小谷野敦「評論家入門」平凡社新書

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-582-85247-5, \760
 某先生から聞いた話である。ある旧帝大を定年退職した老先生が,文系主体の私大へ移った。が,教授会の長さに閉口して,程なく今度は理工系の私大へ異動したそうである。その某先生曰く,「文系の人たちとは文化が違いすぎる」。
 文系理系という区分はかなりいい加減なもので,その間には広大なグレーゾーンが広がっている。国立N大学工学部の助教授ミステリ作家によれば,「数学に畏敬の念を持っているのが理系」ということになるそうだから,それ以外の学者は全部文系ということになってしまう。しかし,経済学なんてのは確率微分方程式を扱ったりするから,これでは理系になってしまう。しかし経済学部を「理系」に区分している受験資料をワシは見たことがない。まあ,その程度の区分なんであろう・・・と,この業界に来るまではそう思っていたのである。
 しかし,今となってはやはり文系と理系では明確に文化が違うものであると確信している。前者は「研究者自身の人生哲学も含めた議論がなされ,そこには感情的対立が当たり前のように混入している」学問分野であり,後者は「明確な目的を持ち,そこへ達成するための方法論を客観的データを土台として打ち出す」学問分野である。勿論かなりの割合でどちらも例外を含むので,あくまで個人的な概要であるが,前者が感情論も一つの議論の土台になっているのに対し,後者にはそれがあまり見られない,少なくとも感情論が議論の中にむき出しになることは殆どない,という意味での「大雑把な文化の違い」はあるように思えるのである。故に,「文系」の学者の多い教授会は議論百出で時間が長引くのに対し,「理系」の学者の多い教授会では大多数が客観的データを得るべく「早く終わんねーかな,プログラミングの続きをしたいのにな」と内心思っているために(ワシだけか?),自分に直接降りかからない限りはシャンシャン会議を黙認,というか積極的に後押しして早く終了することになるのであろう。
 本書は文字通り評論家になるための入門書を目指して執筆されたものであるが,多くは小谷野の個人的体験談である。勿論,「一般向けに書かれていて,学問を踏まえていながらアカデミズムの世界では言えないようなことを,少しはみ出す形で言う,これが評論の基本的な姿だと思ってもらえばいい」(P.39)とか,「評論とは,あくまで,カネになる文章のことなのである」(P.40)とか,「全面的に間違っているような論争を,勝てると思って始めたとすれば,それは勉強が足りない。しかしそれでも間違っていたと気づいたら,それは謝るしかない」(P.179)とか,ちゃんと読者をして「うんうん,そーだよな」と納得せしめる胸のすく小谷野節が随所に見られるので,ファンは迷わず購読すべきである。しかし,やっぱりもっと面白いのはその個人的体験談で,それを読むと,「ああ文系って,なんて神経をすり減らす学問分野なんだ」と嘆息してしまうのである。涙なくして読めないのは第五章の「評論家修行」で,著者の半生が語られるのであるが,まー東大出てカナダに留学して博士号を取って著書を出しても中々認められずといった苦労が語られ,大変な世界であるなあと人事ながら同情してしまう。ま,あくまで自己申告であるから,どこまで信用できるかは微妙であるが,少なくとも著者自身としてはこういう「苦労」を味わったということは紛れもない事実なんであろう。
 ああ,ワシは理系でよかった,一人でシコシコプログラミングしていればいいんだから真に気の弱いひ弱なワシ向きの学問分野である。売れなくてもいいから,暫くはインターネットで好き勝手に書いていようと,本書の目的とは逆向きの決意をした次第である。

魚住昭「野中広務 差別と権力」講談社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-06-212344-4, \1800
 昨年(2004年)の講談社ノンフィクション賞受賞作だし,かなり話題になった本なので「あ,それ読んだ」という人も多いだろう。それでもあえて取り上げるのは,今年も仕事三昧の日々を送ろうという決意に拍車をかけるべく,まずは惚れ惚れするような力作にあやかろうという魂胆だからである。
 同和問題について語ろうとするとどうしても冷や汗が首筋に滲んでくる。そんな小心者はワシ一人ではあるまい。血筋や生まれで差別するなんて,する側が100%悪いに決まっているのだが,厄介な問題に触りたくないという小市民根性からどうしても避けて通りたいと考えてしまう。この記事も一度破棄して書き直したものである。本書が話題を呼んだのは,野中広務という有名な政治家を取り上げたことと共に,同和問題を扱っているからという一種の「怖いもの見たさ」があったのではないだろうか。
 しかし,本書を読めば,何故この厄介な問題を取り上げたかがはっきりする。それは野中広務という政治家が持つ,強面する恫喝v.s.社会的弱者に対する率直な思いやり,という2面性を理解するにはこの問題は避けて通れなかったからである。虐げられた経験を持つが故に,同じような状況にある者には限りない慈愛を注ぎ,自らがそのような状況にある時は怒りを持って跳ね除ける・・・人間ならば誰しもそうであろう。野中は特に後者の面で才能があり,政治家としての出発が遅かったにもかかわらず,ついには首相候補に擬せられるまでに上り詰めた,それだけのことである。
 佐野眞一に見られるような文学的な比喩は皆無で,怜悧かつ静謐なジャーナリスティック文体が秀逸な,優れた人物評伝である。取材された方は迷惑この上なかったろうが,三流どころのゴーストライターに”My Life”なんて表題で執筆させるより,魚住さんに書いてもらって良かったんではないだろうか。これを読んで野中さんの評判が上がりこそすれ,下がることはない筈である。

