小林薫「奥様は漫画家」あおばコミックス

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-87317-602-6, \600

奥様は漫画家
奥様は漫画家

posted with 簡単リンクくん at 2005. 9.25
小林 薫
あおば出版 (2005.9)
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 小林薫の面白さは「すっぽ抜け」にある。
 真面目一本槍のピッチャーが一球入魂の精神で投げたボールがすっぽ抜け,あらぬ方向に飛んでいく。その結果は悲惨であり爆笑ものである。バッターのどたまを弾き飛ばすか,ワンバウンドしてキャッチャーの股間を強打するか,はたまたキャッチャーが捕球し損ねて三塁ランナーが悠々とホームインするか。どーなろうともその状況は,無責任な観客には爆笑モノ,プレイしている当事者たちにとっては悲劇である。小林薫の作品,特に近作は,キャラクターたちにすっぽ抜けの悲劇を演じさせ,読者の爆笑を喚起させる傾向が強い。本作は漫画家と編集者の夫婦が成立する,その前後を描いた連作短編集であるが,日常生活とハードな仕事との両立を目指すべく,物凄いエネルギーで困難に立ち向かっていく主人公の大林薫子の「すっぽ抜け」が見事に表現されている名作である。・・・の割には出版社がマイナーで,書店店頭で目立たない扱いにされているのが残念である。日本の企業なら.bizじゃなくって.co.jpぐらい取れよな>あおば出版
 以上が「炎のロマンス」にも通じる小林薫の一般論であるが,この作品にはもう一つ特徴がある。それは大林薫子が全然,漫画家という職業に一生を賭けていない人物として描かれている点である。いや,イイカゲンに漫画を描いている,ということではない。一作一作,連載をこなしていく姿は熱血そのもので,それでこそのすっぽ抜け,なのである。しかし夫となる幼年誌編集者と付き合う前は,玉の輿を狙ってみたり,合コンを画策してみたりと,普通に結婚(恋愛ではない)して専業主婦となることを目指していたりする。結婚後も暫くは仕事を続けるが,それは夫が自分の仕事に理解があるからであって,主婦になれ,と言われたら未練はあれど,従っていただろうという所も描かれている。全然フェミ的ではなくて,極めて平均的日本女子の願望を持っている,何だかいまどき珍しい主人公なのである。・・・ま,最後は自分の業(ごう)に目覚めるんですけどね。
 まあ,中年越えると,運命に抗うのではなく,なるようになるさ,という開き直りが自然と身につくものである。それでいて日々目の前のことはきっかりこなしていかないと,運命に流されることも出来ず溺れてしまう,ということも身に染みて知るようになるのだ。そーゆー人生の空しさと厳しさを貫通した「日常生活」を送る手段として,小林薫的すっぽ抜け,というのは案外いい回答なんではないか,という気がする今日この頃なのである。

