 「STOP!劉備くん」の続編が出るのを。「賢治と水晶機関車」で見せた表現能力の更なる高みを。その期待を裏切られたのである。一読者の勝手な言い分ではあるが,勝手なので勝手に言わせてもらう。まだまだワシは待っているのである。
 本書はごく一部を除き,ほとんどが既刊の6冊の編みなおしである(おかげで絵柄がまちまち)が,待ち続けてくたびれ果てた読者としては,ないよりマシ,ではある。故に,ワシは名古屋にて迷わず本書をレジに持って行ったのである。これは期待を込めたエールである。
 白井は,また描きはじめるようである。しかし油断はならない。またいつ筆を投げるやもしれぬ。そうならないよう,メディアファクトリーから今後刊行される白井の単行本は,どんなに絵が下手な作品であっても,買い続けねばならないのである。怨念を込めてワシは買ってやる。
 白井よ,今度こそ漫画家人生を全うしてくれまいか。