「夢路行全集12 鈴が鳴る」一賽舎

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-7580-5108-9, \552
 今年の最後を飾る本は何にしようかな~,やっぱりゆとり教育批判への嫌味かなぁ,それとも好きなマンガで締めるか・・・と10秒ほど考えて後者にしたのであった。やっぱり楽しいのがいいよね。
 イマドキ,全集が出る漫画家というのはかなり限られる。手塚治虫並のネームバリューがあって,なおかつコンテンポラリーな作家はもはや24年組ぐらいじゃないのか。人気作家が難しいとすれば,コアなマニアを捕まえている作家しかいないが,それなりにマスを持たないといくらなんでもペイするだけの販売部数すら稼げないだろう。夢路行はそのあたりのボーダーラインに乗っている数少ない作家(何せ「初版絶版作家」を続けて20年である)であり,しかもかなりのベテランでちゃんとコンテンポラリー・・・というより,今の方がかえってメジャーではないかといういうぐらいの大器晩成なお方である。この機会を逃して全集を出す機会はない・・・と弱小出版社たる一賽舎の社長が思ったかどうかは知らないが,とにかく全25巻を目指して現在出版中である。2ヶ月に一度,3冊づつ発売されるのだが,出す度に取り扱い書店が少なくなっているような気がするのはファンの心配しすぎであろうか? 何はともあれ,やっと半分出たところである。全集完結まで潰れるな,一賽舎!
 という訳で本書である。12冊もある全集の中から何故これをとりあげるかとゆーと,現在秋田書店の雑誌にて連載中の「あの山越えて」の設定とよく似ているからである。まず主人公は学校の先生(「あの山越えて」では小学校の,本書は中学校の)であり,ド田舎(山奥と離島)が舞台での恋愛もの(夫婦でも恋愛しているよーにしか見えない>「あの山越えて」)というところも共通している。しかしやっぱり本書の方がストーリーとしては短い分まとまりが良く,主人公の境遇に著者の体験が生かされていると見えて人物に厚みがあると思えるのである。「あの山・・・」を人から薦められて「ちょっとたりー」と感じた人にはぜひ本書の方をお勧めする。著者が五島列島育ちということもあって,やっぱり海の自然の描写,特に海岸の小さな穴掘り温泉のリアリティは,そんじょそこらのイマドキの都会育ちの作家には描けないだろう。
 この主人公については,全集を続けて読んでいると「あ,あの入鹿さん・・・」と気がつく(著者もセルフパロディと言っているが)という楽しみもある。最近,夢路行を知った方は是非とも本書を読んで,気に入ったら最寄の書店で全集を全部予約して頂きたい。そうすることで取り扱い書店が増えることが期待される。営業力が皆無なんではないかと思われる一賽舎が全集完結まで潰れないためには,それしか方法はないと思いつめる,今日この頃なのである。