西島大介「ディエンビエンフー」角川書店

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-04-853890-X, \1000

ディエンビエンフー
西島/大介??〔作〕
角川書店 (2005.8)
通常24時間以内に発送します。

 さーて困った。
 何がって? 西島大介って,今お前が一押ししている漫画家じゃん,その最新作を紹介するのに何が困っているのか分からんというのか? いや,何と言ったらいいのか・・・つまりこれは物語の体をなしていないんだよ。じゃあ面白くないのかっていうと・・・うーん,これが難しいところなんだな。読者を選ぶ作品なのかって?・・・うーん,そうとも言えるだろうし,そうではないかもしれない・・・我ながら,じれったい,もどかしいんだけど,すぱっと言えないんだ。まあ,聞いてくれよ。
 漫画の基本は起承転結っていうじゃない。・・・こんなことを言うといしかわじゅんから今時何を古ぼけたこと言っているんだって怒られそうだけど,物語を読者に分からせるためのフレームワークの一典型であることは間違いない。まず「起」。核となるキャラクターや物語の背景が説明される部分だ。そして「承」→「転」と事件が次々に起こって物語が展開していって〆,つまり「結」となる。もちろん現代のフィクションではこの順番をずらしたりひっくり返したり,ということはザラ。だから承転起結とか結起承転,承と転がくっついてしまっている・・・etc.という物語も珍しいもんじゃない。
 で,ものすごく乱暴に言ってしまうと,この西島大介の新作は「結」「起」・・・あとはせいぜい「承」の取っ掛かりまで。それで単行本は完結してしまっているんだよ。Comic新現実の最終号で,西島は「ディエンビエンフー特別編」を描いているんだけど,それは「起」の更に前の話なんだ。だからエンターテインメントとして一番肝心の,血沸き肉躍る展開部分がすっぽり抜け落ちていて,西島はそこを描くつもりは今のところない,ということは既に分かっている(今後描くつもりはあるみたい)。
 俺がComic新現実をVol.1から購読していることは知っているよな? この単行本に納められている#1~#5のエピソードはそこに連載されていたものに少し加筆訂正が加えられたもので,Prologueと#6が単行本用に書き下ろされた部分だ。
 連載されていた部分はリアルタイムで読んでいて,かなりワクワクさせてもらった(悪趣味かなぁ?)。だもんで,新現実がVol.6で終了して連載が尻切れトンボで終わってしまった後は,単行本化が待ち遠しくて仕方なかった。著者のインタビューが連載の最後に載っていたのだけど,書き下ろしをするって発言していたしね。当然,主人公の日系人・ヒカルと,姫と呼ばれるベトナムの殺人娘,そして米国兵に鍛えられた人間兵器・ティム・セリアズ,この3人のその後がきちんと描かれるものと思うじゃない? それがどうだ,#6ではヒカルとティムのジャングルクルーズが延々と続き,姫は育ての殺人婆さんと畑を耕し続けることしか描いてくれていない。「結」であるPrologueではヒカルの持っているニコンが爆風で飛んでいき,結局最後にヒカルと行動を共にしてたのは誰なのか(まあ見当はつくけど),何も説明してくれないんだ。あーもー,俺の靴下痛痒感,分かってくれる? 最初に単行本を読了した時には,ふざけんな西島!って不貞寝しちゃったよ。だーれがこんな訳の分からん物語を推薦するかってんだっ。
 ・・・いやだけど,問題はその後なんだ。
 ・・・気になって仕方がない・・・Prologueがね。ネタバレになるからこれ以上は言わないけど,とにかく,単行本を全部読んでしばらくすると,Prologueの持つニュアンスが頭の中で熟成されてくるんだな。
 ・・・いや,省略された「承転」部分を自分なりに想像して埋め合わせる,って訳じゃない。逆なんだ。そこはなくても良かった部分なんじゃないかって,何だか勝手に分かった気分になってくるんだよ。俺だけかな?
 ・・・だから,これは面白い「物語」じゃないんだ。西島描く架空のベトナム戦争に配置された3人のキャラクター,彼らを取り巻く環境,そしてその底流に存在する見えない「物語」の醸し出すニュアンス,そーゆーものを眺める・感じる作品,ということになるんじゃないかな。
 ・・・そうなんだ,俺はそーゆー素直に楽しめない作品を持ち上げる輩の鼻持ちならなさが大嫌いなんだよ。分かりづらいから面白い,なんてのは邪道も邪道。漫画はインテリのお飾りじゃないんだ。・・・だからこの作品を「面白い」なんて称揚するつもりは全くないし,そんなことはしたくない。・・・でも,やっぱり気になるんだ,ひっかかるんだよPrologueが,今でもさ。
 俺が困った理由が少しは分かってくれただろうか? 前作はしっかりした起承転結物語だったので,この作品との構成のギャップには驚かされるよ。
 でもまぁ,この作品が理解できるのは俺だけさって感じの文章がWebに氾濫するのは見えているから(何せサラブレット西島だからね),「困った」と発言する奴が一人でもいるってことを知らせるべきとは思っている。
 そうね,「不思議な作品」と総括しておこうか。面白いかどうかは保証しないけど。ま,今後続編出るまで待ってもいいかもね。何時になるか分からないけど,それまではやっぱり「不思議な作品」のまま,なんだな。
 読む?

