[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-86122-001-7, \1500
まず,1500円も読者からぶんどっておいて,こんだけ誤植(つーかタイプミス)をほったらかしにしている本も珍しい,という事実は指摘しておかねばなるまい。それでも,さすがに本職のライターが書いただけあって文章は読みやすい。しかし流れるように読める筆力があるだけに,タイプミスでその流れが引っかかってしまうのは皮肉である。もし第二刷が出るならば,それを修正した上でお願いしたい。そして私も人に勧めるのはそれを確認してからにしたい。
前書きで著者が述べているように,本書は客観的な事実に基づくマイコン→パソコンの歴史書ではない。あくまで著者の主観に基づくエッセイであり,かなり重要な事実もすっぽり抜け落ちている,なんてことも多い。DDDはどこ行った?とか,Free UNIX Compatible OS は完全無視か?とか,The Internetの歴史は?等々。しかし,そんなことは著者は百も承知で書いている(よね?)。むしろ,殆ど同時代のユーザとして過ごした私としては,第一章から第五章の記述のあらすじが殆ど自分の記憶と一致していることに驚いている。本書は確かにユーザの主観を記述した歴史書として意味がある。
しかしそれ故に,学問的には本書はかなり疑義を持って睨まれるべきものである。その時々における社会情勢の記述も,客観的データも,参考文献も皆無である。ラストの第六章の記述にアトムを持ってくるなんてのも,朝日新聞社じゃあるまいし,手垢にまみれた論考である。
コンピュータってものが,恐ろしく高速な制御機械であり,その枠を外れて使われたことは一度もない,単なるでくの坊である,という事実を,著者は意図的に忘却し,愛着のあるペットとして愛撫している,そんなキライがある。ガクモンとしてはいかがなものかとは思うが,一人の同時代人ユーザとしては,その偏愛のありかたには同情してしまう。中年ヲタクが思い出にふけるネタとしてはよくできた本である。そう思えば,多分,タイプミスにも愛着が持てるかしらん?
内田樹「子どもは判ってくれない」洋泉社
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-89691-759-6, \1500
「ためらいの倫理学」(2000年)以来の3年分のエッセイを集めた単行本。オトナのために,オトナの思考法を「うじうじと」述べた文章が満載されている。といいながら,読んでいて爽快感がわき上がってくる辺り,文才があるんだよね,きっと。ああ羨ましい。
「ためらいの倫理学」では小田嶋隆の影響が色濃く刻まれていたが,これはすっかりそーいったレトリックからは開放されており,50過ぎのオジさんがじっくりと腰を据えて,複雑な世の中の仕組みを省略することなく複雑なまま語ってくれている。
著者は小林よしりんが嫌いなようであるが,随分と共通している所があるのは,どっちも現実を見据えようという気構えがあるせいだろう。感情的な行き違いはあれ,世間でそれなりにステータスを築いていけば,自ずと同じ世の中の仕組みを知ることになるから,申し述べる事柄も似通ってくるのである。
わしが一番感銘を受けたのは,「ハラスメント」を考察した「呪いのコミュニケーション」(P.132~142)と「ヨイショと雅量」(P.154~159)である。特に後者は,「ほめて育てる」ことの重要性を指摘しており,何事に付け,人の足下を掬ってやろうとしている腹黒い教師としては,誠に恐縮する次第である(改めるつもりはないけど)。
今後ともWebを初めとした様々な媒体で作品を発表され続けるであろう,著者の今後の活躍に期待。いやぁ,小谷野先生に続いて尊敬する書き手と巡り会うことになろうとは思わなかったな,うん。
小谷野敦「反=文藝評論」新曜社
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-7885-0859-1, \2400
コヤノ先生の本は,いつ出版されたのか,その動向が掴みづらい。筑摩書房のように,新刊情報が手に入りやすい大手(でもないか)の出版社なら何とかなるのだが,単行本onlyのマイナー系出版社だと,こちらがWebをマメにチェックする必要がある。で,本書も長らく出版されていることを知らず,仕事が一段落して欲求不満を解消すべく,八重洲ブックセンター本店に突入して目を皿のように棚をサーチしている時に発見したのである。ん,もう,コヤノ先生ったら水くさい(誰に言っているのか)。
何でこんなにコヤノに入れ込むのか,というと,文章の面白さ,論理思考の強さと共に,感性が自分と似通っている,という点も大きいようである。本書は「反」文藝評論と銘打っているが,それは自分が「文藝評論家ではないから」ということであって,内容は文藝の評論,そのものである。相変わらず,わし自身はここで取り上げられている小説をまるで読んでおらず,村上春樹も右に同じという有様である。んで,小説の内容に照らしてコヤノ先生の論旨がどうなのか,ということを論評する立場にはない。が,コヤノ先生の文章そのものは全面的に肯定し,面白いと感じる。これじゃまるでパロディの元ネタを知らずに,パロディそのものを楽しんでいるようではないか。しかしそれが可能なぐらい,コヤノ節は世間に認知されているのである。そうでなければこれだけ多くの著作を世に出そうと,出版社が考えるはずがない。
にも関わらず,コヤノ先生は「作家専業でやるつもりはない」とおっしゃる。理由はあとがきに書いてあるので,ここでは触れない。しかし・・・うーん,才能のカケラもないわしからみると,誠にもったいない。生活はそれほど豊かではなさそうであるが,一応食えているのであれば,小熊英二が「本とコンピュータ」最新号で述べているように,そのままフリーの学者,ときどきエッセイストとして活躍した方がいいように思えるのだが・・・というのは,学校出てからこのかたずーっとサラリーマン生活をしている者の「隣の青い芝」的考えなんでしょうかねぇ?