たかぎなおこ「ひとりぐらしも5年目」メディアファクトリー

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-8401-0842-0, \980
 あー・・・やっと今日も2コマ連続講義が終わったぁ~。んっとに3時間もぶっ通しで喋ると疲れるよなぁ,さーて,あとは家に帰って飯食って寝るだけ・・・あ,帰りの電車で読む本がねーなぁ。谷島屋で何かかるーく読めるやっすい本でも買っておくか・・・(新刊書の棚をウロウロしつつ)・・・うーん,いいのがないなぁ,こんな時に難しそうな新書読んでも車中で寝ちまって静岡まで行っちゃいそうだしな,イラストエッセイ的なもんでも・・・こーゆー時に限って内田春菊も西原理恵子も既に読んじゃっているんだよな・・・うーん,これは(たかぎなおこの「150cmライフ」を手に取りつつ)気にはなっているんだが,高校生が書き飛ばしたのか?つー絵だよな,まあ時間つぶしが出来ればいいのだし,まずは著者のことがよく分かるこっち(「ひとりぐらしも5年目」と交換する)にしてみるか。じゃ,これ下さい。
 (静岡行き普通電車車中にて)・・・んっとにこの区間の東海道線って本数が少なくてやーねー。今日は何とか座れたからいいけどさ。さってと,読んでみるか。全くあっさりした絵だよなぁ。さくらももこに似ているけど,あそこまで捻くれてないところが180°違うな。そーいや,清水のちびまるこちゃんワールド,全然人が入ってなかったなぁ。可愛げがないんだよな,さくらももこの絵には。あれでユーモアセンスがなかったら単なる嫌味なおばさんエッセイだぜ。ワシはそっちの方が好きなんだが。
 しかしこれは・・・ストレートっつーか,すっきりしすぎとゆーか,(P.84を読みつつ)・・・う・・・いくら実家が近くなればいいとはいえ,「どこでもドアが欲しい」「ノーベル賞の田中さんお願いします」だぁ?ぶぶっ。ホントにこの人三十路かぁ? ある意味,すげぇ,かも。
 (「女一人の丼飯屋」を読みつつ)・・・うーむ確かに吉野家の味噌汁はインスタントっぽいよなぁ。松屋は割りと好みなんだが,この人はあんまし好きじゃないのだな・・・てんやは上品ではあるが,あんまし脂っこいのはどーも・・・しかしこの人,何だかんだ言ってもよく一人で飯屋に入るなぁ。東京暮らしの特権かな。
 (「いつものスーパーでお買い物」を読みつつ)・・・そうそう,一人暮らしも慣れてくると,コンビ二よかスーパーの方が便利なんだよな。特に自炊が板についてくると,新鮮な材料が安く手に入らないと困るんだよね。でもあんまし惣菜類は買わないかぁ。飯と味噌汁は常時作り置きしてあるし・・・おっ,このトマトスープはヒットかも。ぜひ作ってみねば。
 (電車,掛川に到着)・・・おっ,ちょうど「夢見る引越し 理想の間取り」を見ている所で・・・(てくてく改札口を通りながら)・・・絵は簡素だが,このストレートな表現は太田垣晴子の方に似ているな。そのうち雑誌を作ったりしたりして。読後感も良いし,丼飯屋に対する率直な感想もナイス。へろへろな絵なのに一本筋が通っていると見た。
 よーし,「150cmライフ」も挑戦してみるかな。(自宅に帰ってWebをサーチして)なにっ,もう続編が出ているのか。さすが負け犬パワーはすごいのぉ。応援しようではないか。うん。

路上観察学会「中山道 俳句でぶらぶら」太田出版

[ Bk1 | Amazon ] ISBN 4-87233-851-0, \1500
 国の財政事情がこれだけ借金漬けとなり,地方自治体も殆どが火の車,将来の少子高齢化社会に備え,いくら福祉や教育に力を注ごうにも金がなければ話にならぬ。それもこれも全ては要らぬ公共事業に金を注ぎ過ぎ,土建屋だけが儲けるようになってしまったからである。これ以上,インフラ整備のための公共事業は不要である。静岡空港しかり,第二東名自動車道しかり,神戸空港しかり,である。能登空港?・・・な,何事も例外はあるっ。
 (気を取り直して)しかるにっ,本書は国土交通省関東地方整備局,同東京国道工事事務所,同大宮国道工事事務所,同高崎工事事務所,同長野国道工事事務所,同多治見工事事務所,同岐阜国道工事事務所,同飯田国道工事事務所が主催もしくは後援に付いたシンポジウムのための「調査事業」として実施された中山道の路上観察を元に執筆されたもので,これこそっ,税金の無駄遣いの確たる証拠であるっ。なぜ全国の行政オンブズマンたちが本書を焚書にせぬばかりか,本書に多数掲載されている道路調査には全く役に立っていない写真とコメントと俳句を見てへらへら笑っているだけなのか,ワシには全く解せないのである。
 人の顔に似ているとはいえ単なる鉄板のへっこみ(P.54)が,「不要」とだけ書かれた安っぽい玄関チャイム(P.34)が,干からびて立てかけられた箱庭(P.121)が,一体何の調査結果だというのか,国土交通省はきちんとアカウンタビリティを果たすべきであろう。確かに横川で発見されたという横顔に見える家(P.67)には爆笑させられたが,一体全体どうして道路事務所の後援を得て,このようなものを見つけるような輩に由緒正しき中山道を徘徊させて俳諧させる意味があったというのであろうか。わしにはさっぱり分からない。分かったのは誰もこのような暴挙を責めたりせず,タダ笑っているだけだということだ。しかも呆れたことに,「奥の細道 俳句でてくてく」という類書が2,200円で既に出版されているということである。このような税金の無駄遣いを,ブンカだのゲージュツだのセンスだのという一言で許していいのであろうかっ! 日本の財政状況を悪化させている原因の一つとして,本書をここに提示する次第である。笑いながら怒る初期竹中直人を演じられて一石二鳥である。