Comic新現実 Vol.6(最終号) 角川書店

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-04-853888-8, \933

comic新現実 Vol.6
角川書店 (2005.8)
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 また楽しみにしていた雑誌がなくなってしまった。まあでも予定通り隔月6冊,1年で終わったのだから,見事な去り際である。一応,来春には「ふつ~の」コミック誌がこの連載陣を引き継いで登場するそうなので,それまではこの分厚い6冊を読み返しながら待つことにしよう。
 最後なので,気になっていたことを箇条書きにしてみる。

  • 大塚英志という人間が良く分かった・・・というか,大塚のツバキを全身に浴びたような読後感であった。シュートな対談というか叱責をかまされた森川嘉一郎はその後,おたくの「ダメさ」について言及するまでに影響されていて笑った。奥さんの白倉由美に言わせると,大塚はホリエモンと同種の人間だそうだが・・・そのうち立候補するんだろうか?
  • 吾妻ひでおは,この雑誌がなければ,かの名作「失踪日記」も読まずに済ませていたかもしれない。ワシは失踪直前の吾妻ひでお作品に嵌ったクチで,題名は忘れたが,セミの幼虫が少女とSEXする作品が一番「萌えた」覚えがある。その頃の吾妻が描く少女は肉付き具合が尋常ではなく,大根足が物凄くセクシーに思えたものである。それが復帰後は一転,スマートな足になってしまい,どーにも読む気分にならなかったのである。「失踪日記」ではそれが大分元に戻ってきており,その後連載が始まった「うつうつひでお日記」「地を這う魚」は,作品全体の雰囲気は軽くなったが,大根足の肉付きが元に戻ってきた感があり,喜ばしい。
  • この雑誌でデビューした群青の「獏屋」は,異様な雰囲気の作品(そこがいいんだが)が多数を占める中で最もフツーに読むことの出来た作品であった。連載はこれでおしまいのようだが,今後の活躍に期待をしたい。

夏目房之介「おじさん入門」イーストプレス

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-87257-577-6, \1200

おじさん入門
おじさん入門

posted with 簡単リンクくん at 2005. 8.18
夏目/房之介??著
イースト・プレス (2005.8)
通常24時間以内に発送します。

 夏目房之介という人をどう捕らえていいのか,少し前まではちょっと迷っていたところがある。
 ワシはしょーもない(ホメ言葉です為念)漫画が好きである。「しょーもない漫画」とは,メジャー志向ではないショートギャグ漫画で,メッセージ性皆無,脱力系ギャクが満載で,作者本人は楽しんで描いているものの,一般的人気は取れそうもないな・・・という,ワシが勝手にカテゴライズしたジャンルである。横山えいじ竜巻竜次がしょーもない漫画の2大作家であり,ワシはこの二人の作品が大好きで単行本が出るたびに買っているのだが,困ったことに人気がないのでなかなか出版されず,店頭にも並ばないから入手しづらいというファン泣かせのジャンルなのである。ワシにとっての夏目房之介像の一つは,このしょーもない漫画を長く描いていた作家,というものであった。多分,純粋漫画作品としては「偉人でんがく」が最後だったと思うのだが,ワシはこの掲載誌を休刊になるまで購読していたので,そーゆーイメージを持っていたのである。
 しかし,ワシが最初に嵌った夏目房之介作品は「手塚治虫はどこにいる」という,シリアスな漫画家評論集だったのだ。これに感動したワシは次から次へと漫画評論集を読むようになって,自分のblogで読了した本の感想文を書き連ねるパンピーになってしまったのであるが,ワシにとっての夏目房之介像もこれによって完全に分裂して今に至ってしまったのである。文章が硬く,論理的な説明を丁寧に積み重ねた評論と,しょーもない漫画とのギャップが激しすぎて,ワシの脳内では同一人物としての一致を見ていないのである。
 本書は前著「これから」に続くエッセイ集であり,文に添えられているカットを本人が描いているという体裁も版形も,老化していく自身やその周囲を観察し恬淡と思ったこと書いているという内容も全く同じで,違うのは出版社だけである。
 ワシは現在三十路半ばを過ぎた人間ドックおじさんであるが,そのぐらいの年齢になってくると,世間と自分との折り合いのつけ方は当に心得てしまっているので,本書で述べられている考え方は「まあ,そんなところだろう」と全面肯定できる。逆に言えば,意外な考え方が示されているわけではないので,あんまし年を取ってから読むものではない本かもしれない。社会に飛び込んだばかりの二十歳代ぐらいに読んでおくと,世間との軋轢に悩んだ時には参考になることが多いんじゃないかなぁ。そう考えると,今は難しいだろうが,熟年離婚に至った経緯と理由を語ってほしい,というのが無責任な第三者の正直な感想である。
 しかし一番面白かったのは,ワシが抱いている2重の夏目像が,硬い文章と,説明過多のしょーもない漫画タッチのカットのそれぞれに重なったことである。おかげで,カットはカット,文章は文章で別個に眺めることで2回しゃぶることが出来る,ワシにとってはお得な本になっているのである。