本書の内容そのものについては,前述の通り,論評する立場にないので触れない。しかし,取り上げられる評論家の言い分をあれこれと詮索し,比較し,反駁する,という「文系」のガクモンの有り様が炸裂していることだけは述べておきたい。学者先生稼業は頭の勝負と思われがちだが,旺盛な脳細胞の活動を支える「体力」の方が,実は重要なのである。軟弱者を自認するコヤノ先生であるが,こと本業に関する限り,恐ろしく精力的なのである。
小林よしのり責任編集「わしズム Vol.8」幻冬舎
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-344-00390-X, \952
戦争論3が出版されて,編集長の漫画二編が無事帰ってきた。これが一番の目当てなんだから,休まれては困る。後の連載は後回し。
んが,ボチボチ主張が固まってきたこともあって,繰り返しが多くなってきた。故に,読者としてはちと飽きてくる。今は中断している仏教論をまとめて一冊にしてくれないものか。
戦争論3出版後のよしりんは相変わらず忙しく全国を飛び回っているようだ。金沢の護国神社へ行ったと思えば,新装開店して大にぎわいのJR札幌駅隣接のホテル日航に一泊し,洞爺湖のウィンザーホテルに宿泊したとのこと。
それはいいのだが,洞爺湖の豪華ホテル,拓銀破綻を知るものとしては複雑な感慨を持ってしまう。カブトデコムに膨大な資金融資を行った結果,取り返しの付かない不良債権を背負ってしまったのが直接の原因なのだが,その投資先の一つがこのホテルなのである。
今は普通に運営されているようで喜ばしいが,その豪華さの裏には札幌に本店があった唯一の都市銀行の倒産劇があったのだ。それを思うと,今回のゴーマニズム宣言EXTRAを素直に楽しめないのである。ま,よしりんに罪はないのだけれど・・・ね。
桂米朝×筒井康隆「対談 笑いの世界」朝日選書
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-02-259835-2 \1200
人間国宝&文化功労者の噺家と,シュバリエ賞&紫綬褒章作家との対談をまとめたもの。筒井によれば,新聞に掲載されたのはこれのダイジェスト版で,「限られた紙面」であったために「面白い部分は大きく割愛」されたものだったそうである。4時間に渡る長丁場の対談にしては「朝日の謝礼というのは失礼ながら恐るべき低額」なので,本にすべきと筒井は主張し,もう一度対談を重ねて本書が出版されるに至った。
米朝という人は,私がものごころついた時には既に上方落語のの大御所で,オーソドックスな噺家というイメージがあった。が,噺を聞いてみると,マクラでは時事ネタを織り込んで観客を引きつけるだけの現代性を持っており,伝統芸能としての落語をタダ語るだけの人ではない,ということが段々と分かってきた。「大物」というのはこーゆー人のことなのであるな。小松左京と親交があるだけあって,SFを含めて本をよく読んでいるよなあ,と感心する。本職の落語に至っては,ちくま文庫から自身の解説付きの選集が発行されているが,まあ底知れない知識があって,弟子のざこばに言わせると「広うて深うてむちゃくちゃやしね」となる。
といっても,それだけ深いと自らその知識を披露するにも限界があり,引っ張り出すだけの力量を持った相手が必要である。本書の対談は,勿論,大御所同士のタッグを見せる目的で設定されたものであろうが,さすがに筒井は一歩引いて,米朝の底知れぬ知識を読者に開陳するべく,楽しみつつも奮闘しているように感じた。
んで,読んでいる方と言えば,古典芸能には全くもって暗い上,大阪の知識が皆無であるから,脚注は充実しているとはいえ,よく分からない部分が多い。それでも,語られるエピソードの多くに感心したりにやりとしたりさせられ,一気読みしてしまった。「分からない部分もあるけど,そこも含めて面白い」という楽しみ方が出来れば,なおよし,という本である。