藤臣柊子「日本一 食べまくり&遊びまくり編」幻冬舎

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-344-00792-1, \1400

日本一 食べまくり&遊びまくり篇
藤臣柊子著
幻冬舎 (2005.6)
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 初めて読んだグルメ本は「恨ミシュラン(上)」である。フジオミの新刊である本書を読んだ時,「何故,ワシは,恨ミシュランではなく,これを最初に読まなかったのだろう」と後悔したものである。それぐらい,恨ミシュランは強烈であったのだ。
 それまでにも食を扱う漫画は読んでいた。「クッキングパパ」はたまーに荒岩一家の近況を知りたくて買ったりするし,歯医者の待合室に置いてある「美味しんぼ」に手が伸びたりするし,子供の頃に読んだ「包丁人味平」は結構ドキドキしながらラーメン対決を読んでいたりしたものである。これらの作品に登場するキャラクター達は,料理に対して真剣に取り組んでいたものである。うまいものはうまいと言い,まずいものはまずいと言う,真面目な求道者を扱った作品群である。
 恨ミシュランには,その名の通り,高級品に対する恨み,怨念こそあれ,食を極めるなどという高尚さはまるでない。「へー,あんたがたこーんなまずいモンをこーんな高い金取ってるわけ?いーショーバイしてんねー」ってな感じで,少なくとも客としてそれなりにきちんと遇されたであろう取材先の店を,気に入らない時には容赦なくコテンパンにけなしまくるのである。この著作以後,西原理恵子は税金をめぐって国に喧嘩を売るぐらいの大家となり,神足裕司はマイルドに物事を語る評論家としてブラウン管(この表現も通じなくなるな)の中から見事な頭部のテカリをお茶の間にお届けするようになった。いわば出世作なのであるが,さてグルメ本としてはいかがなものであったか。
 何せ,池袋のスナックランドが高評価なのである。対して神田の老舗がケチョンケチョンの低評価。まあ確かにスナックランドは安いしそこそこ食えるし,老舗の時代がかった対応は癇に障るかもしれない。しかしそこにはどー見ても,恨みというバイアスが掛かっているように思えて仕方がないのである。作品としては最高であったが,アンチグルメ本と捉えるべき本であろう。
 本書は「恨み」の全くない,スタンダードなB級グルメ・観光ガイド兼用のエッセイ漫画である。これは別段,著者が訪問先に対して気遣っているわけではない。気に入らないところはそう書いてあるし,しょぼいものはしょぼいと言う。しかし,サイバラとは異なり,フジオミには世間に対するルサンチマンというものがまるでなく,目を皿のようにして「まず貶してやろう」という姿勢は全く見られない。折角出かけるのだから,精一杯楽しんでやろうという至極善人的な観光者として,フジオミは大方,ポジティブに面白がっているのである。
 まっすぐな観光を楽しみたい向きには本書をお勧めする。
 「けっ,構造改革だか郵政解散だかしらねーが,むしゃくしゃするっ」という向きには,是非とも「恨ミシュラン」を読んで,「人が良かれと過ごしている所にやってきてクソたれる」(by パッポン博報堂さん)快感を味わって頂きたい。